歳時記(diary):拾月の項

一日

ひとり、ご飯を食べない患者さんがいる。
意識状態は悪くない。寝ていることが多いけれど起こすと返事をするし、ご飯を食べるかと聞いてみると首を振る。食欲不振というよりは拒食という雰囲気の患者さん。
高齢で痴呆もあり、そちらから来るものと、体調不良から来るものとが考えられたが、いまのところ体調はそれほど悪くないはず。
対応方針としては二つ。食べないなら衰弱してもやむを得ないという考え方と、自分で食べないなら何とか半強制的にも栄養補給ができるようにしようという考え方と。自分自身がもしこうなったとしたらそのまま衰弱しても構わないと思うのだけれど、逆に他人に対してはそうは思わないかもしれない。
こういった問題に答えを出せるのは、究極的には本人だけだとは思うのだけれど。

早く帰ってみると、テレビでクローズアップ現代をやっていた。「医師教育 これでいいのか」をテーマにあれこれ。スタジオゲストで藤崎先生@岐阜大医学部を呼んでいたり全日本医学生自治会連合にも取材を入れるなど、しっかりまとまっていたと思う。

二日

今日も一日ばたばたばた。
木曜日は研修委員会の事務局会議もある。現在進行中の研修の調整と、来年度の研修のための準備と。希望者がけっこう多くてキャパシティぎりぎりまでとれるかどうかが議論中。評価されるのは嬉しいけど、実際にレベルを保ちながら受け入れできないとねぇ....。

帰りがけに事務の人が新規購入のG4の設定のことで聞きに来る。そのままいじり出して、ネットワーク構成とか運用ポリシーとかそんな話をしつつ。わたしゃあくまでコンピューター屋さんじゃないし、Windowsはろくにつかってないんですが、と強調してもあんまり信じて貰えてない今日この頃....。

三日

今日はとっても忙しい日。患者さんが落ち着いていて何より。
午後の回診では悩んでいる患者さんについてある程度の方向性が出てきたので少し落ち着いて診療できそう。

夜のケースカンファレンスに出て、その後ちょこちょこと仕事をしていたらすっかり遅くなってしまった...。

四日

死の行軍の一日、とでもいおうか。午前中救急外来、午後は病棟日直、夜は外来残り番。終われば家に帰れるのだけが救いの日(炸裂)。

こーゆー日に限って千客万来だったりするんだよなぁとおびえつつ....ほっ、そうでもないや...と安心しかけた昼前。
近隣の診療所から紹介されて搬送されてきた患者さんは酸素投与を最大にしても呼吸が落ち着かず。やむなく救急外来で気管内挿管してそのままICUへ。レスピがついても酸素濃度は十分でなく。「今夜が山」とか家族に話したりしていた。(午後は病棟日直だったしね)
手伝っていただいた先生は勿論多数いらしたのだけれど、いろいろやった後に気がつくといなくなっている先生、カルテを記載して申し送りまでしてくれた先生、いろいろで、違うものだなぁと思ったりする。

五日

ゆっくり起きる。外の天気がいいのを見て、バイクにて南大沢まで出ることにする。妹が出産予定ということで、ベビー用品のプレゼントを物色しに。
なにしろ妹は米の国にいるのであまりでかいものは送れない。耳体温計とかカードとかを買い、そのあと命名式用の子供の名前を書く掛け軸などみつけて買い求める。米の国でならウケるかもしれない。

一度帰宅して今度は実家へ。トランクやプレゼントを持っていき、そのまま晩飯を食す。
なんだか実家のWindowsパソコンからGoogleなんかにアクセスできなくなっているということで見にいってみる。確かに見慣れたGoogleの画面が出てこない。いろいろ調べてみたらしくて英文の対処法が記されたプリントアウトがあったので、それに沿ってC:¥Windows¥system32¥driver¥hosts(だったかなぁ?)のファイルを開いてみると、しっかりGoogleとかserch.yahoo.**とかが記されている。一応バックアップをとって検索エンジン系のアドレスをコメントアウトして再起動したらしっかり動いた。
──えーっと、わたしは単に英語を読んでその通りにファイルをいじっただけなんですがこれって別に詳しくなくてもできる程度ですよね?>大魔王

