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9月8日(Tue) 缶飲料だけではなく、紙パックからペットボトルまで、日本列島全体が毒入飲料に右往左往している有様は、ほとんど「集団ヒステリー」寸前のように見えます。 犯人像がひとりに集約されて「こいつが犯人かも? こいつこそ犯人だ! いや、こいつが犯人でなければならない!」という、いままでに何度も繰返されてきた犯人探しも、和歌山の事件がどうやらそうした展開になりそうだと、卑しいマスコミ側の思惑が動き始めた矢先に、もう収拾がつかない程に全国各地に「事件」は波及しているようです。 コンビニエンスストアの棚にたったひとつ、ちっぽけな飲物の缶を置いただけで日本中が震撼する・・・考えるまでもなく、僕たちはなんと危うい基盤の上に自分達の生活を築いていたのか。 冷蔵庫を開ければ冷たい飲物がいつもそこにあり、ふたを開けて一息に飲干せば、あとは空缶をゴミ箱に捨てれば良いだけ。先の見通しのまるでないままに石油資源を浪費して、ペットボトルにただの水を詰め込んで、値札をつけて商品とする。昼も夜も煌々とつく蛍光灯の青白いひかりの下で、コンビニエンスストアの棚には溢れるほどの食べ物と多種多様な商品が陳列され、時間が来ればそれらは無価値なものとして捨て去られる。 そこにたった1本のウーロン茶の缶・・・僕たちの社会の約束事はひとりの人間の悪意さえあれば根底から覆ってしまう、そんな脆弱な代物のようです。 誰も彼もが紙パックを子細に眺め、缶コーヒーを裏返して穴を塞いだ跡はないかと疑心暗鬼におちいる。 これは、やはり僕たちの「罪」なのでしょう。 アフリカの砂漠で泥水を掬って渇きをいやすしかない子供達にとって、赤痢におかされてとめどない下痢と共に死んでいくのも、毒入のウーロン茶を飲んで悶死するのも、所詮は大した違いはないはずです。渇けば飲み、飢えれば食べるだけのお話し。 毒入ウーロン茶を飲んで死んだ老人には責任を感じることはないのですが、アフリカやアジアの国でいま死につつある子供達には僕自身は明らかな責任があると感じています。僕がこうしてのうのうと生きていること自体が彼らの死に繋がるのだと知りながら、何ひとつその責任を果そうとはしないのですが・・・その事だけをひたすら実感するばかりです。
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