デーテーペーな1日

1997.3.16~31

日記関係の発言はこちらで。
3月16日(Sun)
 「家庭人」と名乗る以上、一応家族のために費やす時間というモノも有っていいはずです。特に日ごろから「家庭」を省みない廃人な生活を送っている自覚がある人間・・・などと人ごとのように書いておりますが、えぇ、僕のことですね。そんな方は、たまの休日には家族で出かける事も必要でしょう。先日来からのオフミ続きで、ひょっとすると奥さんのご機嫌が悪いのかも?がはははh、あまり深く追求しないように。と言うわけで本日は欠席でした。申訳ない。<また出かける予定が有ったのか?

 で、多摩センター駅近くに届けものがあったので、その帰りに聖跡桜ヶ丘の京王アートマンで今年高校入学する姪っこの入学祝を物色にあちこちウロウロ。
 どうやら雨降りで行き場を失ったビンボー臭い家族連れであちこち混雑してます。駐車場に入る為の行列に並んだ時点ですでに後悔してますが、今さら帰るわけにもいかないのでひたすら耐えるだけ。店内に入ればちょうど昼時と言う事で、まずくて高い食堂街の狭苦しいテーブルに家族四人座って食事することに・・・しかし、こうしたデパートの食堂街に並んだ店の、あのせせこましいテーブルの配置だけはなんとかならないでしょうか?それなりに馬鹿げた値段とってるんだから、もう少しなんとかして頂けませんかねぇ。その上、天丼頼んだのはいいけど、肝心の天ぷらの衣がふにゃふにゃしてるけど、これってホントに天丼なの?こんな歯ごたえのない天ぷらはじめてかも。奥さんは冷し肉みそうどん等という訳ワカランもの頼んでますが、う〜ん、見た目は赤ん坊の下痢便をうどんにぶちまけたみたいだけど、まだそっちの方がおいしそう。とほほ。
 こんな調子で、家族で出かけると昼・夜共に外食になってしまうのがわが家の常です。まぁ、それも又ニッポンの父のはたすべき勤めのひとつなのかもしれません。

 う〜ん、結局夕食はマクドナルドになりました。あぁ・・・ニッポンの父は辛い。

 夕食がハンバーガーと聞かされると、何故か理不尽な思いが湧いてくるのは、たぶん僕が「オヤヂ」だからでしょう。いわゆる小腹の空いたときに食べる「おやつ」と言う認識しかないのは、レストランのメニューにライスが見つからないときに、仕方なく食べる「パン」の物足りなさに通じる感覚なのかも知れません。


3月17日(Mon)
 ダジャレ日記じゃないけど「これ前にも書いたことなかったっけ?」と、ふと不安になること有りませんか。特に長く日記書いているような方。僕は頻繁にありますね。もともと記憶力に自信のない方なので、誰かと会話していても、ひょっとしたら前にも同じ事しゃべったような気がして、ヘンな顔してないかと相手の様子うかがったりして・・・いろんな方との会話が自分の中で混じりあって新たな妄想造り上げているのかも知れません。中には「交したかも知れない会話」を、すっかりほんとうの事と勘違いしてたりするかも。う〜ん、これって「電波系」って事?

 そう言えば、小さい頃の記憶で、どう考えても夢なのか現実なのか判断つかないモノと言うのが結構あったりします。後から両親に聞かされた事を自分の記憶と勘違いしているのかも知れませんが、いろいろと妙な事を覚えているような気がします。
 自分は見つかっていないつもりで草むらに隠れているのに、いきなり見知らぬら女の人に「なにしてるの?」と声かけられて死ぬほど驚いて、無我夢中で走って逃げた事とか、路面電車に乗った両親の姿をかくれて見送りながら、なぜか夜の街をとぼとぼとひとりで歩いている記憶とか・・・いずれも小学校に入学する前の断片的な記憶で、「夢」なのか、ほんとうにあった「現実」のなのか、未だにハッキリしないのに、草むらに伏せていた頬に触れていた草の感触や、夜の街をひとりで歩いている時の、なぜか高揚していた気分などが、今でもまざまざと残っていたりします。
 そのくせ、1年前の記憶と云えば・・・ほとんど何も覚えていないのはなぜ?そんな時のために日記書いている筈なのに、あぁ・・・僕の日記では1年前に何やってたかなんて全然わかりませんです。