六日

往診の悪性腫瘍ターミナルの人が入院していた。一月ほどとはいえ往診で診ていたし、できれば最後まで、と思って無理を言って持たせてもらう。──楽じゃないけどね。

夜は医師研修関連で少し議論がある。レベルを保ちながらたくさんの研修医を育てていくのは実は難しい。病院経営や今後の医療構想も考えればなおさら。研修への投資とその他の部門への投資のバランスがとれなければやがて病院は維持できなくなって崩れていってしまう。若手が育たずに、あるいは指導者が育たずに。若手には勢いがあっても熟練はなく、中堅ベテランの成熟とかみ合って初めて有機的な連係が保たれる。若手にばかり投資する訳には行かないし、研修医が育ってもその上を行く指導医が育たなかったり、あるいはレベルの高い施設や機材が入らなければやはり質と量が保てない。
その境目をうまく泳ぎ渡るのは難しい、と思う。

七日

最後に大変になる。
救急外来の終盤、開業医から紹介されてきた患者さんはけっこう重症の心不全。糖尿もあって腎不全もあって、ああ遠からず透析になるなぁなんて思いながらICUへあげる。
利尿剤でよくなると思っていたら、ちっともよくならないし全身状態は悪いし、こいつぁ透析が必要だな、ということでわたしが主治医に。(爆)
透析を始めたのが八時、終わるのが十一時。さぁてどうかなと患者さんに会ってみると意識状態が悪い....。頭のCTをとり、原因がはっきりしないので首をひねりつつ家族を呼び出して一時間くらい面談して説明して、最後に痰詰まりを起こしていそうということで痰とりをやって....病院を出たのは三時を回っていた。(ちなみに当院の医師は残業代はない)

八日

昨日の患者さんの対応をしていたら一日が過ぎた...。
結局呼吸状態が持たないということで挿管・人工呼吸器管理に。血圧も低くて昇圧剤を開始して、持続透析を開始して. すこうし持ち直してきたところで夜通し透析をやる方針となって──気がつけばわたしは今夜の当直医(核爆)
当院初診で過去の記録も乏しくて、紹介状も詳しいデータの記載がない、あまり役に立たない紹介状で。何が起きているのかが手探りのまま目先の症状をよくしようとしているのはとてもストレスフル。

幸い(なのか?)一緒に一年目の先生が見習い当直をしているということで、カルテを一年目の先生に書かせながら自分は自分の仕事をしているとか鬼のようなことまでしてしまった。(ごめんよ〜)

九日

すこうし落ち着いてきたかな〜と思ってきた午後。
「先生、VTです!」
に始まって、不整脈が出ては消える。致死性不整脈だからほっとけないし、出たり出なかったりでICUから離れられないという状況.....。
抗不整脈薬が効くまでが長かった.....。

朝食はパン一個、昼食は夕方4時過ぎにサンドイッチ一個。どのくらい追いつめられていたかがよくわかる食事だな(自嘲)。

十日

どんな状況下でいることが一番医者としてストレスだろうか?
思うに、何が起こっているのかわからずに対症療法に終始しているときではないだろうか。

不整脈も出る、心機能は悪いということで何らかの虚血性心疾患を疑って、ここ数日話題の重症患者さんに心臓カテーテル検査を施行。午前中の往診を特急で終わらせ、挿管チューブにアンビューバッグをつないで手動で呼吸を維持しながらカテーテルを行う。これでようやく病態の一部がわかる、と思いきや、検査の結果は「大きな異常なし」。──つまり何で心機能が悪いかとか不整脈が出るかの原因についてはまた霧の中に隠れてしまった訳で。
カテーテル検査後、検査担当の看護婦さんが検査の結果について循環器のボスに聞いていた。「方針は?」と尋ねられたボスは、あっさりとこう答えた。
「方針はね、『がんばる』」
はぁぁ。

十一日

なんだかんだ言っても重症患者というのは気が重くもありやりがいも感じることができる。患者さんも頑張っているんだ、とも思うし。

「交通外傷死亡患者の4割助かった可能性」(孫引きリンク容赦)なんてニュースを見ると、改めて医療水準って何だろうと思ったりする。
各種保健指標(たとえば周産期死亡率とか平均寿命とか新生児死亡率とか)をみると日本の医療水準の高さを示しているように思う。しかし、医療事故とかこういう統計をみたりするとまだまだなのかなと思わされたりする。
事実は多分医療機関ごとの水準の差の大きさなのだと思う。慢性疾患管理にしても急性疾患への対応にしても、国レベルでの治療の標準化をきちっとしてないために、学会などで主流となっている治療法を把握していない医師が自己流や古い治療法を振り回していることが少なくない。
医者は「定跡を覚えて強くなる」タイブの職業だと思う。定跡通りに行かない患者が多いからこそ。

十二日

まだ暗い朝方携帯電話が鳴る。こんな電話はろくなことがない。案の定、悪性腫瘍末期の患者さんの急変の知らせ。急に呼吸が落ち、家族の方の見守る前で亡くなったとのこと。
もう少し先かな、と思っていたのだけれど予想を裏切られた形。でも苦しむ姿をあまり見せないまま亡くなったのはある意味ではよかったかもしれない、とも思う。
病院へ行って家族の方へ最後の面談をして、また戻ってきた。

