デーテーペーな1日

1997.9.1~15

日記関係の発言はこちらで。
9月1日(Mon)
 ついさっき寝たばかりだと言うのに、何やら麻美が枕元で騒いでます・・・う〜ん、朝からカンベンして。
 それも何だか階段にザリガニがいるとか、そんな訳の分らないことを叫んでいるようです。朝っぱらから寝ぼけてるのか? そのうちに、ワーワーキャーキャーと奥さんまで一緒になって叫んでるようですなぁ。なんなんだよ、一体? 仕方がないので寝室から起き出してみると・・・ぎゃー。("きゃー"の強調形)
 か、か、階段に転がってるのはあれはまさしく我家の「ザリ彦」じゃないですか。以前からエアーパイプによじ登って水面近くでもがいてたりしてましたが、昨夜はうっかり水槽のフタが外れていたようで、そのまま外界にジャンプしたみたい。しかし・・・出窓においた水槽から階段までガサゴソと歩いてきたのか?このザリガニは。お前はエイリアンか! 大口開けて寝てる口の中にボタリと落ちたりして・・・きゃー。悪夢です。
 こんなエイリアンみたいなザリガニを捕まえるのは僕はチョー苦手です。父親の沽券に係わるので外見上は努めて冷静さを装いながら、捕まえるのは恐いものしらずの正美に任せました。がはははh、勇気あるなぁ、正美は。ここら辺りは父親とは少し違っているようです。
 で、昨日ため池から取ってきた2匹のザリガニと一緒の水槽に入れて有ったので、そこへ戻そうとしたんですが・・・あぁ、一匹のハサミがひとつありませんナァ。きゃー。ザリ彦に喰われてしまったようです。なんでも食べるヤツです・・・ひょっとしたら地上最強の生物かも。等身大のザリガニが登場する恐怖映画って恐そ〜。

 久しぶりに「ザリ彦」ネタで更新したと思ったら、2日続けてザリガニで更新するハメに。とほほ。
 しかしなぁ・・・寝ぼけまなこで階段のザリガニうっかり踏んづけたりしたら、本当に「きゃー。」と悲鳴あげそうです。そろそろ向いの公園の池に逃した方がいいのかも。


9月2日(Tue)
 何故この時期になって、「断種手術」などと言った過去の亡霊のような言葉が唐突に蘇ってくるのか・・・いや、過去の亡霊と簡単に結論づけて良いのか?
 どうやら地道な調査取材の結果を公表したスウェーデンの日刊紙の記事がその震源のようです。
 手厚い福祉と引換に余計なコストを招くだけの知的障害者やら精神病患者達の妊娠・出産を事前に措置するというのは、いかにも60年代の西洋合理主義的な理に叶った結論だったのでしょう。ただ、スウェーデンやノルウェーなどの北欧諸国のこうした行為を「人間性の欠如」とか「社会的蛮行」などと言って非難するのは簡単です。断種政策を人種隔離政策のために利用したナチス・ドイツと同一の、将に古ぼけた優生学思想を利用した「選良主義」そのものだと・・・ただ、自分たちの手ももう一度見てみる必要があるかも。ほら、何やら血まみれのような。

 何事も西洋思想から学ぶことの多い近代日本のこと、優性保護法の名の下にまったく同じ事をやってきたのは周知の事実です。優性保護法にもとずく公的な不妊手術の影で、それに数倍するカタチで秘かに行われたであろう中絶や不妊手術の数は恐らく欧米以上かも。さらに言えば、そうした問題を過去のお話しとして片づけることは出来ないような気がします。むしろ最近は一層巧妙になってきているのかも知れません。たとえば、施設に暮す知的障害者や精神病患者が父親の判らない子供を妊娠すれば多くの場合、本人の意思を確かめるまでもなく妊娠中絶が実行され、保護者にはそれとなく今後のトラブルの芽を摘むためにと、不妊手術が勧められることになります。女性などは生理の処置が大変だろうと卵巣の摘出などを勧める医師さえいるとか。人間というものの存在をバカにする、効率いっぺんやりの愚か者達は、自分自身がそうした立場に立つ事があるなどとは想像したことすらないのでしょう。言葉もココロも貧しい人間達の想像力の欠如がこうした問題の本質なのかも知れません。人間の「命」の軽重を自らが計ることになんら恐怖を抱くことのない人間と言うものは、呪われてしかるべきでしょう。むろん「神」にではなく、汚物トレーの上に置かれた胎児達に。