 別に1年前に何していたか知ったところでどうと言う事はありません。過去を振返って反省するでも、未来に思いを馳せてみる訳でもありませんから。もっとも、ウダウダとWeb日記書いてるような人に建設的な人生を送ってる人は少ないような・・・


3月18日(Tue)
 最近凝っているモノと云えば・・・昼食に食べる「ペペロンチーノ・スパゲッティ」でしょうか。
 おうちでお仕事なので、朝・昼・夜と三食共に自宅で食べる事がほとんどなので、まぁそれほどゴージャスな食生活送っている筈ないのは、日ごろの僕の偏食ぶりを知る方には自明の事でしょう。
 育ちの貧しさは食生活に如実に現れるようで、やたらと麺類が好きだったりします。好きと言っても、あちこち有名なラーメン屋を食べ歩くとか、イタリアレストランで本場のパスタを堪能する等と云ったグルメ関係の麺類ではなくて、もっぱらスーパーに並んだ3食袋入の「焼きそば」や「タンメン」だったりするのが、いかにもわが家にお似合いですが・・・
 で、手軽な昼食として自分で作ったりします。バターとオリーブオイルでカリカリに炒めたにんにくと鷹の爪少々、あればベーコンなども。ゆで汁とパセリのみじん切りを加えて、アルデンテに茹であげたパスタにさっとからめて出来上りの熱々を食べるのが、実にお手軽で飽きない味なんですね、これが。デンプン質とコレステロールばかりで、かなり不健康そうな処も何だかおいしそうでしょ?
 と、書いてはみても・・・小さい頃からジャンクな食生活なので、高級な料理はかえって口に合わなかったりする人間です。複雑濃厚な味付けのステーキよりパック詰めのスーパーの焼肉の方がおいしかったりするから、僕がお奨めするおいしい料理と言うモノは信用しないほうが良いかもしれません。

 只でさえレパートリーの少ないわが家の食卓にあって、来客があるとスパゲティは定番メニューとなっております故、それを食べた人は結構「通」かもしれません。うん、何が「通」なのか良く判りませんが・・・


3月19日(Wed)
 昨日今日とめずらしく、仕事などをしてるのかも知れません。

 まぁ、久々に仕事先からの全面変更くらったので、もう一度同じ原稿からやり直し作業をしているだけですが・・・変更の赤ペンで真っ赤になったラフ校持って帰ってきた取引先の営業マンと険悪な雰囲気。
 企画変更と言い全面レイアウト変更と言っても、それに見合ったペイが支払われた事はまずありません。う〜ん、古い業界なので「なぁなぁ」で済ませてしまう部分が未だに残っていて、こんな時に泣くのはいつも末端の人間なんですね。どんなに大変な直し作業があっても、全てはコミの値段と言われてしまうのがほとんどです。
 「今回予算無いから勘弁して」なんて人に限って、予算が充分な仕事なんてまわってきたこと無いんですね。そもそも、無理な注文付けてくるのは大体同じクライアントに決まっていて、間に入った営業が何も考えてなかったりすると、後工程で地獄を見るハメになるのはいつもの事なのに、やっぱり同じ事をくり返してしまう営業マンは以後出入り禁止になってしまいます。えぇ、僕の場合は下請の筈なんですが、なぜかめちゃめちゃ強気だったりします。こんな無茶な日程で仕事受ける人間がいないのを見越して、ぎりぎり迄ゴネます。もっとも、ほんとうに間に合わなくなるまでウダウダやってると、色々な方面にとばっちりが行ってしまうので、そこはそれ・・・微妙なバランスでゴネたり機嫌なおしたりしながら、最後には仕事は間に合せる訳です。がはははh、こうでもして「したたか」にならないとフリーで仕事なんてやってられませんです。
 もっとも、やりすぎて二度と仕事が来なくなった得意先もとても多いのがこのやり方の欠点です。う〜ん、それって、もっと素直にやっていれば余計な気苦労はないって事でしょうか?

