デーテーペーな1日

1997.8.1~15

日記関係の発言はこちらで。
8月1日(Fri)
 人間に「海派」と「山派」が有るとするなら、明らかに僕の場合は「山派」です。子供連れて家族旅行となると、大抵山の中に行くことになります。もっとも関東在住者の「海派」のメッカ・伊豆方面にも何度か行ったことはあるんですが、そんな時に限って台風直撃で海は大荒れだったり、同行者が交通事故起したりと、まるで良い思い出が無かったりします。
 海辺の大渋滞とあの人波・・・バカまるだしのラブラブカップルやら、さもしそうな若者達は季節柄仕方がないにしても、ビンボー臭い家族連れが海辺でのバケーションに浮れているのを眺めるのは、その中に自分自身が居ることをイヤでも自覚させられる事にまずうんざり。さらにはトタン葺きの「海の家」の砂まみれの茣蓙に座ってインスタントラーメンすする事とか、オバサンの水着からはみ出てるちぢれっ毛とか、そうした場所で眺める風景のひとつひとつがとにかく疎ましい訳です。
 だから山へ行くといっても、みんなが集りそうな今流行中のオシャレなオートーキャンプ場で一泊とか、山中のコテージでフランス料理なんてモノとは一切無縁です。
 ここの処3年連続で行っているのが新潟の県境に近い長野の山奥の村営の保養所。国道から少し入った処で、周りにはそれこそ自動販売機ひとつ無い山の中。ただ・・・目の前に広がる芝生に寝転がってみる星空のあまりの美しさに、日頃夜空を眺めるようなこともない僕ですら何やら物思いに耽るほど。人は嘗ては、かくも壮大な夜空を眺めながら眠っていたのかと思うと、日頃せせこましい生活に追われていることのばかばかしさを少しだけ実感したりするのかも・・・しかし、2日も居ると飽き飽きして「こんな処で一生終える人間の気が知れない。」と、秘かに毒づいてみたりするのは、まさに偽物のアウトドアライフの証明

 夜空を眺めて何やら物思いに耽るようなことは我家の子供達には当然ありません。何が魅力かと言えば、その保養所の大浴場が結構広いんです。で、人が居ない時にプール代りで思いっきり泳ぐのが子供達の何よりのお気に入りだったりします。今からゴーグル持っていくと騒いでいますから、彼女たちには風呂という意識はまるでないのかも。


8月2日(Sat)
 今日が何曜日なのか、子供達も夏休みで一日中家でごろごろしている毎日では、カレンダーの曜日もよくわかならかったりします。昼頃になってやっと今日が土曜日であることに気付く体たらくです。
 中学・高校と大きくなれば部活やら何やらで夏休みと言えども子供達は何かと忙しいのでしょうが、今の処は学校や近所の公園にあるプールに通うぐらいがせいぜいの日課のようです。まぁ、正美の場合は鼻の周りから広がった「とびひ」が酷いのでプールもお休みで、一日中ウダウダと家の中で過しているようです。せっかくの夏休みだと言うのに一日中家の中で何度も見飽きたレーザーディスクのアニメばっかり見ているのもなんですから、明日あたりはどこかにお出かけしますかねぇ。
 今話題の「ロストワールドU」も「もののけ姫」も、ニュースなどで超満員と云う様子を聞くだけですでに萎え萎え。開演前に行列したり、劇場内でもヘタすると立見なんて事態だけは勘弁していただきたいです。そう言えば、ビンボー臭い市民ホールでのアニメ祭りなんゾは見に行ったこともありますが、我が家の子供達は生れてこの方、映画館で新作映画を見たことが一度もないかも。ミュージカルの公演などの舞台は何度か見に行っているはずですが、話題の新作映画を見に繁華街に出かけるなんて経験が僕自身を含めて何年もないかもしれません。一番最後に見たのは何処だったかなぁ・・・多分浅草東映あたりで見た「仁義なき戦い」シリーズのオールナイト興業だったと思います。う〜ん、幾らなんでも古すぎるかも・・・いったい何十年前の記憶やら。「E.T.」も劇場で見たような記憶があります。<同じぐらい古いのか?

