歳時記(diary):十二月の項

一日

外来。
大体多くの患者さんは月一回ペースの外来なので、四週ごと(二十八日ごと)で診察、ということが多い。ちょうど四週前は文化の日、ということで、この日は患者さんが少ない。
‥‥なのに普段よりちょっと早く終わった程度、という辺りが何とも。

二日

当院の土曜日体制は平日の半分しか人員がいない。そこへ持ってきてこの日は会議などで特に体制が薄くなる。
その上に外来急患とかいろいろ。昼食摂るのもえらく遅くなる罠。

三日

日直。
他院で大腸カメラやった後に出血きたしてきたので、という救急車受け入れ要請が来る。一緒に日直してる消化器の先生にお伺いを立てると「検査したところが情報持っているんだからそちらで受けてもらって」というあっさりきっぱりした返事。
処置に伴う合併症と思われるのであれば処置したところがまずは対応する、明文化されている決まりではないのだろうけれど、道徳というか規範というか、そういうものだろうな。

四日

最近入院したネフローゼの女性。はじめは入院拒否で、その後入院は同意したもののふつう外出禁止にせざるを得ない病状でも強く外出を求める。
彼女の方にももちろん譲れない事情があっての訴えではあるのだけれど、ネフローゼって治療の第一選択はステロイド剤を用いての免疫抑制療法だから、外出を頻繁にする人にあまり強く免疫抑制をかけるわけにはいかない。「命が縮んでも構わないから」って言われたって、患者さんをあまりひどい危険にさらすわけにはいかない。
「エホバの証人」の信者である患者に無断で輸血を行ったケース(この辺参照)などを読んでいくと、患者の方針選択に医師から見て不合理な点があるにしても「医師はその良心に反するものでない限り、患者の真しな自己決定に拘束されるとも解される。」というような考え方が示されている。
同時に、患者が求める治療法(エホバのケースで言えば絶対的無輸血手術)に応ずる義務はないとも示されており、「ウチではそれは実行できないから、どうしてもやってほしいならできる力があるところを探して欲しい」という対応は可、ということのようだ。
ネフローゼに対して、通常入院で行うような治療を外来でやったケースがあるのか知らないが、逆に危険な治療でも患者が同意していれば外来でやってしまえという風潮が出てくるとしたら、その方が危険なのではないかと思っていたりする。

五日

一人救急病院から転送されてくる。電解質異常でそこに搬送されて、少し落ち着いたのでかかりつけへ、ってことだったのだけれど。来て見ると別な症状を起こしていて、予定が狂う狂う。
予定なんてあってなきがごとしなのさ〜と嘆きつつ。

六日

最近ようやくICUの業務に慣れてきた若手の臨床工学技師さん。今日は独り立ちでICU番。
今日はふつーにHDF回して‥‥って仕事を進めていたら救急外来からどうも緊急手術の患者さんが入ってくるとか。
「さ、緊急PMXだよ〜。どきどきするでしょ?」
「ええ、多分先生が言ってる意味と違う意味でドキドキしてます」
とか言いながら十時近くまで残業。
入院透析室でも四時間くらいかけてカテーテル検査をやった患者さんの術後透析の予定もあり。たまたま夜の会議のために用意したお弁当が余ったとかで医局に積み上げてあったのを透析室に持っていった。

七日

「がん難民」というニュースを新聞で読む。治療方針に納得できず、医療機関をさまようがん患者さん(がん難民)がかなりの数いて、その受け皿作りが必要という話なのだが、少し興味を引かれたのは、がん難民とそうでないがん患者さんを比較すると、説明時間はややがん難民で短めなのだが、再説明を求めた回数はがん難民の方が少なかった、ということ。
再説明してもらう気もしないほど担当の先生が悪かったのか、それとも患者の方がさっさとあちこちを渡り歩いてしまうのか。理由を考察して欲しい現象だなと思う。

八日

本日のカンファレンスで話題になったのは「維持透析中の患者さんのドライウェイト設定が不十分であったことから訴訟になった」というケースのこと。
調べてみると、今年九月に一審判決が出て、被告となった津山第一病院は控訴して争っている模様。
本人がいくら説明しても同意してくれなかったということで、不十分なドライウェイト設定で透析を行っていたら心不全となり、死亡したということで遺族から訴えられたよし。
‥‥患者と相談しながら治療を進めるだけでは不十分、という判決のようだが、個人主義の行き渡っていない日本らしい判決だなあ、と思ったりもする。これで患者が家族への病状説明を拒否してたらどうなるんだろ。

