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去年の17日にはまだこの日記は書いていませんでした。したがって1月17日の「あの日の神戸」から既に2年もたってしまいましたが、やはりその風景について語っておく必要はあるような気がします。勿論、自分自身のためにです。 あの日、神戸を上空から捉えたテレビカメラの映像の中の瓦礫の山と燃上がる街並については、僕にはこれ以上つけ加えるべき言葉もありません。ただ、各自がそれぞれに忘れられない風景が在るはず・・・そう、僕の心に焼付いて離れないそんな「風景」について。 道の両側は無惨に崩れ落ちた瓦礫が延々と続く、おそらく市内の住宅街の一角らしき場所にカメラが近づく。何人か集った人の前でなにやら挨拶をしている初老の男がひとり。震災で崩れ落ちた下宿を離れ実家に疎開するのか、その娘に替わって近所の方達にお礼とお別れを述べているのかと思ったのは、そのたんたんとして乾いた調子の、ぼくとつな男の語り口のせいだった。しかし、彼のまわりにはそれらしい様子の娘は見えず、よくよく話を聞いてみると、瓦礫の下敷になって逝ってしまった娘のなきがらを、なんとかご近所の皆様の御協力で掘り起して頂けたことの礼を、その娘の思い出と共に静かに語っているのだった。そのとき何故か、僕はみも知らぬその初老の男の言葉を聞きながらに、声を上げて嗚咽した。 その震災のさらに数年前。父親の死を聞かされたとき、自分でも意外なほど冷静だった。様々なトラブルの予感に、果して葬儀に出席できるのかどうか危ぶみながら出かけた筈だったのだが、やはり疲れ切って帰ってきた数日後の朝。溜っている仕事をこなすためにひとりで暗室に入って何枚か紙焼きを撮っていた時、それまで父親の死について誰の前でも泣いたことはなかったのだが、真っ暗な暗室の中でこみ上げる嗚咽の声は、自分自身が驚くほど大きかった。 あの日の神戸の「風景」の中には、忘れられないモノがいくつもあります。その風景の中にたたずむ人間達の言葉が耳に残って離れないことも。僕たちはなんという危うい船に乗り合せた乗客なのかというウソ寒い実感にふるえ、見渡しても希望の灯は果して闇の中に既に沈んでしまったのか・・・
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