デーテーペーな1日

1996.7.1~15

7月1日(Mon)
思いがけず続いてしまった日記。連載日記???意味不明な方のためのバックナンバーはこちらです。

6/25 13才の夏、人を愛することの恍惚
6/26 13才の秋、人を愛することの悔悟
6/27 14才の冬、人を愛することの絶望
6/28 14才の春、人を愛することの喪失
6/29 19才の春、人を愛することの錯誤
6/30 19才の夏、人を愛することの破錠



19才の秋、人を愛することの終焉

 彼女の調子が良い日は、一緒に散歩に行ったりした。一番好きなのは、やはりあの丘の上の公園だった。何だか少しずつ子供に返っているような気がした。
 坂道の途中でいきなり駆け出して、あわてて追いかける僕を振り返って笑う彼女は、かつての笑顔そのままだった。手をつなぐと、袖口をつかんで歩く癖も同じだった。
 公園では何をするでもなく、ただ夕闇がおりてくるのをじっと待ちながら、闇が深まると共に広がる色とりどりの明かりを見つめ、そっと口づけした。
 帰る途中の肉屋で、売れ残ったコロッケをよく買った。もう冷たくなっていたが、ふたりで向かい合って黙って食べる。濡らしたタオルをしぼり、汗ばんだ彼女の身体を拭く。そんな日の彼女はとても素直で、早くに眠りにつき、そのまま朝までずっと眠り続けていた。
 しかし、いったん自分自身の闇の世界に飲み込まれると、彼女は食べず、眠らず、際限のない一人だけの会話に深く沈む。夜中に突然廊下にでて、自分の聞いた臨時ニュースの内容について大声で叫ぶ彼女を、僕は制止することができない。まるで僕の存在に気づかぬまま、どうしても外にでると言い張る彼女。何度も警察官が呼ばれる。その都度、夫婦喧嘩なので申し訳ないと謝るのだが、彼女の様子を見れば一目瞭然だった。
 仕事も、彼女の調子を見ながら、一人にして大丈夫だと思えるときにしか出ることができない。鍵をかけ、昼に食べるようにと食事を用意しておくが、そんな時の彼女は何も口にしようとはしない。
 隣りに住む大家からの電話でアパートに帰ってみると、ドアを内側から激しく叩き続けていた。何やら叫んでいるが、僕には理解できない。大声で彼女の名前を呼ぶ。一瞬音が止んだのを見て部屋の鍵を開ける。部屋の中央に下がった彼女・・・全裸で、両腕から血を流していた。おびえた目で見返す。僕が誰なのか理解できないようだ。もう一度声をかける。瞳にかすかな光が戻った。ただいま、と静かに呼んでみる。全身から徐々に力が抜け、おかえりなさいと小さく答え、何事もなかったかのように壁に向き直ると、僕たちの見えないテレビの声に耳を傾ける。
 どこにも出口がなかった。そう遠くないうちに訪れる刑の執行を待つ死刑囚のように、僕は暗闇のなかで、彼女を抱いたまま窒息しようとしていた。

 保証人の欄に無断で書いた僕の両親が呼ばれた。何年ぶりかで見る母親は、まるで汚いモノのように彼女を見た。例によって、父親は困ったような顔(実は何も考えていない)で、いがみ合う僕たち親子を眺めている。
 全てが彼女のせいであり、彼女さえいなければ、僕はこんな暮らしをしている筈がないと言う。
 よりによってこんな・・・母親の言葉に、僕の理性が吹き飛ぶ。つかみかかる僕を必死で止めようとする父親・・・なぜこんなに荒れる必要があるのか?僕の裡で、この騒ぎを冷ややかに眺める声がする。アパート中に響くほど怒鳴りあって、廊下で息を潜めている大家がまた警察を呼ぶに違いない。そしてどうする?彼女の両親にも連絡が行くのだろう。そうすれば、やっとおまえは、やっかい払いができる・・・裡なる声に僕は更に逆上する。自分の怒声と、愚かに泣き崩れる母親の背中が、やりきれず、どこまでもうとましい。
 彼女が泣いていることに気づいた。まるで無言で、子供のようにまっすぐに僕を見返し、大粒の涙を流す。精神に変調をきたしてからの彼女は、そんな風に泣くことはなかった。瞳のなかには、かつての彼女がいた。もうやめるようにと、静かにくり返す彼女の前に立つと、僕はもう一度彼女の名を呼んでみる。はい、と短く答えた彼女が、かすかに笑ったような気がしたのは、僕の愚かな願望が見せた幻だったのかもしれない。その日の裡に彼女の両親がアパートにやってきて、黙って引き取っていった。遠くの街にある病院に入院させるという。
 僕は彼女の両親に何ひとつ声をかけることもできず、ふぬけのように彼女を見送った。何もない部屋の片隅に、彼女と一緒に買った歯ブラシが転がっていた。毛先の開いたその歯ブラシを、僕は荷造りしたカバンの底にそっとしまった。

