デーテーペーな1日

1996.12.16~31

日記関係の発言はこちらで。
12月16日(Mon)
 まず、あなたの心が癒されますよう・・・微かな嗚咽に秘められた苦痛の大きさを思うとき、傷ついた心の裂け目の痛々しさに、あなたにかけるべき言葉が私にはありません。ただ愚かしく一途に、残酷な記憶に苦しむあなたを、私は電子の海で抱きしめる。冷たい頬と震えるうなじ・・・

 すき間だらけの心を埋める作業に疲れたとき、世界の果てでたったひとりぼっちに思えたとき、古傷が今でも疼くことの理不尽さに身が焦がれそうなとき、そんな時はいっそ思いきり泣いてみましょう。誰もあなたを責める人はいません。あなた以外には・・・

 あなたの住む世界に、あなたを傷つけあなたを蝕むものが確かにいたとしても、あなたを愛しあなたを癒すべきものも、また確かに存在するのです。あなたの憎しみが愛情の裏返しであるように、あなたの憎しみに見合うだけの愛を語るべき者は今もこの世界にいて、あなたの叫びにじっと耳を傾けているのでしょう。

 不合理な「神」がこの世に存在しないように、不合理な「偶然」をことさらに見つめ続けることはやはり空虚な作業と呼ぶべきなのです。凝視する魂の痛ましさにかけるべき言葉は私にはありません。いっそあなたと一緒にその痛みを共感できればと思いながら、心の奥深くに秘めた記憶が、あなたと共に私が涙を流す事を許さないのです。ただ、力無くあなたの身体を抱きしめるだけ。

 そう、わたしの手もまた、愚かしい欲望に駆られて血まみれではなかったのかと・・・

 直裁に何かを語ることをしたくない日もあります。話すべき事が多すぎて、かえって何も話さない方がよいと思えたこともあります。たった一人の方のために書く日記もあります。言葉でしか伝えられないもどかしさと、言葉でしか伝えられないことの豊穣さ・・・
 いずれにしても、ただ一人の方に伝わればそれで十分。


12月17日(Tue)
 VISAカードの引き落としの案内が来たのですが、カードで決済するのがあまり好きじゃない、と言うよりも、どうも騙されているような気がしてイマイチ信用がおけなくて、海外通販の引き落としやNiftyの支払い程度にしか使っていない筈なのに、なにやら覚えのない処からの利用明細が・・・いや、心当たりがない訳でもないようです。
 「ベッコアメ インターネット」って・・・たしか、僕は去年の12月に強硬に契約の解除を申し入れた筈。何故かうるさい人間にだけ入会金全て返金すというインターネットマルチ商法の雄、最近早くなったのはエッチサイトがなくなったせいばかりでなく、会員がどんどん減り続けてるからとか、あの、大京町方面のマルチメディア(きゃー)にめっぽう強い会社も入会していると噂の、「くそ」プロバイダのBEKKOAMEじゃないですか。
 繋がらない電話にイライラしながら、やっとの思いで問いただしてみると案の定。1年前に契約解除した筈なのに、いまだに「お客様各位」なんて郵便物が届くところをみても、顧客管理がまるで出来てないとは思っていましたが、入会していない人間から契約の継続料を徴収しようとは・・・まさに「BEKKOAME」、仕事にたいする取り組みが甘すぎるぞ!それもご丁寧な事に、二重に請求がカード会社に届いていて、来月も同様の引き落としが有るらしい。

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お前ら、バカかぁ!?
 ぜーぜーぜー、昨夜のBOWDOからの使い回しです。

 あまりに情けない説明に怒りの発作すら「へなへな」と腰くだけ状態。しかしどういう状況にある会社なんでしょう?
 ついうっかり掴んでしまったあぶく銭のせいで、社長以下かんぜんに"うろ"がきているのでしょうか。なんでもBEKKOAMEの本社の駐車場にはディアブロやらテスタロッサやら、いかにも頭悪そうな人間が買いそうなスーパーカーがずらりと並んでいるそうです。「あの人は今と」週刊誌の暇ネタに登場する日ももう間近なのでしょう。
 BEKKOAMEの社長さん。そう言えば名前なんておっしゃいましたっけ、「カメ」さん?

