デーテーペーな1日

1996.11.1~15

日記関係の発言はこちらで。
11月1日(Fri)
 もう、くたくた。いきなり入ってくる仕事は、当然進行も超スピードで、とにかく急ぎで仕事を仕上げる事だけが最優先になってしまいます。う〜ん、デタラメにターボつけて仕事をこなしてます。こんな事でいいのか?日本の印刷業界は。
 いわゆる超大手スーパーの仕事なんですが、大手の仕事だからスイスイ流れると思ったら大間違い。もう混沌と怒号の飛び交う修羅場です。僕の手元に来るまでに販促やらディレクターやら、印刷会社の営業やら、何重にも受け渡しが錯綜して、肝心の現場はもう訳分からないまま、ほとんど「カン」で作業進めることになります。コンピューターで制作現場の環境は良くなりましたとか言いながら、結局は現場の人間がエイヤッ!とチカラ仕事でこなす以外に方法が無いのは、ほとんど10年前と同じ。無理な日程と無理な作業といいながら、結局は進行してしまうから、次回も同じ事をくり返さないといけなくなる訳です。いわゆる自業自得。
 みんな睡眠不足な上、絶対的なタイムアップの時間に追われる仕事していると、てきめんに胃がきりきりしてきます。あまりに余裕が無くて、自分自身でも納期が守れるのかまるで分からないのが、いちばん疲れます。と言いながらこんな日記書いてますが、今は先方校正中で、一時休戦状態です。何とか山は超えたようです。直しが少なければ今夜終わるでしょうが、大量の直しがでたりしたら・・・きゃー、想像するだけで僕は恐ろしい。事務所に鍵かけて、逃げるかも知れません。

 実は、こういう仕事はもう決してやるまいと決めていたはずでした。しかし、長年のつき合いのある方からどうしてもと云われ、仕方がないので受けてしまい、思いっきり後悔してます。もうイヤ。だらだらと、遊びならが仕事するのが僕はいちばん好きです。がはははh、そんな仕事あるんでしょうか?


11月2日(Sat)
 意外なところであなたの名前を見つけて、ふと自分自身の心の中を覗いたような気分がしました。

 空っぽで、そのくせ何時までも濃厚な気配だけが残っている、廃虚とでも・・・廃虚の持つ、あの空疎な情念に満ちた気配が、私は好きだったのかも知れない。私の裡なる廃虚に吹く風の音に、ふいに白昼夢のような記憶が蘇る。そう、アンデスの聖なる祭壇について、ふと思うときがあります。

 希薄な空気に悲鳴をあげ続ける肺と過剰な血流にぼんやりと痛む頭を抱えながら、私は石組みの階段を、ただただ登り続ける。長大な時間とおびただしい人々の行き来によって風化し磨滅した石段はすっかりもろくなり、私の足元で絶えず風のなかに飛散していた。振り返れば何一つさえぎるモノのない眺めがはるか山裾にまで続き、蛇行する川面がにび色にひかっていた。
 蒼穹をめざす石段はいつ果てるともしれない高みに霞み、逆光の向こう側で黒いシルエットが眩しい。
 やがて、私の目の前には石造りの巨大な祭壇が現れる。年若い処女の心臓を抉りだし、空を舞う神の化身・コンドルにそれを高く掲げた神官達が立っていた場所に私は立ち止まり、遠く雪を抱いたアンデスの山並みを眺めていた。地平線近くには幻のような白い月が登り、砂混じりの風の中に太古の生け贄達が流した血の匂いが残っているような気がして、私は乾いた唇をそっと舐める。
 祭壇の上には全裸のあなたが横たわっている。何重にも重ねられた目隠しの下で、あなたはまだ目覚めてはいないようだった。あなたの身体のほくろをひとつひとつ数えるように、私はじっと見つめる。二の腕の内側・・・左の乳房の脇・・・あなた自身の欲望の中心部・・・横たわるあなたの裸身を妄想のなかで犯し続けていた夜の記憶がふいに蘇り、私は私自身の記憶の存在にかすかに恐怖していた。

 何時ものように、モニターのこちら側でひとり座っている私を改めて意識する。だからと言って何かが変わった訳では決してなかった。

 さて、
 何かを伝えるために書いているのではありません。しかし、妄想を愛する愚かな性癖は一向に改まりそうにもありません。鏡に写ったあなたの影は、やはり僕が見たいと望んでいた自分の影でしかないのでしょう。その影に孤独な匂いをみつけたのは、やはり僕自身の妄想のせいなのかも知れません。