 お陰で明日も仕事です。と書いても、お彼岸でお墓詣りの予定がある訳でもありません。更に言えば、ウィークデーと休日にたいした違いはなかったりします。呑気なのか怠惰なのか・・・まぁ、両方なんでしょう。


3月20日(Thu)
 あの「地下鉄サリン」から2年と聞かされて、たったそれだけ?と思えるほどに、事件の印象はなぜか日ごとにボンヤリするばかりです。
 あの日以後、「オウム」に関して際限もなく語られてきた言葉は、まるでどこか別の宇宙のお話しででもあるかのようで、僕の中ではいつまでも実感に乏しい事件でした。どこから見ても胡散臭い麻原彰晃などという人物に心酔してしまう若者の心根が理解できないまま、オカルトや超能力に惹かれる「時代のいかがわしさ」が、喉につかえた異物のように、いつまでも心の片隅から離れないのです。
 どこかしら、「挫折」の影を引きずる若者達が多いことも僕の心を暗澹とさせる原因のようです。彼らが信じようとしたモノ・・・自らの全存在をかけて守ろうとしたモノの俗っぽさが、いっそう無惨に思えるのです。稚拙な滅亡と再生のストーリーを予言した彼らの教祖の、現実世界でのあまりの不甲斐なさと、その結果として為されてしまった「事件」の重大さとの間の距離の大きさが、僕たちを訳の判らない不安な気分にさせ、いつまでも残る居心地の悪さの原因となっているような気がします。

 二年前の朝、霞ヶ関の地下深く・・・縦横に錯綜するトンネルの闇の中、ビニール袋から流れ出した「サリン」の溶液からたちのぼった致死性のガスは、僕たち自身の心の奥深くまで秘かに拡散していったのかも知れません。蝕まれつつある僕の脳細胞が見た妄想のなかで、被害者と加害者の関係はいつまでも曖昧模糊としたまま、灰色のベールの向うでいつの間にか風化してしまったようです。

 被害者と加害者、僕自身の裡ではどちらの側により一層の切実さがあるかといえば・・・無意味な殺戮の犠牲者を悼む人間は多いのでしょう・・・自らの行為の無意味さを知ったテロリスト達の絶望の、その救いのなさが気にかかるといえば、やはりそれはあまりに不謹慎でしょうか?


3月21日(Fri)
 今日はめずらしく朝から一度もネットに繋がずじまいでした。午前中はぼんやりと珈琲のんで新聞眺めているうちに過ぎてしまったようです。
 午後からは近所のスーパーに出かけて、カートいっぱいの買物を子供たちと駐車場まで押してみたり、帰りには本屋で何冊か新刊書を買ったりで、特別に変ったことの何もない一日でした。

 そんな訳で、メールのチェックも日記の更新にも無頓着なまま・・・僕にとっては、それらが不意に無くなったとしたらどうだろう?と、ふと考えてみたりしました。
 そう、具体的に何が困ると訊かれると、そんなモノは何もなかったりします。電子メールで仕事のやり取りすることも、インターネットで蒐集しなければならないようなデーターについても、取立てて必要と思えるモノは何もありません。要はただのお遊びでしかないのでしょう。
 しかし、その「お遊び」を通じて知合えた方達の存在がとても貴重に思えるのです。現実世界ではまず接点のあり得る筈もないような人達と偶然に出会う事の不思議・・・饒舌すぎる世界の中、刺激的な情報の洪水に溺れもがく僕が見出したモノは、恐らくそうした情報の渦のまっただ中にあると思えたINTER-NETの世界でした。但し、その中身と言えば、「メール」や「Web日記」などの、不自由な「ことば」を通じてのコミニュケーションという、現代ではいささか時代遅れに思えるものでした。どこまでも改変可能で、本物とコピーとの区別のないデジタル画像の胡散臭さとはちがい、「ことば」と言うモノは見事にその人の個性を物語ってしまうのです。どこか視線の定らないプロフィールに添えられた短い文章にこそ、彼や彼女たちの意図が鮮やかに印されていたりして、僕にとっての興味もそのあたりにあるようです。