 何処に行きたいと尋ねると、決って返ってくる答は「ディズニーランド!」 う〜ん、コンクリートの照返しがきつい夏のディズニーランドにはあまり良い思い出がありません。しかし、クソ寒い冬に縮こまって行列にならぶ姿も悲しい。どっちにしても、あんな処は父親は大嫌いです。しかしまぁ、我家の子供達はどうしてこうも俗っぽいのか?親に似てるからと言うのが、正解か・・・


8月3日(Sun)
 「とびひ」で顔がえらい事になってる正美を連れてお出かけ。本人はぜんぜん気にしていないのですが、連れまわる親の方が恥ずかしいのでデパートなど都心方面はヤメにして、先日も書いたとおりの「山派」の僕としてはドライブがてらに近くの山などへと、突然のように思いたって11時頃から出かけました。

 関東で言えば山岳信仰のメッカとしてかなり有名らしい「御岳神社」は、我家から車でほんの1時間程度でしょうか、青梅の山奥と言うか、秩父連峰のとっかかりと言えばいいのかな。
 麓から古びたケーブルカーに乗って手前の峰まで登ると、そこからは手軽なハイキングコースがあちこち巡っているようです。歩くことの大嫌いな奥さんと麻美の二人をなんとかだましだまし、山頂の御岳神社までは徒歩30分程度の道のりだったのですが・・・石段の登りがあって、運動不足の我家のメンバーにはいささか辛い登りだったようです。ただし、僕と正美はこんな時は大体大はしゃぎです。もっとも、家に帰ってからどっと疲れるというお調子者にありがちなパターンなのですが、あくまでも途中は元気いっぱいな訳です。
 参道から少し離れた見晴し台で持参のおにぎり食べながら、馴れない山歩きにすっかり不機嫌になってる奥さんはほおっておいて・・・がはははh、後で怒られるんじゃないでしょうか?夜イチャで御機嫌うかがい?きゃー。
 しかし、嘗ての宿坊のなごりなのか、こんな車も入り込めないような山奥に意外なほどたくさんの旅館やら休憩所があったり、チャンと門前市のおみやげ屋が並んでいたりで、なかなか賑わっているようです。
 で、何かあるたびに休憩しては、やれカキ氷だのラムネだのとうるさいこと。結局往復2qもない山道をダラダラ歩いておにぎり食べただけで4時間あまり・・・ハイキングと言うにはあまりに自堕落な行程でしたが、まぁ我家で言う「山歩き」なんて所詮はこんな程度かも。

 こうした場所にはなぜにああもオバサンの姿が多いのか?暑苦しい姿で汗ダラダラ流して、ふーふー言いながら山道を行列してます。後ろの人間の事などまるで眼中になくて、横一列でオバサン歩き・・・町中でも山の上でも、傍若無人なのは少しも変りません。しかしなぁ、凍らせた麦茶のペットボトルをチューチュー吸うのはぜひ止めた方がいいかも。


8月4日(Mon)
 ついこの間話題にしたばかりのウィリアム・バロウズですが、本当に死んでしまったみたい。なんというナイスなタイミング・・・って、人の死をそんな風に言っては不謹慎でしょうか。
 「ジャンキー」とか「裸のランチ」なんて作品を書いたビートニックの作家が享年83才なんて聞かされると、つくづく肉食人種の強靭な精神力みたいなものを感じてしまうのです。繊細でひ弱な農耕民族には、なかなかマネのできる芸当ではありません。自らの書上げた作品に逆に飲込まれてしまう、そんなちっぽけな精神力の持ち主にはうかがい知ることのできない境地なんでしょう。箱庭のようにちまちまとした私小説に己の人生を投影するような作家は、現実世界でも概して短命なのかもしれません。外国で著明な日本人作家に、外見のジャパネスク風とは異なる肉食性の資質の持主が多いのもそうしたことの結果なのかも。ノーベル賞作家の川端康成なんて、モロ肉食系の変態オヤヂでしょう。