11月3日(Sun)
 登山家、それも無酸素・単独登頂でヒマラヤをめざすような男は、たぶん友人としては最悪の部類に入るでしょう。自らの生活はもちろんのこと、妻やまわりの人間すべてを己の行為に隷属させて恥じることがない。より困難なルートを求めて頂上をめざしながら、自らの人生のすべてを山に捧げるなどときれい事を吐くような男は実は何処にもいない。そんな着飾った言葉の通用しない世界で彼は生きているようだった。エゴイズムとねじくれたコンプレックスにつき動かされる己自身を、孤独な山のなかでよりよく知ってしまったからだろう。
 例によって、普段から特別に登山に興味があるわけではありません。たまたま見たテレビに登場した彼の日焼けした顔から覗く真っ白な歯の、その輝く白さと笑顔になにやら心惹かれたからです。
 自らの人生や生命さえ、その秘めた情熱の渦に投げ込んでしまいかねないのが「山野井泰史」と言う男の日常のようだった。未踏のより困難な西壁からのヒマラヤ・マカルー登頂をめざす彼の企ては、ひとつの落石によってあっさりととん挫する。ベースキャンプから超望遠レンズでしかうかがい知ることの出来ない彼の孤独な登頂は、まるで別人のように弱々しい下山後の彼の様子からもかすかに知ることができる。
 登山家にありがちな強気一本槍ではあり得ない、彼の弱さが結局命を救うことになったのだろう。山を登る勇気の方が、降りる勇気などと言ったしたり顔の言いぐさより、遥かにそれを必要するのだと言う彼の言葉に、何度もそんな岐路に立たされた男の実感がこもっていた。そう、彼は自らの勇気のなさを広言すると同時に、そうして少しずつ自らの勇気を積み上げ、やがてあの澄みわたったヒマラヤ連峰に立つことを夢見ているのかも知れない。その勇気が自分自身の命を飲み込むことをかすかに予感しながら・・・

 今日の登山家についての番組とは、午後6時からTBSで放送中の「報道特集」での話題でした。昨日今日と何故かテレビネタが多いと思ったら、ただ、テレビをよく見ていただけでした。ヒマで何もすることがないと、テレビ見る機会が多くなります。人生無駄にするには最適のメディアでしょう。


11月4日(Mon)
 今日は3連休最後の振り替え休日と言うことで、メールも日記の更新も皆さん脱力気味。あの、伝言板暴走族も夜に備えて、いまだ惰眠をむさぼっているのか?がはははh、どこかに遊びに行ってるのかなぁ。インターネットの世界はとても静かです。トラブルメーカーがおとなしいだけと云う噂もありますね・・・御意。

 うちの子供達は今年が七五三です。いえいえ、カワちゃんがしょっちゅうインストールする漢字トーク7.5.3ではありません。そう、時流に乗った八百万の神々をその時々で拝み分ける、あの日本のご都合主義的伝統行事のひとつ、親子のイベントとしては意外と大きい物のひとつ、「七五三詣」です。普通ならイベントの記念物として子供達の振り袖一式買いたい!と言う筈の奥さんが、あっさり「レンタルでいいよ」と仰るのにいささか拍子抜け。どうやら今年の夏のバレーの発表会の散財に考慮したのかとおもったら、着付けやら髪結いやらが自分で出来ないので、着物にあまり興味がないだけでした。しかし、その分、カメラマンにお願いする記念写真の手配だけはばっちり!・・・やっぱりね。
 で、朝6時おきで支度はじめて、8時から着付けと撮影。その後明治神宮に直行と言うスケジュールでした。何故に明治神宮かと言えば、わが家では別にどこでもいいんです。所詮はイベント好きなだけですから、ブランドイメージで選んだだけ。
 4年前の3才の時もやはり明治神宮だったので、二度目ともなればすっかり慣れたものです。さっさと駐車場に車止めて、お参りです。古い本殿の隣には新しい拝殿ができていて、ご祈祷希望の参詣人は本殿との渡り廊下をぐるぐる巡りながら、次の合同お払いの時間を列を作って待つわけです。言ってみれば、気分はすっかりEチケット。
 しかし若い巫女さんの踊り(?)とか、だらだらした祝詞にだれまくり。みせる工夫がもうひとつだなぁ?さらに一人5,000円の梅コースから20,000円のデラックスブルジョアコースまで、同じ処でご祈祷ってのは、ちょっと資本主義的に見てまずくないでしょうか?わが家はもちろん、梅コース。二人分で割り引きありませんか?とはさすがに聞くのがはばかれる雰囲気がありました。

