歳時記(diary):十一月の項

一日

妹がダンスの発表会ということで市民会館に出向く。
振りが一通りそろっていると、今度は手の角度だのわずかなタイミングのずれだの、細かなところが気になってしまったり。もうちょっとおおらかに楽しむ方がいいよなあとは思ったのだが。
それなりの楽しんで帰っては来たのだけれどね。

その後庭掃除を少々。アケビのつるがはびこっていたところを鎌片手に切り開いて、雑草を根から掘り起こしてその上に敷石を敷く。ちょっとは見栄えが良くなったかな。

二日

午前中救急外来。
なんだかまったく来院のない日で、静かに過ぎていった。

三日

日直。午前中外来で、インフルエンザとかインフルエンザとか。ひと頃ほどの救急外来をパンクさせる勢いはなくなっている感じなのはたまたまなのかどうか。
救急車依頼もぼちぼち。介護施設からの依頼で受けた患者は昔当院入院歴あり。病歴取りながら何となく既視感を感じつつ前回主治医をチェックする。自分だった。

四日

厚生労働省が保育所の整備基準について、待機児童対策として地方自治体が条例で自由に定めることができるようにする方針を出したと報じられた。
第一感としては「これじゃますます保育園の環境は悪くなる」もちろん待機児解消は大事な問題だと思うが、「最低限これだけは必要」という基準を緩めることは、「入る場所さえあればいいだろ」という発想だと思う。混雑解消の名目で山手線の椅子がたためるようになったのと同じだ。
笑わせるのは、「虐待児の優先受け入れ義務など園児の人権に関する運営基準の緩和は認めない。」という一文で。保育室の面積を減らしたりするのは人権に関わらないのかと小一時間(ry。
ちなみに現在の「児童福祉施設最低基準」に従うと、保育室または遊戯室は、幼児(満2歳以上)一人につき1.98平方メートル以上でなければならないとされている。要は一畳よりわずかに大きいだけの面積が一人分で、お昼寝となれば保育室は布団で埋め尽くされるし、食事となると他のものを全部片付けてテーブルを出さないといけない。それ以下に縮めても保育の質は保たれるというのだろうか。
こういう事を、広々した執務室で決める大臣はどんなやつだかと思うのだが。
や、ウチの子も待機児だから保育所は早く増やしてほしいんだけどね。でも条件切り縮めより補助金のほうが手っ取り早くて有効な気がするんだよね。保育学会保育協議会こども環境学会と次々と反対のアピールが出ている状況をどう考えるのだろうか。

五日

午前中透析当番で午後外来。
ここ二回続けてメンドウな症例が回ってきた外来だったけれども、本日は平穏に。まあ受診予定の調子悪い患者が来院しなかったのがちょっと気になっているのだが。

六日

夜の症例検討会のお題は「ロコモティブシンドローム」。加齢性変化による骨密度の低下・筋力の低下・神経機能の低下を背景に、転倒などの外傷から介護度が増していくことを表現した症候群、とでも言えるだろうか。
「ロコモティブシンドロームの三大要因」として「脊柱管狭窄による脊髄、馬尾、神経根の障害」が取り上げられているのだが、これはやや整形外科領域に偏った話かな、と思った。わたしが普段見慣れている神経障害は糖尿病性の末梢神経障害や脳血管障害に伴う障害で、この辺も包摂できるような定義にする方がいいのではないかと思ったり。
ちなみに予防策として片足立ちでの筋力トレーニングと骨への荷重が勧められていたり。手軽さはあるから、普及させたいと思う。

七日

日中透析当番で夜は当直。
昨日手術した透析患者さんの内シャントが本日閉塞。詰まりそうと思って抗凝固剤使ってたんだけど、手術で止めたとたんにこれですか。
とりあえず、作り直しですなあ。

八日

入院やらなんやら処理して寝にいったのが午前二時。午前四時に急変を告げる電話で叩き起こされる。
各種処置してばたばたしていると、ちょっと落ち着いたところで外来から患者が来たと電話が鳴る。インフルエンザを何人も診て、ようやく引き継ぎ時間。結構寝れない当直でありました。

