デーテーペーな1日

1996.6.1~15

6月1日(Sat)
 今日から暦も変わって6月です。リフレッシュした気分で日記に取りくむつもりです。
 まるでトラさん映画のタコ社長の今月の訓辞のような書き出しで始まってしまいました。ついでだから言っておきますと、僕はこの"国民的ギネスBookにも載ってるらしい映画"が大嫌いです。
 永遠の「ご存じモノ」というには、あまりにもサムイです。ありがちな関西漫才師のような、素顔はとても真面目な人なんですよ、的プロフィールもわざとらしい渥美清。いかにも優等生が成り下がった監督。だんだん魔女みたいな顔になって、高倉健とのコマーシャルも痛々しい倍賞千恵子<漢字不確か。全ては、20年前に終わってる映画を延々引きずってきた結果。まぁ、だから日本人に受けてきたのでしょうね。この映画が終わるときが、にっぽんの終わりの始まりを予言するのかもしれません。

 あ〜、ダメだダメだ。お馬鹿ネタで復活の予定がまたもや自閉ネタに振れてしまいました。
 何とかしたいです。とよいずみさん(こうかいおなにーてきひとまえきっすにっきです)。


6月2日(Sun)
 う〜ん、どうしましょう。ここの処ご無沙汰のPTAネタ。土曜日に父兄参観があって、またもや例の彼女が笑かしてくれたのですが・・・人権問題に発展する恐れが(ないない) うちの子供達の担任の先生もこの日記読んでて、あまり激しいとチョットな〜、と自主規制などが働いたりして。ここでチョット、公開人前Kiss。秀島せんせい〜、お元気ですか?。僕は教頭先生が苦手です。僕のおばぁちゃんみたいで。
 さて、先生の了解も取り付けたので?! 晴れて、あの茶パツDeイェーイなお母さんについて書いちゃいます。
 相変わらず、浮きまくってます。この間の運動会でも、並んで観てるお母さん達の前に仁王立ちで、我を忘れてビデオ撮影・・・本日の授業参観もビデオ持参でわが子の授業風景を撮る撮る。横から、前から、教室の中を走り回る。ついでに、いつも連れあるく、鼻水たらした2才ぐらいの汚いガキも走り回る。白い空気が教室を・・・しかし彼女は元気。
 ところが、これだけじゃなかったのね。爆笑ネタ(楽しんでるのは僕だけ?)は更にエスカレート。
旦那もきてました!お約束通り!
 がははは、パンチパーマでちょび髭はやして、チョット小柄。さすがにニッカボッカは穿いてこなかったけど、絵に描いたような「元暴走族・今鳶職」なおにいさん。はまりすぎて恐いくらい。茶パツの元レデーィスと極悪キラー連合(出身団体は不明)なカップル。新婚さんいらっしゃ〜い、がまだあったなら、3組に1組はいたパターン。おもしろすぎる。
 さらに、彼女のファンになってしまいました。旦那はチョット恐そうなので、お友達になるのは止めときます。


6月3日(Mon)
 自分で脱いで自分で射精する。これがオナニー。自分で書いて自分で読む。これが日記。こう並べてみると、なるほどよく似ていることに気づく。(似てない似てない)
 日記界で何かと話題になる人前オナニー・公開Kiss日記も、日記とオナニーが同じだと結論づけば(おいおい)、それも又当然の結果なのかも知れません。
 答えは、どちらも癖になる。ちゃんちゃん。お〜い、こんぺいから座布団2枚取れ。<しかし、何故に終了しないのか?日本テレビ七不思議のひとつは、意味のない長寿番組・日曜夜の敬老の時間「笑点」からスポンサーが降りない訳と言われ続けている。ちなみに、日テレ七不思議の第1位は、何故にたけしが出続ける?「世界まる見え!テレビ特捜部」だそうである。

 マクドナルドのレシートの品名欄の最後に担当レジ係の名前が入っているのに、今日はじめて気づいた。
 単価の欄が0円になってるのは、最初の頃の「スマイル0円」のリメイクねたなのか、最初からそうなのか、教えてえらい人。どっちにしても笑いは取れそうもないぞ、とほほ。
 てりたまバーガー・・・今度、てりやき抜きで注文しようと思ってたのに、もう終わっちゃってるぞ。とほほ・Pert Tow。

