歳時記(diary):十二月の項

一日

最近ウチのお子様たちのお気に入りは父親を軸に手をつないでぐるぐる回ること。連中も目が回ると思うがこっちも目が回る。
つーか、九時十時まで保育園児が起きているんじゃないと言っているのだが聞きやしねぇ。

二日

うまく行かないことがあってやさぐれる。珍しいこと、らしい。
まあひとつには院内の連携がうまくとれずに後手に回った、ってことで。来ると思った指示がこないので何もしなくていいかと思ったら、あとで指示がなくてもやるべきだったみたいに言われてなんだかなあ、と。
たぶんやさぐれた気持ちになるのは自分でも十分に対処できてないことがわかるからでもあり。どんな経過であれ自力で十分な対処ができたと思えば、それなりに心安らかでいられるのだけれど。

三日

午後外来いってみると、電車が遅れてパート医師の到着が遅れてるとかで忙しく始まる。
一人発熱が続くと紹介されてきた患者。一度よその結構大きな病院の救急にかかったようなのだがあまり調べられずに外来経過観察になったらしい。レントゲン採血とやってみると‥‥なんかマズくないかこの状態。なんだかはっきりしないけどとりあえず緊急入院、とした。
で、よそ事ながらくだんの結構大きな病院のことが心配になったりした。後からみる医者の方が名医、という法則はこの業界あるのだけれど。

四日

回診のときに醤油を一気飲みして死亡したケースの話が出た。「透析して治療すべきだったのにやらなかったらしいんだよね」と上の先生がのたまう。
醤油は(もちろん製品によるが)だいたい16-18%(しょうゆ情報センター)で、減塩醤油だとその半分くらいの製品もあると。件のケースでは1リットル飲んだらしいので、摂取塩分量は最大で180g。最低でも80gくらいは摂取している計算になる。所謂生理食塩水(人体の浸透圧と等張になる食塩水)が0.9%食塩水だから、そこまで薄めるのに最低でも8リットル、最大20リットルほどの水が必要になる。それだけの水を一気に入れると心不全になるのは確実なので、透析をしてナトリウムの除去を行いつつ体液管理をするのがよろしい、ということなのだが。
それにしても、日本中毒情報センターのサイトによれば、塩の致死量は0.5-5g/kgと言われるようで、吸収が速く中枢神経への障害も数時間で出てくるとのこと。しかも醤油にはカリウムも含まれるのでそちらの面でも致死的になり得ると。調べればそこまで情報は出てくるのだが、救急で醤油を多量に飲んだ患者をたまたま相手にした医者が即座にそこまでできることを必須としていいかどうか。「ちゃんとやっておけば患者さんは助かったんじゃないか」と言いたげな上の先生の意見を聞きながら、「名医なら助けられた」ってのは少なくとも医療訴訟などを判断する基準には使えないなと思ったりしていた。

五日

休みの土曜日。自宅の点検をして、勉強会に出かけた相方の留守を子どもたちと守る。
昼頃子どもたちが一時保育で預けられている保育園でイベントやっているということで見に行く。内容全く知らないでいったのだが、ちょうどピエロがショーをやっているということで見物。丸い鼻にぶかぶかズボン、帽子をかぶって大きなカバンを抱えて。挨拶すれば帽子を落とし、帽子を拾えばネクタイが曲がり。そうして笑いを取りながら、いつのまにか帽子をジャグリングしたりあご先にのせたステッキの先でボールをまわしたり。楽しいひとときだった。

そういえば気になっていた案件があったと検索してみたら、二審は和解とのこと。しかも和解金は積み増しで、ある意味原告完全勝訴に近いようで。
報道記事を読む限り、まずドライウェイト引き下げを患者本人が簡単に受容しなかったことが事態を悪くした一因という認識は原告側になさそうで。(記事にはないが、一審判決では患者がドライウェイト引き下げを渋ったことは認定されていたと思われる)
事実経過を知るわけではないので判断は難しいのだが、カルテがよほどダメダメだったのか、それとも裁判官の判断があまりにも患者よりなのか、実は新聞記事などに出ていない事情があるのか。謎は深い、と思われる。

