デーテーペーな1日

1997.2.16~28

日記関係の発言はこちらで。
2月16日(Sun)
 昨日・今日と連日の日記をネタにしたおしゃべりで、いい加減口が疲れました。<疲れるほど喋るなよ!
 明け方近くまで、またも意味無くネットに繋いでメール書いたり日記読んだり。日記界のお騒がせ人はその頃上で静かに眠っていたはず。はい、無理やりに寝かせました。だってBOWDOの更新が残ってましたから。
 僕は人前で日記書くのがどうも苦手で、日記者の来客があったりすると余計にモニターの前には近寄らせないようにしています。日記もそうですが、メールのやり取りの相手などを見られるのも一段と恥ずかしいので、来客中は決してメールボックス確かめに行ったりはしません。しかし、明け方の4時にリプライメール送ってくる洋行帰りのOLって・・・やっぱり廃人十段認定でしょう。因みに十段はもう一人しかいません。えっ?誰だって。がはははh、そんな事言うまでもないじゃないですか。
 そうそう、昨夜からの来客は、味覚が無くなったとか騒いでいたようですが、けっこう食欲はあった模様です。夕食も朝食も残らず食べていたようですが、もっとも残すに残せない気弱い性格なのかも知れません。僕もいつも残さず食べてます。
 午後からは僕の方に所用があったので、さっさと近くの駅まで送って行きました。うん、以外と元気だったかも知れません。そそのかしておいたので、また騒動始めるかも・・・がはははh、刮目して待て!

 本日午後から出席した会合は、多摩インターネット社会波及ワーキンググループなどと物々しい名前が付いていても、ついつい日記ネタに会話がなびいてしまうのは、集ったメンバーの中に日記猿人登録者が4人もいたせいでしょう。あれこれと雑談に終始するのが、また日記者の習性のようです。
 しかし・・・次から次へとBOWDOネタに困ることの無いのは、喜んでいいのか悪いのか?勿論、喜んでますってば。


2月17日(Mon)
 そうか・・・2月は日数のせいもあって何かと気ぜわしいモノですが、その上に懸案事項がいろいろ出てきて何かと多忙です。それも、仕事がらみでない処がいかにも、ですが。
 PTAでは3月にクラス有志による遠足のお知らせも作らなければいけないし、土曜日の会合で話しのでた、インターネットの社会波及の一環として、うちの小学校での初心者向けインターネット講習会の件も、先生に打診してみようと思っているのですが、まだ何も手を付けてません。
 そうそう、PTAと言えば「茶パツでイェーイの彼女」、とうとう来年度はPTA本部役員やるとか。しかもなんと副会長だと・・・きゃー。選ぶ方も選ぶ方なら、受ける方も受ける方だけど、これでまたPTAから目が離せなくなってしまいました。もう一人の副会長ってのが、またキャラクターの濃い方なので、来年度のPTAは今から嵐の予感。しかし、一緒はイヤ。
 がはははh、面白すぎる展開なのですが、僕以外にはこの面白さはぜんぜん解りませんよね。まぁ、しょせん日記なんてこんなものでしょう。読んでる方に親切すぎるのは、得てしてつまらない日記のような気がします。

 あぁ、昨日から今日にかけて何だか日記界周辺でいろいろと有るようです。相変らずと言ってしまえばそれまでの、コップの中の嵐。そろそろ世代交代が有ってもいいような気はしているのですが・・・


