歳時記(diary):四月の項

一日

四月莫迦の日はなにも莫迦をやらずに過ごしてみる。

夜、妹夫婦と親とで中華を食べる。子どもが多いとやっぱり多少遠慮する部分もあるなぁと。

二日

新年度。
朝礼は新人であふれてましたが、それ自体いい事だろうなと思う。
ただ自分の業務が特に変わるわけではなくて、外来やって病棟患者を見て。

三日

朝から透析診療所へ。
帰りにはきっちり雨が降っていたけれども、雨対策はしていたのでそれなりに。

四日

当直の夜。
嘔吐・腹部不快感で受診した方に吐き気止めがなかなか効かず。トイレに立つ様子がふらついているので神経診察したら中枢神経症状があったので頭部CT撮ったら脳出血だった...。
pit fall症例って奴ですなぁ.....。

五日

明けて腎生検やって午後は外来。
昨日の夜認知症だろうかといって帰宅にした患者さんに今日HDS-Rを実施したら28/30点。……何が起きた?
患者さんも「病院来たのは覚えてないけど昨日西友で買い物したのは覚えてる」とか言うし。一過性健忘症状を来す疾患の鑑別をしなければならないという。

六日

子どもの入学式。休暇を取って参加。
「それでは明日から元気よく通いましょう」みたいに締めた司会進行の副校長先生の発言に「明日は土曜日です」とか突っ込むのは人として不出来でしょうかね。

七日

土曜出勤。レセプト書類を仕上げて。

八日

日曜日ということで子供らを連れて散歩に出る。お外でお弁当を食べる意欲満々の息子は、自転車に乗せて放流すると意気揚々と弁当屋まで自転車を走らせる。そこでお弁当を買い込んで、たどり着いた先はさくらまつりのイベント会場。遊んでご飯を食べて、子どもたちは満足したようす。

九日

息子は小学校初登校。ランドセルを背負ってか背負われてか、登校になじむのは少し時間がかかりそう。
夜は新入職医師の歓迎会。飲み食いして二次会まで。

十日

朝から息子と言い合いをして、拗ねてグズグズの息子と歩いて通学路を行く。遅刻するほどじゃないが時間を過ぎたので、同級生もいない中一人で歩くのはしんどかろうと思ったのだが。
校門に着く頃にはだいぶ機嫌も治ったようでちょっと安心。その後娘を保育園に放り込んで仕事。

夜は腎生検カンファレンスだったのだが、夕方に緊急血液浄化の依頼が舞い込み、終了後に宴会している所へあんまり調子よくない旨の連絡が。
病院戻って結局人工呼吸器つけたりなんだりのどたばたに参加して、二日続けて寝たのは午前様.....。

十一日

二日も続けて午前様しているとちょっと体が重い感じで。
普段通り帰れてよかった..。

十二日

午前から昼にかけて二件腎生検。偶然だが二例とも過去にIE(Infective Endocarditis)の既往があった。感染性心内膜炎は時に診断が困難で、その理由はひとつは症状が非特異的であること、もう一つは診断のために血液培養陽性の検出と心臓弁の破壊もしくは心臓弁にできた疣贅の検出という狙ってやらないとやらない検査が入る事、と思っている。感染症の診断として血液培養をとる習慣がついていればそれほど困らないのだが、血液培養は抗生剤使用していると感度が落ちるので、困るのは抗菌剤開始後に疑った場合。持続的に陽性になる事が多いようなので抗菌剤投与下でも検査はすべきのようだが、陰性だった場合が悩ましい。
当院には感染症科はないのだが、Infection control doctorはおり、そのせいか比較的感染性心内膜炎の診断は珍しくないように思われる。ま、誇っていい事だとは思いますが。

十三日

当直明け。夕方になると眠い....。

十四日

朝早起きして京都へ。内科学会総会へ。みやこめっせで開催という事は確認していたのだけれど、最寄り駅の確認をしていなくて、回りを見渡しながら内科学会に行きそうな人の後をついていって到着。

正直なところをいうと参加証が欲しくて参加、というところ。総合内科専門医を維持するには5年間の認定期間内に75単位を取らなければならない。単位表が公開されているけれど、内科学会総会に4回に腎臓学会総会に2回、セルフトレーニング問題1回やってようやくというところで。行けるところで行っておこうという動機。
それでも、講演聞くとそれなりに面白いんだけどね。