 そう、何やかやブツブツと文句を言いながらも、この不可解な世界の日常と共に、その住民であり続けるのでしょう。

 今日の夕食はスペアリブ使ったカレーライスでした。う〜ん、骨がジャマ。あれなら只のカレー用の肉の方が食べる面倒がないだけよっぽどマシでした。
 しかし、最近あちこちで「本日の献立ネタ」が多いような気がしますが、まぁ・・・ただの思い過しかも知れません。


3月22日(Sat)
 毎週土曜日の午後はバレー教室のレッスンと云う事で、母親が子供たちを教室まで送り迎えしているのですが、レッスン終るのを待つ間は、もっぱら同じ教室に通うお母さん方と近くの喫茶店などでおしゃべりらしいのです。で、いろいろとそこで恐ろしい会話が交されている模様です。
 どうやら、ある程度レッスンが進むと子供たちは「一般クラス」と「コンクールクラス」に別れるようです。「一般クラス」と言い、内容的にはお遊戯に毛が生えた程度でも、いざコンクール出場となるとエライ騒ぎになるのはご存じのとおりなのに、「コンクールクラス」と言うのは、そうしたコンクール出場専門に普段から週3回のレッスンを受けなければならないとか。勿論出場前のレッスンは連日だろうし、その上なにやらフランスあたりのコンクールにまで出場するとか。母親はつきそいでフランスまで同伴するようで、なんでも年間にかかる費用が、そうしたコンクール出場だけでざっと見積っても300万円とか。わが家の娘は二人仲良くレッスンなので300万円×2で600万円・・・きゃー。それを僕が支払うわけ?母親はなにやら通わせたいご様子なのですが、ねずみ講でもこれほどあこぎなマネが出来るとは思えません。一体どこの世界のお話しなんでしょう。もう・・・激怒する気力も失せてしまうほど。いい加減にしないと父はぐれちゃうゾ!それともいっその事失踪でもするか?とほほ。

 子供の顔と体型見ればバレリーナなんてモノに向いていないのは一目瞭然なのに、わが子可愛さ故にそうしたバレー教室にせっせと貢ぐ母親は結構多いようです。どうも特別にコンクール好きの先生に当ったようで、何れにしても子供たちが通っている間は父親は気が休まることは無さそうです。


3月23日(Sun)
小さな「それ」

 なぜ妻がそんなモノを欲しがるのか?私には理解できなかった。もともと人混みの中では見つけだすのに苦労するほど目立たない容姿の妻は、生来オシャレなどに興味を示すことはなかった。普段からほとんど化粧らしい化粧をするでもなく、私がもう少し派手めなものを着てみては、と奨めるほどに洋服の趣味も地味な女だった。特に昨年の子宮筋腫の手術以後は、いっそうひっそりと家にこもりがちだった。
 結婚してから、特別に何かを欲しがると言うことも初めてなら、それも、最近少女達が身につけている小さなリュックサックが欲しいと言張る妻に、私は怪訝なものを感じながら、一緒に買物にも付合った。
 ほとんど実用性のないほどの小さなサイズにアンバランスに長い肩紐の付いた黒いリュックサック・・・それ以後、妻はどこへ行くにもそれを手放すことはなかった。日常の買物は勿論、何泊かする旅行にはスーツケースと一緒に必ず背中にはその小さなリュックがあった。いったい何が入っているのかと妻に尋ねると、そんな時は決って私には聞取ることができないほど小さな声でなにか答えたのだが、なぜか私はそれ以上問いただすことが出来なかった。そう、妻の執着の強さに、私はそのリュックの中味を知ることを恐れていたのかも知れない。
 眠るときも、妻はその小さなリュックを手放すことはなく、寝室のクローゼットの棚にひっそりと置かれていた。いま彼女は浴室だった。私は激しい好奇心に捉えられていた。