 仕事がたて込んでるのに、BEKKOAMEに電話するためにリダイアルする事、数千回<うそ。余計なことで時間を浪費させられる事にもうんざり。たのむから、契約解除した人間にまで迷惑かけるのはやめて。未だに解約していない会員もいっぱいいるんでしょ?うんざりさせるなら、そちらの方々にして。


12月18日(Wed)
 クリスマスシーズン・・・彼女を持った若い男性には何かとモノ入りな季節のようです。

 クリスマスメニューのバカ高いコース料理を予約して、ワインもそれなりに下調べしたもの。食後のデザートが終われば、ホントは安売りのチェーン店(例えて言えば・・・東京12チャンネルの番組の景品にかならず登場する"あの店"とか)で買えば安上がりなのだが、あの包装紙の為だけにいわゆるブランド店で人混みに揉まれながら買ったアクセサリー(ふ〜、長い)をさりげなく手渡し、夏前から予約を入れて置いたプリンス系のホテルで夜景を眺めながら官能的な一夜を送る・・・あああああ、めんどくさい!
 自らのSEXまでどこかの情報雑誌の受け売りで済まそうなんて、そこまで「雌」の獲得に自信を失っている男達には、肝心の生殖能力が残っているのかどうかさえ疑問でしょう。実に情けない。そこでギョッとしている君、人生の敗残者、もとい、経験者からの忠告をひとつ・・・
 結婚すればタダで出来るモノをもったい付けて諸君の前でヒラヒラさせるのは、ひとえに「年若き乙女」の陰謀だ!そんな風潮を信じてはいけません。
 さらに言えば、所詮SEXなんて凹に凸をかさねるだけの面倒な作業で、特に男性にとってはオナニーの方が何かと便利です。やれ早いだの遅いだの、太いだの短いだのと、自分自身の秘めたるコンプレックスに爪を立てられながらの作業なんて、全然楽しくないゾ。早くイッたとしても、自分の手なら誰からも文句言われることもありません。遅いからって「お客さん・・・酔ってんの?」と邪険に時間の延長を命令されることもありません。ダイアナ妃からセーラームーンまで、よろしければ君の母親まで、妄想の中で遊ぶ相手はそれこそ選り取りみどり。
 クリスマスはホテルで彼女と一夜・・・高層ホテルのあちこちで、同じ間取のおなじベットで、同じようなふやけた快感に酔いしれるカップルが、日本全国に数万人?<根拠なし。しかし、日本人の平均値はどんどん下がっているような気がします。

 う〜ん、よほど結婚生活に辛いことがあるのでしょうか?このオヤヂは・・・

 仕事以外には日記巡りが唯一の趣味・・・そんな悲しい人間の魂の叫びが、かくの如くビンボーくさいものとは。とほほ。タダのやっかみ日記です。
 あぁ、こども達へのプレゼントもまだ買ってません。今年はサンタさんにお願いするものは僕には教えないそうで、いささか扱いに苦慮しております。う〜ん、セーラームーンにしておけば無難なのか?年若い女性に振り回される快感を味わっております。家庭内ロリータか?きゃー、危険すぎます。


12月19日(Thu)
 すまんス、うちのポストスクリプトプリンターがエラー出しまくりで、非常に調子が悪いです。

 例によって、何かしら予感のようなモノはあったのですが・・・パターンやグラーデーションばりばりのファイルはなるべく避けるようにしていた筈なのですが、今まで何なく出力で来ていたモノまでハングアップしてしまうので、原因探るのに四苦八苦しております。
 あああああ、日記書いている場合ではない筈なのだが、ちょっと休憩。しかし今夜中に原因が分からないと非常にマズイ事になるのだが・・・僕は全然まずくないのですが、クライアントが怒るかな?がはははh、非常にやばいです。マジ。

 申し訳ない、こんな日記で勘弁して。また明日・・・明日があったとしたらですが。

 う〜ん、ちび字も書いているヒマがない。うまく行って原因つかめれば後ほど更新しますが、更新がなければ深夜に渡ってプリンターと遊んでいるのだとご理解下さい。とほほ。


12月20日(Fri)
  はて・・・何とか生きているようです。

 事務所一面にミスプリントとPostScriputErrorで埋まった出力紙の山が出来てます。デーテーペー関係者にしか判らないと思いますが、納期が迫っているのにプリンターが言う事きかなかくてどうしても出力できないとか、システムエラーでSADMAC表示したままの画面を呆然と眺めている状況というのは、本当に胃に悪い。エラーの原因になりそうなモノをひとつひとつ外していって、試しにプリント・・・あぁ、ダメだぁ〜。またプリンターがハングしてしまったようです。仕方がないので電源入れ直してもう一度リスタート。ふ〜、こんな事を一晩中やっていた模様です。
 で、原因らしきモノは何とか掴めたと思います。どうやら日本語フォントの数が問題のようです。調べてみると、ひとつのファイルに20書体近く日本語フォント使っておりました。うちのMACのフォントフォルダには、まぁ文字組が仕事と言うせいもあって、PostScriputの日本語フォントだけで40書体近く入っています。日本語フォントはプリンターにはかなり負荷をかけるので、それをひとつのファイルに20書体も使ったらPostScriputErrorが出ても当然でした。ハングして、プリンター側のメモリー配分がデフォルトに戻ってしまい、そのせいで他のファイルまで出力できなくなっていたようです。解決策はメモリーの増設のようですが、互換機の「バッタもん」のプリンターに(あぁ、我が家には何故かバッタもんが多いです)これ以上投資してメモリー増やすこともしたくないので、何とかごまかしながら使うことにしましょう。う〜ん、何だかビンボーくさい話しで申し訳ない。その上、PCの世界ではもはや命運つきかけてるMACの、さらに云えば斜陽産業の印刷業界内の話題で、windowsで「ナウ」な方には分かりにくい日記でした。その裡にwindows95のお勉強もぜひ。しかし、デフォルトのwindows95の色使いに何の疑問も抱かない人とは、ちょっとお友達にはなりたくないと言うのが正直な感想・・・

