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11月1日(Sun) 脳腫瘍の専門医として数々の手術を執刀し、そこで様々な患者の生と死を見つめてきた筈の医師が、自らが一番よく知るその「脳腫瘍」に冒されること。しかも、それが数万人に一人という悪性のものであると知る時・・・それを大いなる運命のいたずらと嘆くことをやめ、医師としてはすでに自分のできることの限界を知るがゆえに、最後は患者としてなにが出来るのかと、自らの闘病記録をカメラの前に晒すことを決意したこの脳外科医の思いというものには、まずなによりも懺悔があるような気がした訳です。 それは果して、なにに向けられた懺悔なのか・・・ 患者になって初めてその事の苦痛や絶望の意味を知ったと告白する医師の多いこと・・・そこにこそ現代の日本の医療の現場が抱える一番の問題があるような気がします。一体誰のための治療なのか? もちろん医師の側は患者のための治療と言うのだろうが、なんの知識も持ち合せない患者は医師の言うままに、苦しい治療や耐え難い手術をひたすら耐えることを強いられるばかりで、自らの意思というものを訊かれる事がほとんどない現在の医療現場での「治療」など、ぼくには真に患者の側に立って行われているものとはとうてい信じがたいのです。 治療の効率によって結果を計らればかりだったり、治癒結果の棒グラフのひとつとして、或は「生」或は「死」として扱われることはぼくはお断りです。そんな「治療」なら、うけるまでもなく自然に任せるのが一番です。特に不治の病であれば余計な治療を拒否して、病に伴う痛みや苦痛の低減だけあれば充分です。 ドキュメンタリーの後半ではすでに手術も不可能になった医師が家庭で家族の看病をうけているのですが、病気の進行に会わせてどんどん赤ん坊に退行していく父親に寄添って微笑む7才の少女の笑顔がとりわけぼくには切なくうつりました。ただし・・・ある意味、彼の人生をうらやんでいる部分もどこかしらにありそうでした。 残される家族の思い出のために、でくの坊の身体を預けることも必要なのかと・・・意識のないままに流動食を鼻から注入され、意識のないままに排泄する夫を看病する妻の様子を見ていて、ふとそんな思いにもかられました。
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