歳時記(diary):四月の項

一日

初出勤の皆々様が医局を埋め尽くす。普段白衣の集団がうろうろしている朝の医局に計九人の一年目研修医と五人の新加入医局員がスーツ姿などで現れたもので、何だかとっても改まった雰囲気。
すこしいつもと変わった始まりではあったけれどもその後はいつも通り。時間は連続したもので、区切りは人が勝手に設けたものだしね。

慢性腎不全でシャント造設をしている患者さんの腹部CTを撮ってみたら水腎症が合併している。もしかして最近腎不全の進行が早まったのはこのせい?などと考えつつ、精査のために泌尿器科へも相談中。
先日の名郷先生のお話でも出てきていたのが「検査前確率」「検査後確率」という言葉。たとえば37.1℃の微熱しかない人と、39.1℃の高熱を出している人とでは、インフルエンザの検査をしたときに陽性にでる率がまったく違うだろうことは容易に予想できる。若い人が夏場に微熱・鼻水で外来に来たら、少なくともわたしはインフルエンザの検査をしないだろう。同じ若い人でも、冬場に突然始まった高熱で他の症状は軽い感冒症状だけだったら、必ずインフルエンザのチェックをするだろう。
では、検査前確率がどのくらい低ければ検査をしないか、ということを考えようとすると、検査をせずに病気を見落とした場合のリスクの評価もしないといけない。たとえば癌検診は検査前確率はかなり低いが、そこで発見することで早期のうちに治療ができ、リスクを下げることができるという理屈でやられているのだと思う。
──実は「入院したんだしいろいろやっとこう」てな気持ちで採血や画像検査を(非侵襲的な範囲で)やって、その結果思いがけないものが見つかることは少なくないので、時に「どこまでやるべきなんだろう」と迷ったりはする。

二日

今日他の先生と話していたこと。
患者さん向けの「医者を相手にするときの心得集」みたいなページの中には「面談の時にはできるだけたくさんで行け」「嘘でも『医療関係者』『マスコミ関係者』と名乗っておけ」などと書いているページもあるとか。
ま、たくさんで来られるのは歓迎ですね。五月雨式にぽつぽつと来ては、「今話が聞きたい、主治医はいないのか」などとゴネられるよりはよっぽどまし。(また、遠くの親戚とかがこういうことを言い出すんだわ。そりゃ都合がつかないのは判るけど、こちらにも都合があるんだから、来られる時間が限定されるならよけいにアポイントをとって欲しい)
「医療関係者」って名乗るのは簡単ですけど....わかりますよほんとかうそか。専門用語で話を振ってみればいいだけですから。ある意味では専門職同士の方が話をしやすいから、きちんとした分かりやすい説明を聞きたければ下手に「自分はわかってるだぜ」みたいな言い方をしない方がいいかと。(ま、そう名乗る趣旨は相手に対する威圧なんだろうから、そう名乗ると萎縮するような相手には使える手段かもしれないけれど。確かに緊張はします、このときみたいに。)
「マスコミ関係者」はいはい、だからといって後から報道されて痛い目にあうようなことは特にしてませんよ? 自分の身を守るのに大事なことは、威しとか策略ではなく、誰に対しても手を抜かない、きちんと分かりやすく説明をしてくれるしっかりした医師と病院を探すことじゃないかと思うのだけれど。

三日

午前中ちょっと不動産屋など。とりあえずは一部屋何とか確保しないと.....と思いながら。でも、最初に出された部屋が必ずしもいいところとは限らないのかなあと見ていて思う。まぁ行ったところが物件リストを手で見ながら探すようなところだったからということはあるのだろうけれど。
とりあえず二つくらいに絞って、次は見学。

夜は当直。早めに行って医局で寝ていたら、寝過ごす(爆)。単に呼ばれなかっただけなんだけど...。

四日

午前三時、外泊中の患者さんが下血で帰院する。──緊急内視鏡へ。
で、やってみた揚げ句出血源特定できずで終了するのは後味が悪く。いつ再出血するのかなぁと思ってしまうと特に。