 帰りは新宿の高層ホテルのレストランで、ビンボー臭いランチコースでした。因みに、ディナーの時間にレストランに行ったこと無いです。とほほ。
 なんだか焦って肉食べてるうちの子供達がなさけないです。う〜ん、この輸入牛やっぱりちょっと固い。


11月5日(Tue)
 なんだか、つまらない展開です。ネタにするのもうんざりな気配。でも書いてしまいます。
 はい、ご退屈様なPTAの話題なんですね、これが。いちゃもんと言うより、やっぱり愚痴ですね。
 何故に、ああまで手続きにこだわるのかなぁ?教室の貸出手続きはまぁ良いでしょう。しかし、いちいち教頭にご挨拶してからPTAの会合初めなきゃならないのは、なんの意味が有るんでしょ。父兄と教師の間になにか階層でもあるんでしょうか。教師の風下に立っていちいち恐縮しながらPTA活動のお伺い立てなければいけないような硬直した組織がPTAだと言うなら、僕はそういう組織に属するのはまっぴらです。
 旧態依然とした過去のくり返しに奔走する方々のこだわりにもうんざり。う〜ん、こんな処に毎日通っている先生って、本当に大変だろうなぁ・・・煩雑な手続きに精通する者が大きい面(←そこまで言うか?教頭先生を)してる世界って、なんだか江戸時代の牢名主とその取り巻きに似てませんか?入牢年数の長い者がひたすら強権を握り、新参者に様々なしきたりを強要し管理しているのだが、所詮そんな彼らも同じ檻のなかの住民であり、更なる権威によって日々管理されている処とか。
 がはははh,子供達の通っている学校を刑務所になぞらえるのはいかにも不穏ですね。この日記を読んでいる担任の先生がいるのを承知で書いていますが、まぁ、日記の人格と日常の僕とは別物とご理解下さい。しかし、個々の先生に共感は出来ても、組織としてはどうしようもなく硬直しています。十年一日で毎年同じ事をくり返す教師が「優秀な教師」なんでしょうね。

 申し訳ありませんね、秀島先生。こんな処で八つ当たりなPTA役員なんて。
 さすがに2学期にもなると徐々に正体が知れ渡ってきたようで、どうも不穏な奴と警戒されてる節が有ります。基本的にいい加減ななオヤヂです。いろいろとご迷惑かけることがあるかもしれません。もう諦めましょう。<こらこら。


11月6日(Wed)
 久々にネタがない・・・え゛、何時もだって・・・確かに。しかし、ここ何日か、仕事とPTAの打ち合わせしかやっておりません。で、どちらも飽きてます。<おいおい。

 こんな日はこっちでも日記ネタです。申し訳ない。こんな日もあるさ。
 その日の日記の出来不出来が何となく分かるのが、ボタンによる投票の良いところですよね。読みながら「ケッ!」と言ってる人も1カウントと数えるアクセスランキングでは、その辺の読者の声があまりよく分かりません。僕の日記みたいに、今日の攻撃目標は誰だろう?と戦々恐々として読まれる日記なんゾは決して日記猿人では上位にはいけません。そっと日記作者(←という言い方は好きじゃないな)に寄り添うような調子で、色々と週刊誌などからネタをぱくって来るのが正解かもしれません。
 そうそう、お返し投票を秘かに期待して、うかつな日記者にこまめに投票しておくのは、ぽたぽた流の巧いやりかたです。もちろん、メールなどでそれとなく投票していることをアピールしてね。しかし、たみおさん。空き缶日記とか松木さんにまで投票しているのね・・・それはあまりに姑息です。まるで、いたいけな処女の柔肌を弄ぶ三十男の所行です。

 う、オチがない。しかし、ネタのない日は当然オチもない。すいません、こんな日記で。

 こんな日は短めで終わりにしておきましょう。だらだらと書いてみても仕方がない。どちらにしても内容はまったくありませんから。


11月7日(Thu)
 やはり、そういうタイトルになりますか・・・

東大卒の父親が息子を金属バットで撲殺!