 本日は小ネタ集で攻めてみました。かわいがってね〜。by小枝。


6月4日(Tue)
 世界初の、日記ウォッチャー・日記評論家として、どうしても気になる最近の些末な日記達の事情・・・以前にも書いたように、かなりフィクショナルと、卑怯なexcuse付の僕の日記ゆえ、誰の日記と特定してるわけではありません。と言いながら、プロの日記読み(そんなのいるの?)にかかれば明々白々なのも又現実。
 最近上位にランキングされる若い女性、およそ2人。一人はここの処ちょっと息切れ中で、自分で投票する気力が減退中?<こらこら。このお二人に共通するのが、いずれも若い女性で、しかも今時珍しいような、ぶりぶりのぶりっ子。HomePageでやってることはかなり玄人風なのだが、書いてるモノを読むと「コンピューターもインターネットも初心者で〜す。親切なおにいさん、おしえて。」
 そして、日記に書いてあることはHomePageの更新情報と、今時の若い女性にしては幼い話題。日常のリアルな生活感が見事にこそげ落とされた、ハードボイルドな文体は、大薮春彦、レイモンド・チャンドラーもかくや。う〜ん、謎は深まるばかり。あれだけ自己顕示欲が旺盛な若い女性なら、ポートレートの一つもWeb上で公開していそうだが、そうしたモノもまるでないですね。そうすれば、もっと投票増えると思いますが。
 この奥歯にモノの挟まったような嫌みな書き方・・・これが僕の流儀でして、誠に申し訳ない。スッキリ・ばっさりな日記で、これ以上トラブル抱えるのはNo Goodなもので、こんなイジイジした日記を書いて、ひとり憂さ晴らし。

 彼の気持ちが少し分かりかけてきた気がします。

 先頭をゆく長距離ランナーの孤独と不安。まるで、秋の夕暮れに縁側で人生を振り返るような日記。とほほ。<これがオチなのでしょうか?


6月5日(Wed)


灰色の部屋

 都会の迷路のような盛り場で声をかけられた私は、ひどくご機嫌な気分のまま、その中国人らしき男の後を付いていく。会話の中身はまるで覚えていない。何やら意味不明な笑みを浮かべる男との間でどんな商談が成立したのか?いくばくかの金をその男に渡すと、黙って、付いてくるように私を促した。ことさらに路地裏を選んで歩いているのか、私はまったく方向感覚を失っていた。
 いつの間にかビルの外階段を上がって屋上にでた。まわりを高いビルに囲まれてまるで見通しのきかないその屋上に、灰色のペントハウスがあった。緑色の鋼鉄製の扉の前に立った男が、ここが私の目的地だと告げる。男は扉の中へは入ろうとしない。何かを恐れているように見えたが、私のアルコールで麻痺した頭は、そうした違和感を感じるヒマもなく、男にドアの向こうへ押しやられた。

 入口の緑色のドアを抜けると、もう一つ頑丈そうな扉があった。緋色に塗られたその扉をそっと開ける。
 灰色の壁に灰色の床。窓のない部屋の中央には、これも灰色のシーツが掛かった巨大なベットが置かれている。その上に全裸の女がうつ伏せに眠っていた。乱れた黒髪がその表情を隠している。白い肌と伸びやかな姿態がまぶしい。シーツに押しつけられた、小ぶりだが形のよい乳房が、呼吸の度に上下する。
 この女が商談の結果なのか?私はどんな契約を彼と結んだのか?なぜ男は部屋に入らないのか?数々の疑問をねじ伏せるほど、私はその女に魅せられていた。

 そっと近づいた私は、女の髪に手をのばそうとして、それがうねうねと蠢く無数の蛇であることに息をのんだ。唇から覗く赤い舌が、私を誘うようにちろちろと舌なめずりをする。
 足元から石化する私自身を意識しながら、尚も、蠢く黒い蛇の陰に光るおんなの凍った瞳に、私は欲情していた。