 巷では週末と共に仕事納めの噂もちらほらと囁かれはじめております。しかし、平成の天皇誕生日はもう少しなんとかならなかったのでしょうか?暮れのくそ忙しい時期に「祭日」と言われても、フリーの人間には迷惑なだけ。6月あたりの祭日のない月にぜひ移動していただきたいです。次期後継者の誕生日にはそのあたりも考慮されますように、誰となく。しかし・・・不妊治療がやはり必要?


12月21日(Sat)
 メールでやるべき事を日記に書く事の意味・・・私にとっては、それは不安な予感のせいかもしれません。また愚かしいことをくり返す予感。いや、もうすでに一歩を踏み出してしまったらしい、その事への恐れと逡巡。

 何故か、「あなた」に似た方に惹かれてしまう不思議・・・「あなた」に重なる「あなた」の記憶に、私は少し混乱しているらしい。いつか重ねた夜の記憶がふいに蘇る瞬間。
 まざまざと「あなた」の喘ぎ声が聞こえたと思えたあの夜に、私はもう一度帰っていく。

 左の乳房に見つけたほくろにそっと指を添え、透けて見える静脈にそって愛撫する。こぶりな癖に欲望で固くしこった「あなた」の乳房がおののきに震える。それは恐怖なのか?それともさざ波のように全身を喘がせるあなたの快感への期待なのか。残忍な感情に捉えられた私は、指先に力をこめる。私の手の中で溶けはじめた「あなた」を弄び、桜色に上気した耳朶を小さく噛んでみせる。乱れた髪がシーツに渦をつくる。私の欲望を一層あおり立てるように・・・

 くり返しの記憶・・・デジャ・ヴュ

 「あなた」が「あなた」でないことを確かめるために書く言葉に、さらに既視感を募らせた私は、混乱し誘惑される。
 言葉を選び、自らの裡なる地雷原を避けて歩くことの困難さに疲れはて、結局は何も書かなかったことにしてしまう。
 そう、未だ書かれざる言葉にのみ、私の真実があるとするならば・・・それはいつまでも不明なままで、私の暗い情熱と共に朽ち果てていくのでしょう。

 これは「あなた」に宛てた言葉なのか?それとも「あなた」?私自身がどちらとも決めかねたまま、今夜も私は、呆然と電子の海を眺めている。

 またもや始めてしまった不明な日記の顛末を・・・愚かしい情熱の産物と見るか、それとも危険なゲームへのお誘いと見るか?僕自身にもよく判りません。妄想の中で抱きしめる「あなた」の素肌の冷たさに、ネクロフィリアの欲望が目覚めてしまった故の妄想かも。はて?その事の危うさを伝えたいのは「あなた」なのか、それとも僕自身なのか?


12月22日(Sun)
 冬枯れた梢越しに、地平線間近の太陽を眺めてみる。夏の日のあの強烈な輝きを失ったそれは、最早私の網膜を貫く力を失っていた。そう、あたかも私と「あなた」との関係のように・・・

 ああああああ、うっかりまた始めてしまう処でした、本日の不明日記・・・いい加減にしない、その内怒られてしまいます。<誰に?

