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嘗ての大戦で数百万の人間の命と涙に関係した天皇の、その治世の象徴たる名前を冠した公園で、平和なんだか不安なんだかよく判らない時代に生きる家族連れがなにかを争うようにひしめき合う光景というのはいつにも増して疎ましいものです。 ましてその公園は、旧日本・アメリカ・自衛隊と連綿と引継がれてきた「戦争遂行のための基地」の跡地の上に作られたものだと知れば、子供のための「キッズフェスティバル」などと名づけられた空疎なイベントなど、いっそう胡散臭さが付きまとうような気がします。 ただし、木陰に敷いたビニールシートの上に座って呆然とあたりを眺め、足元の芝生の感触と草いきれを確かめながら持参した本などを読みふけるのは、活字を読むこと以外に戸外での時間の過し方を知らない人間にとって、それなりに充実した一瞬だったりします。 もっとも・・・家族連れとカップルで賑わう芝生の片隅で「布施英利著・死体を探せ!」を開いて、人は何故死体に魅せられるのか?とか、医療器具に見る奇妙なかたちに秘められた「実用の器具」としてのエロチシズムなんて一節を読みふけってみたりするのは、かなりスノッブな気分ですが。 但し、「解剖学カラーアトラス」の腎臓と膀胱なんてページの複写やら樹脂加工された子宮とその内部の胎児の標本なんて図版を昼日中に眺めていたりすると、なんとなく落ちつかない気分に陥ったりする事もあります。 「死」というものの静謐さと、目の前の喧噪からあふれ出す「生」との間には、実はそれほど距離はないのだという事を、それらのモノと化した死体達が伝えようとしているようです。そう、あと100年もすればこの場にいる人間のほとんどは死体となって燃やされるか、無機物となって土に帰っている筈です。 100年もすれば跡形もなく消えてしまう肉体が求める「幸せ」や「苦悩」など、所詮は一瞬の夢の中での出来事と大した違いはないのかも知れません・・・などと、午後の白昼夢の中でつぶやいたような気がします。 車でほんの10分程の距離にあるせいか、見知った人間に何度も出くわして、その度に奥さんの立ち話しが始るのにもいささかウンザリ。僕自身は木陰からほとんど動かず。読書と昼寝という、実にのんびりとした1日でした。
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