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大阪西成区の住宅密集地帯の木造アパートでの火事・・・焼跡から見つかった焼死体の年令を聞いて暗澹たる思いがした。80才台がふたりに70才台がひとり。いずれもひとり住いで、戦後すぐに建てられたその木造アパートでひっそりと暮していた老婆のようだった。 連添いを先になくしたのか、あるいは戦後の数十年間を孤独に暮してきたものか・・・僕自身の内なる妄想の中にいる彼女たちは、深く刻まれたシワと白く濁ってあたかも死魚のソレのような目で、路地の奥からじっと僕を見返していた。
80才を越えて一人暮しを続ける老婆達の日常と、その結末のあまりの孤独が身につまされるのは、やはり僕自身が自分の「死」についてそろそろ実感する処があるからでしょうか。人生の半ば以上を生きてきた実感というのは確実にあるようです。ただ・・・お気楽に平均寿命80年とうそぶいてみても、今までの人生とこれからの残り半分が等価だとは、我ながら信じていないだけです。無限の可能性が既に通り過ぎたことをなんとなく実感してしまう毎日・・・それ以後の、ただ死んでいくために残りの数十年があるのだとするなら、後半の人生はまさに煉獄に繋がれたも同然。その事実が耐え難いが故に、人は子供などを生み育てるのかもしれません。 老朽化したアパートの一室で窒息しそうなわが身の存在すらも半ば無関心なまま、明日の朝の目覚めを恐れつつ眠りにつこうとする老人達はこれからも増え続けていくのでしょう。 故なく生れてきた人間が、なんの意味もなく死んでいくのは当然の結果かも知れません。数十年生きてきた己の人生がなんの意味もないとはなかなか認めたくはないモノですが・・・だからと言って、つましい己の家族を見渡して安堵する人生もまた寂しいような気がします。
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