 ウィリアム・バロウズの訃報の上には、もう一人・・・あの初代「一条さゆり」が大阪の西成でひっそりと死んでいたという記事も。例によって、「一条さゆり」と言う名前が醸し出す記憶を懐かしんでいるだけなのかも知れません。60才という年令や釜が崎での孤独死なんて記事の端々に、この訃報を書いた記者の同じような感傷の一端が現れているようですが、まぁ・・・何れにしてもオヤヂ達の不明な感傷癖にはなんの意味も有りません。タダの老化現象にしか過ぎないと言うもっぱらの噂です。

 「死」に付いて語るなら、いささかタイミングを外してしまいましたが、やはり永山則夫の死刑執行についても少しだけ。
 今さら彼を絞首刑にする事にいかなる意味があるのか・・・無知故に流した彼の涙の意味を国家が知る由もなく、彼の犯した罪をあがなわせる為に法治国家が選んだ結論は、結局誰にとっても無意味なままだったようです。
 しかし、国家による「死」を与えられたことで、他ならぬ「永山則夫」の人生は見事に完結してしまったことの皮肉については、執行命令書に署名した法務大臣などには永遠に理解できないのでしょう。
 何処かしらで彼の一生をうらやんでいるのかも知れません。

 死すべき時に死にゆく人間は、むしろ幸せな存在なのでしょう。死すべき時を見失ったまま愚かにも右往左往するのが人間の常だからこそ、そう思えるのです。彼はむしろ生き過ぎたような気さえします。刑務官に付添われながら死刑執行の為に引出さる彼の表情に、ある種の安堵感を見たのは、ただの僕の妄想ではありましたが・・・


8月5日(Tue)
 気象庁の言う「冷夏」の予想はやっぱり正しいんでしょうか。炎天下に出歩くような事がないせいか、いっこうに夏本番という気がしないようです。子供の頃には、8月といったら暑くてじっとしていられないという記憶があったのですが、まぁ京都の夏は経験した人にしか判らないほどじりじりと来る炎熱ですから、東京あたりとはまた全然別物なのかもしれません。
 京阪電車の改札抜けて地上に出たときの熱波に、一瞬くらくらした事があります。本気で肌が焦げるんじゃないかと思ったほどで、あの「夏の日」は暑かった・・・何やら不明な回想モードに入ってしまったようです。
 今日も日中は曇り空で、風の通り道に当る窓を開けておくと涼しい風が入り込んできてなかなか昼寝するには最適でした。がはははh、夜寝ないでも、しっかり昼寝はしている模様です。
 その上、夕方からは雨も降出して来たようですが・・・どうも「夏の雨」といった感じではなくて、シトシトと降る秋の雨のようです。今夜も過しやすい陽気になるんでしょうが、そんなものとは一切無関係に例の如くモニターに向ってるんでしょうなぁ。と、これも何時ものように人ごとのような感想なども書いてみたりする、やはり無気力な一日。

 ダレダレの一日・・・子供達もいやに静かだナァと思ってると2時間以上も寝室でお昼寝していたようです。親子ともどもだらけた一日だった模様です。
 そう言えばハヤリものにめっぽう弱い我家の子供達、なぜか夕方放送中の「ポケモン」のアニメに夢中。確かゲームボーイのソフトでしたっけ?アニメ見るだけで、肝心のゲーム本体を欲しいとも言わないところが、いかにも我家の子供らしいのかも。本当は秘かに母親あたりにはねだっているのかも知れませんが、ケチな父親におねだりすることはありません。


8月6日(Wed)
 今年も例年の如く、会社勤めの方のように何日から何日までがお盆休みという、ハッキリとした予定が立ちません。普段から仕事がなければその日がお休みという呑気な仕事なので、逆に言えば何カ月も前から予定を立てて、宿泊先を予約してというのがほとんど無理なんです。まとまった休日が必要なパックツアーなどは、そんな訳でなかなか難しいようです。「ハワイ7日間・ドラッグの旅」とか「オーストラリア・コアラを喰う旅」なんてのが有ればぜひ行ってみたいものです。