 これで終わったのでしょうか?後半になればなる程に、フィクションとしての要素が強くなっています。あり得ない過去を妄想することで、ありうべき過去を再構築するような作業と言っておきましょう。誰かを傷つける可能性について、何人もの方から、そのことを危惧する旨のメールを頂きました。私の日記で傷つく人は、最早いない筈ですが、あり得ない過去では、確かに深く傷つく人はいたかもしれません。彼女に深く思いを馳せるのは、やはり私にとっては贖罪のひとつでは有るのでしょう。


7月2日(Tue)
 出遅れたかもしれません・・・6月30日のランキング消失とそれに続く、日記リンクスからのばうわう氏排斥の件についてです。
 どうも一行コメントの変更を拒否されてる方が何人もいらっしゃるようです。僕に関しては今の処変更できるようなので、パスワードを消される前に、まずそちらの変更をやっておきました。なにかを強いられるのが、あまり好きではないもので、こんな事が気になります。
 半日がかりで仕上げたファイルを、愚かな不注意で消してしまい、これからもう一度同じものを作らなければいけません・・・ふ〜っ、力が抜けてます。と言うことで、今の処は簡単にしかコメントできません。また後で続きは更新するつもりです。とりあえずは意見表明。

 ばうわう氏には、励ましではありませんがメールは出しておきました。この程度のことでめげる人ではないでしょう。日記リンクスに登録が無くなっても、ぜんぜん僕には不都合はないです。ばうわう氏は不都合がありそうですが。ブックマークしておけばいつでも読めるのですから。あ、僕の日記のリンクは新しいURLに変えてあります。ただ、kabinetは重いですね。
 結論的に言ってしまえば、自らがやってきたことを他者も実行することは可能なのだとは、氏は考えなかったのでしょうか?
 日記界には、大悪人はばうわう一人だとでも?神は悪魔が作ったという説を聞いたことがあります。少なくとも、悪魔はかつては神の眷属の一人だったはず。ばうわう氏の言うことが事実だとすると(例によって津田さんからはなんのコメントもないですね)いかにも陰湿ではありますが、それをばうわう氏が言い募るのも、僕には少し疑問です。被害者としてではなく、もっと理詰めで今回のやり方の不当性を訴えてほしいと思います。
 すちゃらか日記については、僕はなぜ酒井さんが今回の件について津田さんの代弁者のように書かれるのかが良く理解できません。日記リンクスは彼の私物だから何をやってもいいんだと言うのは、ほとんど思考停止の論理のようです。まぁ、津田さんの日記リンクスの運営についてを、酒井さんとやり合うことにあまり意味があるとは思えませんが、後でもう少し考えてみたいと思います。時間が無くて推敲しておりません。申し訳ない。この続きは必ず書きます。

 で、追記です。・・・何も言うことはなくなりました。津田さん自身が今回の経過について書いてらっしゃいます。声明文のようです。
 日記リンクスでは、津田さん自身の個人的主観で登録者の削除を行うと宣言されては、もはや私に言うべき言葉はありません。気に入らなければ自分で登録を削除しろと言うことのようです。しかし、こうまで書かれると、へそ曲がりの私は自分から登録を削除することはないでしょう。是非、津田さん自身の手で、ばうわう氏と同様に不快きわまりないページの作者として、日記リンクスから排除していただきたいと思います。自分から逃げ出す形にはしたくありません。更新ランキングにもいままで通り登録するでしょう。

 ひとつの歴史が作られようとしているのかもしれません。牧歌的な風景の中に乱入してきた異民族との戦いに、徹底した排除の姿勢で臨むことは、自らの勝利を放棄しようとする行為のように思えます。むろん、声高に己の正当性を叫ぶのもよいでしょう。まして、この世界を自らが作り上げたという自負もあるようです。
 乱世の時代がやってくるのでしょう。自らの正当性だけで、この乱れた世界を泳ぎ切ることができるのか?欲望や陰謀術策の渦巻く世界・・・私もまたその渦の中心にいたいと心から望んでいます。その中で溺れるもよし。愚かにも、志し半ばに倒れる者の一人になるのも魅力的かもしれません。


7月3日(Wed)
 最近のごたごた続きの日記界・・・日記者としてのパッションがかなりおちてます。そんな時に限ってお仕事も爆発中!焦って仕事するとろくな事はないです。ファイルをうっかり上書きしてしまい、半日の仕事が全ておじゃん。泣きながら同じモノをもう一度作るハメに。とほほ。
 こんなこと書いてると、ばうわうファンから顰蹙かうんでしょうか?僕などはすっかりとりまきの一人と思われているようですが、愛憎半ばするというのが正直な気持ちです。
 彼の日記は最初から読んでいましたし、彼の"悪行の数々"もつぶさに見てきたつもりです。だから、昨日の酒井さんの発言は、古くからの日記リンクス登録者の意見のなかではバランスのとれたモノと読めました。日記リンクスが完全に津田さんの個人の所有物というのにはいささか異論がありますが、最早何を言っても、死者が蘇ることはないのでしょう。ばうわうVS日記リンクスと考えると、やはりダメージがより大きいのは、日記リンクスなのでしょう。
 今回の件に関しての発言をいろいろ読んでみました。ピントはずれの人や共感できる人、自分とは意見が異なる人。みんなそれなりに懸命にコメントしているのがよく分かります。たったひとつ、蛇のように乾いた言葉でお説教する日記・・・異論があると言う以前に、身に付いた冷笑癖としたり顔を想像して、気分が悪くなりました。僕にとって、もっとも触れたくない種類の方のようです。
 確かに全ての面でトラブルメーカーだったばうわう氏が居なくなれば、今後このような騒動は二度と無いのかもしれません。トラブルのないお友達リンク・・・もう二度と、お友達になれそうもない僕には縁がないのでしょう。始めてしまった日記の処遇に少し迷っているのかもしれません。


