歳時記(diary):十月の項

一日

当直明け。
で、そのまま午前中救急当番。十一時過ぎから次々救急要請があっててんてこ舞いする。

二日

土曜出勤。
朝入院したという喘息患者を受け持つ。……ところが、基礎疾患が精神発達障害となると普通の対応とはだいぶ異なってしまう。体は大人でも知的精神的レベルは子ども。小児科領域の知識がないとなかなか対応が難しく。基礎疾患についても詳細は不明となるとかなり困ってしまう。
本来かかりつけの診療所が後方病院を持っているものなのだが、今回はその後方病院が収容を断ったために当院へ回ってきた由。収容できないこともあると思うから一概に悪く言うつもりもないんだけどさ、公的病院がキャパオーバーを理由に難しい患者断ることが多発するのはその地域の医療が崩壊寸前って状況なんじゃないかと思うのだけれど。
他にも透析患者の消化管出血が二例とか(ぉぃ 来たけれど。大変だった気がしたのはどっちかというと喘息の人だった。

三日

家でだらだら。
庭木をちょっと刻んで、イラガが付いた枝を払ったりなんだり。午後は食事に出たくらいで後はほとんど家にいた。

四日

夜、同期と会話。
「子ども二人だったよね、どうだい?」
「もー、生意気で。上の子は屁理屈こねるし」
「親に似たんだねぇ」
「……。 ま、下の子の方が頑固でおにーちゃんより強くなりそう。」
「ふうん、その辺もそっくりだねぇ」
べ、別にわたしは頑固でも屁理屈こねるわけでもない、はずだ!

五日

今月末にCPCということで準備をちょこちょこ進める。
当院へ異動してきた医師が、剖検数にえらく感嘆していた。「今年は少なめですね」とお話するとさらにびっくり。日本においては剖検率がとても低いとはされているのだが、当院では10%をちょっと切るくらい。どんなもの、なのだろうか。

六日

午前中は外来透析当番。午後は少しゆっくり病棟回り。
夕方は救急外来当番して....あれこれ来ている患者をさばく。時間制限がある中で決断しないといけないのがなかなかつらいところですね。

七日

夜入った方を最近入職した先生にお願いし。立ち回りをアドバイスしながら退院を一人決めたりなんだり。 午後の外来ではフォローの人とかめんどくさい人とか。稼ぎの悪い外来を。

八日

スタジオアリスへいく。前回機嫌が悪くて断念した写真撮影再挑戦。 服を決めて子どもと相方が着替えに入ると.....全くやることがない。着替え室は男親禁のようなので。しまったなあ、文庫本でも持ってくるんだった。
下の娘がけっこうぐずぐずしたのだけれど、前回は和装にチャレンジして、準備に手間がかかって断念したのを踏まえて今回はかぶって着られるようなドレスにしてなんとか形になった。あまり機嫌のよろしくない子どもの機嫌を取りながらすかさず一瞬の笑顔を抜き撮りするのはある意味高度なテクニックだなーと感心したり。

九日

本日子どもの運動会....の予定が見事に雨。朝一番はそれほどでもなかったのだけれど、中止の連絡があった頃からぽつりぽつり。開会予定時刻には霧雨になり、午前中しっかり雨。
でもせっかく作ったお弁当をどこかで食べたいということになって府中市郷土の森博物館へ。古民家園なんかをそぞろ歩いて、四阿でお弁当。雨降ってるってのに合羽来て子供らはめちゃハイテンションで駆け回っていた。

