デーテーペーな1日

日記関係の発言はこちらで。
6月12日(Thu)
 そう言えば父親の死んだ日は何時だったかと・・・誕生日とは違って、「誰かの死んだ日」と言うのはとりわけ忘れやすいもののようです。むしろ、自分自身の深層心理が人の死の記憶を忘れたいと、そう願っているだけなのかもしれません。数十億の大脳皮質のシナプスの片隅には、そんな「忘れてしまいたい日」の記憶が、錯綜するパルスの陰でからみ合ったまま、風化する日をじっと待っているような気がします。

 とりわけ慌ただしい一日だった記憶はあるのですが、はて?それが何時だったのかと改めて考えてみると、まるで思い出せそうもありません。
 数年前の秋口の夜・・・子供達の出産のために入院する妻の準備やら仕事の手配など、ほとんど手つかずのままの雑事をなんとかより分けて、結局は全てを先送りにしたまま深夜の高速道路をひたすら走っていた夜の記憶。
 そんな日の記憶の中の父親は、狭苦しい病院の霊安室で何時ものように朦朧とした印象しか与えない表情のまま、固いスチール製のベットの上で横たわっていた。触れてみれば冷たく硬直した肉体に父親の死を実感しながら、傍目には「死」も「眠り」もまるで違いがない事に、僕は何かしら怒りの様なものに捕えられていた。些末な日常に一喜一憂しながら、僕たちの「生」がこんなにも貧しい肉体の中に閉じこめられている事の不確かさが僕を捕え、そのことで一層苛立っていたのかもしれません。
 壁沿いに座った親戚一同は僕が登場したことの緊張感で、それこそ死者のように固く強ばったまま椅子に座っていた。そんな「死せる朦朧」と「生ける屍」とを間に挟んで大声でやり合っている母と僕との怒鳴り声が病院中に響きわたり、他ならぬ自分自身の声の余りの刺々しさに、もうこれ以上は一言も喋りたくはないと・・・僕は不意に我に返った。

 たまらない徒労感に背中を丸めながら、たった今着いたばかりの道をもう一度逆にたどる。これ以上あり得ないほどに「何か」が壊れてしまったことにも不思議と実感の湧かないまま、ひたすらセンターラインの白いくり返しばかりを眺めていた。

 誰かの言葉に触発されて、自分自身の内側を覗き込んでみることもよくあったりします・・・あのときの感情をもう一度言葉にしてみることで、なにか・・・僕自身で納得するものが見つかったとするなら、まさに「今日と云う日の記録」としての「日記」にも、なにがしかの意味があるのかも知れません。


Backwards   Forward

ゴミ/ 妖し/ デジ/ 024/ ワッキー/ 赤尾/ 野原/ しお/ かお/ のほ/ よろ/ 立花/ 行っ/ しゃれ/ 献血/ ギター/ 書評/ 留学/ わっ/ 塵芥/ 雑文/ 千代/ 海苔/ 闘プ/ たま/ ねぎ/ pon/ 司法/ 適当/ はる/ ずく/ 木村/ O悩/ みや/ オラ/ 補陀/ えば/ 新婚/ 井筒/ 六甲/ 難破

Back to HomepageMail to Yaku

1997年のバックナンバーはこちら。
01/01~1501/16~3102/01~1502/16~2803/01~1503/16~31
04/01~1504/16~3005/01~1505/16~31

1996年のバックナンバーはこちら。
01/21~3102/01~1502/16~2903/01~1503/16~3104/01~15
04/16~3005/01~1505/16~3106/01~1506/16~3007/01~15
07/16~3108/01~1508/16~3109/01~1509/16~3010/01~15
10/16~3111/01~1511/16~3012/01~1512/16~31