九日

朝から名古屋へ。医学教育学会主催の若手指導医のための指導スキルアップセミナーに参加。行ってみるとわたしが経験年数的には下の方1/4くらいのところ。同世代も少なくない一方で卒後十年目前後の先生がかなり多かった気がする。
KJ法での問題分析をやってみたりと比較的お約束な内容が入ってはいたのだけれど、実際に今指導で苦労している先生方が中心のメンバーであるだけに、現実的な話が多くて参考になった。
夜はディナーバイキングで夕食を摂りながら雑談すれすれのディスカッション。「指導医によって言うことが違っててどう対応したらいいのか悩んでしまってストレス」と言っている研修医にどうアドバイスするか、というのがお題だったのだが、指導医同士のディスカッションで方針決定してもらおうなどの建設的な意見が出る一方で、「そーゆーこともあるが、そのうち何とかなるから、だいじょうぶっ。よおし、今日は憂さ晴らしに俺が飲みに連れていってやるぞ〜」つって励ませばいいという意見もあり。面白い議論になったと思う。

十日

朝から引き続きスキルアップセミナー。
症例呈示法を教える、というテーマで演習をやってみたのだけれど、プレゼンテーションがうまくなるためにはまずプレゼンテーションする内容についてきちんとした理解ができていないと駄目なのねという結論に至る。プレゼンが下手な研修医を指導する場合、プレゼンする内容がまず理解出来てないのか、理解は悪くないが表現方法がうまくないのかという風に問題点を切り分ける必要があるんだというようなことを実感する。
終わってから味噌かつを食べて、東京へ帰ってくる。

十一日

救急外来やって、カンファレンスやって当直。
──病棟はそのすき間の時間で対応する。まぁよくある話なのだが。

十二日

なんとなくせわしく、時は過ぎていく。
これが師走、ってものなんでしょうかね。

十三日

病棟の忘年会。いつもどおりわいわいと騒ぐ。
でも、最近飲み会少なくなったよね‥‥なんて話が出る。仕事がきつくて、なかなか息抜き企画も立てられないし、立てても来る体力がなかったり。二次会・三次会とはしごする人もめっきり少なく。

看護師の配置、ということでいうと、最近では7対1看護基準というのが話題になってお り。看護師1人当たり患者7人、という配置基準のことで、例えば49人定員の病棟では日中7人の看護師が働く計算になる。以前までは10対1がもっとも看護師が多い基準だったのだが、在院日数が短くなる・医療が高度化するなどの状況のなかで人手不足の状況に対し新しい基準が作られた。これを満たすことでこれまでより病院収入がアップするということで、大病院を中心に看護師獲得が始まった。中には引き抜きもあちこちであったようで、経営規模の小さい中小病院から大病院へ、という移動も起きているとのこと。厚生労働省からは「人さえ雇えば7対1の基準を取得できるようにするのはどんなものか」と、他の基準を追加することを考えているらしい。
ウチの病院もめでたく新基準を(ぎりぎり)満たすだけの看護師を雇っているのだけれど、じゃあまえより仕事が楽になっているかといえば「きつくなってはいない」レベル。看護基準が切り下げられれば今度は「どうせ基準を満たせないんだから」と、雇い止めが出てくるのは予想できる。
議論の中でちっとも話題に上らないのは「どのくらいの看護師を配置すれば、業務量が適正になるか」って話。これは医師数の議論でも同じだけど。現場の看護師の業務の様子を見ていると、5対1でもいいくらいの仕事をしているように、わたしには思える。

十四日

忘年会連荘。本日は透析室の忘年会。
しかし、子どもが体調不良ということで早く帰ってこいコールが鳴る。カンパだけ出して帰宅‥‥。

十五日

子どもの体調は少しよくなったくらい。あまりムリはさせられないけれど、今日は相方も仕事を休めない日。昼から保育園へ子どもを預けて、夕方はわたしが早めに帰って子どもを迎えに行く予定にした。
行ってみると思いの外元気ではあったのだけれど、その位でよかった、かな。

十六日

日中お仕事して、当直。
夜半に来た救急車搬入患者さんはまだ若くて歩ける状態で住所も病院の近所。母親が付き添って来院。流行りのウイルス性胃腸炎のようだったが処方出すだけで帰れそうな程度のごく軽症。
診察終わってから連れてきた救急隊の人とほんの少し世間話。「けっこう呼ばれてますか?」「ええ、ひっきりなしですよ」うんざりした顔だったのは、単に呼ばれているからじゃなくて、自力で病院行けそうな状態の人から救急車要請がかかったことも、きっとあるんだろうと思った。
困っている人のために仕事するのは救急隊の役目だけれど、自力でなんとでも出来る人から救急車を要請されても、やりがいは感じられないだろうなぁ。忙しければなおさらに。