 ほとんど想像通りのタイトルで騒ぎ立てるワイドショーにはうんざりです。手垢にまみれた手法で耳にセンセーショナル部分を強調する、その発想の貧困さはまさしくハイエナの思想ですね。
 只でさえ耳目を集める家庭内殺人の、その加害者の父親が東大卒だと聞いて「イケル」と考える人達の心はやはり病んでいます。警察発表と無責任な近所のうわさ話でお手軽にまとめられた「ある家族の悲劇」・・・そうした薄っぺらな報道には、その裏側で生きる生身の人間に対する一片の感慨すら感じられない。
 我が子の誕生の日の瑞々しい記憶と、もはやそれが永遠に失われてしまったことへの後悔と自責。さらには、疲労と苦痛をもたらすだけの存在と化した「モノ」への限りなき自問。狂ったように荒れ、憎悪に濁った瞳の中に紛れもない自分自身を見いだしたときの狼狽と絶望。そうした日々を想像するだけで僕の心は暗く閉ざされてしまいます。
 最近なぜか初老や老境と呼ぶべき世代の犯罪や事件に、殊更のように不安な調子が混じっているような気がするのは、例によって僕の思い過ごしでしょうか?あらゆるモノを求めながら、すべてを拒絶する魂の孤独の深さが、とがった刺のように僕の内側でささくれ、いつまでも記憶の片隅に横たわっているのです。
 路上に放置された車の中で病死する夫婦、日の射さぬアパートの一室で餓死する親子、枯れ木のような老婆の死体を工事現場にそっと捨てる男・・・すべてに共通するその「声なき叫び」が、僕にはまるで断末魔の獣のそれのように聞こえるのです。癒しのない世界をさまよう彼らには絶望すらも見当たらず、ただ空虚な穴を覗き込むような虚無感だけがとても深いのです。

 深夜寝入った我が子の横顔を眺めながら、そっと持ち出した金属バットの重みについて語ることの出来る者は、やはり同じ夜を過ごした人間だけなのかも知れません。僕自身、所詮はワイドショーのスタッフと同じく、傲慢な大多数の一人である事を自覚するしかないのでしょう。


11月8日(Fri)
 単館ロードショーとか、シネなんとかの「おしゃれ」な映画館で映画を観るのは苦手です。それが評判の作品で、入場を延々と待たされるなどと聞くと、その行列に並ぶ前に気持ちが萎えてしまいます。もともと、試写室みたいな小さな劇場で、かしこまって観る映画は面倒です。昔は、場末の三番館で、煙草吸いながら前の座席の背もたれに脚のっけて、見上げるようにして観るのが好きでした。浅草のロックでオールナイトのハシゴとか、よくやりました。最近はまったく映画館に足を運んだことはありません。レンタルビデオも、借りるのは良いけど返すのが面倒だったりします。だからWOWOWで放映する映画なんてのをよく観ます。
 で、昨夜観たのがヴィム・ベンダースの「パリ、テキサス」。

 基本的にロードムービーのお手軽なドラマ展開があまり好きじゃななかったことと、どうやら「親子モノ」らしいという前評判きいて、中身については全然信用していませんでした。と言うことで、彼の映画は初めて観ました。
 冒頭のエピソードにひどく惹かれて結局最後まで観るハメに。
 砂漠を歩いて、四年間の失踪から突然帰ってきた男は、まるで地球外の星から墜ちてきた異星人のようで、誰とも話さず、食べず、眠らずという状態で、迎えに来た弟にも不可解な言動をくり返す。そう・・・意識的に狂気を呼び寄せる方法のひとつに決して眠らないと言うモノがあります。何日も不眠の状態が続くと、やがて意識は幻覚と覚醒、夢と現実の境界線を見失い、朦朧とした半覚半睡の透明な幕につつまれたようになる。
 狂気に逃げ込むことでバランスを取ろうとした男の絶望のカタチは、やがて子供や妻との記憶によって徐々に露(あらわ)になる。
 う〜ん、後半の展開がやっぱり物足りないけど、カルトな人気を集めた訳は分かったような気がします。しかし、最後の妻とのマジックミラー越しの会話は、オヅとかマスムラなんて日本映画の匂いがして、はたしてアメリカ人にはどういう風に理解されたのかがちょっと気になりました。

 あんまり意味のない「おきらく映画時評」で、更に本日のネタにはどうやらオチが無さそうです。う〜ん、映画の感想にオチは必要ないとは思いつつ、どうしてもそれを求めてしまう僕は、やはり「オチ」つきのない人間なんでしょう。きゃー、こんな処で地口オチかよ!