・・・・・・・・・・・・・

 クローゼットから取りだしたリュックをベットの上に置く。意外に重い・・・掌にずしりと存在感の残る重さだった。ファスナーを開くと、柔かで粘液質の手触りがする「それ」が、固く縛った黒いビニール袋の中で液体と一緒にズルリと揺れる。何重にもなったビニール袋を一枚ずつ開くたびに、微かに生臭い匂いがたちのぼる・・・これ以上リュックの中味を確かめてはいけないことを承知しながら、私はそれをやめることは出来なかった。最後の1枚を開く・・・その中に片手を入れると震える指先で中味を掴む。網の目のように静脈の走る半透明な膜に包まれた、小さな「それ」が私の手の中でピクリと動き、いまだ眼球のない目で私を見返した。

 絶叫しようと振返った私は、全裸で入口に立つ妻の下半身から流れるおびただしい血潮に、全てを理解した。

 もともと女性のもち歩くバックから連想するモノが僕の妄想の原点にあるのですが・・・最近街角で見かけるあの小さなリュックサックには、いっそうフロイト的な意味が秘められているような気がして仕方がないのです。まぁ、ありきたりと言えばそのとおりなのですが。


3月24日(Mon)
 Nikon製のフラットベットタイプのスキャナーなんですが、また壊れてしまいました。この1年半の間に3回目の修理。サービス担当の方とはすっかり顔馴染みです。とほほ。やっぱり僕が買うのはスキャナーも「バッタもん」か?
 せっかちな性分で、一週間もかけて宅急便で修理品をやり取りするのは勘弁して欲しいと、いつも大森のサービスセンターまで直接持込んで、その場で修理して貰ってるんですが・・・結構遠いんですね、これが。
 で、ひとりで行くのは退屈なので、終業式終えた子供たち連れて午後から出かけることにしました。はい、仕事はさぼって。
 すぐ近くに「しながわ水族館」があるのでそれを子供たちの餌にして、「イルカショーとか海中トンネルもあってすごいゾ!鯨も泳いでるらしい」と、かなり誇大広告気味。えぇ、わが家の子供たちは遠出のドライブが大嫌いなんですね。車が走り出したとたんに何時に着くのか?と、うるさく尋ねるものも毎度のことで、いつも、もうすぐ着くからと、いい加減に答えておきます。

 相変らず大森の狭苦しい路地の一画にあるNikonのサービスセンタにモノを持込んで修理を待つ間、ひとまわりしてきました、「しながわ水族館」・・・まぁ、さすがお金持ちの品川区、自前の水族館とイルカショーを運営なんて、豪勢なモノですが、大人900円・子供500円って入館料は公営にしては結構高くないですか?無愛想な魚の顔を見るのにお金を払うのは、生臭い煮魚が大嫌いな僕としてはどうも納得できません・・・ん、それは問題が別?

 やっぱり、帰りは渋滞に捕まって車で3時間半・・・子供たちはぶーぶー文句で、ひたすらうるさいです。

 おやつ食べたりジュース飲んだりで結構くつろいでる癖に、文句だけは止みません。往復5時間以上も運転してる父親については、知らん顔・・・やっぱり日本の父親は、これからも辛い人生のようです。


3月25日(Tue)
 3学期が終了したので、子供たちは通知票や1年生の間に書いた絵や作文を学校から持ち帰ってきたのですが、双子の姉の「正美」の作文が大笑いなんです。普段から、なんだか父親に性格が似てるなぁと、まぁ親子なんだからあたり前といわれればそうなんですが、僕にしかわからない、妙な部分が似ていたりする訳です。
 う〜ん、なにやら不明なスートリーティリングといい、おざなりな常套句の多用と独りよがりな文章などなど・・・なにやら自分に思い当ることばかり。この際だから面白いから無断引用など。ん、著作権の侵害か?
※なお、引用は原文のまま。


 ある日ババが学校のまえをとうりかかると
みんなが「あー」とか「へんな人」とか「あんただれ?」
といってくるのです。

 でも1りだけ「あのーこんやでーとして下さい。」
という男の人がいたのです。
その名は、まだあきらかにされてませんでした。

 やがてその男の人にもキライといわれしまいましたが、
その男の人はしんでしまいました。
なのでババはさみしくなってしまいました。

おわり。

 この「ババ」という登場人物が不明なのですが、最近「学校の怪談」に凝っているので、どうやら恐いお話しが書きたかった模様ですが・・・中途半端な結末もなにやら父親似かもしれません。

