デーテーペーな1日

1997.8.16~31

日記関係の発言はこちらで。
8月16日(Sat)
 世間的にお盆休みと云う事で・・・こうした日にはどこかへお出かけしなければと、半ば強迫観念のように思いこんでいるのが我家の奥さん。昨日のバーベキューが仲間外れだったせいか、本日はデフォルトで「お出かけの日」と、昨夜の裡からすっかり決っていた模様です。またもや渋谷方面ウロウロするのは、僕自身が飽き飽きしているので、何処か目新しい処という訳で、北の丸公園内の「科学技術館」なんぞへ。
 う〜ん、税金やら競輪の収益からかすめ取ったあぶく銭で建てた癖に入館料とるのか、ここは? チケット買ってから気付いたんですが、改めて検札しているような様子もないので、そのままゾロゾロ入ってもなんの問題も無いようです。今後こちらに行かれる方はわざわざチケット買わなくて大丈夫です。がはははh、そんな事勧めてどうする。
 しかしなぁ・・・お金払ってまで見るほどのモノは何処にもないようです。こんなツマンネーところだったとは。
 鉄鋼業界やら建築業界のPRのようなビンボー臭い展示のオンパレード。中味はと言えば・・・つまらない産業振興映画のたれ流しと埃を被ったような古ぼけた展示品ばかりで、千里の万博の展示品の使い廻しかと思えるほど古くさいものばかり。「調整中」と書かれた、つまりは壊れてそのままの展示品の多いのにもうんざり。担当者のヤル気の無さが透けて見えるようでした。
 ようするにわざわざ出かける価値はまるでなし。やっぱりチケット何ぞ買わないで入れば良かったです。

 なんだかんだ言いながらよくお出かけしてるなぁ・・・それもビンボー臭いところばかり。
 もっともリッチな気分でお出かけしたような記憶は未だかつてあった試しがありません。まぁ、いつもの我家の日常というところでしょうか・・・


8月17日(Sun)
「夢のキッチン」

 広々とした対面式のカウンターと深めのシンクは、つなぎ目のないオールステンレス製で汚れもさっと洗い流すだけ。業務用の大型に匹敵する容量の冷蔵庫はあらかじめキッチンの裡に組込まれていて、表面のパネルもナチュラルオークの無垢材を使った同じ仕上りで、一見して冷蔵庫とは見えないようになっている。ガスオーブンは当然七面鳥が丸ごと入る大型のサイズで奥行も充分。一番にこだわったディスポーザーもGE製のアメリカンサイズをわざわざ注文したもので、少々音がうるさいのが難点だが何よりもその能力の高さが日本製とは較べものにならない。
 壁と床は全てイタリア製のタイルで、冷え冷えとした印象をやわらげるように薄いクリーム色の同系色でコーディネイトされ、ワンポイントにはこれもイタリア製の手書きタイルがはめ込まれていた。
 これでもう完璧と言える仕上りに我ながらうっとりと真新しいキッチンを見渡してみる・・・まさに此処が私にとっての夢のキッチンだった。そう、ようやく全ての準備は終ったようだ。子供達は2階でぐっすり眠りこけている。隣の居間でテレビの野球中継を眺めている主人を呼んだ。

 「今ちょうど良い処なんだから、気安く呼ぶんじゃない。」

 いつものように不機嫌な顔で扉を開けた主人が、テレビの歓声に思わず振返った瞬間、背中に隠し持ったハンマーを渾身の力を込めてふり降ろした・・・少し薄くなってきたその男の後頭部に。

 後はフランス料理の講習会で習ったとおり・・・血抜きをして、鴨の解体の要領で関節と関節の間に包丁を入れていけば良いだけ。その為の真新しい冷蔵庫とディスポーザーが私を手助けしてくれるはず。
 しばらくは子供達が大好きな肉料理が続くのだろうと、私は上機嫌でミンチマシンを探すことにする。

