歳時記(diary):五月の項

一日

GWらしい日。
朝はゆっくり起きて、PCいじって。子供らつれてお買い物。
春になって玄関先の野ばらにアブラムシが付いているので農薬撒きしたら、なくなってしまったので新しいのを買ったり。ハナモモの葉が縮れてしまっているのにいい薬はないかと相談したら「いまからだとダメですねぇ、春先に薬をまかないと」といわれてちょっとがっかり。今から用意しておこうと薬は買ったけれど。
そろそろ帰るかと子供らを見ると、いつの間にか片方靴が脱げている。広い店内を探し回って、最後にレジカウンターに聞きに行ったら「あ、届いてます」といわれて脱力。まあ、見つかっただけありがたいところか。

二日

日中少し枝切り。伸びすぎた野ばらとヒイラギの枝を払って通路を確保する。ちょっと時期が違うのだけれど、まあ丈夫な樹だからいいだろう。
夜は当直。

三日

当直明け。
そのまま透析室業務を手伝ってから撤退して、実家へ。昼飯喰いながら雑談。
両親は屋久島へ旅行へ行ってきたばかりで、その土産話をいろいろ。地図を見たら標準コースタイムの設定が「40-50代の山慣れしたパーティーが山小屋泊の予定で夏山を歩いている」設定で、昨今の中高年登山ブームを反映してるんだろうなとかそんな話を。

四日

透析当番で出勤。

「「慶大病院、がん誤診」 死亡女性の両親、賠償求め」のニュースを読みながら、pubmedで”pseudosarcoma” "uterus"を検索する。確かに引っかかってこない。でも、病理の言葉に「偽肉腫」って言葉が見つからない。「偽肉腫様pseudosarcomatous」という表現は見つかるが、これは「肉腫のように見える」という形容詞で、本来の診断がその後に来るはず。で、初期診断はいったい何だったのだろうか。
ただの内科医としては、子宮肉腫ってだけでも十分に珍しい病気だなぁと思ってしまうのだが、統計的には中年に多い病気のように思える。25歳?で発症したということもひとつ診断を迷わせる要因だったのだろう。中年で挙児希望なければ「あやしいので摘出してしまいましょう」といいやすいだろうけれど、これから赤ちゃんも欲しいといわれたら、子宮摘出をためらってもいいような気がするのだが。
ただ、子宮肉腫とした場合I期でも五年生存50%, すべてのステージを通して五年生存30-40%ってことで、予後は良くないなあと。そう考えると、疑わしきは罰しても良いように思う。患者とどんな話をして、どんな納得を得ていたのかが問題、ってことで。
学会発表についてが問題になっているけれど、珍しい症例を発表することは当然注目も集めるし、「それ診断違わない?」といわれる可能性も高くなる。実は自分も今「過去に同様の報告はない」とまとめた論文を書いているところなのだけれど、そういいきるために結構苦労している。「多少あやしげだけど言ってしまえばこっちのもの」というようなあやふやな発表は、かえってあとで自分のキャリアに傷を付けると思うし、少なくとも発表した時点では発表内容に自信を持っていたと思った方がいいと思うのだけれど。結果的に誤っていたのであり、その点はきちんと謝罪しないといけないとは思います。
まあ、記事の内容は毎日新聞としてはそれなりかとは思いますが、「"肉腫"は"がん"じゃねぇ」ってところだけは突っ込んでおこうかと。がんは上皮細胞由来のものと決まっており、筋肉や骨のような非上皮性の細胞に由来する固形の悪性腫瘍が肉腫と呼ばれる。よく白血病を指して「血液のがん」と言ったりするが、これも分かりやすさを優先した、学問的には正しくない言い方ということになる。

五日

朝から母上が丹精している庭を見に行って、その帰りがけにふと思い立って昭和記念公園へ。こどもの日はこどもは無料となっていたが、折からの好天で、そんなこととは関係なく大混雑だった。とはいえ、人が多すぎて遊べなくなるようなことはなく、こどもらは十分に堪能したようで、帰り道はだいぶよろよろのぐずぐず。車に放り込むとぱたりと寝入ってしまった。

夜、たまたまテレビをつけたらやっていた「大科学実験」こういう番組はいいですね。

六日

久しぶりに通常業務。
外来は朝から大混雑で、午後外来担当のわたしも開始時間を繰り上げて対応。疲れた....。

七日

夜の院内カンファレンスの担当は皮膚科で、お題が「ハンセン病」。ハンセン病の隔離政策のいろいろについては新聞などでそれなりに知っていたのだけれど、「医師としてまず病気を知っておいて欲しい」という担当Drの言葉通り、なかなか勉強になった。
細菌感染症としても、感染経路が今一つはっきりしないとか、いまだに培養が難しいとか興味深いポイントが。世界的にはそれなりに患者もいる病気で、アフガニスタンで活動しているペシャワール会はもともと救ライ活動をしてたのね、とか。

八日

偽肉腫事件の続き。
遅ればせながら当院院長先生も新聞報道を読まれたようで、医局で話題に。結構みんな概略は把握しているらしい。向井先生を個人的にも知っているという病理の先生は「向井先生は肉腫の専門家だからね〜」と。「偽肉腫」という診断があり得るか聞いてみたのだけれどやはりそういう診断はあり得ないとのこと。診断をみてみないとなんともいえないというまとめに。
ひも医者の考えブログで該当の発表が紹介されていた。もう一つの報告はたぶんこれで、こっちは抄録まで読める。片や病理学会、もう片方は細胞診学会で、どちらもまさに「診断」が命の学会だ。そこに「間違えているかもしれないけれどもし当たっていれば珍しいから」といって報告することは、まともな神経の医者ならとてもできないと思うのだが。
もっとも、毎日新聞の記者さんたちの感覚としては、事実を曲げてでも発表するのは大事なのかもしれないが。

