歳時記(diary):三月の項

一日

外来を始めようかという頃には雨。みぞれ、といってもよかったか。そのせいか患者さんは少なめ。もっとも、天候がここのところ穏やかなことが大きいとは思うけれど。

「ブラックジャックによろしく」完結。買って読んでみるけれど....悪くない終わり方ではあるけれど──なにか今一つ、浅い感じがしてしまう。
「がん医療」→「外科」→「手術療法・抗がん剤療法」→どちらも無効のがん→「緩和医療」って、ありがちな流れであるだけにもっと別な展開を期待していたんだが。緩和医療ってべつにがん患者のみの専売特許じゃないし、治らない病気は別にがんだけじゃない。肝硬変ターミナルとか肺炎ターミナルとか心不全ターミナルとか、そんな患者の方が多いくらいかもしれない。
でも、このシリーズで初めて自らへの治療をみずから変えていくような患者像に出会えた気がする。それは読んでいて楽しかった。

二日

今週は三人ばかり退院予定。少しは楽になるかなぁ。
──そんなことを思っていた午後の救急外来。自分の往診患者が運ばれてくる。酸素化が悪くて、CT上しっかり両側肺炎。大量酸素と抗生物質と...で様子を見る。
呼吸器科の先生にも相談しながら、自分で主治医として診ることにする。きっちり患者さんと最後まで付き合えるようでありたいと思うから。

三日

昨日の人はなかなかよくならない。治療としてはほぼすべてやっているから、後は待つしかない。
重症肺炎(細菌性)に対して当院の呼吸器科の先生方はステロイドパルス療法を行うことがある。自分の患者にやったのは初めてなのだけれど、「やるしかない!」と決めて相談して実施。ステロイドって万能の薬でありまた万病の元なんだよね.....正直恐る恐る。

四日

おどりこさんところからたどって有機化学美術館へ。ついつい説明文ばかり読んでしまうわたし(爆)
化合物ってヤツの力と怖さは日々切実に感じているところで。化学者の業績の一部をいただいて医者はエラそうに患者に薬が出せる、そんなところでしょうか。アスピリンの章なんかはとても面白い。

「プラネテス4」(幸村誠/講談社モーニングKC)読了。堂々の第一部完。
「グスコーブドリ」ってたとえになんというか、胸に落ちるものがあった。人が何かを成し遂げようとするとき、時に自分のいのちをチップにしてポーカーテーブルにつくような、そういうことを強いられることって確かにあると思う。そこで降りるのも手、降りずに無謀な勝負につくのも──まったくお勧めはできないにしても──確かに一つの手段ではあるのだと思う。
自分?そういう勝負をしなきゃいけないシチェーションはできるだけ避けたいな、とか思っているただの軟弱もの。

六日

午後から日直。来た患者さんはひとりだけ。でも、そのひとりはおそらく大腸がん。
腸管のがんのやっかいなところは、放置すると閉塞を来して腸閉塞になったりすること。「末期でも食事が摂れるから肺がんか乳がんがいい」とかのたもうた先輩の先生もいるけれど、そういうことって確かにあると思ったりする。
完治が見込めなくても閉塞解除の為に手術を要したりする。食事が摂れないってのはやだな、と思ったりする。

七日

相方が研修に出かけていて、今日は出勤の予定もない。──じゃあ寝るか、ってなもんで朝寝坊。その後車検に出していたバイクを回収してきて、パソコンいじりをする。
NamazuをiBookにインストールしてあるので、複数インデックスの検索ができるようにいじろうとしたのだが....うまく行かずに放棄。今度調べ直してre-tryだな。

夜は実家でとんかつなど。妹夫婦と親と一緒に喰って飲む。上げ膳据膳....。

八日

外来。「胸が痛い」の人が二人ばかり。狭心症じゃなさそうだし。
先週は退院が三人ばかりでたのだけれど、今週もやっぱり三人から四人くらい退院がでそう。うち二人が三ヶ月以上の長期入院患者。──ふっ、どこまで要約できるやら。
うちひとりは十月から苦労してきた人なので、ちょっと感慨にふけったりする。退院ってひとつの回復の区切りになるので楽しみな瞬間ではあったりする。