 キッチンは奥さんの夢のかなう処というのが、コマーシャルなどでくり返し語られてきた真実だとするなら、まさにこんな夢は有ってしかるべきでしょう。
 熱心に住宅機器メーカーのカタログ眺めている奥さんは日本全国に多いはずです。


8月18日(Mon)
 休み明けと言う事で、なんとなくおざなりにお仕事などもやったような気もしますが・・・ひょっとすると昼寝しながら見た白昼夢かもしれません。がはははh。相変らず。
 しかし、そんな風に呑気にやってるヒマは本当は無いのかも。ダレダレのお休み中のツケがこの際だからと一気に押寄せたりするようなイヤな予感も有りますが、まぁ人間には手は2本しか付いていないので、決められた時間に自分で出来るお仕事の量には自ずから限界があります。
 と、半ば開き直っている模様ですが、そうは言ってもフリーランスの身では贅沢に仕事を選んでいる余裕もなく、けっこうあくせくしながら仕事しているような気もします。もっとも、明け方まで起きているのは仕事ではなくて、ひとりで眠るのが寂しいからと言うのが本音かもしれません。だったら早く寝れば良さそうなものですが、そんな事が出来れば人間苦労はしません。僕自身からそうした「不明な情熱」に類するものを取除いたら、たぶん違った人生歩んでいることになったのでしょう。はい、モノは違っていても何かに熱中しやすい性格と言うのは子供の頃から少しも変っていないかも。ただ・・・そうして熱中するものが、大抵が愚にも付かないモノであることが最大の問題なんですが、この辺りの性格はもはや我ながらどうしようもないレベルの様です。
 う〜ん、ネットサーフィンの内でも、Web日記なんてやはり「愚にも付かないモノ」の最たる産物かも。きゃー。

 夏休みそうそうは、あんなにムキになってやっていて、母親からはそんなに一度にやらなくてイイと怒られていた算数や国語のプリント集なんですが、いつの間にやらすっかり忘れてしまって、今度は早くやりなさいと怒られているようです。何事にも計画性のない処など、全く父親そっくり・・・なんてオチも最近はすっかり食傷気味。


8月19日(Tue)
 「僕の書く文章などにひとかけらの真実もありません。」

 ・・・そんな事はありませんと、耳に心地よい返事を聞きたいばかりに諧謔と韜晦をくり返すのは、まさに骨がらみでしみついた僕自身の生き方のせいなのでしょう。小さい頃から、そのあたりの性癖はほとんど変っていないような気がします。
 傷つくことを恐れるあまり、かえって人を傷つけてしまうのは、臆病者がおちいりがちのジレンマのひとつだとしても、いつまでもそんな事をくり返しているのはあまりに愚かしい仕儀であることを、もう一度確認する必要があるのかも知れません。
 そう言えば・・・鏡の中に写る自分自身を直視できないと言うのは、これも昔からそうでした。そこに写る一挙手一投足を見ることがとても疎ましいのです。鏡の中に写る自分の行動と、それを眺めている僕の内なる呟きとの間の「ズレ」の大きさがとても不安定に思えて、全てをひと思いに投出してしまおうとする衝動に絶えず追われているような気分になるのです。

 「お前はそんな事が言いたい訳ではないだろう・・・そんなモノは少しも信じていないんじゃないのか?」

 そう言って囁く声を無視するために、あえて大声で叫んでみたり、ことさらに強く抱きしめてみたりしても、最後は見えないふり・聞えないふりで押し通してしまうのが常だったような気がします。
 僕自身がもう少し違っていれば、また違ったカタチでの出会いがあったのかも知れません。しかし・・・こうなるしかなかったのは、最初からお互いに気付いていたような気もします。