7月4日(Thu)
 こんなことをやっている場合ではない。風雲急を告げる日記界、何やら下克上のきな臭い話題も囁かれはじめる昨今・・・・という訳で"オフミ"。
 愚か者と廃人系OLによる、今回の騒動とはまるで無関係な「タコスDeひー、コロナビールDeうぃー」な一夜は、例によって日記者の日記者による日記者の為の下らないトークで更けていくのであった。
 日記者を語る事に一家言を持つ「愚か者」は昨今の情勢について、明晰にして怜悧な推理と大胆な結論によって、新参者ふたりを煙に巻くのであった。とてもこの場では書けないような話題と情報で盛り上がるひととき・・・全てはだぼらである。真に受けて明日からの日記者めぐりにいらぬ妄想など抱かぬようとお伝えしておこう。
 危険な匂いのする日記・・・媚びるようで、反発するようで、セクシャルなようで、カリメロな方。子供のようで、老婆のようで、極北の光をもとめて自らを自虐の海に沈める日記者と見たが、まぁ、結論的には、増田明美の声そっくりさん。
 最近はオヤヂからのラブレターも増え、放送禁止方面からもたびたび長文メールもらって嬉しがってる日記者。自らの立ち直りを宣言するも、まだまだ怪しいモノだと、一部の日記ウォッチャーからは疑問の声も挙がっている。
 しかし、街のグルメに弱い私は、初体験のタコスに、これって揚げ春巻きの中身がハンバーグな奴? あまりに素朴すぎる感想である。
「第2回 一体誰なんでしょう?Who is オフミメンバー」も開催しましょう。答えの分かった方はこちらまで。


7月5日(Fri)
 ランキングが無くなって一番よかったこと・・・気兼ねなく、他者の日記ページを読むことができるのがとても嬉しい。投票されないんだモノ。いままでは、いったんHomePageに飛んでから日記を読みに行ったり、ばうわう氏の日記猿人から無投票ジャンプボタンで行ったりと、けっこう苦労してました。他者のアクセス増やさないために。ね、あなたもそうでしょ?昨夜会った日記者とも、期せずしてその件で意見が一致しました。無条件で投票されるのはイヤな日記が結構多かったりします。もっとも、僕は自分以外に投票したことほとんどないです<オイオイ。
 ゾッとしたこと。
 新規登録を利用して、無価値で愚かなメッセージを次々発信する人間の存在。匿名でしか意見表明をできない人間。多分とても孤独な日常を送っているのでしょう。ぜひ、あなたのココロの暗黒を綴った日記を書いて下さい。僕はそんな日記が読んでみたいと思います。残念ながら、お友達にはなりたくないです。申し訳ない。でも、ばうわう氏ご本人ってことないですよね?
 いま彼は幸せの絶頂、まさに登り詰めた男です。後は転がり落ちるのみ<こらこら。日記猿人が彼の命取りとならないことを祈っております。本当は祈っているのかも・・・あぁ、こんなパターンがお好きなのね?大槻ケンヂのファンなあなた・・・

 そんなのんきなことを書いているうちに、日記リンクスの全てのCGIが止まってしまいました・・・津田さんの悩みは深そうです。まさに、日記リンクスの表紙ページは断末魔の様相。


7月6日(Sat)
 悪意の海に溺れる時、"神"はひとりの"人"に戻る。全能の己のチカラの発露がもたらした激震に、苦悩するひとりの若者として率直に語る"神の言葉"が私の胸を打ちます。
 どうか、愚かな人間の行為に挫けないでいただきたい。問題に対して力で立ち向かうのではなく、人間の可能性と善意を信じる事で成立する、愚直なInternetの思想を守っていただきたいと思っています。ここで投げ出すことは、簡単なようで、最悪な結論と言わざるを得ません。
 しかしながら、ここの処くり返された悪質な日記リンクスへの妨害工作・・・当事者となり得ない愚かな人間の悪意が、深く彼を傷つけてしまったようです。全ての問題を自らの責任において処理しようとすることなく、600名の日記リンクス登録者と力を合わせて"ココロ寂しき人"に対処することで、今回のような愚かな妨害工作は止むのではないでしょうか?ごく少数の人間の悪意が、日記リンクスの解体を早める事になるのはあまりにも残念です。

 満身創痍のあなたと、何やら愚かしい幸福感に浸るばうわう氏・・・切った者が半死半生、切られた筈の人間が至福の時を迎えているのは、覚悟のうえとは言え、あまりに矛盾に充ちた光景です。ギリシャ悲劇の主人公として深く自閉することなく、未来を信じるひとりの若者として再生の道を選んでいただけないでしょうか。その上で日記リンクスを解体するというのなら、私は納得して賛成させていただきます。
 とても率直な意見だと思います。ただ、今回の突然の排除という行為については、問題有りという思いに変わりはありません。このような発言が、もっと以前に為されていたならここまで日記リンクスが荒廃することはなかったのでしょう。その事がとても残念なだけです。

