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なにを連想したかと言えば・・・ホールデン・コールフィールドが彼の最愛の妹フィービーに語った、自らをライ麦畑のつかまえ役になりたいと語る一節でした。と云うよりも、そのシーンを判決が下される前の法廷で読み上げたという、あのマーク・ディヴィッド・チャップマンのかすれ声でした。 もちろんチャップマンその人の肉声など聞いたこともない僕の妄想にしか過ぎないとすれば、むしあつい法廷で横木にすこし手を添えて手あかにまみれたペーパーバックを読む彼の声は、かたずを飲んでその場にいあわせた人間達には、むしろ淡々とした一本調子なものに聞えたかも知れません。 大人の世界の偽善に追いつめられた若者の絶望の物語に同調したチャップマンが、あぶない崖のふちから転げ落ちそうな子供たちをつかまえようとする「ライ麦畑のつかまえ役」として、他ならぬ愛と平和を説く億万長者を射殺したとき、そのチャップマンによって「つかまえられた子供達」はその後いかなる成長をとげたのか・・・他者の血と苦痛の代償によって成長をとげた子供たちの世界が血まみれであることが当然の結果だとするなら、これは・・・その世界からもはじきとばされた子供たちによる第2の復讐劇の始りなのかも知れません。 二重螺旋のように絡み合ったこの物語は、崖っぷちのこの世界への屈折した報復手段として、他ならぬ自分自身を殺意の対象としてしまった子供達によるストーリのような気がして仕方がないのです。直接的に連想するものなどなにもない筈なのに、あれこれと役柄をあてはめては物語を妄想する僕にとって、この不安定な世界の様相は、やはり夕暮の風景のようにたそがれて見えるのです。 無惨な出来事に嗚咽する家族と、他ならぬ犠牲者のあげる悲鳴と共に、残忍で卑劣な殺人者の冷笑と復讐の陰の、彼自身の救いを求める叫びをも聞いてしまう僕の不明さをどう取り繕えば良いのかと、秘かに思い悩む事もあります。そう、猟奇犯罪とだけ断じる人達がもとめる「秩序と安寧」が、僕自身にはそう容易には理解できないからなのかも知れません。 あからさまにあれこれと書くことが苦痛です。愚かしい推理ゲームに時間を費やすマスコミに同調してはしゃいでみせる事にもうんざり。そう言いながら、書かずにいられないほどに切実な思いがある事もまた事実なのです。
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