十七日

当直あけ。
帰って朝食を食べて、まず一眠り。最近勝手に目が覚めるまで寝てないしね。
その後でお買い物に出る。写真のプリントが出来るプリンタがいい加減欲しくなってきていて、CanonのPIXUS mini 260を購入。もともとBJ M70を所有していて、時々普通の文書を印刷したりはしているので、もう一台プリンタを買うならば写真(とハガキ)が綺麗なカラーで印刷できれば十分、と思っての選択。
プリンタドライバインストールして試し刷りしてみると、やっぱり綺麗。どんどん進歩してますねぇ。

十八日

夜は医局の忘年会予定。比較的順調に仕事も終わり、さてと会場に向かって、会費を払 ったところで電話が鳴る。「すみません、先生の患者さんなんですけど‥‥」
患者急変ということで病院へUターン。会費払っただけで会場にすら入らずに、今年の忘年会はおわりました。(死)

十九日

日常の一コマ。
「えっと、伯爵と男爵ってどっちがえらいんだっけ?」
「確か、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵だったと。──ベルバラで憶えたんですが」
さらりと出てきた看護師さんはとってもえらいと思った。

二十日

ここのところ朝は子どもを連れて出勤している。バイク通勤が増えていたのだけれど、さすがに子どもと一緒にバイクはどうかと思って自転車にしているが、だいぶ足の力が落ちている実感。
約半月自転車通勤を週の半分はするようになって、少しは戻ってきた感じ。

二十一日

昼過ぎから腎生検。緊張して泣き出しそうになっていたのだけれど、なんとかスムーズに検査終了。担当しているこちらもほっとひといき。

財務省から予算原案が閣議に提出されたとのニュースを新聞で読む。「生活はこう変わる」などと、予算額の増減がいくつか取り上げられていたのだけれど、予算が増えた部分を中心に取り上げている一方で、「生活保護の母子加算の廃止」など該当する人にとっては大きな打撃になりそうな項目について具体的な金額が記されていなかったりと、なんだか当たり障りのない記述でいまひとつかな、と。
病人とか子どもとか貧困層とか、その辺に問題が普通山積するものだと思うのだが、そこにしわ寄せされてきている問題に切り込んでいこうって予算には見えなかったな、というのが今のところの感想。

二十二日

急な腹痛を起こしてきた透析患者さんが、夕方には緊急手術決定。何でも今夜は手術室の忘年会だったそうなんですが。
手術が一通り終わってそろそろ部屋から出る準備、というところで野球好きの外科の先生から「じゃああとはクローザーに任せて‥‥」って。あの、クローザー登板はいいんですが、野球に例えたらまだようやく5回ですが(爆)。
そりゃあ、手術終わった後の術後管理がむしろ重症患者では大事だし。内科合併症が多い透析患者の術後管理は外科だけでやれるほど簡単なものじゃないのもその通りなんですがといいつつ、一応術後管理の輸液やら透析やらをやっているあたりが何とも。

指示を出しながらふと、外科と内科の関係はむしろサッカーのFWとMF・DFの関係に似ているかもしれないと思った。外科は基本的にオフェンスで、積極的に切りにいくのが仕事の一方で、内科で患者を発見してまわしてもらったり、手術ができる状態に患者さんの状態を落ち着かせないと十分に仕事ができない。内科は慢性疾患管理といった守りを固めるのが一つの仕事である一方、手術療法が適応になるような疾患を外科にまわしたり、薬物や内視鏡などで自分たちの範囲内で治せる疾患については治療まで行うなど、オフェンスからディフェンスまでこなす。
例えていうならば外科はFW、内科はMFかDF。そんな関係なのかもしれない。

二十三日

結局朝方まで患者さん対応して、帰って寝て。
昼前になってやおら起き出して年賀状印刷などしているうちに携帯電話が鳴る。主治医お呼びだし。
病院行って患者さん対応して帰ってくると六時。子ども風呂入れて寝る準備していると患者さんが亡くなりそうと電話が鳴る。病院行って看取りをして帰ってくると十二時。
ここでクイズ。どこまでが時間外労働でしょうか。(爆) 病院勤務医なんて、程度の差はあれこんなものだとは思うのだけれど。

二十四日

昨日お看取りをした患者さんの剖検ということで、またもや休日出勤。
結果としてはまぁ死因をはっきりさせる所見も発見できたし、お願いしてよかったという症例か。
去年は病院の剖検王(ぉ だったのだが、今年はそれほどでもないなぁ。

終わってから買い物。ちょっとした家具を買いたい時はまずオフハウスに車を走らせるわたしたち。(爆) お目当てのものはいいのが見つからなかったのだけれど、踏み台とか見つけて購入。その帰りにブックオフに寄って、「ボヘミアンガラス・ストリート」(平井和正著)をまとめ買い。いや、一冊百円だったし。
以前オンラインノベルスでダウンロードして買ったのだけれど、それはなくしてしまったので買い直し。