 で、

 最近話題の「トゥパク・アマル」についてなんですが、いまどき「チェ・ゲバラ」の名前がでてくるのにも驚かされますが、表面上はともかく、何も代わることのなかった南米世界のここ数十年の貧しさの実体が、平和ボケした僕たち日本人の喉元に突きつけられたナイフとして思わず露呈してしまったのでしょう。
 貧しい国にも、目も眩むほどの富を実現させた階層が確実に存在すること・・・それは一億総中流などと言う愚かしい幻想を信じる日本人には想像もつかないほどの貧富の差のようです。富を持つ者が権力を握るのが資本主義社会の冷徹な掟であるとするなら、「テロル」は貧しいゲリラには必須の武器であり続けるのでしょう。
 人民に向けられた武器を奪って闘うのがゲバラの言う「ゲリラ」だからこそ、「人質事件」や「要人暗殺」はくり返されることとなる。つまり、貧困によって「人質」となり「暗殺」される貧しい人達がある限り、「テロル」もまた止むことはあり得ないのでしょう。その事を肯定する程の覚悟もないままに、しかし、僕自身がかの国に生まれていれば、今回の大使館での豪華な天皇誕生日を祝うパーティに出席する側ではなく、目だし帽で襲撃する側に入っているに違いないことも、また確かなことのようです。
 そう、「テロル」に同情的な人間も一人ぐらい居ても良いでしょう。なにかと覚えのある人間ですから。
 奪還作戦で日本人の人質に死者がでたとしても、彼らは立派な企業戦士の死として手厚く葬られ、家族もまた、失ったモノに見合う悲しみを死者に与えることはできるのでしょう。英雄として死ぬテロリストにも涙を流す家族がいるのかもしれません。しかし、その一方で、アフリカの難民キャンプの乾ききったテントの下やバルカン半島の雨に濡れた茂みの陰で人知れず死んでいくこども達には、もはやその死を悲しむ家族さえもいない。そうしたこども達を殺した「テロリスト」とははたして誰なのか?ひょっとすると僕自身ではなかったのか?

 血生臭い結末を秘かに期待しているのかも知れません・・・

 クリスマス間近でごった返すスーパーで、ショッピングカート押しながら「テロリスト」について考えること・・・なかなかに魅力的で刺激に満ちた作業です。あぁ、そんな会話をうちの奥さんと交わすことは決してありません。僕が毎日こんな不遜な日記を書いていることすら、想像する事はないでしょう。


12月23日(Mon)
 なにやらこども達が通うバレー教室で、またもや不穏な動きが・・・
 あの夏の大激怒をご存じない方にはなんのことやら判らないでしょうね。僕自身もようやく請求書の嵐から逃れられて、やっと嫌な記憶を忘れかけていたこの時期に、またもやバレーの発表会があるらしい。とほほ。
 バレー教室のクリスマスパーティ兼ねた発表会を近くのカルチャーセンターでヤルらしいと聞かされたのがつい1週間ほど前。2、3日前には、何処からか悪趣味なオレンジ色のチュチュ?(←うううううう、発音するのが恥ずかしいぞ。)を持ち帰って、奥さんはなにやらごそごそ針仕事始めてるようですが・・・また、あの悪夢のような「請求書」の束を戴くことになるのでしょうか?きゃー、ヤメテほしいけど、詳細は恐ろしくて訊けません・・・
 暮れの24日なんてくそ忙しい時期にわざわざ発表会する事もないだろうに、こちらの事情はいっさい斟酌しないのがあたり前のようです。教室側の一方的な都合を押しつけられて、嫌ならそれで結構と言わんばかりなのもウンザリです。夏のコンクールのように厳しくはないようですが、やはりこども達は普段のレッスン日以外にも、バレー教室に何度か練習に出席しているようです。上級生になればなるほど練習も厳しくて、その上「自費」による海外でのコンテストなんかもあるようです。しかし、東京都下・多摩地区のビンボーくさいバレー教室の、お遊戯に毛の生えたようなこども達の踊りに血眼になるお母さん達って・・・とても多いようですが、本当に才能のある子なら、あんなバレー教室でレッスン受けていたら駄目なんじゃないでしょうか?やっぱり、ロンドンやモスクワのロイヤルなんとかとか、国立バレーなんとかに留学させなきゃ。
 因みに、うちのこども達のバレーは・・・あれはどう見ても保育園でのお遊戯と大差ないと思われます。通いはじめて1年以上経つはずですが、親の欲目を持ってしても、才能の「かけら」さえ未だ見当たる気配はありません。う〜ん、僕もバレーは苦手でした(←きゃー、あのもっこりタイツで華麗に舞うのか、デーテーペー?そんなモンやったことないゾ!)

 小さい頃、同級生の中に父親がお寺の住職という友人が居ました。もちろん住まいはお寺で、だだっ広い本堂でよく鬼ごっこした覚えがあります。その彼の家へいつものように遊びに行ったある日、「絶対にナイショやで〜」と耳打ちされて連れていかれた奥の部屋には、ものすごく立派なクリスマスツリーが飾ってあって、昼間から眩いほどにネオンが点滅していました・・・あれ以来なのでしょう。僕が宗教に対してぬきがたい不信感を抱くようになったのは。<そんな訳ね〜ダロ。