6月6日(Thu)
 なんだなんだ、もうこんな時間。10日ぶり位でNiftyにアクセスしたら未読が2000以上かな・・・とほほ。
 流量の多いフォーラム覗いてるからこんな目に遭うんでしょう。
 E-mailと違ってComNifty+茄子の環境はログ読むには快適なんですけど、何しろ数が多い。みんな未読にしちゃえば良いのに、根が貧乏性だからいちいちコメントツリーさかのぼって読み返したりして、時間がかかります。夕方から延々こんなことやっていて、危うく日記の更新忘れるところでした。
 あと、書店覗きもけっこう趣味なんですけど、ここの処買っては見たけど読んでない雑誌や新刊が山積み。もう少し文通制限しないと、一日中モニターの文字読むだけの生活は、考え直したほうがよいでしょう。そこのあなた。人ごとじゃないです、も〜大変なんすから。仕事もかなりヤバイかも。取引先の営業マンに、メール書いてて納期遅れましたといっても、変な目で見られるのがオチです。
 ということで業務連絡。全国3000万文通マニアの皆さん、私からの密通非公開Kiss的文通、少し自粛モードで減るかもしれません。申し訳ない。断腸の思い。はーとぶれいく・ほてるで、ひとり寂しくルームサービスの珈琲でお茶を濁す毎日がしばらく続くのでしょうか・・・。あでゅー・ぼん・ぼやーじゅ<例によってフランス語の綴り分かりません。
 しかし、あなたへの文通は欠かしません。<誰に書いてる?このオヤジは。
 復活の日はそんなには遠くないはず。しかし、日記の更新とカラオケはがんばりま〜す。。<なんじゃそれ。


6月7日(Fri)
 日記リンクスがなんだか不調ですね。神がまた、下々の醜い争い事に胸を痛めて、天上界の改革に乗り出しているのでしょうか?今回はどうするんでしょ?SEXチェックをWebでやるのはかなり無理がありそう。やろうと思えばなんでも出来てしまうのがinternetの世界みたいだから、性善説で全てを理解するのはやはり無理がありそうです。
 いわゆる"ネットおかま"という存在は、"ネット"にも"おかま"にも失礼な語感があってあまり好きじゃないのですが、ざらついた関係性をうまく突いた言葉ではあります。まぁ、本職のかたではないから、言葉の使い方のまずさやステレオタイプな女性観で一見して女性でないのがばればれなんですが、中には真剣にメール書く人もいるんだろうな、とも想像してます。
 ココロ寂しい人達がおずおずとネットの中で手探りする。孤独な魂が孤独な日常で見つけた仮想世界。日常から少しずれた人格と孤独に遊ぶこと・・・居丈高に糾弾するのも痛々しい気はします。かといって、あの粘液質な文体は何とかしてほしい。仮想する人間も、それと知ってか知らずか、かかわり合う孤独な人達の裡に、埋めようもない深い亀裂と深淵を見てしまう私は、やはり深い鬱に落ち込んでしまうのです。

ヒトハミナ コドクニウマレ

コドクニ シンデユク

ソレハ ヒゲキデハナク

タダ

ソコニアルモノ



6月8日(Sat)
 夕暮れの街を歩く。

 何事もない一日をすごした家族達が、それぞれの幸せに見合った日常を確認するために帰っていく。明日も同じ一日がやってくると信じて疑わない無邪気さと、こんな幸せがいつまでも続くわけもないことに気付きながら、全てを曖昧なままに折り畳んで、そっと胸の内ポケットに納める分別。
 それぞれの家族にそれぞれの暮らしがあり、夫婦には二人の間の秘め事としてのSEX。片隅の幸せと片隅のSEX。子供たちの寝静まった夜・・・密やかなくり返しがまた今夜も続きますよう、そんな二人の後ろ姿を見送った私の傍らにも、いつも見慣れたあなたが。
 群衆の中にあっていつも想うのは、おびただしい人と同じ数だけあるおびただしい人生。それぞれの喜びや悲しみ、苦痛や快感の数を数える度に私は、そのあまりの膨大さに言葉を失う。毎夜浪費される人生のくり返しに、はたして意味はあるのかと、存在しない神に祈る、私の徒労のような人生。