2月18日(Tue)
 本日は午後から何気なくWOWOWでアメリカ映画などを観てしまったんですが(←仕事しろよ)、いやはや・・・この「いやはや」にはいろいろな意味がこもってるかも知れません。
 マフィアのボスが、自らの裁判での評決をくつがえすために陪審員の一人の女性を、その息子の命をかたに脅迫すると言うのがメインストーリなのですが、一昔前なら敏腕検事が彼女の危機を救い、めでたく有罪評決を勝取ってジ・エンドとなる筈のストーリーも、90年代になるとそんなおとぎ話は残念ながら見向きもされないようで、別種のおとぎ話が用意されることになる訳です。
 脅迫に屈したヒロインによって裁判はとん挫してしまい、検事は強引に彼女から脅迫の事実を証言させようとするが、警察による庇護を信じない彼女にとって検事の思う通りの証言など出来る筈がない。
 で、彼女はどうするかというと、結局自分の命を狙われたことをきっかけに、なんと、逆にマフィアのボスを殺して自分の手で自分と息子を守るという、「自己必殺仕掛人」な結末・・・
 ストーリーの強引さに目をつぶってまで「強いおんな」の存在に固執するのが、最近のアメリカ映画の強迫神経症的なところですが、そうした映画のつくり手がたぶん男性だろうと思えるのが、いささか疎ましい気がするのです。そう描くことがビジネスとして有利だから、委細構わず強引な結末に持っていって、カタルシスを演出しているように思えて、多分に嘘くさい。
 しかし、正直言ってアメリカ女性を身近に知らないので、僕にはそうだと断定することも出来ないのです。事実として、かの国ではその事を日々実感している「おとこ」が多いのが、正しい現実認識なのかも知れません。
 そう言えば、何となく僕もそんな気はしてきたかも・・・ここ2・3日。<きゃー。不明な感想はヤめなさい。

 何故かおきらく映画時評な本日の日記。映画のタイトルは「脅迫 彼女の選択」でした。

 途中から観たので人間関係が良く分らない部分があるのですが、ウィリアム・S・ハートが、つまらない男の純情を淡々と演じて、男性陣の中では一番「おいしい」役柄でした。ヒロイン救う為にあっさり殺されてしまうところも、90年代風。そう言えば、つい2・3日前にも小心なくせに教え子相手に勃起したがる大学教授を情けなく熱演してました。けっこう好きです、ウィリアム・S・ハート。


2月19日(Wed)
 もはや赤軍派の名前がニュースを賑わせるのは、他ならない彼らの逮捕劇以外にはなく・・・複雑怪奇な国際情勢とテロリズムの狭間で常に翻弄されてきた彼らの、その逮捕を告げる紙面に印された40代50代と言う年令に、結果的に只の道化でしかなかった彼らの人生の空虚さがありありと滲んで見える。
 ただただ、突然現れた過去の亡霊の様に見える赤軍派の名前だけが、おどろおどろしい過去を引きずりながら白昼夢のように中東の街に現れる事の意味とは・・・ソ連の崩壊から東欧の消滅、イスラエルとPLOとの歴史的和平など、彼らの頭越しに歴史はただただ通り過ぎていっただけなのでしょう。
 連合赤軍やテルアビブ空港での乱射事件など、国内外で流されたおびただしい血がなんの意味もなかったことの総括は、はたして彼らの裡では在ったのか?学生運動の渦中で死んだり不具になった人間は、バリケードの内と外を問わず多かった筈なのだが、何故かその事を悼む人間はもう誰もいない。通り過ぎたノスタルジーの様に色あせた記憶だけが、今では管理職となり果てた男達の胸を微かによぎったのかも知れません。
 もはや初老と呼ぶべき年令にある赤軍派のメンバーからは、ふ抜けたような祖国復帰の声も何度か漏れていたように、日本への強制送還に安堵している人間も中には多いような気がするのもなぜか疎ましい。道化師には道化師なりの結末がある筈なのだが、またもや殉教者を装うのか?いや、そんな簡単な虚飾さえ、既に彼らの内部では朽果ててしまっているのかも知れません。

 うかつなことに、岡本公三が捕虜交換で釈放されていることも知りませんでした。拘禁性の分裂症で廃人同然と聞いたこともありましたが、はたして一般的な生活が営めているのでしょうか。その年令から考えても、現役の過激派と呼ぶよりも、国際社会での裏取引の材料として無為な生活を送っていただけなのでしょう。いずれにしても無惨な人生であることには間違いは無いようです。


