デーテーペーな1日

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10月31日(Fri)
 子供を失った母親の言葉に何故かくも惹かれるのか・・・何かしら他者の不幸に乗じて己の安泰を再確認するような、そんな後ろめたさに包まれながら、やはり僕はそうした理不尽な人生に向合うことを余儀なくされた人達の言葉が胸にしみる訳です。
 たまたま見たテレビから流れてきた、そんな母親たちの自問とも独り言とも付かぬ言葉の裡に秘められた人間のココロの有様が、とても貴重なものに思えるのでした。

 親にとって我が子が不治の病に犯されることほど理不尽に思える事はないでしょう。何故うちの子なのか?・・・隣家の子供ではなく、地球の裏側で生れた見も知らぬ国の子供でもなく、他ならぬ我が子が何故幼いままに死なねばならないのか・・・むろんそんな疑問に答えがある筈もなく、永遠の疑問に自分なりの回答を見つけるために、人は一途にその事を思い悩みつづけるしかないのでしょう。子供への過度な治療が結局は苦しみを長引かせるだけの苦行でしかなかったのかと、ひたすら自らを責める母親の姿にも、やはりどこまでいっても答えは与えられることはないのでしょう。
 生残った家族への耐えようのない違和感と疎外感・・・あの子が死んでしまったというのに、何故に夫や兄弟達はこんな風に日常を生き続ける事ができるのか? 入院・闘病生活を通じて、死にいく子供と分ちがたく暮す事になる母親と云う存在は、残された者達に向って、時には理不尽な怒りに包まれるようなことが多いようです。むろん父親に子供を失った悲しみがない筈もなく、兄弟を失ったものの悲しみもまた、幼い故にとりわけ深いのかも知れません。ただ・・・他者の悲しみを理解するには、あまりに彼女達が沈んだ悲哀の海は深いようです。
 何故、何故と・・・際限もなくくり返したであろう自問の果てに、いつしか答えらしきものはみつかるのかも知れません。永遠に死者とかかずり合って生きていくことは、生身の人間にはやはり不可能なのでしょう。その事が「救い」とはなり得ないとしても、自分なりの回答を見つけずにはいられないそうした人間の弱さこそが、まさに生残った者達の「癒し」なのかも知れません。

 「子供の死」というものはそう簡単に納得できるものではない筈です。だからこそ人間はその事を深く考える必要があるのかも知れません。
 我が子の死が往々にして新興宗教の開祖などの発心のきっかけになったりするのも、まさに思い悩む人間の「もがき」がその源泉となっているからなのでしょう。


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