 ゴルゴダの丘で磔刑にされた男は、その死のまぎわに、いつまでも沈黙を守り続ける神を呪い、失意のうちに死んでいったようです。救世主の降臨も復活の奇跡も信じられない現代に生きる私は、彼をそんな天上の高みに祭り上げるつもりはありません。しかし、彼の野望は日記界の救世主として、ほの暗い墓地から復活する事なのでしょう。異教徒との絶えざる戦いを通じて自らの力を蓄え、信じる者しか救い得ない、そんな傲慢で偏狭な神の教えを唯一と考える者が現れないことを、私は心から祈っています。


7月7日(Sun)
 何かしら、自らの愚かしさを証明するために人を傷つける事があった。生きる目的を見失ったまま・・・そんなモノを求めていたとは、我ながら信じがたい気がするが、そのころの私には切実な問題に思えていた。かといって、死すべき確固たる意義も見いだせず、出口の見えない袋小路を、当てもなくさまよう時代があった。

深い霧のなかで・夜 [PART 1]

 なぜ彼女が私を誘ったのか・・・後になってその事を聞いたことはなかった。
 意味もなくさまよう場末の街で、街角に立つ男に私は誘われる。ミラーボールがまわる店内にはアルコールと脂粉、そして男達の欲望と女の打算の匂いが色濃く漂っていた。閉店間際の店内に迷い込んだ私を、何人かの女が取り囲こむ。私の隣りに座った女・・・女性の年令を推理することは難しい。かなり年上であることは分かる。こんな遅い時間に店に入ることは馬鹿げていると言いながら、それでもボーイにテキパキとオーダーを告げる。何やら決められたモノを注文する必要があるらしい。注文を終えると、私に踊ろうと言う。私が踊ったことがないと言っても彼女は容赦せず、無理矢理ホールに連れ出した。
 左手を合わせ、右手で彼女の腰のあたりに触れる。まわりを見渡して、何となく体を動かす。腰からヒップにかけての豊かな肉感と密着させる彼女の身体に、私は勃起していた。私を見上げていたずらっぽく笑うと、いっそう密着させた太股の内側で私を刺激する。
 店内が暗くなって、音楽がよりいっそう扇情的になり、まわりの男女は抱き合ったまま、ゆらゆらと上体を揺らしている。
 彼女がKissをせがんだ。女性からKissを求められて戸惑うほど"うぶ"ではなかったはずだが、彼女と出会ったのが15分前だということが頭をかすめる。しかし、そんな想いとは裏腹に、彼女の腰を引き寄せると、深く舌をからめる。
 結局、テーブルに並んだビールと何品かの料理に手を付ける間もなく、閉店だと告げられる。出口に続く階段まで見送った彼女が、近くの喫茶店で待っていて欲しいという。その店の勘定でほとんど所持金の全てを使い果たした事を告げるが、彼女は大丈夫だからと笑う。
 指定された喫茶店には、人目でそれと分かる待ち合わせの男女で溢れていた。煙草の煙の向こう側、ひそひそ声で話す男女。傍若無人に嬌声をあげる何人かの女に囲まれた男達。居心地の悪い気分のまま、私は窓の外を眺めていた。
 ひとりでやってきた彼女は伝票を持ってレジに向かった。振り返って、例のいたずらっぽい笑顔で私を見返し、ひどく子供っぽいしぐさで私の腕につかまって歩き始める。

 例の6.30事件からいらっしゃった、私の日記が初めてという日記リンクスからの読者の方・・・期待はずれで申し訳ありません。何やら意味不明な告白体の日記=ここの処、こんな日記に執着しています。フィクションともノンフィクションとも付かぬ文章で、読者の過去の記憶を刺激することに密かな楽しみを見いだしております。さて、意味深長な処で終わってしまった本日の日記、明日に続くのでしょうか?

 七夕の夜にこんなメッセージを書いてしまう事は、やはり私の愚かしさの証明なのでしょう。1年に1度の密かな逢瀬に免じて許して頂ければと、これも愚かな考えです。

さて、

 何やらトラブルに見舞われているらしいあなた・・・なんの手助けもできない自分自身の無力さを痛感しています。こんな形でしか、あなたに呼びかけることのできない臆病な私。しかし、私はあなたの強さを信じています。毅然として事にあたることが、やはり最善の方法なのでしょう。どうか悪意ある挑発に乗ることなく、自らを信じて強く生きて下さい。
 あなたの心を乱すことは私の本意ではありません。どうか、来年の七夕の夜も、電子の海のなかであなたと密かにお会いできればと、ただそれだけを、強く願っています。



7月8日(Mon)
性懲りもなく始めてしまった私小説的日記。セクシャルで無頼な、そんな幼い頃のお話・・・落ちきることのできない臆病者は、うわべをなぞるだけの、怠惰な暮らしにのめり込んでいた。例によってどこまでが真実で、何がフィクションなのか、ことさらに曖昧なままでいることがなにかと好都合なようです。ひょっとすると、あなたの人生なのかもしれません。




