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9月2日(Wed) 恐らくわが家から5キロと離れていない米軍の「横田基地」には旧ソ連時代からの大陸間弾道ミサイルの照準が何十発となく向けられているはずで、些細なきっかけからそうしたミサイルの発射ボタンが押された場合、数分から数十分で到達するであろうメガトン級の核弾頭によって、間違いなくこのあたりは一瞬のうちに蒸発している筈です。 もともと生きることにそれほど執着するつもりもない人間にとっては、正に青天の霹靂で空から降ってくる「死」には、なんとなく納得できるものがあるような気がします。必死に生きたいと願ってもある日突然病魔に冒されることもあるだろうし、高速道路の側壁に時速100キロでたたきつけられて鋼材とプラスチックに全身を刺し貫かれて死ぬこともあるでしょう。それに比べれば、子供達や妻、隣人やまったくのあかの他人を含めて、ひとつの町ひとつの地域そのものが高熱で焼かれて真っ白な灰になるイメージというのは、僕にとってはなかなか魅力的な「死」に思えます。 いずれにしても、自分が死なねばならぬ存在だと知らされることは納得しがたい事ではあるのでしょうが、その理不尽さがここまで明確なカタチで僕たちの頭上から降ってくると知らされた時、沸々と湧いてくる怒りや恐怖はとりわけ人間的な感情そのものに思えるのです。少しずつ絶望し、徐々に「死」を死んでいくのではないことは、むしろ僕にとっては望ましい結末に思えて仕方がないのです。爆心地から遠くはなれ、あるいは地下シェルターの中で辛うじて生延びたからといって、別に「死」から永遠に逃れられたわけではない以上、遅かれ早かれやってくるものに怯えるよりも、無意味な死を一瞬に実感したまま全てが無に帰するのだとするなら、それななんと単純であからさまな「死」のありようなのかと・・・本音を言えば、むしろそんな最後を望んでいたりするのかも知れません。 政治にも経済にもなんの興味もない人間には、大陸間弾道ミサイルによる第三次世界大戦も小惑星の激突による災害も、所詮は自分一人の「死」としてしか実感できないようです。
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