 通り過ぎるために出会うことも、また人生にはありふれた結論のひとつのようです。

 道に迷ったとき、必ず愚かしい方角に一歩進むのが臆病者の常です。
 だからこそこんな文章を書くハメに・・・いまだ眠り続ける「あなた」を抱いたまま。


8月20日(Wed)
 何処かの分譲マンションの浴室にバラバラの人間の死体が転がっていたとか、なかば凍った老婆の死体が、つましい建売住宅の2階から見つかったなどという話しを聞く度に、すわ!猟奇事件などとマスコミは大騒ぎで、やれ2年目の死臭のミステリーだの、手づくりの人間冷凍装置の細部などを執拗に報道したがるのですが、そんなに人の「死」に興味があるなら、Webの世界にゴロゴロ転がっている轢断死体やら殺人現場の惨たらしいファイルを紹介した方がよほど手っ取り早いと思うのですが・・・人間の肉体がただの壊れやすい物体であることを改めて認識するだけの行為にかくも興味が集る原因のひとつには、他人のセックスやら行為を見てみたいという愚かしい人間の情熱とひどく似ているある種の本能があるような気がするのは・・・「フロイト心理学」を持ち出すまでもないのでしょう。
 「死」と「セックス」に惹かれる人間の暗い情熱の由来は、結局はそれらが表面的に隠蔽されている事にその原因があるのかも。動物にとって「セックス」はなんら恥ずべきものでないように、「死」もまたありふれた日常のひとつであった筈なのに、いつの間にやら、それらのモノは日常に置かれることを注意深く避けられるようになり、むしろ「非日常」である事で一層猥褻な存在に化してしまったようです。

 まぁ・・・川面いちめんが死体で埋まり、耐え難い腐臭の中で日々「死」を無感動に眺める世界を望んでいるわけではありませんが、荒涼としたその世界を覗いてみたいという秘かな願望は根強くあるのかも知れません。

 きれいに皿に盛りつけられた牛の死肉を食べながらその加工の過程をあれこれ想像したりしてみると、結構イヤな気分になったりします。かといって根っからの野菜嫌いでベジタリアンにはなれそうもない僕は、やっぱり死んだ動物の肉を食べてこれからも生きながらえるんでしょう。
 仏教徒だったら、やっぱり肉は食べられないよナァ・・・ 


8月21日(Thu)
 打ち合せは電話やFAX。たまにはEメールで原稿内容の確認などをする機会も増えて、直接会って仕事の打ち合せをするような機会は随分と少なくなってきています。
 で、ボロボロのジーパンにこれもすり切れたTシャツなどでお仕事している処へ、取引先のえらそうな部長さんだとかがスーツ姿で見えたりすると、とても違和感がありますねぃ。普段着と言うよりも寝間着に近いかも。どう見ても、いい歳したまともな社会人には見えないようで、こんなヤツに仕事だしてたのかと不安な面もちなのがありあり・・・僕に言わせれば、くそ暑い季節に汗かきかきスーツなどは着ている方がよっぽど愚かしいような気がしますが、まぁ直接そんな事は言った事はありません。<あたり前、怒られるって。
 スーツなどとは無縁な生活ってのが最初からで、ネクタイ締める機会と云えば、たぶん結婚式ぐらいでしょうか。但し、そんな機会も殆どありませんが。はい、至って交友関係が狭いというか、寂しいヤツというか・・・お祝などをむしりとられることが無いのはそれはそれで嬉しいかも。

 もともと外見にあまり興味が無いというか、そんな事にお金を費やすことがアホ臭いと言うタダの貧乏性のせいで、着るモノなどにもあまりこだわりが無いので、いつも奥さんに呆れられています。着替の入った引き出しの一番上から着ていくので、洗濯してはまたもとの位置に戻るというくり返しで、結果的に何日も同じ格好だったりなんてことがよくあります。まぁ、そんなにとっかえひっかえするほど洋服持ってる訳じゃないので、どっちにしても大した違いはありません。何かというと着せ替え状態の子供達に較べれば、父親の洋服なんて二の次三の次以下。ダイエーの安売りワゴンセールで買いあさるのがもっぱらのようです。別にそれがイヤじゃないところがビンボー臭いよナァ、まったく。