12月24日(Tue)
 飢餓の記憶と言うヤツは、いつまでも遺伝子の記憶情報の中に残り続ける物のようです。縄文時代の冬の飢餓も応仁の乱による大量の人死にも、あるいは天明の大飢饉による飢餓からも生き延びた僕のご先祖さま・・・何代さかのぼっても、所詮はいつも飢えている水飲み百姓の小せがれか、人買いに売られていくのが唯一の生きる術と思い定めた女達に違いない・・・そんな彼らの抜きがたい"飢え"の記憶が、「ハレ」の日は何かを食べる日なのだと言う思いこみを、僕のDNAの螺旋の中に埋め込んでいったらしい。
 いや、あらゆる飢餓や疫病に勝ち残って子孫を残すことに成功したのが現在の僕たちだとすれば、その記憶は全ての人間に共通するのでしょう。だからこそ、季節ごとの行事の度に、この日はこれを食べるのだという妄想に憑かれた人間がスーパーに殺到して、右にならえで買物する事になる。
 このクリスマスシーズン、日本では一体何十万羽の鶏の首が切られたことになるのか?世界中で腹を割かれた七面鳥の数はたして何百万羽?詰め物するために掻き出された内臓はディスポーザーから暗い下水道に流され、汚物と一緒に沈殿マスで浄化されて再び川や海に戻される・・・

 この夜のために特別に作られた豪華な料理を味わいながら、淫らな欲望を隠して談笑する男女が向かい合うしゃれたフランス料理のレストランも、小さなこども達が危うい手つきで母親の作ったフライドチキンを手掴みで食べる食卓でも、等しく「命」を貪り喰いながら聖夜を過ごし、微笑みを交わす。

 これがある種の「地獄」の光景に見える処が、愚かしい僕の妄想癖と言う奴なのでしょう。

 はい、もちろん我が家でも鶏の死肉の唐揚げは食卓に並びます。こども達の手造りケーキなんてモノも登場するかも知れません。あの、「シャンメリー」なる飲み物も冷蔵庫に冷やしてあるようです。ごくごく当たりまえの、平均的な日本の家庭の風景なのでしょう。
 ただ、この家の父親が、こんな生活が永遠に続くはずは無いだろうと・・・なにやらウソ寒い気配に振り返ることがあるだけです。


12月25日(Wed)
 クリスマスバージョンと言うことで、あちらこちらのページで、もみの木やらサンタクロースのJPEGだのGIFアニメだのと賑やかなことです・・・最近、僕にとってのINTERNETのWebページとは、「文字」によるコミニケーションのためだけにあるようです。
 日記巡りすることがほとんどで、あちこちのサイトを「ネットサーフィン」するような事もあまりありません。日記のページにオジャマしても、そこからご本人のHomePageまで辿っていくような事もあまりやらないので、HomePageがリニューアルされていても全然知らなかったりします。
 正直言って、画像はうるさくて邪魔なノイズの様なモノです。当日分の日記のページがサクサク開けば、それで十分。3Dソフトのチュートリアルからそのまま引きずってきたような素人くさいタイトルロゴや、重い上にただ見づらいだけのバックグラウンドとか、訳の分からない「くそガキ」や新婚旅行で行ったリゾート地を背景にした「ばかップル」の写真などなど・・・あああああ、みんな覚えがあったりします。そうか、僕のことだったのか。
 そういう訳で、自分のHomePageの為に画像を何か作ろうと言う気がまるで起きないのです。クリスマスや正月ぐらい、それっぽいイラスト入れて自分の日記を飾ろうかなとも一瞬思いましたが、結局仕事に追われていることもあって、いつも通りの日記をアップしているだけでした。

 公開日記などと言う怪しげなモノをキーワードにネットサーフする僕にとっては、横書きのあの読みづらいデジタルフォントの世界が何故かとても「リアル」なのです。さまざまな誤解や軋轢がほとんど生のカタチで行き来する事も、刺激的で非日常な感覚がして、とりわけお気に入りなのかも知れません。あぁ、言葉を飾ることはありませんね。ただのトラブル好きというだけでした。

 なんだか、自分の怠惰な日常の言い訳しているだけかも知れません。とても小さな世界を右往左往しているような気はしますが、電子の海を渡っていろいろな人間の声が聞こえてくる、そんな世界がやはり僕は好きなんでしょう。