 言葉選びが特別に硬直している日は、書くことに往生している証拠です。今日のような話題には特別に逆上する恐れがあって、自分なりに言葉を選ぶのに苦労します。まぁ、僕が逆上して叫んだからと言って何ひとつ変るわけではありませんが・・・だからこそ逆上するのかも。


9月3日(Wed)
 すぐ近くにレンタルショップがオープンしていたのをつい最近になって知りました。ずいぶん大きなチェーン店みたいで、だだっ広い店内にはビデオやらCD以外にもゲームソフトも並んでいるようです。
 ふ〜ん、最近はゲームソフトのレンタルなんてのもやってるんだ・・・何せ、レンタルショップに足を踏み入れたのは何年ぶりかな?大昔の第一次レンタルビデオショップブームの時以来ですから10年近く前かも。何だか見るものがみんな新鮮で、店内を物珍しげにウロウロするただのオヤヂと化してます。<って、元からオヤヂでしたなぁ。がはははh、
 シングルCDが900円でアルバムが3000円でしたっけ?話題に乗遅れないため"だけ"に買うにはバカくさい値段だからなぁ、やっぱりレンタルが便利です。

 で、借りてきました「硝子の少年」・・・がはははh、やっぱりな。他にもいろいろと恥ずかしいタイトルばっかり借りてきたかも。あ、アダルトビデオじゃないですよ。「シャ乱Q」とか「B'z」とか、後は「SPEED」やら「相川七瀬」とか・・・ひゃー。
 薄っぺらな音がなんともレトロな感じがして、懐かしさにつられて、つい子供をダシにして買ったりするオヤヂやオバサンが多いような気がします。ひょっとするとその辺りも計算済なのかも。KinKi Kidsのファン層なんてガキばかりで、そんな彼らの両親なんかが、モロそんなターゲットなんでしょう。
 うん、カラオケにはいい感じかも。この際だからPTAの奥さんでも誘って行きますか、ひとつ。

 「KinKi Kids」ならまだしも、「B'z」をカラオケで熱唱するオヤヂってのやっぱり顰蹙バリバリでしょうね。僕自身そんなヤツがいたらけっ飛ばしたくなるかも。やっぱり、家族連れの時だけにしますわ。がはははh、我家の家族はイイ迷惑ですが、もうすっかり諦めている模様で、カラオケと言えば萎え萎えですわ。<まね。


9月4日(Thu)
 大阪西成区の住宅密集地帯の木造アパートでの火事・・・焼跡から見つかった焼死体の年令を聞いて暗澹たる思いがした。80才台がふたりに70才台がひとり。いずれもひとり住いで、戦後すぐに建てられたその木造アパートでひっそりと暮していた老婆のようだった。
 連添いを先になくしたのか、あるいは戦後の数十年間を孤独に暮してきたものか・・・僕自身の内なる妄想の中にいる彼女たちは、深く刻まれたシワと白く濁ってあたかも死魚のソレのような目で、路地の奥からじっと僕を見返していた。

 色あせた絣の着物をきて、誰にとも知れぬ手招きをくり返すその老婆に誘われるように、僕は路地の奥にふらふらと迷い込んだ。

 小さな老婆の前に立つと、それまではまるで無関心に僕の背後にある空を見ていた老婆がいきなり僕の腕をつかんだ。ある種・・・僕自身の記憶の中にある濃厚な匂いがふいに鼻につく。「死」を予感させるそれは、生きながら腐りつつある者が放つ腐臭と糞尿のいりまじった匂いだった。思わず顔をしかめる僕を見上げると、そのまま後ずさりしながら背後にある薄暗い廊下の向うへと、老婆とも思えぬ力で僕を引きずり込もうとする。
 何故かしら抵抗できないまま・・・僕はズルズルと闇の奥へと老婆と共に進む。