 もう8月もあと僅か・・・今年の夏の子供達は例年に較べて随分顔が白いようです。結膜炎やら中耳炎のせいでプールに入れなかったり、肝心の天気が今ひとつだったりが原因のようです。真っ黒に日焼してるガキってのも暑苦しいけど、妙になまっちろいのも、可愛げがないなぁ。 


8月22日(Fri)
 インターネットにハマってからは、家事全般についておさぼり中です。何かとまめな蛋白研の白木くんなどと比べるとただのぐうたらオヤヂと化していてるようで、そのあたりも我家の奥さんがインターネットにいい顔しない原因があるのかも。
 もともと家事が好きでテキパキと掃除・洗濯をこなして、今夜の夕食の献立を考えながらスーパーを巡るなんてことが趣味という訳もなく、切迫早産の恐れとかで奥さんが入院していた前後数カ月と、それ以後の子育ての大変な時期に少しばかりやった程度なんで、そんなに大きな顔して家事全般をやってきましたなんて言えるものではありません。特に子供達に手がかからなくなってからは以前のぐうたらオヤヂに戻ってしまって、料理だの洗濯だのはすっかり奥さんまかせになってます。だされたモノを文句云わずに食べるのが家庭円満の秘訣ですが・・・こんな時、偏食オヤヂは結構苦労します。大嫌いなトマトなどは奥さんの目を盗んで子供の皿にそっと移したりして。がはははh、何だか小学校の給食風景みたいで情けないナァ。
 最近は子供達も出来ないなりに料理とか部屋の掃除のお手伝いもするようになって、結構助かってます。気が付くとお小遣を請求されるんですが、基本的にお金の価値を理解していないようで、そうして貰ったお金で何かを買いに行くという考えはあまり思い浮ばないようです。単純にコインの収集でもしてる感覚なのかも。いま何枚溜ったとか言って喜んでますから。<バカじゃね〜の。
 そのあたりは、買い食いやら古本買うために年中あくせくしてお小遣の増額を画策していた僕なんゾの子供時代とはぜんぜん違っているようです。未だに決ったお小遣が欲しいと言ってくることもないのが、僕なんかにはとても不思議です。ブルジョア育ちなんでしょうか?<やっぱりタダのバカでしょう。

 本日は昼食・夕食ともに僕が作りました。何故か?・・・ヒマだから。<やっぱりナ。
 昼はライスグラタンに玉ねぎとコンビーフのスープ。夕食はいつものハヤシライスもどきとわかめスープで至ってお手軽。しかしなぁ・・・仕事もしないで父親が昼間から料理つくってるようですが、こんな事ばっかりやってて良いんでしょうか?我家の経済状態はどうなってるの? う〜ん、我ながら不明。


8月23日(Sat)
 何の因果でくそ暑い夏の盛りに学校の校庭にテント張って地面にごろ寝しなければいけないのか?・・・物好きな担任を持ったPTA役員はいろいろと苦労します。きゃー。<チャレンジャーすぎかも。すいません秀島先生、ついつい思ったことをかいてしまう悪い癖が。がはははh、<まだ言うか!

 う〜ん、思いっきり子供達の担任の先生を全世界に向けてテロってどうするつもりなんでしょうか? いつも読まれてるのは百も承知なんですから、まさに革新的な確信犯。
 という訳で、夏休みももう僅かと言うこの時期に学校の校庭でキャンプなどをするハメに。父兄ともどもざこ寝して路上生活者の日常を体験するのもなかなかに貴重な経験かも知れません。まぁ、夜中は日記テロルに何かと忙しいので僕はご辞退するつもりですけど。

 で、夕方5時頃から校庭にペグ打込んでテントの設営などもやって、準備は万端。お約束のきも試しから、校庭で大花火大会で楽しんでいたのはいいんですが・・・8時過ぎから土砂降りの大雨!「なに、にわか雨だから大丈夫」などと言ってるそばから雲間にはイナズマが光って何やらものすごい天候です。ふ〜うぅ、萎え萎え萎え。
 結局体育館に場所を移してあくまでも学校で雑魚寝にこだわるようです。校庭からびしょ濡れになりながら荷物の移動などしていてすっかり予定が遅くなってしまいました。お陰で日記の更新もこんな時間に。<そんな事しか気にならないのか?