 そんな訳で我家の家族旅行は近い処へせいぜい1泊か2泊。それも人の多い軽井沢だとか伊豆方面は避けてなるべく人のいない処いない処めがけて出かけるようです。
 何年か前なんて、わざわざ新潟県の鯨波なんて言う辺鄙な処に海水浴に行ったのはイイけど、真っ黒な砂浜と日本海の荒波が水面下で渦を巻いているような波打際は、とても「海水浴」と呼べるようなのんびりした雰囲気ではありませんでした。焼けた砂の暑さは格別だし、にび色に光る海から絶えず打寄せる高波にもまれて泳いでる家族連れなんて、ほとんど命がけのような形相。<やや誇張有り。
 なにか・・・日本海って、のんびりと海水浴を楽しむような海という気がしません。海岸線がせせこましくてビンボーくさいし、今にも北朝鮮からの水死体が流れ着きそうなあの海の色とか・・・ きゃー。<日本海差別か?そう言えば「裏日本」なんて表現を昔の天気予報では平気で使ったましたね。

 何事もなく、相変らずの一日。学校もお休みでPTAネタも開店休業状態のようで、そろそろ新しいネタも考えないと。日記界全体見渡しても、学生がお休みモードに入ってしまったようですし、今週末あたりからはお盆休みに入る日記も多いので、ひっそりしてしまうのかも。
 まぁ、ひと騒動はたぶん休み明けになるんじゃないでしょうか。


8月7日(Thu)
 両親のSEXを秘かに覗き見た子供達が、例外なく父親が母親を虐めているように見えるという処に、人間の関係性の根本的な問題があるような気がします。
 他者の裡に自らをねじ込む行為にある種の暴力的な要素を感じてしまうのは、まぁ僕自身の様々なコンプレックスが介在しているのでしょうが・・・その事の不快感を取繕うために「愛情」などという不確かな要素で飾りたてなければSEXに持込めないほどに、僕自身が弱い人間というだけなのかも知れません。
 無論人間の関係性が全てSEXで成立っている訳もありませんが、同性であっても「快」「不快」でその人間との関わり合いを判断すると云う事も、僕自身もまたとても多いような気がするのです。ただ、闇雲に「不快」なモノを遠ざけようとする行為に、何やら自らの裡なるモノに無理矢理目を閉じようとする頑なさを感じてしまう事もあります。些末なもの・意味のないものとして拒否するあまり、結局は自分自身もまたもう一方の端で何やらブツブツと呟いているだけだとするなら、それもまた何やらウソ寒い光景ではないでしょうか?

 何が言いたいのか?いささか意味不明ですが、まぁ本人だけが納得して、その場限りで完結しているという、まさに「Web日記・オナーニ説」そのものの様な日記。別にentertainment目指してるわけでもないので、こんな日記でナニが悪い!と、何時ものように開き直っておきましょう。がはははh、

 そうそう、メールなどに「真意」はありません。そんなものが伝えられるようなメディアじゃないんでしょう。所詮言葉で伝えられるようなものは、なにがしかの錯覚だけ。お互いがお互いの錯覚を眺めて理解した気になっている、そんな妙な世界のお話しかも。


8月8日(Fri)
 さて、

 何を伝えるべきなのか・・・思いがけないほどに間近に「あなた」の肉声を聞いた想いがして、自分自身の迂闊さを改めて知らされました。

 何気なく振返った「あなた」が僕の手をとってそっと胸元に押しあてると、きめ細やかな素肌の感触や激しく波打つ鼓動までもが僕の掌を通して拡がる。

 少し汗ばんだあなたの肌に口づけると、耐え切れぬおののきに喘ぐ「あなた」の息づかいまでもが伝わって、僕は愚かしく勃起していた・・・その感触を、不確かな電子の海で見た「まぼろし」と断じるのはあまりにも切ないからこそ、僕はその電子の海に溺れる。

 そう・・・僕自身の裡にしかいない「あなた」と電子の海を漂い続ける「あなた」が重なるとき、思いがけないほどの「バーチャル」が「リアル」を覆いつくすような錯覚に僕は捕えられてしまう。

 仮想の現実の中にしかいない「あなた」を抱きしめ「あなた」の裡に押し入る時、耳元で囁くあなたの喘ぎ声が確かに聞えたような気がしたのです。

 はたして僕の妄想の中で喘ぐ「あなた」は、そんな僕の手を感じているのでしょうか。じっと目を閉じて喘ぐ「あなた」が小さく呼んだのは、いったい誰?