 廊下に並んだ無数のドアの陰では、ひからびた老人達が黙々と食事をしているかと思うと、シミだらけの肌をくねらせて二人して重なり合っている老人達の姿もみえた。低い天井にロープを渡して首をつっている老人の隣では、無言でテレビを眺めている巨大な紙おむつの老人達・・・何処までも続く廊下の向うは、ただ漠然とした闇が拡がるだけの薄暮のような世界だった。

 80才を越えて一人暮しを続ける老婆達の日常と、その結末のあまりの孤独が身につまされるのは、やはり僕自身が自分の「死」についてそろそろ実感する処があるからでしょうか。人生の半ば以上を生きてきた実感というのは確実にあるようです。ただ・・・お気楽に平均寿命80年とうそぶいてみても、今までの人生とこれからの残り半分が等価だとは、我ながら信じていないだけです。無限の可能性が既に通り過ぎたことをなんとなく実感してしまう毎日・・・それ以後の、ただ死んでいくために残りの数十年があるのだとするなら、後半の人生はまさに煉獄に繋がれたも同然。その事実が耐え難いが故に、人は子供などを生み育てるのかもしれません。

 老朽化したアパートの一室で窒息しそうなわが身の存在すらも半ば無関心なまま、明日の朝の目覚めを恐れつつ眠りにつこうとする老人達はこれからも増え続けていくのでしょう。

 故なく生れてきた人間が、なんの意味もなく死んでいくのは当然の結果かも知れません。数十年生きてきた己の人生がなんの意味もないとはなかなか認めたくはないモノですが・・・だからと言って、つましい己の家族を見渡して安堵する人生もまた寂しいような気がします。


9月5日(Fri)
 昔からそうなのですが、僕の場合音楽を聴きながら何かを書くというのが苦手でした。勉強ならラジオを聴きながらとか、それこそテレビを見ながらなんてことも出来たのですが。基本的に音楽に「浸る」という事が苦手なのかも。本当の意味での"音"を"楽"しむという事が出来ないようです。リズムやメロディーに同調するということが無くて、ついつい「聴いてしまう」のも、注意力が削がれる原因なのでしょう。
 立花さんをはじめ、日記にBGMの曲名を書かれる方も多いようですが、そんな訳で僕の場合は未だに日記を書くときなどは無音の状態にします。はい、「硝子の少年」もコレを書いている間は止ってます。「パワーソング」も。きゃー。
 音楽を聞きながら仕事は出来ても、どうも文章を書くときはダメなんです。う〜ん、これって仕事にはなんにも頭つかってない事の証明なんでしょうか?<多分ね。
 さらに背後に誰かいたりするともっとダメかも。子供が事務所でウロウロしていたりすると、「2階にあがってなさい」と、不機嫌そうな声が出たりして。公開日記などといいながら、書いてる途中の自分自身の精神構造なんてモノはあまりに恥ずかしすぎて、そっちばかりはとても公開なんて出来ません。
 書上げた日記はFTPしてそれで終りで、それ以後は恥ずかしくもなんとも思わないのが我ながら不思議です。要するにオナニーの途中を覗かれるのが落着かないと言うことで、射精後の放出感(きゃー)に満足すれば、後に残ったティシュの山は別に恥ずかしいともなんとも思わないようです。<う〜ん、だんだん例えがえげつなくなってくるようで、そろそろ止めないと。誰か止めて〜。<一人で書いてるんだろ!