当直が終わって、ちょっと街歩き。スターバックスでコーヒーとパンを食べて朝食にし、書店をふらついて帰る。
本日の読書は「OKAGE」(梶尾真治/新潮文庫)。ハヤカワ文庫JA版もあるのだからそっちを買えばよかったかもしれず。(ぉ
熊本ネタでSFで破滅もので、という感じだろうか。思わせぶりな出だしから大きな謎の呈示。そして怒濤の結末まで、長いけれど長くはないお話。

五日

外来。今日はひとり同僚の先生から紹介されてきた腎不全の患者さんに透析の話を軽く三十分ほど。説明のみなので費用は診察料のみ。──患者さんは満足するだろうけど、赤字ですな完全に。
時間がかかった外来では診察料を上げてくれるとかきちんと説明することに対して保険上の見返りがあるとか、そういう制度って作れないんだろうか。(無理だろうなぁ.....)

六日

夜、もう一仕事の前に医局でお茶を飲んでいたら。今夜の当直の後輩が39度の発熱との話。「すぐ帰りなさい」とは言ったものの、代わりは──わたしがやれってことですか(嘆)
かくして緊急当直と相成る。
医局にいると仕事が増えるから、もっと勤勉に働けってことなんでしょうか(爆)。

七日

比較的落ち着いていた夜、か。レスピの前に三十分くらい陣取って設定いじっていたりしたけど(爆)
あ〜学会発表の抄録の締め切りが近い....。

八日

昼には腎生検。(人生検ってなんか嫌な変換だな....)若い女性だっただけれど、体格のこともあってとても腎臓が皮膚に近くある。却って穿刺しづらかったりして。

夜は歓送迎会。先生方といろいろ食べて。

九日

多忙な日。往診してカンファレンスして。
本日初往診の患者さんは御年88歳であるのだが、きちんと年齢も言えるレベルで、それほど激しい痴呆はなさそう。
「どこの生まれですか?」と聞いてみたら「銀座」とのお言葉。三代きちんと住んでいた正真正銘の江戸っ子とのこと。家が焼かれたために戦後に引っ込んできたそうな。
患者さんと雑談は、人生が感じられて楽しいんだけど....それやってると仕事が回らないんだよなぁ...。

十日

本日透析当番。そろそろ独り立ち扱いかなぁ。
最近また透析室が忙しく。土曜日にも関らず今日は午前中だけではさばききれず午後も透析をやる始末。──あれ、透析当番の業務って何時までだっけ(死)。
ICUには現在二人ばかり病態不明な重症がいて、二人とも透析を行っているのだけれども。ひとりは透析できるかどうかのぎりぎりの低い血圧。主治医とも相談して、なんとかやってみようと持続的血液ろ過透析を開始する。とにかく時間をかけて体への負担を減らそうという目論見だから、「じゃあまず8時間くらいで」なんて指示になる。最後まで面倒を見てくれる臨床工学技士の方には感謝、感謝。

イラク入りしようとした日本人が武装組織に人質にとられているとの報。予想されたことではある。
多分政府はこのくらいのことは予想していたのだろうから、撤退という選択肢を早々に出す訳はない。でも、国民の側はどうだろうか?
武装組織の声明文では自衛隊の駐留を歓迎せず、撤退を要求している。「イラク国民は自衛隊を歓迎している」「人道支援のために行く」という政府の説明を鵜呑みにしていた人たちはこの事態をどうとらえているのだろうか。
悪く言えば、今の日本政府の目指す国は民間人を人質にとられたとしても、軍隊を撤退させることはしない国なのだろうと思う。国の政策決定が、一民間人のために易々とくつがえるようではいけないというのは(そこだけとれば)間違ってはいないと思う。
問うべきは「わたしたちは自衛隊を出兵させるような国を作りたいのか」という点ではないかな、と思うのだが。わたしは(たとえ民間人が人質にとられることがなかったとしても)武器を持った軍隊である自衛隊が「人道支援」の名のもとに活動することはやめた方がいいと思う。