その後家帰って元気はつらつなお子様方のお相手.....お散歩で一時間くらい歩き回ったりとか。午後に二時間くらい昼寝できたけれど、それで夜まで起きてました。

九日

月曜午前は外来。まだ始まったばかりなのでほとんどお客さん(違)がいないが。
そのあと病棟診て透析当番まで診て一日が終わる....。

十日

近郊でIgA腎症根治治療ネットワークの堀田先生の講演があるので聞きにいく。相変わらずな感じでそれでも面白く聞いた。
若い人にもたくさん患者はいるから、三十年・四十年という予後を考えないといけないわけで、そう思うと全身麻酔で扁桃腺摘出+ステロイドパルスという重厚な治療もけしてやり過ぎではないのかもしれないとも思う。もっとも、診断の時点で経皮的腎生検が必要になるのもネックといえばネックだが。

十一日

午後救急当番をする。
夕方近くなって立て込んできて、脳出血に消化管出血と重症者の対応しながら病棟から面談予定の家族来てまーすなんて呼ばれる。‥ぱた。

十二日

日中病棟・午後一般外来。
「わたしはアレルギーが多いから、決まった先生にかかりたい」ってな訴えをされる患者さんもあり。それはそれで納得できる期待だなあと思うけれど、その期待に応えられるのは実は主に開業医であるのが今の日本の医療の現実だったりする。病院勤務医はしばしば大学の医局人事で動いていて、数年単位で異動してしまうから。
かと思うとバセドウ病の薬を切らしてふらりと受診する人とか。下手に再燃させると命が危ないよ、と説教したりして。

本日東京ルール当番で泊まり。
救急搬送困難例の受け入れ先探しの一端を医療機関も担うという制度。救急搬送依頼に対して、これまでは病院側は受け入れの諾否を伝えればよかった。この制度では、困難例については当番病院を決めてそこが受け入れ先探しを手伝うことになる。
搬送先探しに病院も一枚噛むことが、この制度のツボだと個人的に思っている。少なくともわたしは搬送先探しで電話掛けするくらいなら自分で診察してしまう方が手っ取り早いと思ってしまう。そういった形で、まず診察した上で病院同士で受け入れを相談する方が、病状がある程度わかっている分受け入れが円滑にいく可能性はある。救急隊は医者でも看護師でもないし、検査も診察もできない。医者の方は「状況不明な患者を受け入れて、もし重症だったりしたら嫌だな」という思いがあるから、状況不明な人よりは診察が終わって診断がされた患者の方が受け入れてもらいやすい。
‥と、ここまで書いて奈良県立五條病院での医療過誤訴訟の判決を思い出した。脳外科の当直医が心嚢穿刺ができなかったのは救急に携わる医師として不適切ってな理由で賠償が認められた事例。片方で「とにかく診ろ」と言われ、片方で「専門的に診ろ」と言われ、では持たないぞ、現場は。

十三日

当直明け。──結局、受け入れ要請なし。平和で何より。

子どもが少しずつ言葉が増え、少しずつナマイキになってきている。
相方が怒って「外に捨てるよ!」と言ったら「ゴミじゃないんだから〜」と言っていたとの由。‥‥あのなあ。

十四日

今月ただ二日のまったく予定の入っていない休日。
朝から雨なのであまりすることもなく寝くたれて、飯喰って。

仕分け仕分けとニュースはうるさいのだが、政党助成金とか仕分けに入ってないのかと思ったり。あれ廃止でいいんじゃね? パフォーマンスの影にはなんかしら隠しておきたいものがあるのが常道、ってな感じに思える。

「世界の中心、針山さん 3」を読む。このヘンさがいい感じ。

十五日

ようやく晴れたので、午前中に金木犀の剪定を。終わって歩いてファーストフードへいったらほとんど一日が終わった感じで。なにせ帰ってきたら昼寝してしまって、起きたらもう暗くなっていた。

十六日

夜だいぶ遅くなって、そろそろ帰ろうかと自宅に電話すると、相方が体調今一といって夕食を作っていない由。最近ヨシケイの宅配で食材が届くので、料理をしないと食材が変にたまっていくという事態が発生しかねない。
何となく今夜は気が向いたので(苦笑)ハンバーグと野菜グラタンを途中まで料理。料理法が頭に入ってないので説明書きをみながらやったら、作業を終えた頃には既に日付が変わっていた。その時点でまだハンバーグ焼いたりグラタンをオーブンで焼いたりはしてない段階なのだけれど。