 自由工作は提出してもしなくてもオッケーと聞かされていた筈なのに、クラスの大多数が何か提出しているようなので、昨日になって慌てて何やら作り出した麻美。う〜ん、どうやら保育園で作った工作をチョコッとだけ手直しした上での、「工作」の使い廻しの様です。がはははh、姑息なヤツ。<それも父親似だろ!ムギュ、確かに・・・ 


9月6日(Sat)
 昨日・今日と二日続けての外食でした。えぇ、昨日はファミレスのハンバーグステーキで今日は回転寿司という、実にもうビンボーくさい何時ものパターン。サンダル履きでも誰も気にしない、そんなお店選びが我家の基本です。まったくなぁ・・・ファミレスではお替り自由のコーヒーをひとつだけ頼んで、夫婦で交替で飲んでいる模様です。がはははh、姑息な手段に固執するのは骨がらみにしみついたビンボー育ちの賜物です。そのうち親子で注意されたりしたらカッコ悪いナァ。ん?ひょっとすると親子4人でひとつのコーヒーカップ廻し飲みか?きゃー。<ビンボーくさすぎ。
 回転寿司でも絵皿とる時にけっこう躊躇したりして・・・「もう一周待ってみて誰も取らなかったら、次は必ずイクラを食べるぞ!」と、秘かに決意しながら流れてくる皿の上のネタに注目。で、向いの家族連れがお目当てのイクラ取ったりすると、なんとなくホッとしながら納豆巻を慌てて取上げたり・・・何だか自分で書いてて寂しくなってきました。とほほ。
 我家のビンボーくさいガキはガキで、皿の上のメロンの大きさをあれこれ較べてはこっちが大きいそっちは小さいと散々迷っているようです。う〜ん、人間性が如実に現れるのが食事風景とは良く言ったモノで、日頃のこころ貧しい食卓風景が容易に想像のつく家族です。

 もう少しおおらかな気持で食事はしたいものですが、もはや全ては手遅れのようです。子供達の給食の時の様子などはあえて想像するのはヤメにしておきましょう。そう、見えなければ何事も気に病む必要もありませんから。<その人生観が全ての原因のような気もします。

 カウンターに並んで食べてたりすると、隣の家族の絵皿の枚数が気になったりしませんか?かちほこったようにウニだのトロだの注文するアベック見るとムカムカしたりしたことはありませんか?イクラばっかり食べるガキの首を締めたくなったことありませんか?がはははh、いずれも僕の実感です。 


9月7日(Sun)
 エリザベス女王の、例の不肖の息子に同情するつもりもありませんが、僕ならば別れた女房の葬式に神妙な顔つきで出席させられたりするのはウンザリ。
 いかにも金の力で女あさりしているような軽薄そうな男と当てつけのようにアバンチュールくり返している「元皇太子妃」って、あまりに自己に対して甘すぎる人間と言う印象しか持てなくて僕にはとても疎ましいようです。相手ならもう少し違った人間もいただろうに・・・
 悲劇の元大統領夫人からギリシャの海運王夫人に収った「ジャックリーヌ・オナシス」が「元皇太子妃」の理想だったのかもしれません。途中までは殆ど似たような軌跡を辿っていたようですが・・・
 食事の後、さてこれから高級コンドミニアムでSEXでもするかと、おかかえボディーガードと移動の途中に酔っぱらい運転での激突死ってのも、あまりに俗に過ぎるようです。同じ自動車でもモナコの断崖で事故死したグレース・ケリーとは大違い。
 ご大層な葬儀の衛星中継も、棺を担ぐ衛兵の一人が階段でずっこけたりしたらどうなるんだろ?・・・大理石の回廊の上に投出されたショックでフタの開いた棺から、血まみれのダイアナの死体が転がったりしたら大騒ぎかなぁ。霊柩車がたった1台で走っている中継画面見て、テレビ局のスタッフ一同「絵にならねぇゾ!」とぼやいているかもとか、トミー・リー・ジョーンズ似のIRAのテロリストがここで沿道からバクダン投げたら効果絶大なのにと、何時ものように訳の判らない妄想ばかりが湧いてきているようです。

 「元皇太子妃」については触れないつもりだったのですが、制服姿で棺を担ぐ姿が何だかとても「イヤな感じ」でつい。彼女にしてもあんな葬儀が望みだったのか?と気になったりするのですが・・・死者は何も文句は言いませんね。