6月9日(Sun)
出会いは人生に似ている。

別れが人生に似ているように。

偶然の出会いを繰り返しながら、
別れもまた同じ数だけあることの必然性に気付いた私は、

心の中で、
何かが壊れてしまったことを今更のように
悔やんでいた。

永遠の命がないように、
壊れやすい人間同士を繋ぐ赤い糸は、大いなる錯覚が紡ぎだした蜘蛛の糸だったのかも知れない。

 理性が選んだ結論にあらがう感情を
ねじ伏せることに疲れはてた私、

その感情の愚かしさに絶望する私は、
何処へ行くこともできず、何処で立ち止まるかもわからない。

あなたの選んだ結論の正しさに同意する私と、否やを叫ぶ私。

毎日の二律背反に引き裂かれる私の愚かしさ。

解けない謎と出口のない迷宮をさまようことの徒労。

あなたがその裡で迷うことのないように、
手をさしのべることのできない私の臆病な自我は、
もう死に絶えてしまったのかも知れません。

さようならは無意味な言葉なのかも知れません。
なぜなら、
あなたは私の妄想の中で生き続けるから。



6月10日(Mon)
 今、書きながら決めました。
 当分の間、僕の日記は自閉週間に入ります。梅雨入り宣言ですね。申し訳ない。
 その上、完全公開人前Kiss的私信日記となります。Internetに何億人接続しているか知りませんが、その中のただ一人に宛てた日記です。それ以外の方・・・すいません、まったく意味不明の日記になると思います。メールでやればよいモノを日記に書いてしまうのは、全て愚かしい僕のせいです。何故そうするのか?あまりよく分かりません。強いて言えば、メールで答えを求めることが卑怯に思えたからかもしれません。
 これ以上言い訳するのも無意味でしょう。



 今日、あなたの笑顔を見たと思った。・・・あれがそうなのだと、確かめるすべの無いまま、微笑むあなたに戦慄した。実は、笑顔のあなたの顔を想像したことが無かったのです。
 なんという想像力の欠如。
 私の裡にあるあなたは・・・意志的なひかりを放つ瞳の奥に不可思議な悲しみを秘めた女性。謎めいたあなたを愛する余りに、それ以外の、日常の中に立つあなたもまた、紛れもなくあなたであることに、今更のように気付き、うろたえる私。
 何を気付き、何をうろたえることも、全て無意味な行為である事、失ったものを再び眺めることの苦痛、それは私が支払わなければならない代価なのでしょう。その苦痛が大きければ大きいほど、後悔の海で溺れる私の姿を冷笑するのも、また私自身なのです。



6月11日(Tue)
 面白いかも知れません。愚かしいことが無性にやりたくなるときが人間にはあります。気持ちがすさんでいるときは、こんな事でも声が大きくなってしまいます。
 ただし、論争にはならないでしょう。彼は私の問いに何ひとつ答えようとしないのですから。意識的なのか、本当に論理構造が不自由なのか僕には良く分かりません。すり替えと欺瞞のオンパレード。
 ねぇ、せんべいさん。あなたは本当に僕の言ってることが分かりますか?自分は日本語が不自由だからという逃げはもうやめませんか。日本語でコミニケートすることが難しいなら、他者の文章の内容をとやかく言うことはいい加減にしたら如何?と何度も言ってますよね。
 僕があなたの日記をコピーした?何処をどうコピーしたというのかを、具体的に教えて下さい。
 クリエイターとコピーについてあなたに宛てた質問はもっと下世話な話です。あなたがアメリカ土産にソフトウェアをコピーして上げるからMOのサイズを教えてとメールしてきたり、どこかのパソ通のアカウントをコピーしているとOFF会の席上で公言する事と、クリエイターとしてのあなたの立場についてです。
 他者の知的所有権に無頓着なクリエイターを僕は認めません。そういう人は、自分の仕事も、他者からコピーして恥じることのない人でしょう。まぁ、自分の作ったモノに責任を持てば、なんでもコピーして良いという人とこんな論争していても無意味でしょう。それって、どんな責任の取り方なんでしょう?他からコピーしたモノでいったいどんな責任がとれるのでしょう。こういう人を厚顔無恥と日本語では言います。日本の大手企業にもソフトウェアのコピーを全社的におこなっているようなところは、残念ながら多いです。ただ、あなたのように公然と言う人は少ない。
 それと、私は日記をツクッテいますが、それ故に責任はないと、いつ言いましたか?これもあなたの勝手な妄想。私は自分の書いたものの責任は全て自分で負うつもりでいます。すくなくとも、あなたのように過去の文章を恣意的に削除したり、改変したりしたことはないです。1月21日からはじめた私の日記で明らかな誤字以外、一字一句変えたことはないです。誰でも読み返すことはできます。
 なぜ、他者に向かって日記をやめろとかメールをやめろといいはるのか・・・あなたの論理構造はやはり僕には理解できません。日常にまで増殖するあなたの妄想、それに溺れるのはあなたの勝手ですが、他者を自己の妄想に巻き込むのはやめてと何回繰り返せばよいのか。
 まぁ、僕もあなたにの日記はやめてほしいと切実に思う事もありますが、他者にそんなことを言い募るのは、僕の生き方に恥じるので、口が裂けてもそんなことはいいません。どんどん書いて。ただ、僕のことはかまわないで。それだけをお願いします。