 PTAの行事というとけっこう雨に祟られることが多いのは、どうやら担任が稀代の「雨男」だからの様です。この際だから担任は外してしまった方が良いのかも知れません。きゃー。<今日の担任テロルは結構しつこいかも。BOWDOでテロる訳にもいかないのでこんな事に・・・申し訳ありません。 


8月24日(Sun)
 結局明け方まで一睡もしないで、死んだような顔つきのお父さんやらお母さんが解散したのは朝の7時過ぎでした・・・学校でのキャンプ。
 警戒警報の出た東京地方はマジで久々の大雨。よく降る雨で止んだのは明るくなってからだったようでした。
 BOWDOの更新があったので4時頃に家に戻って日記巡りなどもしてから(←お約束)、朝食用にサンドイッチやらおにぎりを数十個単位で買いあさって夜明けのコンビニ巡りして学校に戻ってみると、6時前だというのに子供達は殆ど起きていて、これもすっかりダレダレのようですが、いざ食事となると異様に食欲旺盛な可愛げの無いガキもいたりして、つくづくビンボー臭い学校です。我家のガキたちもそんな集団の中でなんの違和感もないのがちょっと悲しいかも。さすがにお替りはしなかったようですが、朝からしっかりおにぎり食べてました。
 いい加減疲れるPTAでしたが、それにもまして面白い経験ができたのは確かなようです。根が好きなモノで、一晩中よそのお父さんやらお母さんとおしゃべりしてるのはとても面白いんですが・・・来年はもうイイや。

 いきなり仕事も入っているような気配が・・・それも急ぎのお仕事が。う〜ん、日曜だと言うのに・・・面倒くさいナァ。と言いながら日記の更新だけはしっかりやっている模様です。


8月25日(Mon)
 普段はあまり気にもとめることなく、あたり前の日常生活を極々つまらない風でくり返しているのですが・・・結局、何かあるたびに痛切に思い知らされるのは、僕自身の裡で決定的に欠けているモノの存在についてです。

 恐らくは・・・過去のある時期に記憶の一部と共に完全に死絶えてしまったのだと思います。乾ききった記憶の中を後ろ向きに歩き続ける僕が見ているものは風化した景色ばかりで、そこからは注意深く人間の気配をぬぐいさってあるようです。
 だからと言って、それ以前に僕が何も欠けることのない人生を送っていたのかどうかに付いては、まるで自信などありません。ひょっとすると最初から何処にも存在しなかったのかもしれません。もともと存在しないモノを追求めての結果だとするなら、二重の意味で空しい作業と言う他はなく・・・むしろ、それが正解のような気もしてきました。
 そんなモノがなくても人は生きていけることに気付いてからの失望が、一層そうした「失われたもの」への苛立ちをつのらせているのかも知れません。他者の物言いに過剰に反応してしまうのは、自分自身の内側を覗き込んだときの、そうしたゾッとするほどの空虚さ故なのでしょう。何処までいっても、人と人との結びつきの強さの意味を信じられない人間なのです。
 安易に「癒し」を求める人達の言葉に苛立つのは、まさに僕自身がともするとそうした関係性の裡に埋没したがる人間だからでしょう。