9月8日(Mon)
 何時ものように母親に怒られているなぁと、2階からの声の調子でなんとなく想像は付きますが、何が原因で怒られているのかは下からではよく判りません。
 どうやら外に出て、駐車場の辺りをウロウロしているのは正美のようです・・・自転車にでも乗って遊びに行ったのかと、そのまま正美の事は忘れていたのですが、2階に上がってみると6時過ぎだというのにその正美の姿が見あたりません。遊びに行くとき・帰ってきた時は必ず「いってきます」「ただいま」と声かけるようにうるさく言ってあるので、そう言えば遊びに行った様子はなかったかも。
 で、ピアノの練習している麻美に聞いてみると「知らない」と妙にこわばった顔で返事するばかりで、見るとなにやらウルウルしているご様子。奥さんも何やら機嫌がわるそうだなぁ・・・生理中か?

 最近の彼女の様子を見ると、どうも正美は反抗期のようです。

 学校から帰ったら宿題をしなさいと言われると、「夜の方がおちついて勉強ができるから夜やる。」とか、ピアノの練習しなさいと言うと「遊ぶ時間が無くなるからヤダ。イヤイヤ練習しても上手にならないんだって。」とか・・・ひとつひとつの口答えに妙に説得力があったりして、端で聞いてると母親の言がどうにも理不尽に思えてくるから不思議です。
 「そんなに遊びたければもう帰ってこなくてイイから。」という母親のありがちな言葉に、かた意地はって駐車場でずっと拗ねていたようですが、暗くなって麻美がご飯だよ、と呼びに行った時はこっそり3階の自分の部屋に篭っていたようです。このあたりからしてなかなかに巧妙で、しれっとした顔で夕寝でもしていたのかも。外に出ていった正美が可愛そうと、半べそをかいていた麻美は拍子抜けしているようです。まぁ・・・母親と正美の間にたって一人オロオロしてるのが麻美ってパターンは、これからも多くなるような気がします。
 一応神妙な顔で「ごめんなさい」と母親に謝ったようですが、僕に似ているとすれば内心でどう思っているかは、はなはだ怪しいものです。がはははh、嬉しがってると僕まで怒られそうだからもうヤメ。

 僕の場合「出て行きなさい」と言われると、そのままプイと出ていくとても素直な子供でした。<ソレは素直とは言わないかも。
 まぁ、屁理屈が達者で、口答えが過ぎて余計に怒られると言うのが小さい頃からの僕のパターンでした。う〜ん、まるで今と一緒かも。


9月9日(Tue)
 とうとう我家の「バッタもん」のPSプリンターがお亡くなりになってしまったようです。とほほ。

 いじればいじるほど不調になるという「マーフィの法則」そのもので、あれこれやっている内ににっちもさっちも行かなくなると言うパターン・・・「どつぼ」にはまると云うのがまさにピッタリな状況のようです。
 それも日本語フォントを格納したハードディスクが昇天してしまったらしく、修理となるとたぶんドライブそっくり交換する事になる筈です。いずれにしてもバカバカしい修理代と部品代を請求されるのは目に見えるようです。たぶん新しいの買うのとさほど差がない位かも。う〜ん、どうするかなぁ?
 考えるまでもなくて、30万円以下でADOBE純正のPSプリンターが出ている筈なので、今さらこんなビンボーくさい互換プリンターは捨ててしまえば良さそうなモノですが、そこはそれ・・・根っからのビンボー育ちでなんとか修理代も払わないで自分で直せないかとごちゃごちゃやってるんですが、最後にはウンともスンとも言わなくなってしまいました。・・・こういうありがちな展開を辿るのが何時ものくせに、懲りずにやるところがやっぱりバカとしか言いようがありません。
 小さい頃、少し時間が遅れる「鳩時計」を直そうとして、こっそり分解してしたのはイイけど元に戻せなくなって、おもいきりどやされた経験を持つ男の子は多いと思いますが、いい歳したオヤヂが同じようなことすると、誰も怒られることがないのでさらに大規模にダメになってしまうようです。ビデオデッキやらカメラを分解して結局壊しただけと云うのが今までに何回あったか・・・がはははh、奥さんにはナイショです。