●午後6時の追記
 ばうわう氏に一言書かれて謝るぐらいなら、最初からきちんと実名で書きましょう。これもあなたの日本語の不自由さの現れでしょうか?人の日記をやめろとかメールを書くなとか、ファッショ的な言辞を弄するなら、自らの出所進退を明らかにして、それなりの覚悟で書かれたほうが宜しいかと。日本人の中に古くから宿る言霊(ことだま)の力は実在するのです。特に自らの書いたものが全て残ってしまうデジタルな世界で、その事に無自覚な人間は自ら墓穴を掘ることが多いようです。

●午後8時の追記
 しかし、ここの処のトラブル続き・・・スーダラ日記がお似合いですと、メール頂いて、自分でも自覚しているつもりなのです。ただ、どうしても譲れない、僕の中にある原初的な魂=こんな事を書くのはとても気恥ずかしいモノです=が、どうしても彼の言葉に冷静でいられないのです。なにかを強制されることに堪えられない。お互いを認め合うことができないなら、少なくとも無視するぐらいのことはできるでしょう。無縁にすれ違う路上のひとりとして、黙って通り過ぎてほしい。彼の言う他者の日記を読まない1週間とは、所詮、自分の日記を書くために雑音を無視すると言うだけの行為だった事に、本当に疲れはてました。ばうわう氏の行為をとやかく言っていたのは何者?
 実は、もう今日あたりで日記はやめるつもりでした。自閉して、何だか目的を失った日記を書くことに、自分自身でうんざりし始めていました。
 しかし、今日、せんべい氏から日記をやめてしまえと書かれては、もうやめる訳には行かなくなりました。少なくとも、彼がやめるまで僕の日記は終わらないでしょう。せんべい禁止と書いて、全てを理解できる人なら苦労はないのですが・・・僕の日記を無視してくれと言うことがそんなに難しいですか?いろいろと他人の日記をあげつらう根拠は何処にあるのですか?あなたがニューヨークに住まいが有るから?英語がしゃべれるから?何やらマスコミの一翼を担っているらしいから?テンプル大学で講義を受けてるから?普段シゴトで批判されることにはなれているから?批判されないシゴトって何?
 いくら考えても、僕とは無縁な人としか思えないのですが。さようなら、とあなたにメールすればそれで終わりだったのではないのですか?いい加減にしてくれませんか。何度でも書きます。僕のことはかまわないで。