深い霧のなかで・夜 [PART 2]

 店の前から乗ったタクシーのなかで、彼女が映画を見ましょうと囁いた。アルコールの匂いと一緒に、ほんの微かな香水の香り。店の中のドレスとは違って、とても質素な白いワンピースに、とも色の小さなバックを持った彼女は、最初の印象とは違い、私とそれほど変わらない年令に見えた。
 週末の映画街は明け方まで上映する映画を目当てにした人々で賑わっていた。道なれた彼女が私の腕をつかんで足早に歩く。小さな窓口から無愛想に突き返されたチケットをつかむと、小走りで彼女は階段を下りる。そのまま、まっすぐ売店に向かうとジュースとポップコーンをそれぞれふたつ・・・ひとつを私に手渡すと、肩でドアを押し、偽りの光と闇の世界を開く。

 フランス映画だった。黒い皮のつなぎのジッパーを口にくわえて脱がす男のセクシュアルなまなざしと、男との逢瀬のために疾走するオートバイにまたがっる女。性的な寓話を切り裂く黒いオートバイの咆吼が悲劇を予感させる。
 彼女の目当てはそれだけだったのか、その映画が終わると、私を促して外にでた。あらかじめ決められていたように、彼女と私はそのままホテルの一室に入った。

 全身が"おんな"だった。

 雪国育ちだと言う白い肌は自らの欲望に正直だった。子供を生んだ経験があるのか?どこを押してもやわらかな弾力を返す身体だった。私の腕のなかで溶けていく彼女の肉体と精神。薄く汗ばんだ肌・・・上気したうなじに口づけると、私を抱いた彼女の腕に力が入る。少女のそれのように淡いピンクの乳首を口に含む。彼女にとって、そこは一番敏感な部分のようだった。今夜は終始リードしていたはずの彼女が、私の下であえいでいる。
 いつものように、私の頭の中のどこかで目覚めはじめた"声"が、私をあざけっている。こんな事をするのがお前の望みなのか?お前の求めているものは、在ったのか?なにかの幻とSEXしているのではないのか?・・・はたしてあの声は私自身なのか?愚かな妄想と自問しながら、私の欲望は彼女のなかで満ちていき、ひときわ高くあげる声と共に、放出される。

 明け方にやっと眠ったふたりは、夕方にホテルを出ると、そのまま彼女の店に向かった。まだ客がひとりもいない店内・・・バンドもメンバー全員が揃わない、何やら開店前の気怠い雰囲気を引きずったままの店のフロアで、私はぼんやりと彼女の来るのを待っている。
 そのまま閉店までその店にいた私は、再び彼女とタクシーに乗り、昨夜とは違うホテルで、またSEXをする。
 あくる日も、あぁ、仕事はどうするのかなぁと、頭の片隅で考えながら、やはり彼女を抱いていた。

 ますます、意味不明な日記・・・ただただ、日々に記するモノと言う以外にないのでしょう。なぜこんなエロ小説まがいのストーリが続いてしまうのか?私にも意味不明の暗い情熱がそうさせてしまうとしか、言い様がありません。あらゆる面で開かれた、書くものと読むものの距離の近い、Web上での文章であるが故に、逆に読者を限定したいのかもしれません。
 深夜、モニターの前でひとり、私の日記を読んで辛い過去を思い出して自閉するあなた。差し迫ったトラブルに押しつぶされながら、密かに恋人を呼んで己の欲望を満たすあなた。眠れぬ夜、孤独な魂の重みに絶えきれず、そっと誰かの名前を呼んでみたことのあるあなた。・・・同士的友情と連帯がそこに生まれているのかもしれません。



7月9日(Tue)
性懲りもなく始めてしまった私小説的日記。セクシャルで無頼な、そんな幼い頃のお話・・・落ちきることのできない臆病者は、うわべをなぞるだけの、怠惰な暮らしにのめり込んでいた。例によってどこまでが真実で、何がフィクションなのか、ことさらに曖昧なままでいることがなにかと好都合なようです。ひょっとすると、あなたの人生なのかもしれません。




深い霧のなかで・夜 [PART 3]

 3日目の夜も、やはり私は彼女と一緒に店にいた。

 さすがに3日目ともなると、お互いに下着や替えの洋服が必要になってくる。出勤途中のタクシーを待たせると、私を連れて下着と替わりの洋服を慌ただしく買物する。
 なぜこんな無意味なことをするのか・・・部屋に戻れば替えの洋服も下着もあるはずの彼女が、まるで帰る素振りを見せない。私も仕事に行くとは言わなかった。その事をお互いに触れようとしない事で、暗黙の了解は成立していた。
 食事はホテルのルームサービスでとった。店が終わるとそのままタクシーに乗り、ホテルに向かう。夜が明けるまでなんどもSEXし、そのまま死んだように午後遅くまで眠っていた。
 何度かのコール・・・フロントからの電話に不機嫌に答えると、もう一度私の腕のなかでまるくなって眠った。
 すっかり顔馴染みになってしまったボーイや彼女の同僚達と、薄暗い店内で軽口を交わす。また今日も一緒?あきれたように振り返る女にも、私は愛想良く笑いかける。
 今夜の彼女はとても忙しそうで、私のテーブルで落ち着くことがなかった。立ち止まって私の肩に手を置き、ごめんなさいね、と小さく耳元で囁くと、そのまま階段を駆け上がる。私の隣では、どうみても未成年としか思えない幼い女が、くったくなく笑っている。私と彼女との関係がひどく気になるらしく、うるさいほどに話しかけてくる。
 3日前にはじめて会っただけでよく知らないと答えると、ひどく驚く。そう言えば、私は彼女の店での源氏名以外、本名を聞いたことがなかった。
 話し続ける彼女が息をのむ気配に顔を上げると、通路にたって私を見おろしている男がいた。短く苅った髪と灰色のスーツ。それ以上のことは覚えていない。実は私はその夜の記憶がほとんどない。後になって何人かの人間から事の顛末を聞かされて、そうなのかと納得しただけだった。
 無言のまま、男はテーブルの上のビール瓶で私の耳の上あたりを力まかせに一撃する。もうそれ以後の記憶は私にはない。