九日

午前中の外来から入院一名。午後の救急外来に来た人は透析の患者さんで消化管出血。というわけで本日二人受け持ちが増える。ま、フェザー級ってとこですか。(意味不明)
いまもうひとり消化管出血を受け持っているんだよなぁ...はやってるのかしら?<そんなわけはない
夜は夜でカルテを書いたあと、明日退院の患者さんの紹介状兼サマリーの仕上げ〜。入院時と退院時がいちばん手間がかかる気がする。

十日

お役所ってのはいろいろネタの多いところではあるんですが。
いまわたくしめが当院の新規入職医師への入職オリエンテーションプロジェクトの担当なんですよ。んで、毎年恒例のものから新しく始めるものまで、いろいろ企画を考えているところなわけだ。
毎年恒例のものの中に「救急車同乗」というのがありまして。地域の救急事情をわかってもらおうなんて趣旨でやっているのだが。今年もおねがいします、と消防署に依頼しにいったら、「ちょっと上から指導が入りまして....」って。どんな指導かって、今年は女性の同乗は本署でだけ受ける、ってことになったみたいで。春からの新卒医師は女性が多いのでそれじゃちと困る。
理由を探ったところ、どうもトイレその他の設備がないからのようなんですな。──何とかなりませんかね。いくら男性が多いからとは言え....。

十一日

病棟ってところは病院にとって生命線で。入院と退院がほどよくないとうまくない。あまりベッドががらがらだとスタッフの人件費に見合うだけの収入が得られないし、ベッドが空かなくて入院希望をお断りしているようでもよくない。今の保険制度の中で、入院期間が延びていくとだんだん一日あたりの収入が落ちていくようになっていて、長期入院患者を多数抱えている病院は先行き厳しくなっていく。
ある意味では短期入院の患者さんが数多くいる状態がいちばん望ましいのだけれど、検査目的ならともかく治療目的の患者さんではそうそううまくは行かない。
ぐだぐだ言いつつ。何が言いたいかというと。一週間に七人も退院すると大変だにょ〜ってお話で。(爆)はぁ、疲れる。
ちなみに在院日数で言うと最短は三日間、最長は百五十日間ほど。ここまで極端な週も珍しい....。

十二日

当直明け。かなりよく寝られたけど、それでも朝方は少し眠い。
午前中の往診は臨時が二件。臨時往診はどんな人だか判らないので緊張するところだけれど。
一件往診先の情報を見ていたら、介護者の娘さんの名前はどこかで見たことがあるような....。以前受け持ちした患者さんでした。(^^; 訪問したら向こうも覚えておられてびっくり。
思いがけない再会は、少し楽しい時間でもある。

十三日

「国産ロケットはなぜ堕ちるのか」(松浦晋也/日経BP社)を読んでいる。「技術大国」の日本のロケットがなぜ「失敗」をするのか。一般に流布する「技術の失敗」は、裏を返せばロケットが「失敗しない完成された技術」だという誤解に基づいているためではないかな、などと思っていた。
「工学では『いかに高いレベルで妥協するか』が問題」という記述になるほど、と思った。予算・要求性能・納期などの条件をきっちり満たすことが目標であり、もしどこかに無理があるなら何らかの形で妥協をしなければいけなくなる。
何を大事にして何を犠牲にするのか、予算はどうするのか、そういったことを動的に把握していくことが「プロジェクト」を成功させる鍵なのだろうけれども、硬直した対応に終始したケースが多いことが指摘されている。

最近持ち家購入に向けていろいろ見て歩いたりしていて、要求があいまいだと家を建てるのはあとで不満が出てくるなぁと実感している次第。ちょっと違うけれども自分ではそんなふうに納得していた。

十四日

日中独居(ぉ の日。
注文してあった「わかつきめぐみの宝船ワールド」(Victor)が届く。わくわく....しつつまだ聴いていない。
それから外出して髪切って「機動警察パトレイバー」(ゆうきまさみ)のコミックスをBookOffで読みふけり。そして当直へ。
久しぶりの病棟当直は、急変ひとりあったくらいで、全体には落ち着いていた。

十五日

勘定してみると受け持ち患者は三人になっていた。──先週退院させまくったからなぁ。
そんなわけで早く帰ってみる。(といっても九時ではあったが。)