2月20日(Thu)
 埴谷雄高の死を聞かされて、ある種の感慨を抱く人間と言うのは、今のお手軽な時代にはそう多くはない気がするのだが・・・新聞の死亡記事は以外と思えるほどに大きかったような気がします。幾度と無く発表される「死霊」の最新巻を買求める人間はそれぞれの世代に、いつも極少数ながら確実に存在しているようです。
 ひとつの時代を共有した人間にとっては、なかば「伝説」半ば「畏敬」の霧の向こうに立つ巨人の一人として、どうしても忘れることの出来ない存在なのでしょう。
 徹底的に自己を凝視するその瞳の奥にあるのは、過酷な現実との相克に打ちひしがれた魂の、苦渋に満ちた絶望と諦念の記憶だった。しかし、何一つ頼るモノのない独房の中で、思索によってその絶望の海から這いあがろうと決意した埴谷雄高は、自らに科した「思考実験」によってひたすら無為なる人間の存在の意味を問い続ける。決して答えることのない「神」との問答を妄想して深夜に呆然と闇を見つめながら、覚醒と眠りの狭間のいわば夕暮のような意識の中で、あり得ない答を求める為に用いたその方法こそが「小説」という形式だったのでしょう。しかし、決して結末の見えない永遠の問いを発し続ける行為とは、まさに人生そのものの謂いであり、本人にとっても、それは未完に終らざるを得ない問いである事も、自明の真理だった筈です。
 最終章を書くことなく未完に終った「死霊」こそ、これ以後、僕たちがまさに語り継ぐべき妄想という名の思索が紡ぎだした美しい結晶なのです。
 しかし、永久運動を続ける時計台の下で、なにやら気むずかしげな老人が呵々大笑している光景も又、僕の愛すべき妄想のひとつではあります。

 どうしても難解な文章になりがちなのは、まぁ埴谷雄高へのオマージュだと思って頂ければ。しかし・・・戦前から営々とひとつの小説だけを書き続けるというのは、まさに小説家にとって至福とも呼べる人生だったような気がします。思考に淫する人生というのは、僕などには到底出来そうもありませんが、実生活ではただの好々爺で晩年を終えられたようで、まさに大往生なのでしょう。


2月21日(Fri)
 ホントにどうする気でしょう?「MACWORLD Expo/Tokyo」
 あれこれ人に声かけておきながら、本人にまるで行く気のないのは何故?本当なら混合わないウィークデーの今日あたりに出かけるはずだったのに、そんな事はすっかり忘れて何時ものように10時近くに目を覚しても、ぼんやり珈琲飲んでるだけ・・・今さらどこへも出かける気にならないのは、もはや何も期待するこののないMACとAPPLE社への倦怠感だけではないような気もします。仕事に厭きてるのが大きな原因かも。
 そういえば、明日は第二土曜日で学校が週休二日で休みだから、パフォーマー買って「キッドピックス」でお絵かきに夢中な「幸せファミリー」とか、CD-ROMでエコロジーやら鯨の保護を理解した気になってる、「似非自然派ファミリー」なんぞが大挙して幕張に押寄せそうな気がします。皆さん、親子兄弟でお揃いのアースカラーの洋服など着込んで会場ウロウロしている「バカ親子」見つけたら、分らないように子供の尻でもつねっておきましょう。
 それにしても・・・訳の分らないCD-ROMを会場で配ったり、妙に愛想のいいおねーちゃんが根ほり葉ほり聞いてくる、意図不明なアンケートはヤめれ!あれって、新手のキャッチセールスみたい。
 それから、コンパニオンばっかり撮ってるカメラ小僧達。君たちの行為って、街角でやれば完全な変質者だぞ。あんなに写真ばっかり撮って、その後なにに使うつもり?きゃー。そんな事に使ってるのね・・・