 寂しいときに「さみしい」と書くのは至って寂しさをつのらせるだけのような気がしませんか? 自己にも他者にも媚びるようなその語感が、どうにも僕は苦手です。


8月26日(Tue)
 いいかげん夏も終りのような薄曇りの肌寒い陽気に、子供達は友達と自転車で近所の市営プールなどへ。
 市の規模には不釣合いな程立派なプールで、25メートルプールの他にも流れるプールとか幼児用プールもあって、近所の子供達は良く連れだって出かけているようです。去年などは何回か僕も一緒に出かけていたのですが、もう今年はこりごり。

 何故かと言えば・・・

 やれ「キップの購入には小銭を用意しろ・・・シャワーは頭から浴びろ・・・プールサイドは走るな、飛ぶな・・・1時間ごとに10分休憩しろ・・・小さい子供は目を離すな・・・」えぇい!うるさいわい。
 とにかく、のべつまくなしにスピーカーから流される注意と警告の洪水にウンザリと言うより、最後には大激怒!
 どれもこれも入場者の事を考えてと言うより、何かあった場合の自分たちの保身と逃げ口上の為だけなのがありあり。管理上の責任逃れの為に小賢しい役人あたりが先走って書いた文章なんでしょう。ケッ!
 公共の施設というのはおしなべてそうした傾向が強いのですが、ここは特別にひどいようです。子供扱いと言うのもバカバカしいほどで、その場に居合せるだけで僕などはイライラがつのって胃潰瘍にでもなりそうな気がしてきます。ようするに余計なトラブルが心配なら市営プールなどの運営は止めておけばいいだけの話し。所詮は自らの地位やら立場の保身にしか興味のない人間が大嫌いと言う原因は、こうした処にあるようです。

 市営プールでご近所の奥さんに会ったりすると、けっこう焦ります。普段はうかがい知ることの出来ない、よその奥さん達の水着姿などについムラムラして・・・きゃー。<あのスカートの出来損いみたいなモノを着けたまま水にはいるのは是非止めていただきたい。


8月27日(Wed)
 今日は早起きというか・・・一睡もしないまま日常生活に突入するという、まさに「廃人」そのもの。世界廃人コンテストの東京代表ぐらいにはなれるかも知れません。あぁ、東京には「彼」がいますね。2位でイイや。

 訳もなく日記巡りをするだけで、誰かにメールを書くわけでもなく・・・ただただ、なんとなく寝そびれてしまうような夜が最近とても多いようです。う〜ん、寂しいのか? がはははh、生活時間が完全に逆転しているだけなんですね、これが。
 で、日記巡りにも飽きて、つい届いた朝刊などを2階で読みはじめていると、そのうち子供達やら奥さんがのそのそと起きだしてきたりします。
 また徹夜なの?と呆れ顔の奥さんとはなるべく目を合わせないようにして・・・なんとなく気まずい空気が流れるなか、ことさらに元気な声で「おはようさん」などと言ってみたりする孤独なオヤヂが一人。まったくもぅ、浮きまくってますなぁ。子供達も父親が夜更しなのは既に承知で、痛ましそうな目で父親を眺めているような気配が・・・あぁ、7才の子供に己の人生を同情されてどうする?
 家族の中で一人ブラジル時間で生活しているようなモノですが、本人はけっこう気に入ってたりするのがまさに懲りない人間。だけど、一睡もしないと一日がとても長くて何か得した気分です。でも、結局は昼寝しちゃうんですけどね。<大バカ!

 ここの処へきて、子供達はようやく夏真っ盛りのようで、朝のラジオ体操にも元気に出かけてます。日中はあちこちのプールに連日通ってこの2、3日でずいぶん日焼したようです。すこぶる元気なのは良いんですが、母親の方が子供達を持て余し気味で、早く学校に行ってくれないかしらと、真剣に願ってます。ひょっとすると、旦那の事も願ってるかも。