ICUの重症患者も少し落ち着きを見せてきたということで、午前中再度出勤して様子を見るだけにして午後は買い物とか。書店での収穫は「死にぞこないの青」(乙一原作/山本小鉄子作画/幻冬舎コミックス)と「幽霊は生死不明」(矢崎存美/スニーカー文庫)。両方とも読了。
乙一さんの作品で一等お気に入りなのは「しあわせは子猫のかたち」だったりするので、それがイイ感じでマンガになっているのはさらに嬉しかったりする。

十三日

朝寝。のぉんびりと起き出して、メシ喰って。んで、当直しに行って。
そのまんま、あまり呼ばれずに仕事をしていた。

十四日

ICUの重症の人が落ち着きを取り戻してきた感じで何より。今日は金曜日に入れたカテーテル類を抜去。心機能モニタリング用の機器が外れてだいぶ身軽になる。
次は人工呼吸器が外れるかなぁ。

午後は救急当番。いつ呼ばれるかと待ちかまえてはいたのだが、結果的には最後まで呼ばれずじまい。ラクでいい、世の中平和でいいという一面もありつつ、ちょっと肩透かし。

十五日

目先の患者さんのことはともかく、じっくり今後のために勉強、という気にあまりなれなかったりしている今日この頃....。
上の先生からの提案で、一つまとめをして学会発表しようとしているのだけれど、そのための下調べを少しする。幅広く論文を読んだりするのって、意識していないとつい後回しにしてしまいがちでよくないなぁと反省してみたりする。

十六日

夜、病棟の歓送迎会。一次会で飲んで、二次会でカラオケして。さだまさしの「関白宣言」の替え歌「ヒポクラテス宣言」なんかを歌ってウケをとったりしていた。

十七日

午前中往診。退院してきた患者さんなども含め少し時間がかかる。

帰ってきたら、慢性腎不全末期で透析をしないと言っているという患者さんが入院。放っておけば命はない、と説明しても頑固に嫌だと言う。何度も入院歴があってそのつど説明もされているので、理解した上で拒否しているとなれば、それは自由意志と考えるしかない。そのまま経過観察を続けることになった。

十八日

夜から当直なので、どうせ出勤するならと朝から仕事。患者さん診て、ぱたぱたとしたあとで昼寝してから当直。扱いとしては午前中は自主出勤。──やっぱり趣味で仕事やってるに近いかも....。

十九日

けっこうへろって当直を終わる。
その後は一度帰ってから相方と街歩き。和食なランチを食べてからウィンドウショッピング。──体力削がれてく(;_;)。途中で食べたアイスクリームはとってもおいしかったんだけど、やっぱり寝不足は堪えます。
一度帰って、一寝入りしてから実家を急襲。親父殿(某教育系地方公務員)が職場にマイカー通勤ができなくなったとの由で、わたしの単車を貸し出す。職場に駐車場が確保できないとかならわかるんだが、自前で駐車場借りて通勤するのまで不可にするってのは何を考えているのかよくわからない。まぁこの国のお役所のやることだから....と無理やり納得してみたりする。
帰りには「マイケル・ムーアのおそるべき真実」なんかのDVDを借りてきてしまった。ジョークっぽくて批判的で、悪趣味とは思いつつこういうノリは大好き。

二十日

外来。自分としてはまだまだ対外的な場に引っ張り出すには経験値が不足してると思うのだけれど、それでも容赦なく紹介状抱えた患者さんとかを診なきゃいけなかったり。はぁ。

二十一日

後輩が体調不良との由で、交代して当直に。──正直、この日は救急外来残り番の予定だったので、慣れた当直の方が気持ち的には楽だったり(爆)。
でも、入院はけっこう入るし、寝ついた頃に呼ばれるしで、大事は起きなかったもののけっこう疲れた....あ、いつもか。

二十二日

科の大ボスが「ひとり入院にしといたから」なんて人を受け持つ。昨日外来に紹介初診の人をすぐ入院させたらしい。データを見て納得。以前から腎臓悪かったとのことで、データからするとこりゃ透析目前だ。
なのに、本人は「透析なんて、聞いたことあったかなぁ?腎臓悪かったんですか?」てなもん。──今月入って、紹介初診〜すぐ透析ってパターンは三例目。なんだかなあ。