 不明日記はその不明さ故に、かえってとても判りやすいメッセージを含んでいることは皆さんご承知の通り。
 しかしなぁ・・・人がやってるとそのもどかしさにイライラする癖に、自分がやると楽しいのはまさに悪癖の証拠なのでしょう。
 メールでやれよという突っ込みは、ご本人以外は却下。


8月9日(Sat)
 仕事をする気にもならず、かといってお出かけも面倒くさいからついつい昼間から日記を書くことになります。そもそも土曜日まで仕事なんて、「蟹工船」じゃないんだからいい加減にして欲しいけど、うだうだ言いつつ結局は仕事はやらないつもりみたいですから、まぁお休みと言えばお休みかも・・・結局休みなのか仕事なのかこれではサッパリ判りません。本人にもあまり自覚がないのかも。
 しかし、コレってやっぱり「日記」じゃありませんよね。大体からして、僕が朝何時に起きて昼になにを食べたか知りたがるような方は全世界50数億人の中には多分いないと思いますし、そもそも、朝なに食べたかなんて本人にもよく判らなかったりします。はい、僕自身の記憶力に問題があるというのは本当です。手前の都合の悪いことだけ忘れるボケ老人風だという噂もありますが。

 そうですね・・・何もやることがないからWeb日記を書くというのは、いったい全体どうした心理なんでしょう。その寂しいココロの内面については何れ学究の徒によって白日の下に晒される日も近いのかも知れません。どうせ、勘違いでしょうが。きゃー。
 公開日記なんてモノは「書くこと」以上に「読むこと」が惰性の産物ですから、中味にはなんの意味もないとは言え・・・時間つぶしとナルシシズムを満足させるためにはなかなか有効なオモチャであることは確かです。
 えぇ、「書くこと」は勿論「読むこと」も含めて。ね、そうでしょ?

 相変らず「MADE IN JAPAN!」さんの人を見る目は鋭い。がはははh、まさにその通り。しかし、メールでやったりする事もあるのがさらに懲りないオヤヂたる由縁。何より相手を見きわめてやることが肝心です。って、そんな事レクチャーしてどうする?


8月10日(Sun)
 どうしようかナァ・・・と思いつつ、やっぱり更新してしまうんでしょうね。はい、もはや病気です。日記更新病。<そんなのアリ?まぁ、強迫神経症の一種でしょう。

 既に予告も行届いているかと思いますが、本日はビンボー臭い家族旅行などへ。どうやら新しい顔ぶれもいろいろと参加されるようで、オフミの具合も気になりますが、ニッポンの正しい父親像のためにも、ここは家族の良き思い出づくりなどをひとつ。イヤな思い出だったりして。きゃー。

 朝は5時に起きなきゃなどと、麻美など「う〜ん、ワクワクする。早く明日にならないかな」なんて、やたら張切って8時頃には寝室に行った模様です。そんなに張切られてもなぁ・・・山の中の只の保養所で、あたりには街灯ひとつ無いような処なんだけど。その上、仕事の都合でたぶん1泊だけして帰ってくることになるはずで、車での行き帰りに疲れるだけで、結局くたくたになって帰ってくるだけかも。人生経験が乏しい人間はかくの如く単純なものです・・・うん、何事も経験が第一。ヒトは皆、そうした失望と挫折をくり返すことで人生を諦めるコツを知るものです。

 う〜ん、そろそろ子供達は起きてきそうです。どうやら出かけるまでに寝てるヒマはなさそうです。車の中で寝ることにしますか。<運転中だって!