11月9日(Sat)
 更新がやたらと早い週末と言えば・・・はい、もうお分かりですね。ここ何週間か、お出かけも自粛中で奥さんの機嫌はそれなりによかったのですが、「今日出かけるよ」と一声かけた時の表情からは、あからさまな不機嫌オーラがたちのぼっております。う〜ん、知らんぷりしておきましょう。あまり深く立ち入ると自業自得な顛末が待っているはず。

 派閥とか党派というモノに生理的な嫌悪感を感じるのが生来の性格ですが、かといって孤立無援で生きて行けるほど僕は強い人間では有りません。そんな僕にとって、戦後文学の流れで言えば、無頼派と呼ばれた一団にひどく惹かれた時期がありました。太宰治・坂口安吾・織田作之助・田中英光・・・名前を書き連ねるだけで、ある種の共通項が匂うような顔ぶれです。自らの飢えた満たすためにひたすら己を喰らう蛸のように、内面の絶望にのめり込む事で何かを伝えようとした人達。お互いの暗い絶望を知りつつ、日々の無頼と共感に救いを見いだした彼らの関係がとても羨ましく思えたのです。最終的には無頼派としてまったく後に何も残すことのなかったその"志し"の潔さが、僕には人間どうしの関わり方の理想的なカタチに思えるのです。
 そう、何故か日記を書くことで図らずも知り得た方達との、現在の僕の周囲の状況になぞらえています。各自が自立しながら、様々の"場"を通じて出会いをくり返し、そして別れていく。何故か、貴重な時代の始まりに立ち会っている様な気がして仕方がないのです。混沌として、未だその姿の見えないまま、その事を確かめるために僕は出かけるのかも知れません。

 言葉足らずですね・・・もう少し考えをまとめてから書くべきなのに、時間に追われて書き殴るのがその原因です。そもそも日記で書くにはふさわしい話題ではないのでしょう。やはりきちんと考えをまとめてから書く癖をつける必要があるのでしょう。しかし、それが出来ないから日記なんてモノを書いている訳です。


11月10日(Sun)
 あのスクランブル交差点というモノが僕は苦手です。四方の信号が赤から青に変わると、ドッと堰を切ったようになだれ込んでくる人波に、自分自身の一歩がふと止まりそうになるのです。まるで押しつぶさんばかりに寄せる人波に、うっかり交差点に取り残されてしまったドライバーの目には明らかな恐怖が浮かんでいるようです。
 この地球上に溢れ返るホモサピエンスの行く末に、ハーメルンの笛やレミングの暴走を想い出して、何かしら不安になったりします。そして、紛れもなく僕自身もその一員なのだという事実にうんざりするのです。我が物顔で地上を覆い尽くすおびただしい人間達・・・古生代に繁栄を誇った恐竜達にしても、ここまでの爆発的な増殖を経験した種はありえないでしょう。
 そして、ひとりひとりの人間の裡にはそれぞれの物語があり、思いがある。微笑ましい子供達の好奇心あふれる想念と、疲れ切った中年おとこのどす黒い疲労感に満ちた諦念。ささやかな欲望と愛情を分かつために歩くカップルの隣には、両手に下げた紙袋の重さに閉口しながら、今夜のねぐらを決めかねているホームレス。
 そうしたモノが一気に路上に投げ出され、カオスのまま僕の周囲を取り囲む。生命の過剰さが僕を不機嫌にし、肩先を触れ合わずに歩くことの出来ない雑踏にうんざりする。立ち止まれば後ろから押され、前に進むために絶えず人波の切れ目を探して歩くことに更にイライラが募ります。

 しかし、人混みで混雑する街というのはいつまで経っても馴れることがありません。普段は秘めている筈の「人間嫌い癖」な僕がむくむくと起きあがってきます。あぁ、ごく一部の方にとても辛くあたったかもしれません。申し訳ありません。怒ってないよね?