十七日

来月のCPC(臨床病理検討会)の担当をすることになる。早速準備を始めるのは小心者なのか用意周到なのか。追い込み効かないタイプだからなぁ。

十八日

学会発表準備しなきゃ.....と思ってちょっと焦っていたら、締め切りが来月頭ではなくて年明け早々であったことに気づく。気が緩みそう.....。

十九日

夜、となりの病院(といっても結構距離があるが)の先生方と勉強会。お題は「CPPD」偽痛風などといわれる病気だ。
普段まとめて話など聞くことがない病気なのだが、改めて学んでみると、ついこないだまで悩んでいた人はこの病気で間違いないだろうと確信したり、勉強になった。

二十日

気がつくと受け持ち患者のうちマトモに腎臓が悪いのは二人しかいない。肺炎とか食思不振とか社会的入院とか。それでもこの仕事はけして悪くない、と思える。
ひとり脳出血で入院している患者が電解質異常を起こしていて。起こすと知っていれば現在腎臓内科研修中の研修医に受け持たせたのだがもちろんそんなわけにはいかない。まあこんなもんだけれど。

二十一日

午前中教会のバザーに相方を放流して、子どもらを遊ばせておく。ひたすらすべり台しているのは微笑ましくみていればよかったのだけれど、なぜか途中で二人して頭をすべり台にごつんごつんぶつけて楽しんでいるのはどうつっこめばよかったのか。

「コスプレ見習海賊」(笹本祐一)読了。第一巻読んだときの感想が大当たりだったことに驚いてみたり(苦笑)。

二十二日

「ラー」(高野史緒)を読む。作中でヒエログリフの謎解きしてたりするんですが、これってどこまで本当なのか。まるまま信じながら読了しましたが、学界の定説がこのままってこともないだろうし。

わたしはただの一ユーザーですがなにか。一部の特殊例ってのはたとえば上級医療情報技師なんて資格を持ってる当院の診療情報部長先生のような人を指すわけで。
ただまあ、医療情報機器メーカーについていえば、技術力だけでなくて医療制度全体に対する理解度も足りないと思うんですよ。わたしの勤務先も電子カルテを入れていますが、実は療養担当規則医療機能評価機構による病院機能評価で規定されたり遵守が求められている項目を業務に位置づけるために知恵を絞らなければならなかったことが少なからずあります。一例としては「医師が指示し、それを看護師(あるいは技師)が受け取り、看護師あるいは技師が実施する」という流れが繰り返されるのですが、この受け取り記録が記録できない仕様になっているということで、受け取り記録を書き込むのに頭を悩ませたり。機能が足りない部分を現場の創意工夫が補うって、どんな海賊船の老朽システムの話だよってなもので。
そんな状況ではありますが、実はレセプトのオンライン化はそれほど難しいことじゃないと思ってます。最終的には「いつ、何を使って、何をしたか」をひたすら書き殴ったのがレセプトで、それに加えて根拠病名とその開始日、終了日と転記を書き込めばいい。診療自体の幅広さ・複雑さをかなり捨象してレセプトが記載されている(しかも文字ベース)ので、一番めんどくさいところは終わっていると思ってます。
すでにある程度のサイズの病院・診療所にはレセコン(レセプト・コンピューター)がそなわっていて、それをきちんとオンライン化に対応できるように改修することをメーカーに義務づけること、その費用を補助なりすること、そのくらいでオンライン化自体はできるのではないかと。ただそれを100%義務づけられるかというと、レセコン入れていない所をどうするのかって話になるので、当面は原則オンライン、申請すれば例外OKくらいにとどめた方が無難と思います。なにせご高齢でも診療ができるうちはこき使っているのが現実で、レセプト提出程度の問題で引退が促進されるとわずかなりとも診療供給体制に響きそうですから。