十一日

午前中から部屋探し。とりあえず五月からの住み処を決定する。

その後は食事をしてから、住宅公園など一巡り。まだ"目指せ一戸建て"計画は凍結されていないもので....。
ハウスメーカーもそれぞれに工夫を凝らしているので勉強にはなる。ただまぁつい出費に目が行っちゃう人間だから、ハウスメーカーに頼む気になるかなぁ....(やっぱりそれなりに高そう)。

十二日

外来では四時間くらいかけて二十人の患者さんを診る。コンピューター画面表示を切り替えて見ると、同じ時間で上の先生は三十人患者さんを診ている.....。やっぱトロいよなあ>俺

十三日

受け持ち患者さんは現在四人。うちひとりは明日退院予定。──そうなるとつい仕事の密度が薄くなる感じ。よくないなぁ。

午後は救急当番、今週からひとりで仕事。そのあとは引き続き外来当直ということで、救急を計6時間半もやるのかとおびえていたのだが、午前中から引き継ぎの患者はなく、そのまま呼ばれないまま交代の時間となってしまった。──よかったと言うべきかなんというべきか。

十四日

仮眠をとっていたところをたたき起こされ、日付が変わったところから当直業務。ひとり来た人はもう入院しかないような人で、さっさと入院にしてしまったら患者が途切れた。
そのうち呼ばれそうな気がしながら「精霊海流」(早見裕司/ソノラマ文庫)を読了。水淵季里シリーズin沖縄。(笑) 同期にも沖縄出身者がいて、読みながら彼のおおらかさ、温かさを思い出した。「この国には妖精たちが住んでいる」のかもしれない。

十五日

朝行ってみると、当直の申し送りとしてICUに入室していた重症患者さんが亡くなったとの記載。自分も透析の面で少し関ったのだけれど、どこに原因があるのかわからないままで心残りも多い患者さんだった。
病理解剖が行われるということで、上の先生に無理を言って執刀に加わらせてもらう。結果としてはやはりすっきりとは死因が判明せず。でも、できるだけ見届けた、という気にはなった。
検査というものは結局外側から撫でながら中身を推測しているようなものであり、それはどれだけ検査機械や方法が進歩しても変わることはないと思う。解剖という形で実際に何が起きていたのかを知ることは、検査だけではわからない情報をわたしたちに与えてくれる。ある意味では、死者からの遺産を有効に活用することも、わたしたちの務めなのだと思う。

十六日

往診してカンファレンスして。比較的患者さんも落ち着いていて早く仕事が終わる。

イラクで人質にとられていた人々が解放されたとの報がニュースを賑わせている。安堵の声と、彼らの責任を問う声と。
彼らの責は、危険と言われる地域へ赴いたこと、その結果(危惧された通りに)犯罪に巻き込まれたこと、だろう。けれども、この監禁事件の主犯はイラクの武装グループであること、その背景にはイラクの治安の悪化があることは確かで、そちらの責の方がより重い、と思う。
では、今回人質にとられた人々への対応はどうあるべきなのだろう。──ふと思い出すのはコントロール不良の患者さんのこと。普段患者さんを相手にしていて、中には自分の体を治す気がないとしか思えない人もいる。禁止しても煙草は吸う、酒は飲む、それでいて苦しいのは嫌、死ぬのも嫌という性質の人だ。そんな人であっても、診療を求めてくるならば医師は正当な理由なく拒絶できない。酒飲みだからといって手を抜いたことが判れば、問題になることは避けられない。
国の仕事もそういったものではないのだろうか。多分に自業自得の部分があったとしても、助けなければいけないと法に定められた境遇にある人のことは助力をしなければならない。そこに法に定められた以上の請求を(懲罰的に)課することは不適当だろう。