8月11日(Mon)
 帰りは志賀高原から渋峠を越える山道をドライブしながら、途中途中では訳の判らない民俗資料館やら怪しい洞穴寺など、つまらない処めがけては車から降りてウロウロ。ビンボー臭いドライブインで「たこ焼きフライ」なるモノを発見しましたが、さすがにこれは買うのに躊躇しました。ようするにたこ焼きをフライにしただけ。<そのまんまやないか!
 奥さんはお約束の饅頭なども買ってそれなりに観光気分を満喫されているようです。そう言えば我家の子供達はこんな処に来ると必ず買いたがるキーホルダーですが、今回はあまり欲しがるそぶりが無かったのがちょっと不思議。ついこの間の山歩きで、「貧乏退散がい骨」なる妙なキーホルダーを買ったばっかりなので言い出せなかったのかも。父親にねだっても大抵ダメなので、こっそり母親に買ってもらってるのかもしれませんが。

 しかし、今日は朝から田舎方面を延々とドライブしていたのですが、本当に子供の姿を見ることが少ない。途中の河原など、浅瀬にコンクリートブロックが並べられて、その上を澄んだ水が水しぶきをあげながら流れているところがあって、僕などが見れば絶好の川遊びのポイントのように見えるのに・・・ひとっこ一人いません。ひなたの道を歩いてるのは、おかしな手押車を杖代りによぼよぼ歩くオシメ老人とか、なんとはなしに二人で立ったままぼんやりと道行く車を眺めているばかりの、たったいま姥捨て山から拾ってきたような、そんなふ抜けた老人達ばかり・・・何だか日本の未来の縮図のようです。
 子供達の声は途絶え、すえた汚物の匂いが充満する街は老人達が足を引きずりながら歩く姿だけが目に付く・・・それもそんな先の話しじゃなくて、せいぜい数十年後には確実に都市部にも襲いかかってくるような気がします。なにをするでもなく、一日中街をさまよいながら、犠牲者ならぬオシメ替えてくれる人間を求めて老人達はさまよい歩くのかもね。
 まぁ、その頃には僕も立派なゾンビの一員でしょう。勿論惚けてるから、なに言われてもぜんぜん気になりません、がはははh。こうなれば早い者勝ち。先に惚けた人間が幸せと、秘かにうらやましがられたりして。

 勿論ナニをすることもなく、日頃の不摂生がたたってか10時頃から思わず気絶睡眠。<不覚でした。夜中の2時頃に目が覚めたのですが、宿泊先の内線からのネット接続が不調で仕方なく諦めて二度寝。<やっぱり日記巡りしようとしたのか!このオヤヂは。ま〜ね。ま〜ね。


8月12日(Tue)
 お盆と言うと、一面に咲いた松葉ボタンの、あのいじらしい花の姿を思い出します。

 母方の祖母に溺愛されていた小さい頃の僕は、春と秋のお彼岸やお盆の季節になると母親と祖母の3人連れで、町中にある小さなお寺にいったものです。
 通りから庫裡に向う路地のような参道の両脇には、住職の奥さんが丹精していた松葉ボタンが一面に咲いていて、とても美しいのですが・・・子供心にもなにかしら切なくなるような風景でした。丈の低い花が地を覆うように咲いていて、お盆の季節になると帰ってくるという祖父達をひっそりと迎えるかのように、控えめでいて可憐なあの花びらが僕はとても好きでした。
 一声かけると奥から住職の奥さんが現れて祖母と母親が季節の挨拶を交しているのを横目に、さかきの入ったバケツを持たされた僕は庫裡の横にある手押しポンプでガッタンゴットンとバケツに水を組み、一人で墓地に向う。
 入口から数えてひとつ・ふたつ・・・9番目の列の奥に見慣れた祖父の小さな墓がある。そうして数えないと同じような墓石ばかりですぐに迷ってしまうからだった。
 バケツの中のひしゃくで水を汲むと、少し背伸びしながら頭から水をかける。お隣とお向いさんといった感じで、廻りの墓石にも少しずつ水をかけながら、教わった通りに手を合わせてみるのだが、なにを祈って良いのか・・・幼い僕には良く判ってなかったりする。やがて住職らと連れだって祖母達がやってくると、墓石の前には線香と蝋燭、それにお菓子やら煙草やらが大人達の手でテキパキと備えられる。
 住職の読経が蝉時雨の中で流れ出す頃には、退屈した僕はバケツにもう一度水を汲んで来ては、墓石のひとつひとつに水をかけてまわる事に熱中する。墓地の奥には無数の無縁墓が山積みされていて、何度もバケツを持って往復したものでした。そう言えば・・・帰りには、何時もとは少し感じの違った店で3人で食事をすることも楽しみのひとつでした。
 とても懐かしい記憶のような気がするのは、それが松葉ボタンの花のように、ちっぽけでいじましい記憶だからかも知れません。かなり前に、久しぶりに訪ねたそのお寺には既に住職夫婦の姿はなく、松葉ボタンの植えられていた場所はすっかり整地され、新たな分譲墓地に様変りしていました。