12月26日(Thu)
 インターネット以外の「パソ通」の事情となると僕はNiftyしか知らないのですが、そこで何度も見てきたフレーミングの実体は何かといえば・・・結局はお互いの人間性が最後には問われているのだと云うことに落ち着くようです。
 言葉だけでなんら実体のないパソコン通信の世界では、不注意にもらしたたった一言が命とりになってしまう人間が少なくないようです。普段は澄ましてフェミニズム擁護論を展開しているような人間が、実際の論争の場では、自らの愚かしい性意識をはからずも露呈してしまうような事もよく見かけます。発言者のIDに対する評価が地に落ちてしまえば、そのフォーラム内部では相手をする人間が誰もいなくなり、最終的には電子会議室から出て行かざるを得ないような空気があります。捨てぜりふと罵声を残して消えていく者・・・謝罪してその場に残ることをなんとか選んだのだが、結局はいつの間にかいなくなってしまう者・・・電子的に記録され引用されることで、身動きできないまでに自らの過去の発言に呪縛される人間を見て、震撼したこともありました。まさに、言霊の魔力に取り付かれた人間のありさまに・・・
 そうして消えていって、新たなIDを手にして戻ってくる人はまだ救いがあるのですが、いつまでも人格が崩壊したままで、意味不明な自らの発言にこだわり続けるような人も確かに存在します。そういった人は過去の発言の矛盾点や自己撞着を指摘しても、まるで取り合うことがない・・・「見えても読めず、聞こえても知らず」という人には、どんどん意味不明な発言をさせておくに限ります。失笑も嘲りもそうした人間には届かない。際限もなく繰り返すうわごとにやがては身動きも取れず、自分の乗っている小舟が泥で出来たお粗末な代物であることに気付いたときには、もはや手遅れなのでしょう。その事の滑稽さに気付かないのが不幸の原因とは言え、もはや同情することすらうとましい存在なのでしょう

 何故、僕がBOWDOではなくこちらに書き込むのか?恐らく彼には理解できないのでしょう。裸の王様ならぬ裸のスタアの末路になんの興味もありませんが、「我慢ならない事態」を厭うことのない、愚かしい僕自身の性癖は改まることはないのだと、お伝えしたいだけです。まぁ、こうした物言いでは彼にはまるで通じないでしょうが、別に通じなくても結構。


12月27日(Fri)
 本日はぞろぞろと家族うち揃って外食などをすることになったのですが、ご近所のファミレスにもいい加減飽きてきているこども達は、「寿司屋がいい」など傍若無人な事をほざく始末・・・しかし、我が家で寿司を食べるといえば、基本的には「小僧寿司」のことで、寿司屋と呼んでいるのは、ほら、あの乾燥したあなごが皿の上で反り返りつつクルクル回っている、回転寿司の事を指しています。ああああああ、あまりにビンボーくさい話題で申し訳ない。その上「小僧寿司」についてインターネットを通じて全世界に熱く語る日記なんて・・・
 その回転寿司にしたところで、最近やっとそんなに高価なモノではないことを知らされて行くようになったばかりです。因みに、僕の生涯の野望のひとつには、あの寿司屋のカウンターに座って、おしぼりで首筋あたりを拭きつつ「おまかせ」なんゾと一声かけて見ることです。多分、僕は生まれてから一度も寿司屋のカウンターに座ったことはないと思います。桶に入った寿司を食べた記憶もほとんど数えるほど。その僅かな記憶の中にある「正式」な寿司屋さんのお寿司と言うのも、お通夜の席の仕出し料理ぐらいでしょうか?子供の頃は人が死ぬのが本当に楽しみでした。<こらこら。

 で、意を決して(←そんな事に決するなよ!)ご近所のクルクル回るお寿司屋さんへ・・・らんらんらん♪(←嬉しいのかよ、やっぱり!)

 入ったとたんに、冷たい空気がドッと押し寄せて・・・客の姿はひとりもなく、肝心のベルトの上にはひからびた玉子がふたつ三つ、孤独なワルツを踊っている。何だか居心地が悪いけど、そのまま帰るわけにも行かないので、おずおずと座る家族4人。カウンターの中には目つきの悪いオヤヂがひとり。あぁ、嫌な予感。
 「お好きなモノを言って頂ければお作りします、なんでも1皿120円」そんな小さなのぼりが皿に載って玉子の隣で廻ってました。ふ〜ん、なんでも同じなんだ。じゃ、トロとイクラを4皿ずつお願いします。奥さんはウニと甘えびだそうです。・・・む、なにやら店内に緊張感が走ったような気がしたのは僕の錯覚?
 で、何だかはるか向こうからわざわざベルトコンベアーでやってきたトロとイクラ。う〜む、実は本当のトロがどんな姿カタチなのか、僕はよく判りません。多分これもトロなんでしょう、そう言うんだから。しかしこのイクラ、ずいぶん数が少ないなぁ〜。数えてみよう。いち、にい、・・・あぁ、6粒しかない。まぁ、せっかくだから食べましょう。

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 きゃー、シャリが温かい!ほかほか弁当か?この寿司屋は!