二十三日

遅く起きて、外がいい天気なのに気づいて「そういやペンキ塗りしないといけないんだった」と思い出す。
窓やドアの木部にキシラデコールを塗る作業。途中で子どものお散歩も交えて夕方まで。

二十四日

大魔王の直観は概ねその通りかと。レセプト電子化・オンライン化を九割方実施するところまではそれほど難しくはないかと思うが、電子化についてこられないところはそれなりの数あるはずで、それでも電子化を進めれば廃業促進にしかならない。保険医団体連合会のレセプトオンライン請求を考えるのサイトにアンケート結果が載っているが、これに沿うと現状でオンライン化が進められると開業医の一割ほどが廃業を考えるとのこと。レセコンが入っていないのは全体の13%ほどで、言ってしまえば「レセコン入れることすらできないのに、さらにめんどくさそうなオンライン化なんてやってられません」って意見が少なくないってことかと。

二十五日

夜、キューバから来日している医師との交流会。キューバの医療の現実を垣間みる。
けして豊かではないが医療へのアクセスを確保しようと力を入れている、というのが現実であるようで。平均寿命と一人当たりGDPの相関でみるとキューバと米国はGDPはだいぶ違うが平均寿命はほとんど同じ。日本はGDPは低めだが寿命は長いことになる。
がんで手術が必要だったらみんなハバナに行くことになる、ってことで、専門家を首都に集約し、家庭医をたくさん養成して国土に広く配置して対応する方針である様子。──日本もそのやり方でやれればもう少し医師不足が緩和できたかもしれないが、いまさらそちらに舵は切れないだろうし。

二十六日

めまいの入院受け持ちあり。
脳梗塞を疑ったんだが画像で否定されたので、そうすると前庭神経炎かなあ。そっちのほうが予後がいいので患者さんにとってはよいことと思うが。

二十七日

午後、回診が終わりかける頃に電話。外来から入院依頼。腸閉塞。
わお、腸閉塞の受け持ちなんて久しぶりとか思いつつ。一般内科医らしい仕事でいいよねぇとかおもったりする。

夜は当直。
日付が変わる直前に来院された急性アルコール中毒。蹲って吐いては寝返りを打つようにどたんばたん。声をかけてもまるで聞こえている風ではなく、ストレッチャーの上で寝かせておくと転げ落ちそうなのでやむなく床の上で目が覚めるまで点滴。
吐くまで飲むなんざただの醜態でしかないと心に刻むのはこんな一瞬に。

二十八日

当直明け。
諸般の事情あって都内へ。山手線乗ろうとしたら、マクロスF仕様でした....orz。

二十九日

日直の合間に毎日新聞の経済学者、ジェフリー・サックスさんと語るを読む。
貧困に陥っている人々の中には大きな可能性があり、それを生かすための初期投資が必要だ、という論旨に読んだ。貧困への援助は慈善事業ではなく投資になり得るというのは興味深い。 その流れのなかに毎日の別の記事にあるような直接援助必要論も位置付けられるかもしれない。
これを医療年金方面に適応したのが権丈善一さんの「増税で年金や医療に必要なお金を用意する」議論だろうか。わたしたちは増税と言われれば即負担増→反対、と道筋を描くが、増税と引き換えの社会保障の充実であれば、内容によってはむしろメリットが大きくなる。例えば消費税5%→7%と抱き合わせの医療費窓口負担3割が2割に&高齢者は窓口負担なし、だったらどうだろう。医療に多額のお金を出している人──その多くは経済弱者だ──にとってメリットが大きく、医療を受けていない人、支出の多い人──その多くは経済的には豊かな人になる──にとってはメリットが少ないかデメリットが多くなる。
大事なことは本当に困っている人、援助を適切にすればそこで消費と生産が始まってくるところに援助を行いつつ、短期的にはそこに負担をまわさない長期的な視点、それが大事なのだろうと思う。

三十日

夜、透析診療所の透析当番へ。回診が終わってしまえばやることはなく、「サクラダリセット」(河野裕/スニーカー文庫)を読む。
能力を持つ、ということと、それを使う、ということには時に落差があって、持っているけれど使わない、使えない、ってことはあるよなぁとぼんやり考えつつ読み終わる。割と綺麗にまとまったお話と思った。


Written by Genesis
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