 う〜ん、他の子供にはないユニークな発想とかって通知票に書かれる筈です。習った漢字を使って短文を作るという宿題の答にもケッサクなのがごろごろ。しかし「先生がしんだ」ってのはマズイよなぁ。


3月26日(Wed)
 姪っ子が今年は高校入学とか。どうせわが家の親戚にそんな優秀な奴はいるわけないなぁと思ったとおり、地元のダサイ私立高校に推薦入学だそうです。まぁ、そのあたりのレベルでしょう。がはははh・・・しかしよその家の子供にずいぶんな言い方ですね。とんだところで、親戚づきあいもいいかげんな事がバレバレです。
 同じお祝ならやっぱりデパートの包装紙が付加価値があってヨイ、と言うのが奥さんのご意見ですので、わざわざ立川の高島屋までお買物に行ってきました。ダイエーの包装紙より高島屋を有難がるココロって・・・う〜ん、ダイエーに対する差別だと思うけど。
 で、新入学のお祝と言えば、あれこれ選ぶのが面倒なので、この際はありきたりな筆記用具にしました。しかし、万年筆が数万円って・・・馬鹿げた値段。こういう時期にしか売れない只の贈答用の金額あわせみたいな商品ばかり。1万円・2万円・3万円とかのきりの良い値段は、お歳暮のランク分けみたいなモノで、どう考えても正当な根拠は無さそうです。何を贈ったかではなく、どれくらいの金額のモノを贈ったかが重要なポイントってのも、びんぼー臭いよなぁ。
 という訳で、入学祝は1万円の万年筆で済ませることにしました。うん、その程度の親戚です。きゃー。<この日記が先方にバレたら、またもや怒られるなぁ。

 お祝にココロが篭っていないのは、おめでたいと思ってないからでしょう。昔から無愛想で可愛げのない姪っ子で、そんな子にお祝なんて・・・ケッ!。その上、入学祝にホテルに食事につれて行けとか・・・援助交際やるつもりか?きゃー。


3月27日(Thu)
 なにやら季節が春めいてくるとやはり増えてくるような気がするのが、いわゆる「ハレンチ犯罪」とか呼ばれる類でしょうか。中でも槍玉に挙げられるのが公務員が当事者となった場合のようです。警官や教師にとりわけそうした資質を持った人間が多いのか少ないのか?あまり知合いに居ないので断言はできませんが・・・やっぱり多いかも。<こらこら。
 何故そんな話題かと言えば、今日の夕刊の三面記事に東京や埼玉の教師が淫行条例や児童福祉法違反で逮捕と出ているのを見ての感想です。

「中3女生徒とみだらな行為」容疑の教諭ら逮捕

 インターネットの世界に氾濫する画像の中で、特に日本のサイトに多いのが「ロリコン物」なのは、誰でもそうしたサイト巡りしてみて気付くことです。コンビニの棚に並んだマンガ雑誌や流行りのゲームの登場人物にときめいてしまう今時の若者が、学校卒業してそのまま中学校の教師あたりになってしまったら、それはもう・・・彼らのやるせない妄想は容易に現実との見境が付かなくなってしまうのでしょう。大人達が金儲けの為のビジネスとして、際限もなくたれ流している情報。そうしたゴミのような情報の中味について無自覚なままでいる僕たち自身の社会についてはいっこうに反省の色すらないのは何故でしょう?つまらない利益のために今の社会に迎合する大人達が多すぎるようです。
 むろん、そんな人間を弁護するつもりはありません。ただ・・・児童福祉法などという絵空事の法律で守られている子供達と、そんなおさないSEXにのめり込む教師の「みだらな行為」の中身を想像して、そのあまりの空虚さがやりきれないのです。どちらにしても年令とは無関係な「幼い行為」であることは間違いがないのでしょう。そう、僕らの社会はひたすら退行を始めているのかも知れません。何処へと言う確かな行先のないままに。