8月28日(Thu)
 正美の方は父親に似て友達が少ないんですが(←自爆ネタ)、麻美には親友とおぼしいのがひとり居るようです。ただ・・・このガキ、イヤこのお子さんがやたらと電話マニアなんですね。夏休み中などは朝と言わず夜と言わず、「あーちゃんいますか?」と、間の抜けた声で一日に何度も電話をしてくるんです。で、用件はなにかと言うと、これが「今日はどこのプールに行く?」とか「何時に待ち合せる?」だの、とにかく下らない電話。その上、やたらと長電話であぁでもないこうでもないと、いまからオバサン入ってるこのガキ、イヤこのお子さんが、残念ながら麻美の無二の親友だとか。う〜ん、友達は選んだ方がいいと思うけど。
 大体がこのガキ、イヤこのお子さん(あぁ、いい加減メンドくせー)が母親そっくりの体型で、虫さされの跡が無数にあるぶっとい足までミニチュアの様にうりふたつなのも、何だかとてもビンボーくさいなぁ。きゃー。<がはははh、いい加減にしないとこのままエスカレートするとナニ書きだすか判らないのでこの辺りで自粛。

 ある年代以上の人間は、「電話」と言うモノが何やら面倒な手続と回線待ちの順番の末にようやく手に入れる事の出来る貴重なモノという認識があるんですが、いまの子供達にとってはタダのオモチャと同列なのかもしれません。
 そう言えば僕の祖母は、自分では決して電話をかけることがありませんでした。電話をかけなければいけない事態に追込まれたりすると、仕方がないので、誰か身近にいる人間に頼んでダイヤル廻して貰っていました。番号ひとつ間違えただけで見知らぬ人間に繋がる機械と言うモノをとても恐れていたようです。結構モダンなおばあちゃんだったんですけどねぇ。
 僕自身も電話は億劫ですね、かけるのもかかってくるのも。はい、祖母と一緒で、タダの臆病者なんでしょう。

 午後から待ち合せの約束をして、その友達は学校のプールに出かけていったのに、子供達は二人で市営プールに向ったようです。無二の親友などと言ってもこの程度か・・・やっぱりな。


8月29日(Fri)
 久しぶりに早く寝ると寝起きがさわやかですナァ・・・と言っても寝たのは午前4時ですが。がはははh、我ながらこんな自分がとてもイヤです。体内時計がめちゃめちゃなんでしょうね。ひょっとしたら逆転してたりして。
 まぁ、どれほど不規則な生活であったとしても、それなりのリズムで続けていれば人間という種はそんなデタラメな生活にも適応できるんでしょう。

 適応力の問題と言えば、まさにゴキブリなみの適応力で地球上に繁殖してきた人類なのですが、人口爆発が始ったのはせいぜい数百年前の産業革命以後だとするなら、この急激な数の増え方はやっぱり異常です。餌さえ与えておけば、旺盛な性欲でせっせと子供を生み育てる人類にとって、決められた大きさのパイでしかないこの地球と言う星の限界がそろそろ見えてきたような気がします。
 人類誕生の地であるアフリカ大陸の、現在に続く貧困と飢えの原因が大規模なアフリカ大陸の砂漠化であったとするなら、そのアフリカの姿こそが人類の未来なんでしょう。部族間同士の骨肉の争いによる虐殺と放浪する数百万の難民達。SEXを介在して蔓延するエイズウィルスやその出自に様々な憶測を生んでいるエボラ出血熱。干ばつで干上がった大地に今度は大洪水が襲い全てを濁流の中に押流す。大規模な飢饉で餓死する子供達と巨万の富をスイス銀行に隠匿する一握りの権力者達・・・どれもこれもが終末のシナリオにあまりにもピッタリだと、うそ寒い気配に捕えられる事がありませんか? 僕には何やら首筋のあたりがひんやりするような毎日です。 