 朝になってみないと出かけるかどうか、本人にも分りません。ひょっとして会場で見かけたら声でも掛けてみて下さい。えっ!顔知らないって?何だか会場ウロウロしてる怪しいオヤヂ見かけたらひょっとしたらそうかな、と秘かに妄想してみるのも楽しいものです。しかし、そんなオヤヂは多すぎて、とてもじゃないけど探しきれるもんじゃありません。えぇ、僕もひょっとしたらアレが「あなた」かもと、妄想しながら会場をブラブラしているはずです。


2月22日(Sat)
 やってません。じゃ無くて、行ってません。「MACWORLD Expo/Tokyo」・・・結局誰に聞いても見るべきモノのない空疎な展示会のようです。だいたい、どこのソフトメーカーだって、数年先には消え去ってしまうMacOS7.XXなんて代物は、とっとと見限るのが当然でしょう。そんな事もAPPLEの上層部が分からないのかな?いやいや、そんな事ない筈。う〜ん、おめでたいユーザーの目をくらますためのいつもの手かも。
 NeXT版Macなんて、どうやら絵に描いた餅で終る可能性大でしょう。しかし、よそからOS持ってこなければならないほどAPPLEの開発力は地に落ちてしまっているようです。テクノロジーで計れないモノを夢見ていたはずなんですがね・・・ケチ臭い外見の意匠にばかりこだわって、結局Windowsの厚化粧に飲込まれてしまうのは、中身の充実を忘れた者の当然の報いでしょう。任天堂の例もあるんだから、頑張ればMacにもなんとか起死回生の手段が・・・ある訳無いですよね。

 で、何やったかというと、外出したのは、子供たちをバレー教室に送迎えした時だけ。あ、マクドナルドでてりたまバーガー食べました。きゃー。すいません。僕も子供たちもすっかりあの味に舌を慣されてます。もっとも、あんまり真剣に「おいしい、おいしい」と言う子供たち見てると、正直言って情けないですが・・・

 何もヤル気なし・・・明日が日曜と言われなくても、仕事はお休み。年が明けてからろくに仕事してない気がするんですが。ハッ、これって売上もぜんぜん無いって事?もうちょっとやる気ださないとなぁ。そのくせ週末になると出かけるのは、一体全体どういう訳?そうか・・・今日はExpo見学のつもりで「オフミ」の予定入れなかったんだ。こんな事ならキャンセルするんじゃなかったなぁ。←そのヤル気を仕事に向けろよ!


2月23日(Sun)
今日からは・・・

 部屋の外で待つように言われた私は、禁煙した筈の煙草を探って胸元に手を入れる。ポケットをしばらく探ってみるが何枚かのレシートが出てくるだけで、手持ちぶさたなまま、訳もなく腰のあたりで掌を拭った私は、部屋で行われている作業を覗いてみたいと言う欲望とじっと闘っていた。
 ストレッチャーに何かが当る金属音・・・作業を続ける人間達がベットの脇を行き来する乾いた足音・・・ほとんど無言のまま続けられる作業の間に部屋から漏れるのは、病院ですっかりお馴染みになったの筈の消毒液の匂いと微かな腐臭が混じった・・・そう、諦念と疲労の匂いとでも呼べばいいのか。
 責任者と思える男が処置の終ったことを告げると、残りの2人の人間を連れてそそくさと出ていく。ドアの閉る音を聞くと、後はこの家には私ひとりが残った。そう、もはや妻は何かの「物体」に変質しようとしていた。