 初対面の人間に声をかけるのはなかなか勇気のいるものです。特に癖のある人物であることが分かっている場合などはなおさらでしょう。先ほどからこちらをチラチラと眺めている青年がどうもそれらしい。うん、小さい頃の写真そのまま。しかし、面白いからもう少しほおって置くか。しまった!うっかり目が合ってしまいました。近寄ってくる・・・「あぁ、カワちゃん?どうもどうも、」


11月11日(Mon)
 今年の秋は、何故か異常に雨が多いような気がするのですが、べつだん異常気象と言う声も聞かないのでこれで普通なんでしょうか?「からりと晴れ渡った秋空」がほとんど印象に残っていないのは、只の僕のボケ症状なのかもしれません。ただ、明らかに季節感は無くなりつつありますよね。それも、どうやら温暖化の傾向のようです。
 小さい頃の冬は、とても寒かったような気がします。まぁ盆地で底冷えのする京都で育ち、貧弱な暖房器具しかなかった当時の、すきま風の吹くあばらや住まいで人一倍寒さが身にしみたのかも知れませんが、降る雪もシンシンと凍てつくようで、最近の湿った雪とはまるで違っていたような気がします。
 小学校当時は図書館にあるガスストーブが、スイッチひとつで煙も煤もでないそのスマートさに、みんなの羨望の的でした。教室の古ぼけた達磨ストーブの当番に当たったりするとみんなぶつぶつ文句を言いながら重い石炭バケツ運んだりしたモノですが、僕はこのストーブ当番が大好きでした。古新聞を丸めて詰め込み、その上に薪を空気の流れを考えながら置いて、マッチでそっと火をつける。やがて火が大きくなると、これも古い例えで申し訳ないのですが、蒸気機関車の火夫になった気分で前面の扉を明けてスコップで石炭を投げ入れる。調子に乗って真っ赤に焼けるまで石炭投げ込んで何度も先生にどやされたりして・・・う〜ん、何だかものすげ〜大昔のお話しみたいな気がしてきました。因みに僕は立派な戦後生まれで、戦争を知らない子供達です。もっともベトナム戦争はよく知ってますが。

 脱脂粉乳飲んだ記憶がありますと言えば、またまた有史以前のお話しのようです。あれって何時ぐらいまで給食に出ていたんでしょう。今となってはどんな味かよく覚えていませんが、多分毎日ほとんど飲まずに捨てていたはずです。そう、偏食だった僕には給食は結構辛い思い出が。イヤな先生に当たると気軽に残すことを許してもらえなくて、遊び時間中まで延々と食べていた覚えがあります。


11月12日(Tue)
 電話口に必ず子供を出させる家庭は、大嫌いです。きちんと躾の出来た中学生辺りが電話をとって「おかあさんに変わります」とか可愛く答えるのならまだしも、訳の分からない幼児と電話口で押し問答する事ほどイライラするものはありません。いつの間にやら幼児語使って相手しながら、父親なり母親なりを呼び出すのに苦労したりすると、なんのために電話したのか肝心の要件をうっかり忘れてしまって一瞬考えこむハメに・・・そう言う家庭に限って過保護で甘やかし放題の馬鹿ガキぞろいで、いっこうに電話を離す気配がない。あなた達の子供の相手するために電話してる訳じゃないのだから、さっさと変わるように。
 そう、茶パツDeイェ〜イの彼女もそうなんです。とほほ。
 あの「鼻たらしたくそガキ」が電話口でふにゃふにゃ言いはじめると、もうあきまへん。当分はお子様とおしゃべりです。3才児と電話で会話した方いらっしゃいますか?それも特別できが悪そうな奴。<こらこら。すべてを投げ出したくなる気分に包まれはじめた頃、ようやく母親が出てくるのだが、もうその頃にはうんざりして何も話す気力もありません。頼むから、おたくのお子さん保育園に入れてくれませんか。
 さらには、幼稚園のころから電話で遊びのアポイントメントとりつける最近の子供達。用があるなら歩いてこい!その年でお互いの予定を確かめあって電話口で遊び時間を調節する姿はあまりにも情けない。幼児期から時間に追われ周囲に追われ、結局、漠とした不安感でしかないモノに急き立てられながら、自身が果たせなかった夢や希望を我が子に無理強いする。そうやって育った子供達は成長すると、自分の歩いてきた道を今度は逆向きでたどりはじめる。不安と焦燥の拡大再生産・・・いつからこんなイヤな時代になってしまったのでしょう。何かしら閉塞感に満ちたこの国のありさまに、「恐怖の大王」は他ならぬ僕たち自身の影の裡に潜んでいる不吉な予感がよぎっているのかも知れません。