その後勤務先の慰霊祭に出席。これも年中行事となった観がある。

MacBookにpTeX環境を構築してあるのだが、ヒラギノで出力したいなと思っていた。MacPortでpTeXを導入してTexShopをインストールしていたのだが、さらに小川版のpTeXを入れたりしていじっていたら文字コードの設定をおかしくしてしまったらしく文字化けした文書しか吐かなくなってしまったので慌ててもとに戻しだす。なんだかよくわからなくなってきたので再インストール、と思って、MacPort上でまず uninstall pTeXして、それからsudo port install pTeX +utf8 +nox11 +hiraginoしてみる。とりあえずコンパイルが普通に終わって、それからBeginning MacOS X 10.5の記述を参考にしてTeXShopの設定をやり直すと、やっとこ元通りに動き出し、ついでにヒラギノフォントでの表示ができるようになった(気がする)。もともとのpTeXのインストールオプションにヒラギノが入っていなかったので、きっとよくなったのだろう。
ついでに、ってわけでもないのだが、MacPortをselfupdate. そのまま古いパッケージをupgradeしようとすると 「can't read "os.platform"」とエラーが出る。どうもMacPortがrelease 1.9.0になるところで追加された機能の関係らしく、/opt/local/etc/macports/以下のmacports.confを入れ替えることで解決するらしい。(参考)

十日

ちょっぴり雨模様の日曜日。買い物でも行くかと車でショッピングモールへ。着いたときには昼時で、まずメシ食べるかとフードコートへ行ってみるとかなりの混雑。とりあえず食事を買ったものの、座るところがなくて右往左往していたら、親切な人が席を譲ってくれて大感謝。わざわざ席を立って声をかけてくれたのはとてもありがたく。
その後ズボンやら何やら買って帰ってきた。

午後には自転車のタイヤ交換をお願いしてきて、そして「パラケルススの娘」を最後まで読む。ヘタレだった遼太郎君が最後にはここまでたくましくなって、なかなかよい終わり方ではなかったかと思います。

十一日

透析当番で出勤の日。
午前中ひたすら透析関係の指示を出し続け、それが終わったところで来週のCPC向けの資料作り。
一応一番ヤマになるところは何とか終わった、かなあ。

十二日

MacPortでoutdatedみて、updateかけていたらlibiconvをupdateするところでエラーがでてとまっていた。何度試してもうまくいかなかったけれど、ふと思いついていったん clean --work libiconvしてから再試行したら通ってしまった。なにかしらの作業ファイルが邪魔していたんだろう、きっと。

十三日

午前透析当番・午後救急当番・夜CPC向け資料作り。夜なべ仕事付き〜。
TeXShop環境で大きめの表作ろうとして、少しいじったくらいではA4の紙からはみ出すことは変えられそうになく。「それじゃあA3の紙に作ればいいじゃん」と思ったら今度はなかなか出力がA3にならない。

¥usepackage[driver=dvipdfm,a3paper,landscape,twocolumn,margin=2cm]{geometry}

などとプリアンブルに指定をかけてようやくそれらしいものができ上がってきた。

十四日

朝出勤してみると、当直で入院した白血病っぽい人をどうしようか思案中。のんびり様子を見るわけにも行かないし、かといって当院常勤の血液内科Drは外来がびっちりで転送先を決めたり書類を用意したりをやっている暇はない状況。やりますよといって引受けて午前中はそれに忙殺される。

夜は当直。あまり大物は来ず、ほっと一息。

十五日

夜は新しく来た先生方を迎えての宴会。
二次会でカラオケ行って。「ストレス解消になりますね〜」って言ったら「えっ、ストレスなんかあったの?」とかいう意味不明な反応が。ないわけないじゃんと思うのですが。

十六日

朝から子どもの運動会。二人重なってしまったので下の子の方を見に行く。カメラも足りないので銀塩カメラを引っ張り出した。幸い好天に恵まれたので、無事に進んで何より。

十七日

朝起きて「今日何しようか?」「うーん、昭和記念公園行かない?」「いいね〜」程度の会話で決めたのだけれど、行ってみたら無料開放日だった。前回行ったときも無料開放日ということで、なんだか狙っているようだけど全然考えてません。
みんなの原っぱのわんぱくゆうぐひろばまで歩いていって、そこで子どもを放す。まあ、大騒ぎで遊んでおりました。直前まで抱っこを要求していた娘もすべり台滑って棒をよじ登って。おかげで夜はすとんと寝たけれど。