 ベットの上には、それまでのさまざまなチューブや機械から解き放たれた妻のからだが横たわっていた。頭にまかれた包帯を除けば取立て変った処のない、いわば眠っている彼女そのものに見える。胸元まで引上げられたシーツの下が少しばかり盛上がって見えるのは手を組まされているからか?それだけが、普段の寝姿とは少し違っていた。しかし、これを何かの「物体」と思い込むのは少しばかり努力が必要かも知れない。
 薄いシーツを剥ぐと、古風な寝間着を付けた「それ」をじっと見つめる。表情には苦痛の様子も安堵の様子も何も見えない。ただただ空虚な表情は、いつも通りと言えば言えなくもなかった。少し開いた口に耳を近づけてみる。
 綿や脱脂綿による処置を施さないようにと言った時の、男達の微かにゆれた表情の中に浮んだ嘲りの調子と嫌悪感に、そうした申し出は意外と多いような気がした。閉めきった部屋で死んだ妻とすごす男の、萎えきれぬ欲望と妄想
 せっかく着せた寝間着を脱がせると、私はしばらく「それ」を眺める。蒼ざめて見えるほど白い肌に触れてみると、まだ少し温かい。
 小ぶりな乳房はいくらか弾力は失っているが、私の掌の裡で未だ柔らかく揺れる。死後硬直も始っていない「それ」は、まさに柔らかなマネキンそのもの・・・扁平な腹部から続いた茂みの奥の、幾度となく私の欲望を飲込んできたものを妄想するまでもなく、すでに私自身は耐え切れぬほどに固く勃起して、ひたすら従順で物言わぬ「それ」を抱きしめていた。

 何もない一日・・・しょせん、我々の人生に何かが待ち受けている筈もないのはすでにご存じの通り。何時ものように何時もの結果をくり返すしかない事を、今さら嘆いても仕方がないのかも知れません。不明な日記に特別意味のないのは、また当然なのでしょう。


2月24日(Mon)
 本日のわが家の夕食は「カレー」です。

 きゃー。そうまでして仲間に入りたいのか?このオヤヂは・・・
 何故かここ2、3日の日記界を席巻しているカレー談義。いずれも何日も煮込んでいる手の込んだカレーでとてもおいしいそうですが、それって大量につくって毎日同じカレー食べてるだけでわ?
 まぁ、ラーメンと並んで、外来ながらポピュラーな日本食として定着したと言うだけの話しかも知れませんが、それにしても日本人はどうしてあんなにカレーが好きなんでしょう。そう言ってる僕自身、チキンラーメンにわざわざカレー粉入れて食べる口です。チキンラーメンのカレー味はホントに発売中止になったんでしょうか?そうそう、みそ味ってのもありましたよね。アレって激マズ。<「激マズ」はヤめなさい、「激マズ」は。

 午後のテレビに多いもの・・・料理番組なんゾを見ていて、どうしてこんな手の込んだ事やらなければいけないのか、よく理解できないことがあります。もう少し簡単な調理法でも大して味は違わないんじゃないのかと。
 それと、鯉の洗いだのスッポン鍋だのと、そんなもの家庭で料理しようなんて考える奥さんいるんでしょうか。大変な手間とお金を掛けて食事することがそれ程の重大事とも思えないのは、偏食故の僕自身の偏見かも知れません。ただ、所詮は何時間かすれば排泄されてしまうもの・・・ただの生き物の肉や植物の葉っぱの切れ端では?浪費している金や手間に対する、食べる側の錯覚なんじゃありませんか?美味しいとか不味いとかって。
 えぇ、僕は鯉の洗いもスッポン鍋も食べた事ありません。偏食家(←そんな日本語あるのか?)に取っては、食べなくても容易にその味が想像つくような料理がとても多いんです。味音痴なのかも知れません。まぁ、所詮はマクドナルドのハンバーガーが昼食でも何も文句のない人間ですから。

 子供が生れてから、わが家のカレーは基本的に甘口・・・僕を除くと、他のみんなはまたどうしようもないほど刺激物に弱いので、味はドンドン僕の考えるカレーからは遠ざかるばかり。辛くないカレーライスって、いったい何?と文句のひとつも言いたい処ですが、秘かにタバスコなど振りかけて、妙な味のカレーで満足する日々です。これも、父の勤め・・・


2月25日(Tue)
 またもや巡回する掲示板が増えてしまいました・・・リンクしたらパスワードなしで飛べるのかな?それって、まずい事?