二十五日

患者さんから紹介状の依頼。明後日までにってその位はよくある話。でも、「英語で」と言われるとさすがにびびる。思わず医局の図書室で使いやすげな辞書を借りて帰ってくるくらい、びびる。
結局Yahoo!翻訳Dr. 木戸の履歴書内のコンテンツを参考になんとか書き上げた。以前書いたものも引っ張り出してみたのだけれど、自分で「よく書けたなぁ」と思うくらいにもっともらしく書けており。数こなすともう少しましに書けるようになるのかなぁ。(やりたくはないが)

二十六日

夜、氷雨の中忘年会。
医者が何人か集まって話しているとよく出る話題は医療事故の話題や訴訟の話。「どうやって身を守るか」を常に意識していないと、トラブルに巻きこまれ得る時代というのが共通認識になっている。「電車の中だって、両手に荷物をしっかり抱えて痴漢と間違われないようにしておかないと」なんて話まで、出る。
医療事故が疑われて警察が捜査に入ると「犯人探しのための真相究明」に力を注ぐために、正直に事故の一因になった行為をしたと話した人が罪に問われるという、そんな事態が起きている。その結果真相究明が進まなくなって再発防止のために何をすべきかを明らかにすることが困難になっている。
やはり海難審判庁のような再発防止のための真相究明機関が必要だろうとかそんなことを語っていると、その場にいた院長が「先生、よく知ってるねぇ、じゃあ法務関係とか先生にお願いしようかなぁ」
‥‥素っとぼけてるのか老獪なのか冗談なのかさっぱり分からないこの手の思いつき発言が多いうちの院長。いきなり辞令が降りてきたらどうしよ。

二十七日

一人患者さん退院して、受け持ち患者は一人のみ。
とはいえその一人が難物なんだよな‥‥。

二十八日

夜は当直。
ひとり老人施設から心肺停止状態で来院。ウチの病院ではこれまでかかったことがない人ということで、異状死体と判断、法に従い一応検死に回す。その後で施設から、かかりつけが別にあるのでそちらの記録を送るから検死不要にならないかと問い合わせが来る。
法の規定を読むと、異状死体の判断は実際の死因が何であったか推測可能かどうかということとは無関係で、来院時心停止で二十四時間以内に同じ医療機関の医師の診察を受けていないものはすべて含まれるように読める。
規定通りに執行すると、状況から病死であることは明らかであったとしても、異状死体として警察に届け、病死という死体検案書を出してもらう必要がある。もっとも警察は医療については素人なので、診察した医師が病死だろうと言っているものがひっくり返ることはあまりないと思うのだけれど。
今回のケースで言えば、施設で心肺停止で見つかったときにすぐかかりつけ医が呼ばれていれば、死亡診断書でよかったかも知れないけれど、それは後で言っても仕方のないことだろう。

二十九日

外来。数が少なかった割には時間かかってたのは何故だろう‥‥。

三十日

有明聖戦。
事前のサークルチェックもままならない日々ということで、当日朝に手早くチェックしたのみだが。

戦利品
「制服ホ短調(Progressive34)」(Junk Yard)
「Shoot down the moon」(LIFE SYSTEM)
「うふこっく・すくらんぶる」「怪盗ぶたぶた」(DRAGEE)
「米澤さんのこと」(はしもとさちこ)
「SFな人々」(さいはて りと)
「長崎の空に向かって唄おうと決めたのはその時だった」(魔法使いのおぢさん)
「平成劔鬼傳 磐田幸春篇」(millionmeans)
「きっとひとりで歩いてゆける」「神やらい」(すずらん社)

番外としてはJunk YardでText jockeyを貰ってきたことくらいか。
最初の買い物の時に財布を開けたら一万円札と五千円札しか札が入ってなくて、しまった千円札を用意してくるんだったとか思ったのだけれど、結局買い物の総額は五千円に届かず。きっとよかったんだろう、うん。

「腐女子」って言い方は知ってたんだが、それが進化(深化?)すると「貴腐人」さらには「汚超腐人」になるという話を初めて聞く。うーむ、腐臭の漂ってくるような字面だ‥‥。

三十一日

年の末はコミケット。(ぉぃ
この日のチェックは評論系とかPC系。Studio maruanとかげんれい工房とか。
思わず買ってしまったのは時刻堂の「LOCO 鹿島鉄道特集」。いや、おどりこさんがかしてつかしてつ言ってるもので。あとは「眼鏡の歴史」(偏光プリズム)。まだ書き出しの部分だけ、だけれども。

初の大みそかコミケット、救護室的には最終日に都合付く人が少なくて、撤収をかなり少人数でこなす破目に。幸い天候は悪くなく、収容した人数は少なかったのですが。
ちなみに救護室にはブスコパンは置いてないです、残念ながら。
目の前の癌研病院だったらきっとおいてたと思いますが(爆)


Written by Genesis
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