 墓参りというものをやらなくなってから随分たちます。まぁ、別に死者を弔うには埋葬された場所である必要はないような気がします。まして火葬の現代では、小さな骨壷に入った骨のかけらに故人の思い出を託すのはなかなな難しいかも。手を合わせることに意味があるとするなら、死者が場所を問題にすることもないでしょう。


8月13日(Wed)
 ぼんやりと眺めていたテレビから流れてきたのは、今時の女子高生達のインタビューの断片・・・

 いわゆる「茶パツ」「ミニスカート」「ルーズソックス」「日やけサロン」と云ったステレオタイプの、東京の繁華街なら何処にでも氾濫しているタイプの彼女たちの語るあっけらかんとしたことばとは裏腹の、その瞳の中にある耐え難いまでの孤独と絶望の色が僕にはとても気になるのです。
 自らの行為の愚劣さと不毛さを知った上で、なおかつそんな不確かなものにしか自分自身の拠り所を見いだせない彼女たちの人生への不安と苛立ちもまた、僕自身がずっと抱き続けていたモノのひとつでした。押しつぶされそうになる自己を守る術の幼さと痛々しさが僕の中の記憶とダブって、彼女たちを正視できないほどの息苦しい記憶が不意に蘇ってきたりします。
 「人に迷惑をかけてないから何をしてもいいんだ」と言いつのる言葉からは、例え傷ついてでも他者から"愛されたい""愛されている錯覚に包まれたい"と願う、彼女たちの切ないまでの願望が滲んでいるようで、その事にきちんと答えることのできない大人達の怠慢が一層彼女たちの孤独を深めているのかも知れません。10代の半ばで既に自らの人生の全貌が見えてしまったと思いこんでしまう若者達の横顔には、徹底的な虚無だけが色濃く滲んでいるようでした。
 いつの時代にも、自らを持て余し挫折感に打ちひしがれる若者達は存在してきたはずですが、これ程までに多くの若者達が年若いうちに絶望に打ちひしがれている時代というモノは未だかつてあり得た事はないのでしょう。むろん自らが望んだ通りの人生を歩む幸せな人も中にはいるのでしょう。願いは「願うこと」で必ず叶えられるのだと信じられる人は、何も人生に思い悩むことはない。ただ・・・僕自身が、そうして打ちひしがれたまま人生を過す若者が存在する事がとてつもなく不公平に思えるだけなのです。まぁ、打ちひしがれた人生を歩んできた者の愚かしい繰言と言われれば、まさにその通りなのでしょう。

 人を外見で判断するモノではないと思いながら、なかなか外見からの印象から抜出せないのが人間の愚かしさなのでしょう。彼女たち一人一人の絶望とココロに負った傷跡はいつか癒されることがあるのでしょうか?何者かにそれを願うほど傲慢では有りたくないとは思いながら、無力な僕自身にただただ脱力するのみ・・・