 PTA関係で本日はいろいろと電話かける機会が多かったわけです。で、その八つ当たり日記がこれです。本当に、子供に電話取らせる家庭の意図が分かりません。PTAの連絡もメーリングリスト使ったら簡単なはずだけど、う〜ん、あと何年経ったらそう言うことになるんでしょう。少なくともうちの子供達のクラスではあと100年たっても無理。


11月13日(Wed)
 また新手のネズミ講かと思っていると、政治家の看板利用した共済組合の運営が破綻しただけのようです。しかし、共済組合と名が付けばいろいろと銀行まがいの事やって金を集めることが出来るなどという話し自体初耳ですが、それが現役参議院議員が主催する政治団体と聞かされると、いっそう胡散臭い印象が募るばかりです。
 豊田商事いらい、悪徳商法やら霊感商法、宗教法人のお布施に共済組合の出資法違反と、何時になってもこうした話題は消えることがありません。バブル崩壊と言いながら、持ってる人はやっぱりイッパイいるようです。
 で、こんなニュース見て何時も僕が思うことは・・・

ざまー見ろ!欲ぼけジジイ!

 う〜ん、身も蓋もありませんね。がはははh、しかし本音です。なにやら小金ため込んだ年寄りが、自分の欲は棚に上げて、やれ騙されただの金返せだのと叫んでいるのを見ても、一向に同情する気にならないのです。政治家先生の後援会に入って、なにやら大物になった気分味わい、選挙の時なんゾは選挙事務所でタダ飯喰ってタダ酒飲んで大騒ぎ。秋の行楽シーズンには後援会主催の伊豆の温泉ツアーにご招待なんて言われてのこのこ出かけると、お座敷で高金利で元金保証のうまい貯蓄話が出てくる寸法です。そもそも、そんなうまい話しがその辺にゴロゴロ転がっている訳もなく、自分勝手な妄想たくましくして、結局は自分の吐いた唾を飲み込む事が出来ずに「金返せ〜」と大騒ぎしているだけでしょう。
 数パーセントの金利で欲の皮が突っ張るほどの金額を、一度でも銀行に預けてみたいとは思いますが、まぁそんな事態はあり得ないから僕はそれなりに幸せです。

 やってもやっても仕事が終わらない時って、いい加減イヤになります・・・こんな時間まで日記書く余裕がないのは、かなり危機的状況です。明日の予定どうなるんでしょう?
 そう、明日は出かける予定なのですが(またか!)、はたして僕は外出できるのでしょうか?自分では全然判りません。待ち合わせ時間に来なかったら電話下さい。うまくいって遅刻、どうしようもなくなると、外出は不可能かも知れません。
 ああああああ、申し訳ない。こんな処で業務連絡なんて。あんな不遜なオヤヂと公開KISSするぐらいなら、いっそカワちゃんと・・・きゃー。
 てな事を書いてるところにお電話が・・・どうやら、肝心の主賓も明日はお仕事お忙しいらしくて、中止したいとの事でした。正直言って、ホッとしてるかも。これで今夜はのんびり日記巡りができます。<仕事するんじゃないのかよ!


11月14日(Thu)
 
就眠儀式

 毎日、決まった時間に出かけて決まった時間に帰ってくるのは、ただ、私が怠惰なだけなんです。後ろ手に閉めたドアにもたれて靴を脱ぎはじめてやっと、私は一日から開放されたことに気がつきます。電車を乗り継ぎ、階段を登り降りして通っている筈の仕事場での事はほとんど覚えていません。たぶん退屈なだけだからでしょう。鋼鉄製のドアに守られたこの部屋の中の出来事だけが、唯一私の確かな記憶なのです。
 何ひとつ家具らしい家具のない私の部屋で唯一目につくのが、手狭なダイニングをほとんど占領している巨大なアメリカ製冷蔵庫の影です。いつ買ったものか・・・あれは、確かあなたが、もう私とは会わないと言って電話を切ってしまった日の午後だったような気がします。まるで去っていったあなたの身代わりのように、唐突にこの部屋にやってきたのでした。無骨さのかけらもない優美なカーブと緩やかな直線のフォルム・・・低音でハミングするようなモーターの音が心地よい子守歌のように私の身体の奥深くで共鳴しています。そう、低いうなり声のようなその単調な振動のくり返しが私の就眠儀式のきっかけなのです。
 その音と言うよりも振動を感じるため、私は立ったまま冷たい冷蔵庫の扉にもたれ、耳をおしつけてみる。