 実は、この後書きめいた部分が私の本当の日記なのかもしれません。では、毎日それなりの時間をかけて書いている文章はいったい何?後書きのためのアペリチーフ?濃厚な前戯?助走のための最初の一歩?
 にわとりが先かたまごが先か、いやはや、考えこむと何やら面白そうな気配もしたりして・・・己のしっぽを飲み込んだ蛇のように、同じ処をぐるぐると堂々めぐりする日記。おもしろがっているのは、やはり私ひとりかもしれません。



7月10日(Wed)
 本人が認めてしまうほどつまらない・・・最近の僕の日記。

 なんだかなぁ。いつも巡回する日記者も何となくポテンツが低下している気がするなぁ。つまり男性陣。
 田圃の真ん中でカーセックスを楽しんでる人を除いて、おしなべて元気がない。カーセックスと言えば・・・フェラチオ中に追突事故をおこして、彼女に「なに」を噛みきられ、あまつさえそれを飲み込まれてしまった男のお話が、アメリカ現代文学の代表作って、かなりの確率でトホホだと思うのは僕ひとり?

 特に日記で論争するのはめんどくさい。お互いにリンクはってバトルってのも、何だか訳わかりません。学級委員やら生徒会長やら(僕は用務員のオジサンだと思うけど)、神(そう言えば、神こそまさにヒエラルキーの頂点にたつ人の事かな)や四天王まで出てきて、修学旅行先の京都の寺院で小競り合いやってる気分。

 やるまいと 思えど 今日も日記ネタ

 しかし、虚脱したようなオスの日記が多い中、やはりメスは元気です。「メス」ってのはセクハラ?でしょうか。ここから、例によって余談。
 じょしこーせな方達の傍若無人なオヤヂ・ハラスメントに深く傷ついている全国3000万人のオヤヂな方、及び、どうせすぐに君もそうじゃん的若者に告ぐ。・・・オヤヂはみっともないです。トホホ。自覚してどーする。

 閑話休題的・さて、

 そうでした、元気の良いのは女性だけと言うお話でした。女性と言うだけでちやほやされる、ネット神話の時代は終わったとはいえ、まだまだ希少価値な気分だけの女性Webページ・・・そんな中で、やはり日記者と呼べる女性陣のページは元気です。
 自閉の海を、自らの子宮になぞらえるかのような妖しい日記者は、梢に隠れて微動だもしない暗殺者のように、冷静な言葉で未明の闇を切り裂く。
 どこまでも人を愛することに純粋な日記者は、自虐する己を装うことで、かろうじて日々の均衡を保っている。愛情を持て余す彼女は、また、深い愛に飢えているのかもしれません。
 密かに、おばさん度では日記界一と命名している日記者。無自覚・無神経・無月経な空気に満ちたページ。これ以上は恐ろしくて書けません。申し訳ない、これもセクハラネタなのでしょう。


7月11日(Thu)
 1971年5月が高橋和己の命日である。もう25年も昔の事だとは、いささか信じがたい気がする。
 不安な時代、自らを自閉の海に貶め、その中からの再生を誓う坂口安吾の堕落論に代表される、戦後の混乱期に人気を得たいわゆる無頼派の作家達の作品が、ここの処ブームだと言われる。
 遅れてきた無頼派と私が密かに命名する高橋和己は、憂鬱な党派の旗手として、決して颯爽とした語り口ではなかったが、何故か私の心にしみる作家だった。しかし、命日に年若い女性が花を持って訪れる類の作家ではないが、私にとって、一時期口にするのが恥ずかしい作家で在ったことは間違いありません。難解な文体、日常的な絶望癖、リリシズムと自閉症的人間関係・・・何だかひとつもよい処が無さそうですが、それら全てを飲み込んだ「高橋和己」と言う存在に魅せられて、彼の作品を読み続けていた時期がありました。
 どうしようもなく時代に翻弄されながら、教育者として真摯に自らの立場を表明する彼と、作家としての解体にまで自らを追いつめる彼の生き方が、些末な齟齬を意識させない緊張感を読者に強いる。作家としては本意ではない筈のそうした読まれ方に、傷つき自閉しながらも、書かずにいられない暗い情熱がとても痛ましい。
 恐らく、彼の作家的ピークは、死の数年前にあって、Ifの世界で彼が生き続けていたとしても、ペンを折って学究の徒として生きるか評論家として文学を論じているような気がします。ただ、夭折と云うにはいささか無理がある年令ですが、志しなかばに力つきた印象は、いつまでもつきまといます。