 「中3女生徒とみだらな行為」って断罪されてもなぁ・・・奥さんとヤるのはみだらな行為じゃないのでしょうか?<「奥さんとヤる」は止めなさい、「奥さんとヤる」は。


3月28日(Fri)
 去年はあんなに大騒ぎして、厚生大臣が山盛のカイワレ平らげるパフォーマンスとか学校給食から生野菜のサラダが姿消したりと、いろいろと馬鹿げた騒動が全国的に起きていたのに、今年の「O-157」に関しては騒ぐ人が見当らないのが不思議です。
 先日も6歳の子供が今年最初の犠牲者と報道されて、決して病原性大腸菌による食中毒が下火になった訳ではない筈なのに、すっかり過去の話題のような塩梅。熱しやすく醒めやすい国民性と言ってしまえばそれまでなのですが、いやはや・・・我ながら実におめでたい国民ばかり。所詮は芸能人の離婚騒動と同じように、ただ消費されるだけの「事件」として、時間と共に肝心の中味は風化して雨ざらしのまま忘れ去られていくようです。
 ここの処、あちこちで報道されるようになった「水戸パッケージ・知的障害者虐待事件」に関しても、そんなワイドショー的興味だけで報道されているようで、いささか気になります。地道な活動の間はまるで無関心だったくせに、いわゆる「絵になる騒動」となると息せききって駆けつけるテレビ局の姿勢にうんざり。ちょうどこの時期、何処のチャンネルでもくり返される「死」と「災害」を売物にした番組をたれ流しながら、一方ではニュース番組でしたり顔で正義を気取るあなた達が、僕には耐え難いのです。
 被害者の言葉を聞こうとしない裁判官と同様に、他人の不幸を弄ぶ僕たち自身もまた、事件の被害者を陵辱している共犯者のひとりであることにもう少し自覚的で有るべきだと思うのです。

 卑劣な加害者の言だけを信じて裁判が進むのだとすれば、子供や障害を持った人間に加えられた悪意に満ちた犯行を裁く者は何処にも居ないことになります。まぁ、日本の裁判制度に血の通った道理が通じないことを今さら嘆いても仕方がないのかも知れません。そうした制度を許しているのも、紛れもなく僕たち自身なのですから。


3月29日(Sat)
 最近の子供たちはなにかを選ぶことがつくづくヘタクソな気がします。自分の好きなモノを選ばせようと店に連れていったりすると、売場に溢れる商品を前にして延々と迷い始めて、コレと決めることが出来ないようなのです。小さい頃から親がかりであれこれと世話を焼かれることになれてしまった子供は、自分たちの欲求すら他人に決めて選んでもらうことに馴れきってしまっているようです。お菓子ひとつ買うにも売場をウロウロして、最後には「なに買っていいか判らないからお父さん決めて」などと言出す始末。
 お菓子ひとつでもそうですから、久しぶりに新しい本でも買ってやろうと近所の本屋に連れていったりすると・・・もう、1冊の本選ぶにも、黙って見ていると2・3時間は掛りそう。
 基本的に自分で活字を追いかけなければいけない「本」などというモノにあまり興味がないようで、マンガの類ですらあまり手に取ることがありません。なにか好きなモノはないのと訊くと、辛うじて開いてみるのは「こわい話し」だったり「なぞなぞ」だったりで、実に幼稚なモノばかり。僕の場合はたぶん子供たちの年頃になんでも好きな本買ってもいいと言われたら、驚喜してコーナー全部と言いだしかねなかったかもしれません。娯楽に乏しい時代とは言え、毎月の小遣こつこつ貯めて古本屋や貸本屋に通うのが日課という、当時でもかなり変った子供でしたから、今のなんでもある豊かな時代の子供と比べても仕方ないのかも知れません。ただ・・・わが家の子供たちには、もう少し本を読ませるようにした方が良かったかなと、ちょっと後悔したりしてます。

 で、2人が買ったのは「気絶するほどこわい学校の怪談」と「ほんとうにあったこわい話」・・・同じような本を2人して買わなくてもいいだろうにと言うのは、親の勝手な感想なのでしょう。コリン・ウィルソンの「オカルト」が読みたいとか言出したら、その方が一層恐いかも。