ぶううううううううううんんんんんんん・・・

 何重にも重なった基底音の低いモータの唸りと、たえず流れている水の音。どこかの回路がカチカチと切り替わる音や、ごぼごぼと泡だつ排水口のような響き。まるでそれ自体がひとつの生き物ででも在るかのように思える私は、いつものようにじっと耳を凝らしてみる。そう、巨大な冷蔵庫を抱くように両手を拡げ、ひんやりとした感触と確かな存在感を楽しんでいるかのように。ブラウスの下の乳首が私のからだと鋼鉄の扉に挟まれて、いっそう固く勃起する。密着させた下半身に伸ばした指が、私の敏感な部分をゆるゆると撫でる。身体の奥深いところで溢れはじめたものが指先を伝い、耐えきれない欲望に私は思わず声をあげてしまう。

 遠い記憶の回路が繋がったことを意識する。そう、これからが私の就眠儀式だった。
 巨大な2枚扉の前に立ち、鈍く光るスチール製の取っ手を掴んだ私は、静かに扉を開く。照明の消えた部屋に冷蔵庫の扉からの明かりが一筋のびる。がらんとした庫内・・・飲み物すら置かれていないそこには、鈍い銀色に光るトレイがひとつだけ。

 あぁ、あなたはこんな処で眠っていたの?かわいそうに・・・こんなに冷え切ってしまって。

 トレイの上のあなたの首はもうすっかり腐り果ててしまい、ひからびた瞼から流れ出た水晶体が、まるで巨大な涙のように私を見返していた。 

 本日もお仕事はお忙しかったようです。こんな日に限って、不明な日記を書き始めてしまうから、いっそう更新が遅れるハメになってしまいました。もう少し落ち着いて推敲してみたい気がするのですが、自分自身の決めたタイムリミットが来てしまったようです。もうこの辺で諦めます。 


11月15日(Fri)
 久しぶりに仕事に追われながら、3時からはPTAの打ち合わせ。まったくよ〜、くそ忙しいこんな日に延々と雑談のお相手までしなきゃいけないのはいい加減に勘弁して欲しいなぁ・・・
 イヤな予感は的中で、ひとりのお母さんとまともにぶつかってしまいます。がはははh、つくづく大人げないオヤヂです。う〜ん、よその奥さん怒鳴りつけるのはけっこう快感かも<って、同級生のお母さんだぞ!ど〜すんだよ。しかし、実生活までトラブルまみれか。とほほ。
 所詮、PTAなんてお遊びのつもりでいるから、真面目なお母さん方の顰蹙かうことになる訳です。最早すっかり本性バレバレ。けっこう嬉しがってるかも知れないのが、いわゆるトラブルメーカーたる由縁なのでしょう。

 どうも今月末から12月にかけては年末進行で怒涛のようなワーカーホリックな日々が押し寄せてくるようです。いつまた切れるのか、次の仕事の保証のない不安定なフリーランスの身では仕事を選べるほど贅沢は言っていられないのは充分承知・・・しかし、遊びたいぃつ!取引先の忘年会など決して出席したことのない人間ですが、今年はオフミがらみの忘年会をイヤと言うほどこなすつもりでいたのに。あ、勿論コーラのオヤヂ飲みです。どなたに会っても、素面でのデーテーペーおやぢのハイテンションぶりに呆れられておりますが、決して怪しいクスリなどは服用しておりません。あれが"地"なんですってば。

 河原でギタリストの方、この際だから河原でオフミなんてのはどうでしょうか?がはははh、この季節はちょっと寒いかも知れません。やっぱり屋根のあるところでお会いしましょう。結局、しきり直しは何時になったのでしょうか?焼酎オヤヂがきちんとしないからこのていたらく・・・しかし、BEKKOAMEにホームページ置いてるマルチメディア(きゃー)事業部のある会社って、どう考えても信用できません。そこの社員しかり。


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