 という訳で日記ネタへ・・・

 いろいろな日記を巡回しながら、そうした日記者を作家になぞらえる作業をやったりすることがあります。
 愚直とも言えるほど真摯に物事に対処する姿勢と、自らを律する倫理に厳しい方。学究肌の下ネタや何となく笑うのはお尻のあたりがくすぐったいジョーク。大坂育ちな処や、専門分野としての中国文学。プロフィールの写真にも何やら面影があったりして・・・そうです。野原さんこそ、僕にとっての日記界の「高橋和己」なんですね。あそこまで、野原さんが暗かったり自虐していると思うわけではないのです。ほとんどこじつけ。どうか気を悪くされないように。
 のほほんの石橋さんは、野坂昭如かなぁ。これも根拠のある話ではなくて、多分にいいがかりです。倉橋由美子か河野多恵子といいたいのが、"ここにいるよ"のかおりさん。赤尾さんはプロの方だけど、日記界で擬するなら竹中労でしょうか。
 私の場合はだれでしょう?阿佐田哲也はその名前の由来からも近しいような気もするし、本人としては昔の(ここが重要)半村良が良いなとか、埴谷雄高、井上光晴、ステーィブン・キング、J・G・バラード等々、まるで訳わからない選択肢をあげてみたりします。寺山修司(漢字怪しい)と言われると、けっこう悲しいかも。
 ばうわう氏はだれでしょう?作家性に乏しいので難しい処ですが、泉麻人(唇なめる癖はヤメテ)はちょっと違うし、やっぱり、根本敬・えびすよしかず・宅八郎あたりでしょうか。えびすよしかずの、"勘違いさせるキャラクター的いい人ぶり"は、最近の彼に近いかもしれません。


7月12日(Fri)
 大槻ケンヂを自称するのは、何だかカッコイイ人みたいだし・・・さっそく顔にイナズマ書いてみたのは、あなたのご想像通りだったりします。ただの危ないオヤヂがそこに存在しただけ。あぁ、声が似てるだけね。何やってんだか、このオヤヂは・・・で、こんなprofileは如何でしょう?お暇な方だけの限定情報。

・・・誰かが好きだと言ってくれた、哀愁漂う

さて、

 愚かな作りネタから、本日はご機嫌うかがいの日記であった。クレームは受け付けております。
 実は、本日の日記・・・夕方、しらずしらず涎たらして寝てしまって、まるでネタなし。こんな日はどこかからネタを持ってくるに限ります。
 最近は日記と名前の入った本がやたら気になったりして、午前中に近くの書店で仕入れてきた文庫本が2冊。色川武大の狂人日記は福武文庫(お仕事は慣れましたか?誰となく)から出ていたので、何年ぶりかで読み返してみたくなりました。
 もう一冊は、書名だけで選んでしまいました。文春文庫・青木新門著「納棺夫日記」
 葬儀社で遺体をアルコールで拭き清め、仏衣を着せて納棺する人のことを「納棺夫」と呼ぶらしい。業界用語?らしく広辞苑にも載っていない。新明解はどうでしょう?と書くと、なにやらタイ方面の妖しいビデオと同様のスプラッターな場面を想像しがちですが、まるで詩集のような"死"についての書なのです。
 ケガレとハレの日本の社会で、何かと忌避の目で見られる職業につくことで深まる彼の死生観は、ほとんど宗教書のようです。"死"と向き合う職業でありながら、実はそこに集まる人間が、肝心の"死"を直視することがない事の矛盾に気づいたとき、彼の"死"に魅了されるココロは生まれたのかもしれません。私も、確かに宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩を呼んだとき、こんな透明感に包まれた世界に住むならば、一度死んでみたいと思ったことがありました。
 この世の矛盾を叫んで、夜の闇の中で息を凝らすベルファストの暗殺者も、贅を尽くした宮殿で女を陵辱する王侯貴族も、エイズに冒されたアフリカの子供たちにも、等しく訪れる"死"。それを「救い」と擬態する既製宗教とは無関係に、今夜も人は"死"を、ただ死んでゆくのでしょう。
 挫折に満ちた筆者の人生を含めて、救いのないことが救いであることに同意する人にお薦めする、そんな気分にさせてくれる日記です。


7月13日(Sat)
 さて、

 いきなりこんな出だしで始まってしまえば、本日の日記の命運も、もはや決まったも同然・・・ネタがないのに出かける予定。
 日記書きたいのにあまり時間がなくて、ややこしい系の日記を書いてるヒマがない。ならやめればよさそうなモノだが、ここでやめられないのが真性日記者の悲しいサガ。以前なら日付が変わったとたんに本日の日記を書いていた筈だが、日記リンクスが止まってから、その情熱にいささかかげりが見えていることも、又確かなところです。
 まぁ、ばうわう氏のように、数百人?の日記猿人登録者の日記の更新頻度を手作業で確認する程の情熱は私にはありません。それによって星印の数を増減させるため、密かに日記猿人のファイルを深夜に書き変えているばうわうくんの後ろ姿・・・あの著者近影から想像していただきたい。私はそんな恐ろしい想像は拒否しますが。
 そんな事ばかりやってるから、ここの処、自分の日記の更新が連日遅いのでしょう。kabinetはやたらに重くて、たまに死んでいるのかと思うほど。流浪のテレビ番組ならぬ流浪の日記者「ばうわう」の未来は果たして何処に?

