デーテーペーな1日 デーテーペーな1日


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7月26日(Sun)


 栃木県の宇都宮刑務所内で金子ふみ子が縊死したのが、大正15年(1926)の今日だと知ったのは、つい何日か前に偶然読んだ本の一節からでした。
 数え年23歳と聞かされて、改めて金子ふみ子の人生の激烈さを知らされたような気がすると同時に、なんという清冽で真っ直ぐな人生であったのかと、その事の意味にココロが痺れるような感慨を覚えました。

 もっとも、金子ふみ子と言ったところで、その名前に心当りのある方など現代では本当に少ないというか、もう完全に歴史の彼方に埋没してしまった名前のようです。或は、彼女の結婚相手だった朴烈の名前ならば、「大逆事件」というキーワードと共に歴史の教科書の登場人物のひとりとして微かに記憶のある方はいらっしゃるのかもしれません。
 反天皇・反日本帝国という彼らの思いが、日本人と朝鮮人との政治的関係性の寓話として利用されたのが天皇暗殺を計ったとされるいわゆる「大逆事件」の正体なのだが・・・ふみ子の生い立ちの、そのただならぬ迄の汚辱と無恥のなかで、彼女が傷つき、その汚辱に染まり、絶望し、反発しながら、なおかつ「金子ふみ子」として自己を作り上げていったかを知ることは、実に人間というモノの強さとその可能性に深く心を打たれる瞬間ではあるようです。さらに言えば、女であることで二重の苦しみを受けたであろう事で、彼女の反逆の精神がより一層真摯であったことにも僕自身は強く惹かれます。
 一度は死刑判決を受けた彼ら二人は、その9日後に暗殺の標的とした天皇陛下の御慈悲による特赦の名目で無期刑に減刑されることになる。その特赦帖を朝鮮人「朴烈」は神妙な顔で受取ったのだが、ふみ子はそれを受取るや否や二つに引裂いてそのまま打ち捨て、係員の顔を昂然と見返したという。それが4月5日の事であり、3カ月後には最初に書いたようにふみ子は刑務所内で縊死をとげるのだが、一方の朴烈は第2次大戦後に出獄してそのまま北朝鮮に渡ったという。その後の朴烈の生死については僕は知りません
 僅か22歳の女性の、その強さ、凛とした毅然たる姿勢、人間としての心根の確かさに僕は改めて戦慄すると同時に、彼女をしてそこまであらしめた現実の過酷さと生い立ちの苛烈さなど到底知ることのない、自分自身のこのぬるま湯の中で浮ぶような生き方にひたすら恥入るばかりなのです。

 金子ふみ子が生前使用していた鏝(こて)と鋏(はさみ)が遺品として残っていたそうです。今もあるのかは判りません。
 書籍や書簡ではなく、鏝(こて)と鋏(はさみ)が遺品であることが、なにかしら彼女が苦しみ戦ってきた道の象徴に見えたと書く詩人の言葉に、僕も改めて共感することがありました。


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