六日

昼前に起き出して、やや早めの昼を食べてから透析の勉強会へ。
特別講演で閉塞性動脈硬化症についてと新型インフルエンザの現況の二つのお話を聞く。透析患者は易感染性の状態とされるので新型インフルエンザはかなり恐ろしいのではないかと戦々恐々だったのだが、フタを開けてみるととにかく子供での感染が中心で大人はほとんどかかっていないというのが現状のよう。今日の話では、どうも過去に流行ったスペイン風邪と抗原性に一致する部分があるようで、年配の人はかかりにくい状況になっているとか。入院率・死亡率などをみても過去の季節性とそう違いはなさそうで、感染率こそ季節性を上回りそうだが死屍累々となるようなことにはならなそうということでほっと一息。

七日

かわせみをインストールして使い始めてみている。まだ体験版。ことえりにそう不満は(実は)ないのだが、やはり変換に手間がかかるのは事実で、より良い仮名漢字変換ができるか試してみている。
今日はことえり用の医学用語辞書をかわせみ用として読み込み。名詞が多いので割とスムーズ。さて、どのくらい効果が感じられるか。

八日

かわせみってもともとEGBridgeで、EGBridgeには医学用語辞書が付属していたのだけれど、昨日つくった医学用語辞書を有効にしようと辞書の設定を開いたら、リストの中に医学用語辞書が。どうやら付属しているらしい。

九日

日中の透析も夜の透析も処方日で。ひいひいいいながら処方せんを書く。おまけに血液検査の結果が届く日ときたって、全部は見切れませんがな。ざっと見てすぐに対応しないといけないところだけ薬を調整して。
夜の患者さんには血液検査の結果説明までつくって配る。はあ、疲れた。

十日

未明、下の子供が寝ながら一回嘔吐。わたしは普段あんまり夜は目を覚まさないのだが、どうしたわけか目が覚めたので始末。髪の毛にまで付着していたのはしょーがないので放置したが。
朝になってみると調子悪そうで、ふだんだったらお代わりを要求するくらいのバナナを口にしない。そうこうしているうちに下痢便。このパターンはノロウイルスかなあ。
冬場はインフルエンザだけじゃなくてノロウイルスも流行るので、そろそろ注意しないといけなそう。

十一日

東京腎生検カンファレンスという(ヲタクな)会が開かれている日。こそーっとのぞきにいこうと思っていたのだが、開会時刻になっても病院を出られない。しくしく。

十二日

夜から当直。
体調がいまいちで危ぶんでいたのだが、午後手の空いたときに昼寝したせいかそれほど調子を崩さずに勤められた。
多少調子悪くても、本日当直となるとすぐに代わりも見つからないし、できそうならばやってしまうのが多分普通、ではないかと思う。その危なっかしさについては何も語るつもりはないが。

十三日

天皇陛下の日程ってWebで公開されてたんだと初めて知りました。
これ見ると、下手な国会議員よりはるかに忙しそうと思います。御年七十歳を超える老人の体、もう少しいたわってあげないとねぇとは思いますな。

十四日

午前外来。尿蛋白で初診の人、CTを撮ってみたら先天形成不全なのか片腎。これはこれとして治療していくしかないんだろうなぁ。

十五日

午前中外来透析患者回診して、午後病棟患者診て。割と普通の日。

十六日

当直。
なんだかメンドウな人が多い夜。久しぶりに病態を考えるのに頭を使った気がする。夜の救急で多い病気、日中の一般外来で多い病気、病棟の入院患者で多い病気など、状況によって対応する病気の質は違ってくる。逆に、状況と患者プロフィールだけで当座の対応を済ませることは慣れるとそう難しいことではない。
でも、この夜はそのパターンに収まらない患者が複数。いったい何なんだ〜と叫びながら仕事をしていた。

十七日

当直明け。
午後の外来に一人ネフローゼ患者が紹介されてくる。何とか入院を説得して、ベッドキープして明後日の入院に。
一通り業務が終わった後でCPCの発表準備。早めに進めようと思っていたはずなのに、日付が変わっても終わらない....。

十八日

今夜も当直(死) 東京ルール当番なのでそれほど呼ばれないはずなのだが。
合間に、というわけでもないのだが、本日院内CPC。お題は外科手術後急に低蛋白血症が出現して検尿したらネフローゼだったという一例。腎組織は何らかの全身性疾患に伴う可能性が高いやや珍しいタイプで、早期発見できたらよかったのかなどとディスカッションを一通り。
終わった後は書類を書いて早々に寝てしまった。

十九日

寝当直ですんでやれやれ。
一昨日入院決めた人が来たところで入院の説明して帰ろうと思ってたんだが.....患者さんが来るのがちょっと遅くなる。連絡もなかったのでやきもきやきもき。俺説明間違ったりしてなかったよな?とか。

