デーテーペーな1日 デーテーペーな1日

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12月9日(Tue)
 たとえば・・・神戸の仮設住宅の一室で、灯油をかぶって焼身自殺を図ったおんなについてのTVニュースが流れる。
 画面は人通りの途絶えた仮設住宅の遠景に続いてかすかに焦げた貧しい洗濯物が風に揺れているショットから始る。その下には生々しい焦げあとがチョークで人型に囲われたまま、未だに黒く滲んでいる。

 「警察では自殺の動機について調査中です。さて、次のニュースは・・・」

 表情のないアナウンサーによって告げられる「死」の、そのあまりの無機的な調子が例えようもなく疎ましいものに思える。
 何十年かを生きてきた人間の、その一生の間に様々に交錯したであろう怒りや絶望や快感の全てが、わずかな映像と紋切型のニュースの一片として今夜も無為に消費されていく事の理不尽さ・・・誰からも忘れられて死んでいった孤独な人間などは、そうしたニュースの中で無価値な統計数字の一片として語られることで、もう一度念入りにこの社会から殺される必要があるかのようです。
 すべからく人間の一生などはかくも無意味で無価値なものであるとするならばいっそのこと、見知らぬ町で見知らぬおんなが死んでいったことなどを事細かに伝える必然など何処にもないのかも知れません。
 焼身自殺がニュースであるとするなら、まさに黒こげのおんなの焼死体をお茶の間に映し出すことこそが必要なのでしょう。あるいは、40階建の超高層ビルの屋上から飛降り自殺したおんなの、灰白色のコンクリートに内臓全部をぶちまけたそのねじくれた姿態や、電車の車輪の下でこまかな肉片と化した初老の男の生首なども・・・

 この地球上に数十億の人間がひしめき合っていて、その一人一人の中に愛情や執着、あるいは孤独や絶望が詰っているのだと想像する事は、そのあまりの息苦しさに思考停止に陥ってしまうのが常のようです。
 「いのち」と云うモノがなぜにかくも過剰なのか・・・


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