 結局、恐れをなして早々に店を出た我が家の一行、帰り道で「小僧寿司」買ってお家で食べました。うん、こども達はおいしいおいしいと言っております。とほほ。

 ひとつ数千円の築地直送の大トロも、一人前480円の「小僧寿司」も、喉元を通り過ぎればあとは同じ。美食だグルメだと騒いでいても、しょせんは口の中で食べ物が咀嚼されるホンの一瞬の悦楽。排泄されるモノになんの違いもないのが、つくづく残念。しかし、ウンコまで資本主義的差別があったら、それはそれでチョーMM(マジ・ムカツク)だけど。「チョーMM(マジ・ムカツク)」はヤめなさい、「チョーMM(マジ・ムカツク)」は。


12月28日(Sat)
 はい、日記界でトラブル起こすだけがデーテーペーの日常ではありません。たまには家族サービスもやったりします。罪滅ぼしというやつですね。お前の罪はそんなにお手軽に滅ぶ訳ないだろう!との声も何処やらから聞こえてきそうですが、まぁ、何時ものように聞こえないふりをしておきます。
 もう大抵の会社が仕事納めなのでしょう、都心へ向かう高速道路も土曜日にしては空いていました。物流関係のトラックがとても少ないようです。株価も下がっているようなので、ブラックマンデーが再来して潰れる会社が増えれば、今日のように道路事情ももう少し良くなるのでしょう。<こらこら。

 上野動物園へ連れていけと言われたのですが、このくそ寒い12月に動物園さまようのは勘弁してほしいので、同じ生き物と言うことで、葛西臨海水族館でなんとか罪滅ぼしに手を打っていただきました。
 しかし、何故に駐車場から水族館まで、ああも延々と歩かせるのでしょう。エントランスだかなんだか、切符売り場にたどり付く前に日ごろの運動不足がたたって、もうへとへと。

 魚は・・・あぁ、イッパイいるんですねぇ〜。

 はい、見たらさっさと帰りましょう。早くお家に戻って今日の日記の更新やらなくちゃ。メールもかなり溜まってるはず。フリートークにもチェック入れておかなきゃ・・・ハッ!なにやら恨めしそうな家族の顔が。

 きゃー、また罪を重ねたのかも知れません。

 出かけても落ち着かないのは、今日の日記を未明の裡に書いておくのをうっかり忘れてしまったからです。朝9時に出かけるからと張り切って支度しているこども達に、日記書くからちょっと待ってなさいとは、なかなか切り出しにくいものです。仕方がないのでパワブク久しぶりに持ち出したのですが、そんなモノを外で広げてると今度は奥さんの冷たい視線にさらされるのは目に見えているので、結局何もできずにさっさと帰ってきました。
 あぁ、お出かけは疲れます。オフミならいそいそと出かけるのがまた罪深い「けだもの」の証拠かも・・・


12月29日(Sun)
 そろそろ年末特番だの総集編だとか言って、結局はただの再放送を延々と放送している季節になってきました。これでまた高視聴率が取れたりして、テレビ局に取ってはおいしすぎる展開でしょう。
 まぁ、テレビなんてモノは見なきゃ腹を立てることもないのですが・・・本日なぜか、奥さんはバレー教室の大掃除だとかに駆り出されて午前中から車でお出かけで、僕はしかたなく子供のお相手。INTERNETも日記界も年末で閑散としているようでヒマ持て余してる父親は、真性テレびっ子の二人といっしょになってテレビをぼんやり眺めては、ついオヤヂごころが刺激されてムカムカしてくる訳です。
 あぁ、「笑っていいとも」ってまだやってるんだ。タモリもほんとにつまらないけど、本人に自覚があったら惨めだろうなぁ・・・そう言えば、先日深夜番組でこれも久しぶりに北野たけし見たんですが、彼はエイズ?きゃー、ほんとにそうだったらゴメンナサイ。しかし、お笑いタレントがあの「顔」はなぁ・・・ほとんど放送禁止でしょう、あれは。フリークス度がかなり上がってますね、あの顔面麻痺記者会見以後も。まぁ、業界ではすでに「終わった人」扱いのような気がします。そう、すっかり仮装大賞の大木ボンドと化した「欽チャン」と同じ。

 別にテレビ評論したい訳じゃありません。あぁ、誰も読みたい訳じゃないことの方が先でしたっけ。

  相変わらず、テレビというメディアは貧欲に人間を消費するもののようです。テレビとは、人間の欲望を写す合わせ鏡だとすれば、やはり、その事は送り出す側ではなく見る側の問題であるのかも知れません。 