終わって昼飯食べた後、元の勤務先の忘年会へ。ちょっと距離があるので泊まりのつもりでホテルをとり、久しぶりにBrompton Light 3を引っ張り出す。
けして軽くはないが、Rail & Rideって感じで、電車に乗って移動して移動先で乗る、という感じならば十分に使いでがあると思っている。都内は実は移動距離も短いのでちょうどいいんだけどね。
忘年会自体は割と平穏に終わり、二次会まで出てホテルへ帰ってきた。

二十日

相方に迎えに来てもらって、昼飯食ってショッピングして帰る。
帰ったらぱたり、であった。結構疲れてるなぁ。

二十一日

昼に臨時で腎生検。かつて褒められた電光石火の穿刺でとりあえず二本採ってくる。

夜は病棟の宴会。タカラヅカ風なダンスと歌の出し物まで用意されているあたりが大好きなんですが。
忙しい中いつ用意したんだって突っ込みはこの際なしで。

二十二日

二日続けて宴会。本日は透析室の忘年会。

二十三日

嵐のような日直。救急外来が大荒れで何だか次から次へと患者がやってくる。緊急心カテは始まってるし、合間を縫ってCHDFを開始せにゃならないし。
十七時で交代のところ十九時過ぎに「疲れましたねぇ」とため息をついていたくらい、大変だった。

二十四日

少しずつ入院受け持ち患者が増えている。入ったひとの退院がままならないのが主因。介護がないと生活できない人は、年末年始近くなるとむしろ帰れなくなるんだよね。

帰る前に書店に寄って子供たちへのプレゼントを見繕う。ヒゲのないサンタクロースになるために。(苦笑) 

二十五日

朝、子供たちは起こさないと目が覚めなかったが、サンタさんからのプレゼントには喜んでくれたようなのでよしよし。

とある体重管理不良な透析患者さんが回診の時にぶつくさ。「一週間が六日間なら二日に一回ペースで透析できるから、そのペースなら何とか増えすぎずに管理できるのに」とのこと。ああこれはつまり休日の平準化って話だなとか思いつつ、「中一日だって時々増えすぎてるじゃないか」と心の中で突っ込んだり。
医療業界では日曜日なしって体制は医者とリハビリ職以外の職種はだいたい実施しているのではないかと。小さい病院だと検査技師や放射線技師・薬剤師などの日直・当直をおけないのですが、大きい病院はだいたいそういうものをおいているので。

二十六日

土曜日とはいっても何だかやたらめったら忙しく。ICUの透析に入院透析の指示出しにカテーテル穿刺にもちろん入院患者への対応に。
コミケカタログのチェックもしたいのに。しくしく。

二十七日

わりとぐーたらな一日。
年賀状作って、「フラッタ・リンツ・ライフ」を読みかけたくらい、か。

二十八日

明日から休みに入るので必死で休み中何事も起きないように指示だし。……まあ、予期せぬ出来事は常に起こるのですがそれでも心がけだけは何も起きないように、と。
一通り終わってICUで年下のDrが患者対応でいろいろ悩んでいるのに嘴を入れる。よくわからなくなってきたので、調べているうちに関連書籍をbk1で注文してしまっている。あとで買うリストに入れていた梶尾真治なんかと一緒に。自分の患者だと結構いっぱいいっぱいで勉強できなかったりするけれど、自分が余裕あるときくらい勉強しないとね。──正確には自分にも余り余裕ないけど。

二十九日

朝もはよから出発して有明に向かう。電車内で「天冥の標I メニーメニーシープ」(小川一水/ハヤカワ文庫)読了。

お仕事はこともなく。めちゃ寒いということもなく程よかったから、かな。

三十日

本日がコミケのメイン、というと「ヘタリアですかそれとも東方ですか」といわれたのだが「いえ、創作です」と答えるマイナーなわたし。
今回の購入品たち。

三日目不参加のため漏らしているところがいくつか。全体としては文字ばっかり、ですねぇ。新規開拓のところもいくつかあるんですが、まずは作品をゆっくり読んでみようかな、と。

三十一日

朝から実家へつきたて餅をもらいに行って、その帰りがけで昼飯と買い物を少々。帰ってきたらオートバックスへ行って車のオイル交換して帰ってきて。なんだかあまりきちんと大掃除しないまま年越しへ。
ま、そう悪い年ではなかったかな、と。


Written by Genesis
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