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誰もがうんざりしているのに、あからさまには「それ」について語れないからこそストレスがたまるんでしょう。そう・・・オウム裁判の中心となるべき麻原彰晃自身の公判が、国選弁護団の出廷拒否で空転中などと聞かされると、国家が裁く「裁判」と言うモノの滑稽さとウソ寒さが、図らずも露呈してしまったようです。 何処から急かされているのか、結論のすでにでてしまった審理のスーピードアップを言いつのる裁判所側と、安い国選弁護料でこんな裁判なんかやってられるか、と言う弁護士側の本音がきしみをあげているようです。そこには裁かれる「麻原彰晃」はもちろん、サリンによって殺された被害者達の姿も見当らず、寒々とした法曹界の人間達の「こころね」の卑しさだけが目に付くのです。いわゆる茶番劇?に見えて仕方がないのです。 国家に対するあからさまな挑戦と断じた「地下鉄サリン事件」の首謀者に対しては、いかような理由を付けてでも処罰したいのが国家の意志なのでしょう。その為には手段を選ばず、ただただ迅速な判決、つまりは麻原彰晃の「死刑」を確定したいだけ。お仕着せの国選弁護人は選ばれた己の不運を嘆くだけで、肝心の裁判ではまともに弁護する気はなさそうです。「サリン使って何が悪い」「タントラバジラヤーナは正しい教えだ」とかって言切ってしまう弁護士はどこかにいないんでしょうか?宗教と国家について激論を交す法廷ってのはスリリングだと思うのですが、まぁ・・・今の日本じゃ無理なんでしょうね。 裁判所の訴訟指揮権に対する危機だとかなんとか、またぞろ「弁護人抜き裁判法案」などが提出されることになるんでしょうか?「オウム」に対してはいかなる捜査や調査が許されるかの様な警察当局の対応や、今回のように、なにやら苛立つ裁判所と云い、時代の空気はどうもキナ臭いような気がして仕方がありません。 上辺だけの法治国家をかたって、正当な手続に固執するからこそ何かと面倒なのでしょう。国家に対する反逆罪とでも断じて即決裁判で「死刑」が、お望みなのかも知れません。まぁ、こうしたドタバタ劇をくり返す「法治国家」に住むからこそ、僕のようにお気楽な感想も許されている訳です。拘置所での健康的な生活で長生きするでしょうから、麻原彰晃のドタバタ裁判はこれからも延々と最高裁まで続くのでしょう。
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