十六日

まだまだ余裕あり。とはいえ、この日は計三人受け持ちが増えていた。どの人もゆっくり構えてよさそうなので。
午後は救急外来のバックアップ。最近は余裕のある時間と忙しい時間とがぱっきり分かれているような感じで、もう少し平均化してほしいと思ったりする。もっとも無い物ねだりではあるのだけれど。
そういう状況下で処理能力に余裕のない後輩が苦労しているのをサポートするのがわたしの役割であったりする。
最後に入院の決まった患者さんの家族に説明して....と思ったら。「ようやく入院になったか」といった感じ。これまでも何度か外来に来ていて外来で治療をしていて、それが悪化した可能性があるケースではあるのだけれど....。他の先生が行った対応についての不満をこちらにぶつけられても困るんだけれどなぁ。もちろん平謝りしたのは言うまでもない。

十七日

少し勉強もしないと....などと思いつつ医局の書架を眺めていたら、「肥満の臨床」みたいな特集記事が。結構面白い。
人類の歴史の中で、栄養過剰が問題となっているのはごく一部の時代であり一部の人間のことである。ほとんどは食うや食わずの生活を続けていてなおかつそれでもなんとか生き続けてこられた。基礎に病気がないならば、意外に人は飢餓に強いと思う。
必要十分の栄養とはどれだけのものか、またどのように食べることが健康的であるのか。そういったことが意外に知られていない気がする。誤った情報の方が流布しているようだ。

十八日

透析室にあるカレンダーはご多分に漏れず企業からいただいた宣伝の入ったもの。
今日それをふと眺めたら、面白いことに気づいた。「2004年」と年が書かれているのと並んで皇紀二千六百六十四年」と記されている....。
透析室の技師さんも看護師さんも意味を知るものはなく。病棟の主任さん(わたしより数歳年上)が爆笑したりしていた。
しかし、なんつう実用性のない記載....。

十九日

何事もなく日が過ぎてくれる方がよい。特に外来など"定期受診"の時には。けれども体調が全く動かないことはないから、手を加えなくてもよい範囲の体調変動なのか、何らかの処方なり検査を追加する必要があるのか、場合によっては緊急検査や入院診療を必要とするのかを考えないといけない。
訪問診療しているときには"受診"させるのにそれなりの困難があるから、病院に行かせるかどうかは時に悩む。症状がよくなってきているなら余計に。それでも今日はひとり受診してもらってしまった。狭心症疑いで心電図をチェック。大きな問題はなかったみたいでほっと一息。

二十日

春分の日。
朝から飛行機に乗って岡山へ。相方の里帰りに同行。機中での読書は「家守綺譚」(梨木香歩/新潮社)。明治頃の文学青年のつづる、怪談というよりは綺談のたぐい。古家の守をしつつのその生活は少し憧れるところもあったりして。隠居したらこんな生活したいな。(^^;

昼食食べて相方の実家へ戻ってきてお茶して、それから相方のご友人宅に押し掛けて夕食をいただく。──喰ってばかりやん(死)
相方のご友人の旦那様は話を聞いているとどうも@niftyのFCASEで発言を読んだことがある方であるらしく。(後で過去ログチェックしたらやはりその通り)世の中狭いというべきか、類は友を呼ぶというべきか....。

二十一日

えっと、朝ご飯食べて昼ご飯食べて、あとはドライブして飛行機内で夕ご飯、羽田で晩ご飯(更爆)。やはり喰ってばかり...。
本日の読書は透析がらみのME(medical engineering)むけテキストと、「千石屋綺談」(逢坂みえこ/集英社)。「OKAGE」(梶尾真治/新潮文庫)も買ってあるのだがとりあえず未読。

二十二日

混雑する外来。
先週来た不安感がベースの高血圧の患者さん。一時的に血圧が高くなるのは体調不良→緊張感のせいが大きいですよなんて説明が効いたのか、今日はかなり表情も明るく元気を取り戻してきた感じ。
「病は気から」が当てはまる人はけして少なくない。

二十三日

久しぶりに中心静脈ラインを穿刺。さくっとはいってほっと一息。しばらくやってないと自信がなくって....。
多分世の人が思う以上に、医師の技術には「慣れ」が重要だと思う。しばらくやってないと覚えたはずのことができなくなっていたりする。──下手なことの言いわけではないと思いたい。

二十四日

当直中にひとり急変。敗血症っぽいんだけど熱も出ないし炎症反応もそんなにひどくない。とはいえ、脱水が加速している状態なので補液開始。
結局その方は日中に亡くなられる。腸炎であったらしい。