●午後11時の追記
 人の日記を批判するならば、もう少し誠実になった方がいいでしょう。上野公園でゴリラと遊ぶ片手間に、あなたにこきおろされる日記者の事も考えて、少なくとも批判する相手の日記は読まなきゃ、せんべいさん。人を呪わば穴二つ、という諺をあなたに進呈しましょう。僕と違って、ツクッテないあなたの日記が果たさねばならない責任は何処にあるのか?あなたが作り上げたあなたの日記に、あなたはどんな責任を持っているのか?どんな責任を果たしているのか?そのことに非常に興味はありますが、僕のことを無視してくれるなら、以後あなたの日記は読むこともコメントすることもないでしょう。もうこんな事にはサヨナラしたいんです。
 あなたが何を逆上して、僕の日記とメールをやめろといってるのか、よく承知しています。あまりに愚かしいので(僕自身のことです、間違えないように)これ以上深入りしたくないのです。あなたとのやり取りに時間と通信費を浪費することが堪えられないのです。まわりの人間全てが、あなたの思惑に沿って行動していると考えるのは、やはりあなたの妄想です。あなたと関係したくないのです。あなたに触れられたくない。明日はこんな事がないことを祈っています。今日3回目です。僕のことはかまわないで。


6月12日(Wed)
 全て了解しました。せんべいさん。"お互いが理解し合えない事"について、合意ができたものと考えます。

 あなたとは共感しあえるモノがあったと、感じられた時があっただけに残念です。妄想がちの日記者が、お互いの妄想の故にいがみ合うことは、必然だったのかも知れません。
 他者の妄想を共有できるほど、現代に生きる僕たちは無邪気ではなかったということでしょう。

 自分の日記について考えるよい機会でした。何故僕は日記を書くのか?日記という形式にこだわるのか?それを何故公開するのか?はたして公開日記といいながら、誰に宛てて書いているのか?
 僕の中に答えはありますが、そこまで赤裸々になれるほど僕は純粋ではありません。おバカな日記者として復活できるよう、もう一度やり直すつもりではいますが、さて、どうなりますか。
 全てを投げ出したい誘惑に駆られながら、しかし、相変わらず意味不明の日記を書き続けていくのでしょう。


6月13日(Thu)
 実は、今日の日記は、昨夜久しぶりに見たテレビについて書くつもりでした。
 「ル・バル」パリの下町にあるダンスホールを舞台にした、全編セリフのない、歌とダンスだけで綴った人生模様という、いかにもフランス映画らしい洒落た作りの佳品なんですけど、これについては明日あたりに書くかもしれません。

 今日はある人の日記についてどうしても書きたくなりました。

 たった今読みおわった日記の中の、彼女のポートレートに魅せられています。彼女はもうこの世にはいません。山田花子(本名・高市由美)さん、私はあなたにお会いしたかったです。あまりにも繊細なあなたのココロを傷つけはしないかと恐れながら、恐がらなくてもいいんだよと、あなたに告げたい。
 漫画の世界にうとい私は、ある人に知らされるまで、彼女のことはまったく知りませんでした。現在も、彼女の漫画を読んだことはありません。とても有名な方なのかもしれません。ただ、黄ばんだ用紙に印刷された、彼女の葬儀の時に使われた遺影に心が乱されています。
 赤いベレー帽と幼い三つ編みが彼女を幼女のように見せているが、少し傾けた首で見返す彼女の瞳が、私の心を正面から突きさすようです。私の心の中のどす黒い願望や欲望、嫉妬やねたみ、劣等感や虚栄心、それら醜いモノを全て見通す、透明なチカラに溢れた瞳でした。他者との関係を求める自己の純粋さのあまり、繊細すぎる彼女の精神には人間の中に潜むモノは耐え難い怪物のように思えたのかもしれません。
 劣等感の固まりとなり、自己の才能に絶望する魂。醜いモノを激しく拒絶しながら、自分自身の中にも又同じモノがあることに深く傷つく少女・・・彼女の言葉が私の言葉であるかのように、共感というよりももっと強い感情が私を突き動かす。