 夜中にもうひとつの日記更新するようになってから、一段と廃人度が増したような気がします。う〜ん、妻帯者の生活じゃ無いなぁ・・・独身でも少ない筈だけど、日記者の中にはかなりの高率で存在しそうな処がまた情けないです。
 朝子供たちが学校に出かけるのも夢うつつの状態。「いってきま〜す」って8時過ぎに声は聞えるのですが、ベットの中で「あぁ」とか「うぅ」とか意味不明なお返事してもう一度寝てしまいます。以前は一緒に朝の珈琲ぐらいは飲んでいたのですが、最近は顔すらみてません。一日中うちにいて、学校から帰ってきて始めて顔合わせる父親の存在って、いったい何者だと思っているのか、子供たちには訊いてみたい気がします。お父さんのお仕事、なんて題材で描かれた絵の中の僕は何してることになってるのか?寝てるところだったりすると、反論できそうもありません。とほほ。

 食事終ってから最近凝ってるのが、よくある子供向けのボードゲーム。基本的にサイコロ振ってコマをすすめる双六なゲームなので、大人が付合うのは非常に辛いのですが・・・兄弟二人でやってもつまらないからと、お父さんやろうやろうとしつこいんだなぁ、これが。なんとかごまかして逃げていたんですが、今夜あたりはどうでもお付合いしなければいけないみたい。そう言えばトランプにも一時凝ってたんですが、ババぬき二人でやっても面白くない事に最近やっと気付いて、これも参加しろと毎日責められてます。こんな時にテレビは子守代りなるから便利なんですが、ほおっておくとケーブルテレビで放映中の妙な映画のラブシーンをまじまじと観てたりして、慌ててトランプ取出して「さぁ、ゲームやるぞ」なんぞと始めたりするのは、これもまた父の勤め・・・

 本日の夕食はいわゆる他人丼・・・って関東にはあるのかなぁ?親子丼のネタの鶏肉を牛肉に変えただけなんですが。
 何だか夕食日記になっております。ただ、うちの奥さんはこれを牛丼とおっしゃる。どうも丼モノはすべからく玉子でとじるものという先入観があるようです。まぁ、牛丼でもカツ丼でも、胃袋に入れば大差ないことはわが家の常識のひとつです。


2月26日(Wed)
 申告用に伝票まとめる必要がある筈なのに・・・全然やってません。あぁ、いつやるんでしょう?<まるで人ごと。
 最近はとくに、締切に余裕のある作業を先のばしにする癖がついているようです。だからと云って急ぎの仕事があるのかと言うと、これが全然無い。余裕のあるときにやっておけばよさそうなものだが、まぁ、人生そんなに効率よく生きることばかり考えていては息がつまってしまいます。何事も程々程度で済ませるのが僕の生き方かもしれませんが、それにしても最近はその「程々」は少々度が過ぎているのかも・・・とにかくぎりぎりまで手を付けないので、結果的にいつも焦って夜中に仕事するハメに。本当は昼間きちんと仕事しておけば全然問題がない程度の仕事なんです。ひょっとしたら、夜も仕事してるフリするためにことさら昼間はダラダラしている可能性大。
 廃人系サラリーマンなら、なんとか出社さえしていれば給料もらえるのかな。その上、専用線の引かれた会社なら、昼間から日記巡りと伝言板の書込みに明け暮れる毎日。<それ程甘くない?
 しかし、これが廃人系自営業者となると、ただ生活なりたたないだけの無収入の馬鹿オヤヂ・・・う〜ん、それって、結構悲しいかも。

 私信的おわび。
 とほほ、どうしようかなぁ・・・先回りしておわびするのもおかしなものですが、たぶん怒られてるのは僕なんでしょう。いくらもない書込みの中で、問題になりそうな発言と言えば。
 実に申訳ない。言葉足らずな部分が多いのが悪い癖です。本人には問題発言の意識が無かったのかも。<それが問題!
 ただ、せっかく開設した掲示板なのだから、そこでコメント付けることで深まる議論もあったのではと・・・そんなに僕は「言葉を交すに足らぬ奴」と言う風に見えているのかと、その事がいささか残念です。