専門莫迦の弊害、なんて言われる。けれども患者さんにとって一番怖いのは「わからないことをわからないままに放っておかれること」なんじゃないだろうか。専門外を隠れみのに、放置されていたために適切な医療を受ける機会を逸してしまうことは怖いことだと思う。わからないから他の先生に、ってあちこちに紹介されることは、通院が大変とか全体を把握している先生がいなくなるとかのデメリットはあるにしても、悪いことばかりではないと思う。
今の医師初期研修のトレンドは「common diseaseをしっかり診られる」って辺りにあるようだけれど、commonに見せかけた特殊な病態というのもあって、そういう人が放置されないようにもしないといけないんだろうな、きっと。

二十四日

午前中往診を特急で済ませ(患者さんには申し訳ないが....。)甲府へ。腎疾患懇話会。
いく道すがらに「第六大陸」(小川一水/ハヤカワ文庫JA)読了。「地上の星」をBGMに読みたいような壮大なプロジェクトの話。月面に有人基地を造る、そのプロジェクトのために精根を傾ける技術者と、プロジェクトを推進していく巨大企業会長の孫娘。難問をクリアし、時に犠牲を出しながらそれでもプロジェクトを進めていこうというドライブ感が読んでいて熱く感じられた。
最後の大転回の布石は少しずつ打たれていて、ちょっと唐突な感はあったけれど、そこに託された夢がいいな、と思う。

二十五日

モーニングカンファレンスはリハビリテーションについてのお話。リハビリというとどうしても神経筋疾患後や外傷後のものと思ってしまうけれども、それ以上に現在では「廃用」──つまり使わないでいるために弱ってしまったあとの対応として行われることが多い。
どうしようもない場合もあるけれど、防ぐこともある程度は可能で、「維持するためのリハビリ」を廃用に陥りやすい患者さんには積極的に行ったほうがいいかもしれない。
病気に対しては安静、という考え方は根強いから、患者さんの方も動きたがらないし医療者側もともすれば過度の安静を強いたりベッドにいることに対して問題意識を抱かないことも多い。けれどもそれではいけないのではないか、という問題提起がなかなか新鮮だった。

二十六日

本日外出の日。目的地は上野は西洋美術館。──いや科学博物館と都民の森美術館とどこにしようかなとか思ってはいたんですが。レンブラントとレンブラント派の画家、というテーマでの展示。
んー個人的には題材は嫌いじゃないものの....て感じかな。歴史の素養に乏しいもんで理解できないとこも多々ありつつ。

昼にはうどんを食べてアメ横を少しふらついて。晩ご飯にはステーキを食べに行ったりと家族サービスの日。
本屋で「ふたつのスピカ」(柳沼行/メディアファクトリー)と「Forget-me-not」(鶴田謙二)は確保しといたけど。

二十七日

休み明け。入院多数、透析導入多数。(爆死)
なんか今週から忙しくなりそう。午前中外来なのに受け持ち二人も増えるし。透析室はいっぱいだし。少しずつ把握していくしかないかなぁ。

二十八日

午前中で患者さんを回る。元気な人、あまり元気じゃない人、いろいろではあるものの。不義理をわびつつ、という感じ。
午後の救急は結局ひとり重症を入院させたくらいか。喘息だと思うのだけれど病歴がはっきりしなくて見切るのに時間をかけてしまった。

指摘が役に立ちましたようで。無事にSafariでの表示が綺麗になりました。文法面ではSafariのチェックはけっこう厳しいのかなぁ。

二十九日

夕方、ひとり転科。心不全で腎不全。また新規導入だぁ。(爆死) 内頚静脈を穿刺して透析用カテーテルを挿入、透析開始して水を引く。
何だかえらい勢いで新規導入患者が入ってくるのだが...何故だろう。

三十日

現在ICUに受け持ち二人。もともといる人と昨日からの人と。
もともといる人はだいぶ回復基調で透析も軌道に乗ってきた感じなのだけれど、透析用のカテーテルが詰まってきたので抜去、入れ換え。昨日に引き続いて内頚静脈穿刺。
こんな勢いで何度もやれば、そりゃあ技量は上がりますけど....。

その他、腎生検して新入院の患者さんがいて。この人も透析導入だし。今朝方から調子の悪い患者さんはいるし、何だかしっちゃかめっちゃか。

三十一日

昨夜からのどの痛みあり。朝方かなり寝汗かいて....これは風邪ですな。
仕事はちょっとつらめだけどやれないほどじゃない....でもそのあと当直だったりして。

そういう日に限って午前中往診で午後回診のきつい日程が待っている。この日は最低限の仕事だけして休養に努める。最悪夜明かしだしね.....。
呼ばれ方はそうハードではなかったものの、体調的にキツい当直でした。  


Written by Genesis
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