親切=お節介。心配=ありがた迷惑。

ドラマごっこはうっとおしい。



いつも思うこと「早く終わんないかな」

なんの希望もないけれど、今日も一日生きてみよう。

死ぬよりマシかもしれない。



 彼女の関心事は、いつも他者との関係性の修復でした。真実を求めながら、真実など何処にも存在しないことに絶望して、他者を拒否しながら、それでも求めずにはいられない孤独な魂。彼女を傷つけ続ける廻りの人間達・・・ただのいじめっ子は、その悪意の嵐に耐えればそこで終わるのに、彼女が天敵と呼ぶ人間達=家族であったり友人であったりして、愛の押し売り(実は自己愛の裏返し)に追いつめられる時、彼女には逃げ場所がない。それが善意であればあるほど、その息苦しさに耐えられなくなる彼女のうめき声が聞こえるような気がしました。
 そっと彼女の傍らに立ち、愚かな人間をその愚かさ故に愛することも又、人生のひとつなのだよ、と教えてみたい。あなたを無私の心で愛する人は必ずいる事を伝えたい。人を愛することの醜さに絶望すること、愛を確かめるために、およそ愛とは無縁な行為でしか確認することの出来ない、人間という生きものの矛盾について答えたい。
 彼女と同じような絶望の海から、なぜ私が浮かび上がったかといえば、それは私が「雄」の攻撃性を持った、彼女のいうところの"強度の屈折型"の人間でもあったからです。関係性を拒否しながら、尚且つそれを求める気持ちも又大きかったからです。
 彼女の必死の叫びに耳を傾ける人間が一人でもいれば・・・その事を責めることは意味がないし、責めることは不可能でしょう。彼女の孤独のあまりの深さに気付くことの無かった父親の悲哀。追いつめてしまった娘にわびる母親の後悔。我が子に死なれてしまった親の自責の念も又、私は共感することのできる年齢になりました。もう少し生きてほしかった。彼女の24才の短い生涯の必然性について、やはり存在しない「神」に向かって抗議する事は、私の務めのような気がしています。

山田花子(漫画家・故人)自殺直前日記
太田出版 ¥800


6月14日(Fri)
 夕べ予告したフランス映画「ル・バル」について。

 "おきらく映画時評"と名乗るとおり、監督の名前調べたり、出演者のフイルムグラフィーを紹介するようなことはぜんぜんできません。申し訳ない。ただ、見た感想・・・素朴です。ピュアと言ってネ。
 パリの下町にあるらしいダンスホールから、カメラは一歩もでません。戦前から第二時大戦を経て、現代のロックからディスコまで、ダンスナンバーとその時代の名曲に乗って、ひたすらダンスに興じる男女をセリフなしで描いた、とても小粋な映画です。
 WOWOWの映画解説によると、監督はイタリア人のエットーレ・スコラ<ぜんぜん知りません。まるで舞台劇のようと思ってたら、そのとおり、舞台の映画化の作品のようです。
 まず、出演者がとてもいい。映画はキャスティングがすべてと誰かがいっていたと思いましたが、本当に個性的で魅力に溢れた役者ばかりで、それぞれにいとおしい。多分有名な女優さんなんでしょう、どうも見た覚えのあるおばさんが沢山でてます。向こうでは有名な役者さんが大挙してでてるんでしょう。しかし、女性陣の平均年齢が恐ろしいほど高そう・・・無理な若作りが異様な圧迫感で迫るときがあって、少し辛いシーンもでてくるのですが、古くからのファンにはそれもお楽しみのひとつなのでしょう。
 音楽とダンスで世相を繋ぐという、ややもすると安易な設定と、ちょっと紋切り型の展開も気になる事もありますが、そんな考えこまずにそれぞれのキャラクターの演じる無言劇を楽しめる人には、とてもうれしい映画なのです。ジャン・ギャバンのそっくりさんが、乱入したりのおふざけがぜんぜん笑えないのは文化の違いかもしれません。
 何人かのお気に入りのキャラクターを紹介しましょう。
 古いフランス映画に良くでてくる狂言回しの役どころの男優、最後のテロップで名前だけ覚えました。マルコ・バーマン(読みに自信ないです) この人が良いんです。屈折する日記者の気分にぴったり。ある時はモノクルで気取った紳士、ナチの侵攻時には枢軸側に、連合軍がパリを解放すればアメリカ兵にとり入る小悪党ぶりも板に付いた男。危ない目つきでダンスのパートナーを見つめたり、軽薄なロックンローラーで踊りまくったり、とにかくその無自覚さが、滑稽でやがて悲しいと言う奴です。
 あとは、人間失格で赤井秀和にプールの中で殺された体育教師によく似た、のっぽの役者さんも僕は好きです。
 女性陣では最初から最後までパートナーを待ち続けていて、結局誰とも踊ることのなかった近眼の女(これも名前分かりません)がよかったです。
 あなたもぜひ、お気に入りのキャラクターを見つけてみて下さい。
 20日15:00から再放送<誰が見るんだこんな時間に! があるようですが、それほどムキになって見るほどの事もないですよ。