8月14日(Thu)
 朝起きて見ると、家の中が何やら何時もとは少し違っているものの、妙に片づいていることに気がついたりします。
 どうやら子供達が部屋の掃除を奥さんから仰せつかったようです。まぁ、子供のやることで、あちこちにゴミが散らかっていたり思いがけないものが思いがけないところに片づけてあったりして、返って面倒くせーなぁと、僕などはつい思ってしまうのですが、本人達はそれなりに一生懸命やっているのでそんなことは言えません。母親の手伝いなどに積極的なのはやはり麻美の方で、日頃から僕に似ていると力説している正美の方はやる事がいつもいい加減です。嫌々やっている訳でもないのでしょうが、余計な事に囚われるあまり、自分が今なにをやっているのかをつい忘れてしまうようです。さっきからテーブルの上を片づけようとして、その上にのったノートを開いて訳の分らない絵日記の続きを書いてみたり、流しのコップを洗っていたつもりがいつの間にやら只の水あそびになっていたりで・・・結局奥さんに「なにやってるの!」と怒られてしまうハメに。落ちつきが無いというか集中力に乏しいというか、さながら小さい頃の自分を見ているようです。<今は落着いているのか?と突っ込まれると・・・がはははh、まるで同じ事をやっているような気がします。さすが親子。
 今夜の夕食は子供達が作ったカレーライス。まだまだまかせっきりにするとどんなモノが出来上るか恐ろしいので、母親のお手伝いの延長程度ですが、お決まりの野菜と肉を煮込んで市販のカレールーを溶かすだけのお手軽カレーですから、誰が作っても同じような味。まぁ、ありきたりな「仲良し家族ゴッコ」みたいな味と言ったら、怒られるんでしょうか? 味覚オンチな我家の家族にとって、飼い慣らされた「イメージ」と「味」と言うモノからもはや逃れようは無い模様です。
 今夜も日本のあちこちで、似たような家族が似たようなカレーライスを食べているのかも知れません。

 子供にかこつけて、自分自身の愚かしさを弁解してのかも知れません。子供にしてみればまさにいい面の皮というヤツかも。子供のやること見ていてイヤになったり妙に共感できたりする事自体が、ふぬけた「幸せ」なんでしょうね。
 で、カレーライスが結構おいしかったりするのも、なんとなくイヤ・・・


8月15日(Fri)
 日記界いち暑苦しい体型の持主(きゃー。スマンです、BOWDO風味で)・・・別名を「宴会に呼んだコンパニオン荒らし」として僕の裡だけで有名な、デジタルオヤジの近藤さんのお誘いで、子供達つれて河原でのバーベーキューなどへ。
 いつもの秋川の河原ですが、近くて車が河原のすぐそばまで入れるので何かと便利なんですが、ロケーション的にはいい加減飽きてきてます。今年のPTAのバーベキューは奥多摩あたりにしたいけど、結構遠いからナァ・・・
 なんにも用意せずに自分たちの飲物だけクーラーボックスに入れて11時頃からのこのこ出発すればオッケーなんて、ゲストってのはラクチンでいいな〜。参加メンバーの皆さん、どうもごちそうさまでした。相変らず、小雨混じりの涼しい陽気だというのに一人汗まみれで肉を焼いたり焼きそば作ったりの大活躍で、デジタルオヤジさん本日はご苦労様でした。しかし血糖値は大丈夫なんでしょうか?

 初対面だと何かと緊張する麻美と、ハズレ加減で元気のいいだけの正美の取り合せは、コレはコレでまぁ良いコンビなんでしょう。何かにつけて二人でひとつのような処があって、お互い同士でカバーしあっている風に見えることもあります。今の処は何処へ行くにも何をするにも大抵一緒・・・なんとなく見えない壁を作ってすぐ二人だけで行動してしまうのがいささか気になりますが、およそ性格的には正反対な処ばかりが目に付くので年頃になれば行動範囲はぜんぜん違ってくるのかもしれません。
 何事にも二人なので調子に乗った時の行儀の悪さも2倍。そろそろうるさくなりそうなので夕方には帰ることにしました。

 日記の更新が気になったので早めに帰った、と言うのが本当の処かも。そうなんです、午前中からのお出かけだったのに、うっかり予定日記を書くのを忘れただけ。


Go Back My HomePageMail To Yaku