8月30日(Sat)
 知人から貰った「子供のためのお弁当BOOK」なんて本をながめていて、俄然やる気になった子供達が、自分でお弁当を作るから何処かに行こうと言い出したのが昨夜のこと。何事にも熱しやすく冷めやすい我家のガキは、朝の6時頃から何やら台所でゴソゴソ始めているようです。
 まったくなぁ・・・面倒くせー。何処へ行くか? そう言えば、先日スルメを餌にした懐かしいザリガニ釣りの様子がニュースで流れていたのを思い出して、すぐ近くの丘陵にあるため池にザリガニをとりに行くことにしました。なんだかんだと準備に時間がかかるので出かけたのは結局お昼前。まぁ、車で僅か10分程度なのでとてもお手軽なんです。
 着いてそうそう、子供達が手作りしたお弁当を明けてビックリ!なんや?これ・・・タダのおにぎりやんか。生のウインナーと半熟のゆで卵、プチトマトとキュウリを串に刺して詰めただけの、それがオカズだそうです。う〜ん、我家のガキが作るお弁当なんて所詮はこんなもんでしょう。もうちょっとましなモノを期待していた僕が愚か者だったんでしょう。その上、何故か「カリカリ小梅」がバカみたいに好きな二人が作るおにぎりには4個も5個もそんな「カリカリ小梅」が入っていたりして、いい加減うんざり。父親はそんなモノは大嫌いなので、結局ご飯だけ食べるハメに。
 子供達は自分らで作るお弁当にすっかり自信を持ってしまった模様です。これからこんなおにぎり持参でお出かけすることが多くなるような予感が・・・とほほ。

 初めてだったんですが、正美は2匹もザリガニ釣り上げてご満悦です。本当は網を持参しないと水面から引上げるときに逃げられてしまうのですが、そのあたりの動作はなかなかすばしっこいのがこんな場合の正美の真骨頂です。麻美はやっぱり1匹も取れずじまい。正美のアシスタントで満足しているようで、コレも何時もと同じかも。


8月31日(Sun)
 ダイアナはもうイイや・・・

 昨日はザリガニ釣りに出かけたと言う事で、本日は久しぶりに我家の「ザリ彦」について。
 去年からの読者にしか判らないと思いますが、えぇ・・・まだ生きてます。どの位生きるモノなんでしょう?アメリカザリガニって。何十年も生延びて伊勢エビみたいなサイズのザリガニになったらどうしましょう。きゃー。<お腹に足があってもぞもぞ動く系はヤなんですぅ〜う。
 確か水槽の中で既に2回ぐらい脱皮したはず。そもそもザリガニが脱皮するのも始めて知りました。えぇ、「ザリガニ釣り」が懐かしいなどと書いてますが、京都の西陣で育った人間ですので遊び場と言えば織り屋と織り屋の間の狭い路地だったりする訳で、子供の頃そんな事をやった覚えはあまりありません。殆ど自然のない処なんですね、西陣と言う町は。緑の思い出が残っている場所と言えば、北野天満宮(子供の頃から天神さんとしか呼んだ事ありませんが)の境内とか平野神社ぐらいでしょうか。ただし、すぐそばを流れていた「紙屋川」なんて、途中の染色工場から捨てられた廃液でいつも赤やら緑やらの毒々しい水の色に染まっていて、普通の意味では「川」とも呼べないぐらいでした。もとは由緒のある川だったのかもしれませんが、当時はタダのどぶ川の様でした。今はさすがに環境基準がうるさいので廃液たれ流しという訳にも行かないようで水の色はきれいですが、相変らずゴミだらけなのは変っていないようです。
 あの辺りはずいぶんとご無沙汰です。一度のんびりと自分が遊んでいた町を歩いてみたくなってきました。

 ザリガニ釣りから何やら訳の分らない追憶モードに入ってしまいました。ローカルネタの上に懐かしネタで、本人にしか意味不明ですなぁ。がはははh、自分さえ思い出に浸れればそれで充分ですってば。

 やっぱり宿題の追込みが・・・それも親が算数プリントのマル付けしなきゃいけないなんて。ひとつひとつ計算あってるかどうか確かめながらマル付けるの? がお〜<吼え。何十枚もあるぞ、宿題のプリントって。面倒くせ〜! 脱力・・・


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