 一日中父親が家の中にいるのがそろそろ疎ましいようで、僕が2階に居たりするとさっさと子供部屋に引きこもってなにやら2人で遊んでいるようです。
 クルマで出かけるぞ、などと言っても「留守番してるからイイ」とかあっさり言われて・・・ふん、さみしかないぞ!ひとりで昼食用にマクドナルドのドライブスルーへ。<きゃー。また今日も「レタペパバーガー」かよ。


3月30日(Sun)
 普段から身辺雑記などに興味は無いと広言している癖に、ここの処、妙に日記っぽい内容で、本人がいちばん落着かない気分のようです。
 う〜ん、言葉本来の意味での「日々を記す」ことが不本意に思える「日記」ってのも不幸ですが・・・まぁ、そんな状況がかえってお気に入りだったりするのでしょう。

 で、やっぱり日記なんですね、これが。

 あまりに春めいた陽気に、つい意味もなく河原までドライブしたりしました。考えることは誰も同じで、花見気分のドライバーで道路は渋滞だし、ゴミだらけの河原でバーベキューやってる家族連れもさっそく何組かいたようです。河原でのキャンプの事などを何度か書いているので、僕のことはアウトドア系の人間のように思っている方がいるようですが、ぜんぜんそんな事はありません。せいぜい年に何度か、車で近所の河原まで出かけて、なにか飲んだり食べたりして、その日の内に帰ってくる。そんなお手軽な川遊びが主で、釣だのカヌーと言ったオシャレな趣味にはまるで無関心です。そんな程度ですから、ハイキングやトレッキングなんて疲れる事もゴメンです。まぁ、酔狂にも、家族でホームレスごっこをしてるだけかも。

 去年と同じように今度のゴールデンウィーク中に、またみんなで集って河原でカレーパーティでもやろうと、場所の下調べと言う事もあったのですが、相変らずあまりきれいな河原じゃないし、何だか一部の出入口は工事中のようだし、今年は場所変えた方がいいかも・・・何せ去年はひどい目に遭ってますから。

 アッという間に開花してしまった桜は、こんなに暖かい日が続くと今週末まで持たないかも。わが家の向いの公園も一斉に春めいて、桜の花の下でシートを広げているひとがちらほら。うん、こじんまりとしたそんなお花見も僕は好きです。


3月31日(Mon)
 いつも遅くまでなにやってるんですか?と訊かれることがあるんですが、これが自分でもなにやってるんだかよく分らなかったりします・・・まぁ、メールのチェックはかなり頻繁ですが、そんな長文のお返事書くこともないし、日記巡りといっても、お決まりの日記をいくつか読み終えれば、後はただボンヤリしてるだけですね。
 夜中に珈琲入れてみたり、つまらないテレビ眺めながら読みかけの本読んだり、いづれにしても、あまり落着いてなにかやってる風ではありません。
 そろそろ寝ようかなと立上がるんですが、ベットに入ってもそのまま素直に寝るわけなくて、やっぱり枕元の本読んだり・・・ふと気が付くとさっきのメールにお返事だしてないのが気になってもう一度MACたちあげると、夜中に珈琲入れてみたり・・・あああああ、また最初からくり返し。

 う〜ん、実に馬鹿げた一日をくり返している模様です。いいかげん自分でも飽き飽きした頃にやっと寝る気になるわけですが、これからの季節、うっかりすると外が明るくなってなってたりします。
 で、寝るといえば、

 うつ伏せになって寝るのが小さい頃からの癖なんですが、何となく枕かかえてうつ伏せ寝してるオヤヂって・・・ハタから見たらかなりみっともないかもしれません。最近は朝起きると涎たらして枕に大きなシミつくってたりして、う〜ん、我ながら実に情けない。以前はそんな事なかったような気がするんですが、口元と言わず、あちこちしまりがなくなってる証拠かも知れません。いえいえ、かといって口もと以外に何処か、しまりがなくなってる実感がある訳ではありませんてば。

 つまらない「廃人自慢」やっていてもしょうがないですね。これがサラリーマンなら完全に失格ですが、毎日10時過ぎまで寝ていても文句言われるのは奥さんだけです。しかし、こんな事でこの家の生活成立ってるのか?我ながら不思議。


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