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1月17日(Sun) あの震災で被害にあったわけでも身内を亡くしたわけでもない人間が、ことさらに今日という日について語ることのおこがましさを承知の上で、あの日見た風景から受けた「予感」の正体について考えてみることが今でもたまあります。どうしても考えずにはいられない「風景」だからのようです。 戦果に焼けた街並や折重なる死体など、お手軽なテレビの特番などでは春と秋にはこれでもかと繰返されてきた筈でした。破壊と死など、世紀末のこの時代には珍しくもないとそうみんなが思いこんでいたような気がします。 昨日となんら変ることのないあの日の朝、僕が何気なく点けたテレビのブラウン管から流れた映像が何故こうも執拗に思い出されるのか・・・「日常」が無惨に破壊された街の、その唐突さと徹底ぶりが、あまりにもその街に住んでいた人間達の匂いを放って、尚且つ瓦礫としてそこここに氾濫することに、何故か正視できないほどのものを感じたからのようです。 あの瓦礫の下には僕の母がいる、父がいる、娘がいる、妻がいる、僕自身が埋っていると、そう思えて仕方がなかったのです。地球にとってはほんの些細な地殻の変動、たった一本の活断層の数メートルのズレ・・・それがもたらした未曾有の惨状がテレビの向こう側に延々と広がり、あの瓦礫の下で今も生きながら炎に包まれている人間がいるというのに、ただそれを呆然と眺めている僕という存在。そこにはなんの理由もない・・・「生」も「死」も所詮は単なる偶然の結果にしかすぎないのだと、改めて思い知らされたような気がしたのです。あの街ではなく、僕の住む街が瓦礫と化していたとしても、それを眺める人々にとってはなんの違いもないのだと気づいた時、誰にとも知れぬ憤りと絶望の中で死んでいく僕自身のイメージがあの瓦礫と共に胸の奥深くに秘かにしまい込まれ、そこから抜け出せなくなってしまったのかも知れません。 数十年後か数百年後か、あの日がきっかけだったのだと皆が思い知る・・・1月17日とはまさにそんな日のような気がします。
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