新幹線の中で「三匹のおっさん」(有川浩)読了。「則夫・エレクトリカルパレーーーードッ」に爆笑。則夫みたいなおっさんになりたいですな。

十五日

今日は相方が勉強会という事で子どもとだらだらする。
電車に乗りたいという子どものリクエストにお応えして電車に乗って、駅前でうどんを食べてお昼ご飯。その後近くの公園で放流しておいたのだが、気がつくとジャンパーをどこかに放置している....。探すのにしばらく時間を使ってしまった。

十六日

外来・病棟カンファの順で。
夜は医局会議に院内学習会と盛りだくさん。何もしてない気がするのに時間が過ぎる....。

十七日

毎朝息子の機嫌伺いが仕事になりつつある今日この頃。機嫌悪いとなかなか素直に登校してくれない、という。今朝は結局昇降口まで一緒に付き添う破目に。学校が嫌い、というよりは離れがたいようで。慣れてくれるかなぁ。

十八日

夜透析の回診時に患者さんと熟女談義になる。「何歳から熟女か?」
「僕にとってと先生にとっては違うでしょうね」という結論に。そりゃあ、60過ぎの人にとって熟女って何歳よってことに確かになるなぁ。

十九日

午後外来は予定で受診の人々で大体終わり。気候がいいからかなぁ。

二十日

相方から早めに帰ってくれと依頼されていたのでできるだけ仕事を早く片づけて帰宅。なんだかんだと都合が増えるなぁとため息ついたりする。

二十一日

土曜出勤。午後に家族面談予定していたのだけれど仕事の都合で遅くなる、と。仕方ないといえば仕方ないし、こっちも暇じゃないんだって気分になったりもする。

二十二日

日曜出勤。病棟で調子の悪い人がいて救急外来を捌きながら透析用カテーテル挿入したりする日直。
そのまま当直はちょっときつかった...

二十三日

午後に急遽透析診療所の回診へ。合間の時間で「サクラダリセット7」を読了。
絶望しない、諦めない、それでいて現実を正確に見つめようとする。そのような浅井ケイの物語を読みながら、この作品世界での「能力」というのは、「超能力」ではないのかもしれないとふと思った。今わたしたちがたとえばきれいな絵を描けたりピアノが弾けたりといった、他の人にはあまり真似の出来ない特技を持っているのと、咲良田の人々が特殊な能力を持っているのは根本的には同じで、状況に応じた都合のいい能力が発生するものではないということ。うまく使えばいろいろな形に役に立つかもしれないけれど、汎用性が高くないものもたくさんある。わたしたちは自分の能力を使える限り引きだすことが大事なのだろうなと思ったりした。

二十四日

夜は透析室の歓送迎会だったのだが、出発が遅れて結局あまり食べられず。まぁこんなこともある。

二十五日

朝礼の時に在宅往診の先生から「往診部門の看護師長が異動するのでサプライズで慰労会を行いたい」とアナウンスがあったので夜往診室へ出向く。
定期的に往診に行っていたのは2005年までで、そこからかれこれ七年。その後も時折ピンチヒッターで往診に伺う事があり、一応無難に勤めているつもりでいる。
こういった継続性が大事な診療を地道に続けていく事はとても大事な事じゃないかなと思っている。

二十六日

外来のラストに、転院希望の患者さん家族が来院。腹膜透析を他院で受けていたが、末期癌が見つかりBest Supportive Care方針。
今後の対応など打ち合わせる。遠くの大学病院より近くの病院、と思うし、その病院が標準以上の医療を提供できるのがBest、と思う。

二十七日

当直明け。夕方になるとやっぱり眠い....

二十八日

午後から都内に出る。医療安全の講演の中で取り上げられていたのが"Just a routine operation"。患者に危機的状況が起きた時、医療チームはどうあるべきか。
問題提起した患者の夫はパイロットだそうで、たぶん出発前に目視で自機の状況を確認しているのが個人的におもろいと思った。

二十九日

昭和の日、だったっけ。
子ども連れて軽く散歩したあとにテレビ視聴。「モーレツ宇宙海賊」「宇宙兄弟」「謎の彼女X」と。

夕方には散髪に。だいぶさっぱり。

三十日

透析当番で出勤。
休むとその分病棟仕事がたまる...休みとると却って面倒ってのはどうにかならんものだろうか。


Written by Genesis
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