2月27日(Thu)
 インターネットに氾濫する「屑テキスト」の存在する理由について、編集者不在の状況を挙げる人が多いようですが、それって本当でしょうか?まぁ、日本語として認めがたい文章を書く人はとても多い様ですし、誤字脱字が散見するのは紛れもない事実でしょう。「かかり」が不明で、文章の途中で意味が置いてきぼりになってるような・・・単なる文字の羅列みたいな文章もインターネットの世界ではよく見かけます。
 じゃ、書店に氾濫する雑誌・書籍のたぐいに屑は存在しないのか?ポテンツの低下したオスの代償セックスみたいな記事が氾濫する「スポーツ新聞」や、こちらは精力が空回りしているような「女性週刊誌」がまき散らす妄想のようなダイエット法や芸能人のゴシップ記事。オナニー専門みたいな小僧の読む「ゲーム専門誌」や、いつまで現役なんだよとうんざりさせられる「健康情報誌」などなど。そんな駅のホームのゴミ箱に毎日大量に捨てられているような文章こそ、僕にとっては文字通り「プロの目で校正の行届いた屑テキスト」そのもの。
 そんな空疎な文章読むぐらいならば、てにをはすらハッキリしないモノであったとしても、紛れもない「いま」の見えるWeb日記の方がよほど面白い訳です。まぁ、仮想の元となる現実がゴミ溜である以上、いくらインターネットがバーチャルな世界とはいえ、ゴミの氾濫することは避けられないのでしょう。瓦礫の中からしか宝石の見つけられないのは、仮想も現実も等しく同じ筈です。

 しかし、正直言ってゴミあさりは疲れます。苦労していくら掘返してみても何も出てこない事が多いのも、確かにその通り・・・そのあたりも現実世界の例えになっているとするなら、いずれは探すことすら諦めてしまうのかも知れません。あるいは・・・自分の見たいモノしか見ようとしない人間?


2月28日(Fri)
 この時期、わが家の奥さんは一日中朦朧としております。言わずと知れた「花粉症」という奴。大混雑の耳鼻科に通って、抗ヒスタミン剤やらなにやら、よく判らないクスリを大量に貰ってきては服用中です。このクスリがよく効くようです・・・えぇ、睡眠薬として。
 鼻水とくしゃみの間は、とろんとした目で「眠い眠い」を連発で、食事中もたまらなくなってソファーで横になったりしてます。
 明らかに現代の生活のどこかに「花粉症」の原因はある筈で、それを確かめることなく、対症療法として症状だけをクスリで抑えようとするのは、また新たな花粉症類似のアレルギーを引き起す可能性が高いような気がして仕方がないのです。とは言え、この忌々しい現代に生きる人間が背負わなければならないリスクのひとつが「花粉症」なのかも知れません。
 そう言えば、最近の育児書のトレンドである「アトピー性皮膚炎」も、原因はさまざまなアレルギー物質によって引き起されるモノのようです。しかし、そのアレルギーの原因となる物質がただの「米」や「肉」などのごくありきたりな食物だと聞かされて、まるで食物を拒否するかのように過敏に反応する現代の子供達の姿に、なにやら不吉な予感めいたものを感じて仕方がないのです。まるでそれは・・・進化の袋小路に入ってしまった生物の、無意識的な絶滅への願望がカタチを変えて現代に浮上してきたのかも知れません。世界中で、これほどお互いに殺しあいをしている「種」が、進化の絶頂にあるなんて僕には到底信じられません。

 僕も何となく頭がボーっとしたり目が痒かったりしますが、まぁ、これはただの睡眠不足でしょう。あまり繊細さなどとは縁のない肉体は至って健康のようです。こういう人間に限って倒れるとイッキという奴かも・・・「ボケ老人のまま寝たきり30年」などという老後は出来れば勘弁して欲しいものですが、惚けてしまえば本人には何も判らないのだとすると、手掴みで自分のウンコ食べる生活も、それはそれで幸せなのかも知れません。


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