 日記ネタはやっぱりお手軽。ネタのボンカレーと呼んでおります。

 最近の日記界は余談ばやり。ということでここにも余談。
  • "玄関チャイムを鳴らして逃げる少年" うちの子供たちの通う小学校では「ピンポン・ダッシュ」と呼んで大流行中らしいです。わが家のくそガキも、1回やったと白状しました。

7月14日(Sun)
 またもや、お出かけ・・・時間がありません。ボンカレーネタは昨日使ってしまったので、本日はどうしましょう?ボンカレーにはやはりチキンラーメンが正しい日本の夜食の王道でしょう。

 ということで、

 チキンラーメン・カレー味とか、みそ味なんて製品が一時ありましたが、あれってもう製造中止なのでしょうか?チキンラーメンにカレー粉入れる手間がなくてとても良かったんですが・・・
 そうなんです、僕は食べ物になんでもカレー粉入れてしまう「カリージャンキー」でもあります。ミートソース・鍋焼きうどん・やきそばなんてのは別にジャンクじゃないですよね。ひやむぎのつゆにカレー粉入れて、食べられなくなったことはあります。
 おにぎりの中の具に、夕べの残り物のカレー入れて"カレーおにぎり"<これって普通のカレーと何処が違うんでしょう?
 カレーアイスとかカレー饅頭とか、日本人には僕と同様の「カリージャンキー」がとても多いような気がします。しかし、ただの味覚音痴というウワサもあったりして・・・
 インドではベビーフードもカレー味?韓国にはキムチのベビーフードもあるのでしょうか?ベトナムにはニョクナム味のベビーフードは絶対ありそう。
あ〜、申し訳ない。何だかただの小ネタ集になってしまいました。こんな太宰治はいないでしょう。とほほ。


7月15日(Mon)
 "平成8年度ラジオ体操日割表"なるモノを、子供たちが学校からもらってきました。
 ふ〜ん、まだこんなのやってるんだ。そう言えば小学校の時、毎朝眠いのに行かされたなぁ、なんて呑気にその日程表なるものを眺めていると、7月24日の欄に私の名前が。PTA役員は各自交代で出席するらしい。朝6時15分に・・・
 こんな時、己のやくざな生活習慣と日本の家族とのギャップに愕然としてしまうのは、私だけ?
 そんな時間に、もう寝ようかなと思うことはあっても、決して起きたことはここ20年ぐらいありません。とくに最近のデタラメさ加減は極めつけで、午前3時・4時になって、やっと寝ようかなと考える毎日です。朝の6時15分に起きてラジオ体操なんかしたら、あの、いつまで生きるのか分からない"きんさん/ぎんさん"だって、ぜったい死んでしまいます。
 スポーツというのは、無駄な生命力への負担でしかありません。クロマニヨン人はラジオ体操やったでしょうか?北京原人はジョギングの必要性に目覚めたでしょうか?スポーツジムで汗を流したり、毎朝皇居のまわりをくるくるジョギングしてるあなた、悪いことは言いません、スポーツはやめましょう。早死にしますよ。ジョギング途中に心臓発作で死ぬのも、糖尿病の悪化で両足切断・失明・多臓器不全で死ぬのも、死ぬことに変わりありません。禁酒・禁煙、バランスのとれた食事と適度な運動。そんな頑健な肉体にアルツハイマーの脳細胞・・・訳分からない事ほざいて、自分のうんこ食べて、100才まで僕は生きたいとは思いません。どうぞ、そんな生活がお望みの方、「ラジオ体操第1・第2」で、すがすがしい朝をお迎え下さい。僕は多分寝てます。

 ばうわうウォッチャーとして日記界で有名な「たかのゆきまさ」さん主催の、フレームの部屋、いや、WWWランキングの"ReadMe!"参戦準備の為の実験として、ページのいちばん下にcgiのイメージソースが張り付けてあります。リンクも付けてありますので興味のある方はぜひご参加を。って、こんなところで良いですか?たかのさん。
 こんな人がもっと沢山いれば、日本の薬害エイズは決して起きることはなかったでしょう。僕にはどうしても理解できない、献血マニアでbloodフェチなidiotさんの献血手帳。毎日更新すれば死んでしまうこと必定の危険な日記。こんな方とお友達です。とほほ。
 河原の孤独なギタリストが、とうとう日記を始めたようです。特注の手作りギターで弾くのは、はたしてばたやんか、ギターを抱いた渡り鳥か?股間の境界線に悩む妖しい日記が僕は好きなのですが・・・更新へのプレッシャーの為にリンクしました。ぜひ、ウダウダと書き続けていただきたいです。ところで、豊泉さん、日記からHomePageにジャンプするボタンがありませんぜ。



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