十七日

本日明日と軽井沢にて新入医師の歓迎合宿──と称して飲んで喰って語る会。
昼前にでて車を飛ばして、軽井沢ついたら買い出ししてコテージの台所で料理して。日が暮れかかる頃からだらだら語る。
いろいろ本性やら本音やら、暴露されてきて人となりが判る。けっきょく五時間くらいは語っていただろうか。

十八日

軽井沢から帰ってくると、引っ越し屋が見積もりを取りに来る。荷造りまで手伝ってもらって一日仕事が十万ちょっと。安いような高いような。よく判らないや。

十九日

月曜日の外来は現在医者二人がフル稼働、半分ずつ入る先生が二人いて、計3人体制。──けれどもフル稼働の先生がひとりお休みで、応援が入るかどうかあやしい状態、と。いつもよりテンポを上げて診ていたつもりだけれど、受診患者さんが少なかったことにも助けられてなんとか普通の時間に終わった。(やれやれ)
休みがとりづらい理由の一つは、自分の分の仕事を誰かに肩代わりしてもらうのは大変だし心苦しい、ってあたりにもあると思う。

二十日

現在患者さんの数が少なくて。かなりゆったり回っている。
じゃあってんで、日本内科学会認定医の試験に出願するのに必要な病歴作成用紙をいじる。(Wordで作ってあるのをいじった。ホントはLatexで作りたかったんだけれどめげた。)
しかし不思議なひな形である。Wordにはアンダーラインの機能もあるのにわざわざ図形でアンダーラインを引いているところとか、ワープロ打ちなのにわざわざ手書き用みたいに罫線を引いてあるところとか。ただ、なんでも書式についてうるさいといううわさではあり、下手にいろいろいじくり回す気もなく整えておく。

二十一日

本日受け持ちの患者様は大腸カメラ目的の検査入院。明日検査で明後日退院...の予定だった。ところが内服薬を確認すると、検査前に中止しておくべき薬が続行になっている。──連絡ミス、なのかなぁ。
検査を強行してろくなことはないので、明日の検査は中止で仕切り直し。明日退院となってしまった。

「そらのひかり」(わかつきめぐみ/白泉社)読了。読んでいてなんとなしにほっとする、そんな世界が好き。

二十二日

JIM、という医学雑誌がある。この雑誌に最近「研修医 山田(じゃまだ)君」なるマンガが連載されているのだが。3月号では「才能ないのかなぁ....」と落ち込む山田君を指導医がつるし上げる。「バカモン!医者に才能なぞいらん! 必要なのは適性だ!」その後まぁ、医者なんて苦労するばっかりの仕事なんだからその覚悟がないならとっととやめちまえ的に吊るし上げられた山田君。「少しくらい愛をください....」ってメソメソするんですが....。「愛を下さい」がけっこうツボにはまりました。(^^;;
結局、せいぜい「底に哀はある」くらいの生活かもしれず>研修医

二十三日

往診終わって、帰ってきてからオーダリングシステムに入力をしていく。──なんか、再来週の往診予定がめちゃ詰まってません? 二週に一度が基本なのだけれど患者さんが施設に入ったりすると間隔が三週に一度くらいに伸びたり、数ヶ月お休みになったりする。もろもろあって、どうやら再来週は集中してしまった模様。──うぐぅ。

本日病棟当直。最近外来当直が増えてきてて、仕事のテンポが少し違う感じ。
いきなり著明な低ナトリウム血症とか、腎臓内科がらみの患者さんもいて、そろそろ忙しくなってきた、かな。