 あぁ、呑気に笑ってる場合じゃないようです。さて、どうしますか・・・

 疲れたかも・・・とっとと修理に出せばいちばん話しは早いのに。結局そうすることになるのかなぁ。あぁ、竹井さんじゃないけど予定外の出費はイタイ。


9月10日(Wed)
 壊れやすいモノ、不確かなモノ、信じがたいモノ・・・そうした「寂しいモノ」が何故かいつも気になる性分というのは、自分ではどうしようもないようです。

 そっと抱きしめてみると、サラサラと僕の手の裡からこぼれ落ちる乾いた砂のようなモノ・・・だからこそ大切に思えるのだとすれば、やはりそれは地に在ることでいっそう輝きを増すたぐいの宝石なのでしょう。

 地下深く、マグマ溜りで灼熱の炎と巨大な圧力で作り出された原石は長い年月をかけて地表に露呈すると、内なる情熱によって輝く時をじっと待っているようです。
 ただし・・・得難い宝石も手に取ってみた途端に芥(あくた)と化してしまう事が多いのも、人間の愚かしさと罪深さの証明のようです。しかしそうせずにはいられない人間の弱さもまた愛すべき愚行のひとつと、何処までも矛盾に充ちた堂々巡りに飽きることのないのが、つまりは僕の一日という訳です。

 「コトバ」の持つ疎ましさと曖昧さがどうにも我慢のならない人間が、「コトバ」によってしか癒されることのない関係性を求めるというのは・・・いずれは破錠する結末、実は自分自身が望むカタチをただただ先延ししたいが為の悪あがきにしか過ぎないのかも知れません。
 こうして誰にともなく、電子の海でおぼろげにしか見えない「あなた」に向けて密やかな口づけをくり返すことの意味は、もはや僕自身の裡では失われているようです。
 ただ、密やかな快感におののく「あなた」を妄想することで僕は愚かしい欲望を一層つのらせているだけなのでしょう。

 そう、汗ばんで固くしこった「あなた」の乳房にそっと口づけてみる夜・・・

 いささか脱力気味・・・不明日記にもあまり元気がなさそうです。だからと言って日常に特別の「何か」があったという訳ではありません。自らをして鬱な気分に浸りたいような一日、というだけなのでしょう。


9月11日(Thu)
 「CHARA」という女性ヴォーカリストのビデオクリップ見て、いきなり僕自身の奥深い処にあるトラウマを逆撫でされたような気分だった事は・・・実はナイショです。

 特にその容貌に・・・

 記憶の断片を再構築させる程、彼女はそのトラウマの主に似ているようです。骨格から来るせいか、気怠い調子で歌うその声もまた、記憶の中にある声によくよく似ているような気がします。寂しそうな笑顔の奥の、求めつつ拒絶するという屈折した情熱を秘めた瞳と、それとはまるで異質な生き物の様に淫らにうごめく唇のアンバランスさも、なにやら過去の記憶をまざまざと思い出させるようです。
 床に座って僕を見上げる彼女の様子にヒリヒリとした喪失感が湧いてくるのを止めることが出来ないまま、ブラウン管の中の記憶の再生を呆然と眺めるばかりでした。
 ただし、はるか昔の記憶のあやふやな印象が、現実の「CHARA」という女性を見たことがきっかけで逆にねじ曲げられている可能性があるのかも知れません。ひょっとすると似ている処など何処にもないのでは・・・ただただ、僕の記憶の中にしか居ない彼女を思い出したような気がしただけ、つまりは愚かしい感傷が垣間みさせたデジャ・ヴューにしか過ぎないのとすれば、実は似ているかどうかはあまり問題ではないような気がします。

 そう言いながら、ビデオクリップの中の彼女の横顔に懸命に過去の記憶をまさぐるのは未だに止む事はないようです。「タイムマシーン」という曲名にも、更なるトラウマの原因があるのかも知れません。