 新しい日記者を二人ばかりご紹介。
 みやもとなつみさんは、今話題のネット◎◎◎ではありません。立派な男性です<中身まで確認したことはないですが。日記者としての素質はまだ未知数ですが、お友達と言うことでリンクしてます。フリーで使えるアイコン集なんかもあったりして、日記以外も要確認。
 塚野龍之介は学生さんなのかな?分裂症気味(失礼)の日記の文体がなかなかそそります。もう少し長く書いてくれると、より面白くなりそうな予感が。


6月15日(Sat)
 また今日も自閉する恐れがあります。高層マンションに魅せられている方、及び遮断機の警報音が耳に残っている方はご注意下さい。きょう一日が何事もなく平和であった方、私の日記があなたの心を乱すことがあったなら、私はあなたを愛します。

 コンビニエンスストアのごみ箱には、大した意味のない日付によって捨てられる弁当類が溢れ、小・中学校から毎日吐き出される大量の残飯が、家畜の餌としても省みられないような、この飽食の時代・・・だからこそ、と言えるのかもしれません。ここの処なぜか目立つのは、年老いた夫婦や親子の、絶望的な"死"のニュースです。誰にも看取られない病死であったり、施しを激しく拒否した上の餓死などと、彼らの死のありさまを聞く度に、わたしの胸の奥でひりひりと痛むモノがあります。
 4月に、路上に廃棄された車の中で生活していた夫婦がひっそりと二人して死んでいるのが見つかったと日記に書いた事がありますが、まさに同じ頃、東京都豊島区のアパートで、ひっそりと餓死した親子が発見されたというニュースがありました。そして、死の直前までその母親が日記を付けていたらしい。
 以下は、無味乾燥な新聞記事から、私が妄想するかれらの絶望と救済・・・
 77才の母親と41才の息子がひっそりと暮らすアパートの一室。病気がちの息子は、部屋の片隅にひかれた布団の中でじっと天井を見つめたまま、もう3日も母親と口をきいていないことに気付いた。なにも話す必要がなかった。1週間前に電気料金を支払ってから、この家には数枚の硬貨以外現金に類するモノは1銭もなかった。食べる物に事欠きながら、それでも請求された金額を支払わずにいられない母親をとがめる事は彼にはできなかった。律儀な母親が30年以上付け続けていた家計簿も、このひと月以上開かれることはなかった。すべてが閉塞し、密室となったアパートで、彼と母親はお互いの命の無意味さを思い知った。二人は"死"は恐れる物ではなく、ただの肉体の消滅にしかすぎないことに気付いてしまったのだ。苦痛も快感も、幸福も絶望も、すべてはちっぽけな自分自身の脳細胞が吐き出した幻想にしか過ぎないのだから、その肉体の消滅は精神の消滅も意味する。それは救いですらありえない。
 なぜなら救いもまた、幻想の一種なのだから。アパートの一室で、彼ら親子は"完全なる虚無"によってその魂は救済されたのかもしれない。

 その母親の日記が「飽食の時代になぜ二人が餓死したのか、背景を明らかにする社会的意義がある」と言う区福祉部の役人の作文によって、区情報公開条例に基づき公開されているらしい。下司な役人の保身から、行政側の対応を非難する声に反論する形で、日記の公開が行われたようだ。その母親の日記を読んでみたい私の思いとは別に、そんな形で行政によって、2度目の"死"を死なねばならない彼らの絶望の深さに、私はまた、自閉の海に溺れてしまうのかもしれません。


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