二十四日

明けて、日常業務など。
そろそろ終わろうかな〜という頃に外来から二人ばかり透析の患者さんが入院。緊急透析をまわしたり。
二人ともそれなりの高齢者で、痴呆もあろうかという患者さん。食事コントロールが維持透析管理の上ではとても大事なのだけれど、軽い痴呆で日常生活上のこと──たとえば買い物や食事の準備ができるレベルであると、好きなように好きなものを食べたり飲んだりしてしまい、その結果問題を起こしてきたりする。
かと思うと本日退院した透析の患者さんは98歳だったり。日本最高齢の維持透析中の患者さんは99歳だそうなのだが、今日帰られた方は痴呆もほとんど見られなくて、まだまだ元気一杯の感じ。日本最高を狙えそうな方である。年齢だけじゃ人は量れないんだなと思ったりする。

二十五日

朝寝坊して、午後から引っ越し屋さんの見積もり。最終的に引っ越しの日取りを確定。
引っ越し屋もいろいろで、三社見積もりを貰ったうち一社は「うちにしてくれるなら値段は引きますよ」的なセールストーク。他二社は「うちは質の高さで売ってます。もちろん値段も勉強してるつもりですが....。」という感じ。──いくらでも引きます、とか言われると却って不安に思ってしまうのが消費者心理というものではないかと思う。
結局最初に見積もりを貰ったところにもう一度電話。空いている日にやってもらうことにしてその分値引きを貰い、決定。安く頼むにはやはり人気のなさそうな時期に頼むに越したことはないようで。
ちなみに、断り文句としては「もう他所に電話して決定してしまいましたから」「お宅もよかったんで迷ったんですが、最後はクジ引きで決めましたんで」など。──努力の及ばないところを理由にするといいかもしれず。

二十六日

外来やりゃあ先日退院したばっかりの人が戻ってくるし、病棟には週末入院で把握しきれてない人がいるしで大わらわ。明後日退院になる人はいるし、しばらく忙しくなりそう。

二十七日

なんだか気ぜわしくてばたばたばた。患者さんの病態が掴みきれないとこうなる。──それは判っているんだけれど。
自分が何すればいいのかに自信がないと、落ち着いて仕事できないんだよね。

で、午後は救急当番。幸いにも数は少なかったけれど、その少ないひとりがヘビー級。さっさとICUに送られてしまった...。

二十八日

昨日送り込んだ患者さんは結局血漿交換が必要という話になって、腎臓内科も治療に加わることとなる。夜になってからも血漿交換の処方について議論していたりして。
当院で今年三人目なのだけれど、昨年は一度も血漿交換を必要とする患者さんはいなかったそうで。──なんか、確率高いのでしょうかねぇ....。

二十九日

天皇誕生日って言われた方がしっくりくる人はどのくらいいるのかな。時にいまでもそう言いそうになるのがここに約一名....。

本日透析当番にて、透析回診とついでに病棟の仕事をちょこちょこと。ふだんよりはゆっくり仕事できたかな。
少し病棟が落ち着いてきているので、その分気持ちにゆとりができてきた、かな。

しかし、今は電気・ガス・電話と、引っ越しの手続きもインターネットで受け付けしてもらえるところが増えてきているようで。時間を気にしなくていいのはうれしい限り。
さすがに市役所管轄の水道はムリみたいだが...。

三十日

往診行ってカンファレンスして。カンファレンスの合間にも透析を見に行ったりICUの重症者の様子をうかがいに行ってみたり。気忙しいったらありゃしない。
もっとも、ある程度患者さんが落ち着いてきたので少しゆとりが出てきたのだけれど....。

夜は新卒医師の歓迎会。少し遅れていく。
とりあえず喰って。(爆) 二次会ではカラオケ行くというので十数人で日付変更まで大騒ぎ。「仮面舞踏会」(振り付き)が大受けしていたりして。
医局長や副院長までいたのだが、一年目から副院長までそろって、「友よ」を肩くんで大合唱する研修病院ってどんなもんでしょうかねぇ。(わたしはもちろんこのノリは大好きなんですが)  


Written by Genesis
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