十八日

午前外来には二人ほど急な呼び出し対応の人がおり。まあ二人とも落ち着いていたのでそれほど困らなかったが。
午後病棟にいるときに透析室からヘルプコール。「患者さんが移動しないといけないタイミングなのだけれど痛みが強いので動けない」「じゃあ痛み止め使おう」「使ってもしばらくは痛みが取れないのでどうしたらいいか」……そんなもん、あきらめて移動するしかないでしょうが。
申し訳ないが患者さんに「此処にいても埒が明かないのでがんばりましょう」と言い渡していろいろ介助して移動する。ある程度、断定調で物事を語ったほうがスムーズに進むことは確かにあると思う。それをやり切るのはそれなりに(精神的な)体力が必要だけれど。

十九日

ラスマス・フェイバー・プレゼンツ・プラチナ・ジャズがすごいと話を聞いて聞きに行く。ううむ、見事にジャズでアニソンで。2も期待できそう。

二十日

夜病棟の宴会予定だったのだけれど仕事が終わらない。結局二次会から合流と相成り。
飲みながらダーツ大会になってみたり。501ゲームを初めてやってみた。

二十一日

休暇を取って休日。ショッピングして、昼飯喰って。
イスラム教の墓所って話を読みながら、ああそういえば母方の実家もついこの間まで土葬だったなぁと思ったり。約十年前に逝った祖父が多分初めて一族では火葬で埋葬されたのではないだろうか。

二十二日

夜、臨床病理検討会。自分の担当で。資料をLATEXで作ってみたりしたのだが、わからないだろうなぁきっと。
終わった後宴会。

二十三日

土曜出勤。午後ちょっと暇があったのでうたた寝...と思ったら1時間くらい寝てしまい。疲れてるのかなぁ。まあそのまま当直だったのでよかったけれど。

二十四日

当直明け。終わって家に帰ってみると相方の肩から首からガチガチになっている。ここのところずっとそんな感じで、印象としては筋筋膜痛症候群だろうかということで、病院戻ってトリガーポイント注射してみる。かなり楽にはなった様子でちょっとほっとする。
整形外科や麻酔科の手技は学んでいないので神経ブロック注射はできないのだが、トリガーポイント注射は診察でトリガーポイントが同定できれば可能なので、ときどき実施している。針を深く刺しすぎると臓器を傷つけることがあるのでそれだけ要注意なのだが。

二十五日

遅くに帰ってきてみると夕食がない。余ったご飯と卵で卵チャーハン作ってパック詰めのスープを食べて。寝ていた相方が目を覚ましたのでそういったら「ちゃんと作ったんだ、すごい」って。このメニューでそういわれると複雑な気分。

二十六日

夜は当直。この間もしていたようなという突っ込みはしてはならないお約束ということで。
「飲み過ぎたらしく意識がない」って救急車要請を受けて、会社の同僚に付き添われた患者が来院。点滴して寝かしておくのだが.....自宅に帰すならば家族に付き添ってもらう方が都合がいい。少しさめてきた本人に家族の連絡先を尋ねるのだが、断固として教えてくれない。「いえ、自分で帰ります」と。あとで「奥さんに知れるのが怖かったんじゃないか?」って意見が出てたけれど、真実は薮の中。

二十七日

当直あけなのに十時過ぎまで病院にいたりするのはやはりつっこんではならないお約束ということで。

二十八日

若い透析室の看護師さんが「ペンレスありますか?」って聞いてきて、「なんで?」と訪ねたら「お互いに血管穿刺をやってみようと思ったので、痛み止め使っておこうと思って」って。
看護主任さんと二人して「痛み止め使わないとどのくらい痛いか知っておきなさい」と冷たい返事を返してしまった。わたしは献血の針さされたことは何度もあるのでその経験くらいなのだけれど。

二十九日

午後外来から入院依頼。職員家族のネフローゼ。
まあ、特にこれといって変えることもないんだけれど、やっぱりちょっと気になりますな。

三十日

午後日直で救急当番。ぼちぼちそれなりに来る。台風だというのにねぇ。
終わったあと書類仕事なんかしてから病院を出ると、だいぶ雨が弱まっていた。

三十一日

のんびり朝起きる。子どもらは既に目を覚まして前回で遊んでいる。スイッチ入るとよく動くよな〜と思いながら、録画しておいた「今夜も生でさだまさし」をちょっとみたり。

夜は当直。雨のせいか来院するのは救急車ばかり...。


Written by Genesis
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