春休みはたくさんの医学生さんたちが就職活動病院実習に来られている。夏の終わりにはマッチングの希望順位表を出さねばならないということで、よさげな病院はないかとあちこち歩き回る春となっている人が多いようで。
で、見ているとやっぱり学生さんもさまざま。「彼にはぜひ来て欲しいね」なんて会話が裏で交わされていたりすることもある。まぁドラフトよりまだ合理的なシステムだと思うけれど....。

二十五日

午前中にひとり学生さんを引き連れて病棟業務。出身校の後輩ともなるとつい会話にも熱がこもる。ヒポクラテスの誓いじゃないけど、同じ道を志そうという人にはつい入れ込んでしまうのだな。

夜は名郷直樹先生(横須賀市立うわまち病院)をお招きしてのEBMの学習会。
感想としては、(某ドラマのせりふをパクるなら)「病気は会議室で起きてるんじゃない、患者の体に起きてるんだ!」てなところでしょうか。Evidenceという統計的確率的な予想を下敷きにしながら実際の患者さんに交絡するさまざまな因子を考慮に入れて、最適な解は何かを探す、それが人を幸せにするEBMではないかなと思ったりする。

二十六日

本日出張やらなんやらで腎内科所属Drは不在がち。そんでまぁ、必死で往診を終わらせて病棟対応しながらカンファレンス。他の患者さんのことまで含めてプレゼンしなければならず、やっぱり把握できてないなぁと思ったり。つっかれた。

二十七日

本日透析当番。指示出して病棟見て。まぁいろいろ。
終わってからすこうし不動産屋さんをめぐって、その後書店へ。「精霊海流」(早見裕司ソノラマ文庫)を見つけて即時確保。

ここで親を批判するのは世間的にはなかなか難しいかと思いますが。子を失った親にその過失を突きつけるだけの気合いを入れてまで、この件に関われる人はけして多くない気がする。
各種事故への予防策としてはまず自衛、なのだろう。誰かに事前に策をとらせる、という手段もそれに含まれると思う。それをやらなかったならばその分の責は自分で負わなければならない。自衛ができない子供や老人などについては、ある程度は周りがその責を負い──誰に帰することもできない責は、諦めざるを得ないのかもしれない。

レンタルビデオで「攻殻機動隊」を借りようと思ったらすべて貸し出し中。しょーがないので「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」なんぞ借りてくる。
押井守さんって廃虚の情景好きなのかなぁ...(ぼー)

二十八日

朝から日直。もひとりの先生が一日外来の方がいいとのことだったので、一日病棟担当として動く。結果的にはほとんど呼ばれずに平穏な日。
少しずつ発表原稿とか書き進めてみるけれども。じっくりものを考える時間て意外に取れないんだよね....。

夜は「ささら さや」(加納朋子原作/碧野ぴんく画)を読む。加納さんらしい、やさしくてちょっと不思議なミステリ。ほっとしながら読めるのがいい。
も一つのお楽しみは「機動警察パトレイバー」のヴィデオ。

二十九日

外来やって、病棟のカンファレンスやって。
看護師さんたちとのカンファレンスはとても大事、だと思う。患者さんの日常にいちばん接しているだけに、細かな所作、言動をよく見ている。医者に言いづらい不満が出てきていたり、面従腹背みたいにしていることがわかったり。ベテランの看護師さんともなると下手な医者よりよっぽど診断が的確だったりする。
もっとも、看護師さんに言いにくい不満が医者に漏れてきたりすることもあるから、そのあたりはお互い様、ということで。

三十日

午後は救急当番のバックアップ──だったはずだが、気がつくと時間が過ぎてしまっている。前線(ぉ にたっている筈の後輩に確認すると、パニック発作のような人がひとり来ているくらいと。平穏は善きことかな?
最近ベッドが少し空き気味。空床=利用されていない=収入にならない という状況ではあるのだが、満床=入院させられない ということでもあるので、どちらがいいかというと救急もかなり受け入れるこの病院としては空き気味なくらいでよろしいと思う。

三十一日

気がつくと明日から四年目といわれることになる。──え、ほんと、とおもったり。
一年前と引き比べると、あまり診療スタンスは変わっていないような気がする。知識は多少増えたけれど、勉強するべきことは山のようにあって、区切りを気にしている暇もない。
昨日と今日で、少しでも新しいことを学んでいけるように。  


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