 いつもは買ったことのない今週号の「ぴあ」に、たまたま「CHARA」のインタビュー記事が。つい最近デビューしたものとばかり思っていましたが、91年のデビューとは・・・まぁ、僕がこうした音楽情報にまるで疎いというだけなのでしょう。
 しかし、すでに子供まで居るとは想像もしていませんでした。彼女のプロフーィルを見ることで少しは気が休まったりするのもなんとも不思議です。


9月12日(Fri)
正美のノートより。(引用は原文ママ。)

 新(しん)なるかみよ!!!!(おねがい!)

これは、ほんきです。たまごっちがほしいです。できればごめんなさい2こほしい。1っこわまぼろしのしろ・あとはオレンジのやつがいいです。なかったら、しろのほかにして下さい。ごめんなさいおねがいします。おねがいします。できればおわびをあげたいです。けどあげられません。すみません!ごめんなさいごめんなさい。おゆるしを!

おねがい!!!

やく まさみ・あさみより

 わはははh、なにやらコソコソとノートの切れ端に書いてるなとおもったら、かくの如きモノでした。どうやらサンタクロースと神様がごっちゃになっている模様ですが、本人は至極大マジメで、この紙を夜眠る前に窓に貼りつけては神様だかサンタクロースだかに真剣にお願いしているようです。やたらと「ごめんなさい」を連発してる癖に妙に図々しい処がいかにも正美らしいと言えそうですが、とにかく彼女の願いの強さがひしひしと伝わって来るところなど、なかなかのものと言えそうです。
 ブームも最早終っているというのに、そんなモノを欲しがるというのも、なんともビンボーくさいガキですが、今さらタマゴッチはなぁ・・・「ハセピー」じゃあるまいし、いい加減アホ臭い仕儀です。
 う〜ん、しかしまぁこんなの読まされると親としてはつい情にほだされてしまいがちです。
 はッツ!ひょっとするとそんな「親ばか」の心理ににつけ込む高度な作戦だったりして?わが家のガキならそれぐらいの姑息な事は考えるかも・・・なにせ、僕の娘なんですから。

 夢と現実がごっちゃになっているようで、朝起きるなり、タマゴッチが確かにふたつテーブルの上に在ったと奥さんに強硬に言張って、部屋中を探し回っているようです。それは君が見た夢だって。
 まったくなぁ・・・何を言い出すかと思えば・・・


9月13日(Sat)
 昨日の新聞を読み返していて(何故に昨日の新聞を読む?)、あぁ・・・MXテレビで午後2時半からの映画枠で「ソラリス」放映してたんですね。
 この時間に流される映画ってのがとにかく訳わからんラインナップで結構要チェックなんです。何処の国の映画とも知れないものとか、共産圏の純愛モノやら企業タイアップみたいな邦画など、いかにもUHF局らしいビンボーくさい映画のオンパレードで、僕のようなへそ曲りにはなかなか面白かったりします。

 で、眠くならない「タルコフスキー映画」という、なかなか珍しい作品の「ソラリス」なんですが、当時はあのスタニフラフ・レム原作の映画と云う事実の方が僕にとっては重要だったので、タルコフスキーの「ソラリス」には何だかはぐらかされた印象しか持てませんでした。たぶんSF関係者の評価も映画関係者の評価もイマイチだった筈。いつの間にやらカルトな種類の映画監督になってしまったタルコフスキーは最近では再評価する人も多いような気もしますが、観てる内に寝てしまうと云うのは今も同じかも。がはははh、

 後になってビデオで改めて観たときの印象は、とても哀切なラブストーリなんだと云う事と、死んだ妻が何度も再生する事の恐怖と恍惚の内にかいま見せるタルコフスキーの「ネクロフィリア」としての一面があらわで、液体酸素を飲んで自殺した「妻」が死から蘇るシーンがひどくエロチックで美しかったのが妙に気になったりしたものです。
 もう一度観てみたかったけど・・・わざわざレンタルビデオショップで探してまで観たいという程じゃないんです。ちょうど午後の穴埋めプログラムみたいな感じでそっと放映されたモノを、ぼんやり観るのがいちばん相応しいような気がする映画なんです。そう、お昼寝にもピッタリかも。深夜放映だと熟睡する筈。