12月30日(Mon)
 おせち料理って・・・皆さんおいしいですか?僕は大嫌いです。

 甘いものはキライではないはずですが、あの「栗きんとん」だけは勘弁して。あれをおいしいおいしいと言って食べる人を見た事ありません。少しまわりの方に聞いてみて下さい。醤油と砂糖の味しかしない「田作り」とか、異様に甘い伊達巻や、なにやらクスリくさい「黒豆」の好きな人います?
 照り焼きバーガーがおいしいと言う我が家のこども達の味覚を信用する気にはなれませんが、「おせち料理なんてチョーまずい」と云う部分では図らずも僕と意見が一致しました。もっとも、この意見に大いなる偏見が存在するとすれば・・・それは僕が日本の古式ゆかしきおせち料理を食べたことがないのが原因かもしれません。はい、我が家と云えば、それはスーパーに並んだパック詰めを買ってきて、後はお重に並べるだけというのが基本です。きゃー、こんな事発表して良いのか?奥さんにばれたら怒られるかも。
 何回か手づくりにチャレンジしたこともあるようですが、結局買った方が安上がりだったり美味しかったりで、いつの間にか我が家のおせち料理のデフォルトは、市販品を並べるだけとなったようです。
 で、今日あたりからお買い物にお付き合いしてきたのですが、しかしまぁ・・・皆さん何だか大量にお買い物されてますね。古くから日本人にとっての「ハレ」の日である盆と正月の内、お盆と云うものは大家族制度の崩壊と共に消える運命にあるようですが、お正月だけは核家族となってもしぶとく生き延びているようです。先祖の霊や精霊流しなどというものには胡散臭い「にっぽん」の匂いが付きまといますが、クリスマスから続くお正月には「ニューファミリー」の琴線に触れる何かがまだ残っているのでしょう。
 しかし、家族のつながり確かめるためにスーパーで散財する日本人の情熱の由来については、やはり僕にはよく理解できません。

 お正月だからと言って、あんなに不味いかまぼこや佃煮に馬鹿げた金額支払って、2日も3日もそれを食べ続けるのって、けっこう辛いです。どこの家に行っても同じような味付けの同じようなメニューのオンパレード。だからと言って、今度は焼肉とか大トロのお刺身にタラバガニってのも、普段の貧しい食生活の反動みたいでけっこうビンボーくさいです。
 しかし、熱にうなされたようにお正月の準備に追われる僕ら日本人の血の中には、同じ黄色人種として、アメリカインディアンの部族に伝わるあの散財の祭り「ポトラッチ」への熱い衝動が眠っているのかも知れません。


12月31日(Tue)
 大晦日だから今年一年を振り返るってのもありきたりだなぁ・・・で、今年の印象についてですが。<なんだ!やっぱりやるのかよ。

 何が変わったと言って、やはり公開日記などというものを始めてからの変化の大きさには、自分自身が一番驚いています。
 社会に出て日々の日常に追われる生活の中では、新しく友人が見つかるようなことは殆どありません。付き合いのある人間と言えば仕事関係ばかりで、それも利害が絡むことでどうしても上辺だけの付き合いになりがちです。さらに僕の場合で言えば、取引先の営業マンと飲みに行くことも無ければ、外注も含めた社員旅行などに出席する事も有りません。いわゆる「接待」の酒席が耐えようもなく嫌なのです。酒の席が好きじゃありませんと最初から伝えてあるので、最近は誰も声をかけることもありません。したがって、仕事場以外での人間関係は皆無です。
 そんな僕が日記を書くことでいろんな方とお知り合いになり、さらには「オフミ」と称して週末にいそいそと出かけるようになるのですから、奥さんなどにはまったく理解不能のようです。
 PTAの役員やったり、こども達のクラスのお母さん達と河原でバーベキューに出かけたり、昔の僕を知る人には絶対信じられないでしょう。ただし・・・不遜なオヤヂの本性がちらちら見えかくれするので、必ずしも「良いお父さん」と思われている訳でも無さそうです。
 そうした変化の原因が何かと言えば・・・いささか気恥ずかしいのですが、それは、自分自身が孤独ではないと言う実感・・・きゃー、やっぱり恥ずかしすぎる。
 少し言葉を変えましょう。そう、自分の日記を書くだけではなく、他者の日記を読むことで自分自身を知ることも、又とても多いのです。お互いの暗い情熱の所在に共感し、そうした存在がとても貴重なものに思えるのです。匂いに惹かれるように・・・同時代に生きることの偶然に感謝するとともに、未だ見知らぬ「あなた」の心を求めて、やはり僕は何かを書きしるすことを辞める事はないのでしょう。

 図らずも知り得た方達だからこそ、お互いを大切に思う事と、意味も無くなれ合う事を混同することがないようにと、自戒の意味を込めて僕はそう思います。特別に壊れやすい心の持ち主ばかりに惹かれるのが愚かしい僕の性癖だからこそ、その事を大切にしなければいけないのでしょう。僕が知り得た「あなた」にとって、やはり来年が良い年でありますようにと、祈るではなく、ただ・・・そう思い続けています。


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