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今後何年にも渡って、判決や求刑といった区切りの度に何度でもくり返されることになるのでしょう。はたして彼は狂人なのか?あるいは奸智に長けた冷酷な連続殺人犯で、法廷での彼の言動は全て詐病であると・・・ 閉塞する世代の象徴としての「連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤」の裁判では、結局、快楽殺人者として断罪することでしか、「事件」のおちつきの悪さとでもいうべきモノを理解することが出来なかったようです。 人間は誰も、無抵抗な幼児を殺害し、その死体を弄ぶことで秘かな快感を得る人間を到底理解することができないのでしょう。いや、理解したくないと思っているだけなのかも。 事件に戦慄し、犯行の詳細を報道することに右往左往したマスコミと、そこから洩れだしてきた腐臭にも似た事件の細部を争って知りたがった僕たちの中にも、明らかに彼の「狂気」は根強く残っている筈です。およそ、楽しみのために殺しをするのはやはりホモサピエンスだけでしょう。ハンティングをスポーツと呼び、食べるわけでもない魚を争って釣上げてその数や重さを競ってみたり、子供たちのペットと呼ばれながら、いじり殺されるために売られるペットショップのハムスターたち。 その上、決して止むことのない戦争と飢餓の歴史は、むしろ20世紀に入ってからは一層加速しているのかもしれません。なにか・・・他者の命を左右することに秘かな快感を見いだした事で、人はサルから別れてきたような気さえします。 人類の歴史にとって死と殺戮こそが唯一の進化の証だとするなら、やはり宮崎勤は、僕たちとは無縁な「怪物」などでは決してないのです。「隣人」や「家族」ではなく、他ならぬ僕たち自身のドッペルゲンガーが、あの無表情で幼稚な受答えをする法廷の彼なのでしょう。 彼の魂の奥深いところにあるモノになにかしら魅せられている僕もまた、自分自身の存在に戦慄しているのかもしれません。 精神鑑定などと仰々しく名前が付いていても、所詮は裁判官の心証一つであっさり否定されたり都合良く引用される、その程度の不確かな「印象」にしか過ぎないモノなのでしょう。精神科医の側からほとんど反論が聞えないのも何やら疎ましいような気がします。
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