 本日はあたふたとした一日(の予定)。何かと忙しいのかもしれません。我ながら自信のない書きっぷりは・・・う〜ん、言わずと知れた予定日記と云うヤツでしょうか?はたしてこの「日記」は何時に書いているのやら・・・


9月14日(Sun)
 ナリマツくんからのメールはありませんでした。<と云う私信にナリマツくんご本人が反応する事は不許可。
 がはははh、こんな書きかたするとすごく気になったりしますよねぇ。でも不許可。

 いきなり私信日記ネタに陥るあたりが、本日の日記の性格を如実に物語っているようです。はい、ネタなし・お出かけ予定日記でまたもや更新中。
 いくらWeb日記とは言え、そんなものは外出から帰ってきてから書けばいいだろうに、そこはそれ「日記更新症」の悲しいサガです。自分で自分をコントロール出来ないからこそ強迫神経症の患者は、際限もなく手を洗ってみたり、戸締りを一晩中確かめなければ気が済まなかったり、毎日日記を更新しないと落着かなかったりするのでしょうね。この辺りの患者の心理状態については、長谷川先生にでも是非その裡に。「Web日記の更新報告の頻度に見る強迫神経症的症状の定量的考察」なんてテーマで日本心理学会で個人発表なんかいかがでしょう?

 う〜ん、本日は不明日記を書く余裕もないほどにマジでヤル気がない模様です。ま、こんな日もあります。本日のお出かけのご報告は夜にでもあっちの方に書くことになるんでしょう。ハチャメチャで訳ワカラン展開になりそうな予感が今から濃厚。

 田舎方面から出席でねぐらのない方はナリマツ邸に宿泊しましょう。彼に「否や」はよもや有りますまい。僕も夜襲しようかな。しかし、喜ばれたりするとまた脱力するからなぁ・・・


9月15日(Mon)
 昨夜からのドタバタ騒ぎが尾を引いて、こんな日は結局訳も判らぬままに一日が過ぎて行くだけなのは・・・まぁ自業自得と言うコトバに付きます。

 八王子から戻って、当然の如く日記巡りしては不毛ないつもの日記をアップして、まずはひと安心と、さすがに少し寝ました。
 3時間ほど眠って、今度はメールチェック。<やっぱりソレか! がはははh、「病気」なんですから大目にみるように。しかしなぁ・・・自分でもそんなにまでしなくても良さそうなモノにと思うこともあります。でも、止みません。
 朝帰りの旦那に奥さん怒っているかと思いましたが、意外に機嫌がいいのにビックリ。これなら今日もオッケーだったかも、ナリマツくん。<もう、僕自身が満腹ですって。

 あぁ、今夜は奥さんと子供達の大のお気に入り番組「ガラスの仮面」の最終回だそうです。6時ぐらいからお風呂に入り、食事も早々とすませて8時には3人でテレビの前にちんと座って夢中です。登場人物のくさいセリフやら学芸会みたいな演技、意味不明の白痴プロットにイチャモンばかりが気になるので、最近は一緒にテレビは見ないことにしています。ま、何事も家庭平和のためかも。
 アホ臭いテレビ番組が好きだと言うのなら、ソレはソレで幸せなんでしょう。毎日「公開日記」などという不明な種類の文章を書き、明け方まで人の日記を読みふける人生がはたして幸せかと訊かれれば、まぁ・・・大きな顔はできません。
 最近は父親がいない方がのんびり出来ると言わんばかりの家族のコトバに、チョピリ傷ついているのかも・・・

 懐かしい方からのお返事が届いていたので、手短にお返事しておきました。はい、僕も相変らずです。その節には是非僕が幹事を。<え!又かよ。


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