九日

予定のない日曜日。「とある飛空士の恋歌3」読了。中盤の山場、なんでしょうかね。
後は「朱鷺色三角」(樹なつみ)を読む。第一巻は「八雲立つ」を思い出すどろどろした感じなんだけれどその後は比較的明るい学園物。引き続き「パッション・パレード」読む予定。

十日

午前外来は新患紹介が三人いてひいひい。病歴全部とることになるんで一人いると再診患者三−四人分って感じで。そうしている間に病棟で急変患者もいるし。

十一日

透析の回診が終わると病棟会議で呼び出されて、会議が終わる頃に救急に透析患者の重症が来院したといって呼ばれて、あとは何やらかんやらと対応に追われる。
気がつくと夕方になったのにお弁当を食べていなかったという。

十二日

昨日ほどじゃないけどけっこう忙しい。新入院が入らなかったので何とかなった、というところか。昼食も(意地で)昼に食べたし。
夜の透析当番終わって、ぐったりして帰った感じ。

十三日

今週からクリニカルクラークシップで実習の学生さんが来ている。四週間。午後の外来を一緒に見てもらう。
わりと初診が多いので話に付いていきやすいかなーと思いながら選択したのだけれど。それはかなり当たっていたようで何より。忙しかったけれどね。

十四日

明日より休暇をいただく関係で、受け持ち患者の簡単なサマリを作成する。これだけでけっこう時間がかかってしまった。

十五日

広島まで出向いて某友人の結婚式。
なんでも見合い結婚だったそうで、そのせいかどうかは知らないが結婚式らしい結婚式。ホテルの宴会場でお色直しも新婦二回新郎一回。司会者もそれがお仕事の方と見えて手馴れた進行ぶり。ケーキカットの際には左真ん中右と目線を変えさせて写真を撮らせるあたりはどこの有明の写真撮影かという感じで(滅)。

十六日

広島から岡山へ車で移動。
義父母・義妹と待ち合わせておもちゃ王国へ。入るときは機関車トーマスを楽しみにしていた息子だったが、トミカプラレールランドに行ったらそこから動かない。一時間半くらい遊んでいたかな...。何故か電車を動力で走らせるより、手で持って線路の上を動かすのが好きなので、他の子と一緒に遊べない。

帰りに玉野の商工会議所が入っているビルで夕食。玄関ホールに宇高連絡船の歴史を展示していた。鉄道貨車を直接船に乗せている様子のジオラマなんかもあって、息子は気に入っていた様子。

十七日

倉敷のホテルを出て、田井みなと公園まで出る。人工砂浜で水遊び。そんなに長い時間ではなかったけれども、天気も良かったので息子たちは満足したらしい。
遊んでいる姿をみるといわさきちひろの絵などを思い出したりする。子どもらしい子どもを描かせたら右に出る人はいないのではないか、本当に子どもを育てている目で彼女の絵を見ると改めてそんな風に思う。
その後飛行機で帰京。

車事故、記憶失い台風で証拠消え…保険金求め医師が提訴って....。
とりあえずくだんの医師は職務には忠実だったのだろうと思う。なんで草むらに突っ込むようなことになったのかを突っ込むと、実は飲酒していたとか過労状態だったとかあるかもしれないけど。とりあえず、ご愁傷様というしかないか。

十八日

休み明け。休み中に患者急変とかしてないかと思っているのだが、それほど大きなことはなく。下血が続いている患者の下血が続いていたのは辟易だが。

十九日

宇和島徳州会病院で臨床研究中の修復腎移植(以前は病腎移植といった)の話題。
病気腎移植:移植受けた50代男性患者、死亡というニュースが流れて、もう一回Webで現在の状況を追ってみた。今回の死亡例については新聞報道では詳しいことが流れていないが、致死性不整脈とのことで、それが事実であるならば移植を受けたことそのものとの関係は乏しいかもしれない。もちろん、報道だけで事実が推し量れるというものではないが。
けっこうこの修復腎移植については支持者がいて、修復腎移植を打ち出した移植学会などを訴えて裁判をやっていたりする。
わたしとしては、2006年当時修復腎移植が問題になったのは、その前に臓器売買によって臓器移植がなされたという事件が発生し、その時の移植担当医師が万波医師であったということが出発点であったと思う。生体腎移植だから、レシピエントを指定してドナーが決まる。ドナーはあくまで見返りのない善意での提供でなければならず、基本は血縁者や配偶者ということになっている。ドナーとレシピエントは口裏を合わせていたということで、見抜けなかったのは致し方ないのかもしれないが、結果的に「ダーティーな臓器を扱った医師」という立場に万波医師は置かれたと思うし、そのあとで「移植手術についての同意書を書面でとらずに手術をやっていた」ことがわかり、さらに「病気の腎臓を移植に使っていた」ことが判明して、話題は病腎移植の方に移っていったと理解している。
普通の移植について同意書をきちんととらない医師である万波医師が、病気腎の移植では詳細に説明して丁寧に同意を得ていたか。こたえはNoであり、同意書のない移植が複数診られている。
そして、わたしが一番問題だと思っているのは、ネフローゼ症候群の患者の腎臓を摘出して移植に用いていること。ネフローゼは両腎に病変が発生するので腎摘して透析導入にして、二つの腎臓を二人に移植している。通常ネフローゼの治療はステロイドをはじめとする免疫抑制剤が基本になる。ネフローゼを呈するような腎炎の治療は腎臓内科が専門として携わるが、万波医師は泌尿器科医であって腎炎については専門ではない。十分な治療を行わずに腎摘出〜移植へ持っていった可能性が高い。これは病腎移植に関する日本腎臓学会の見解でも示されている。率直に言って、修復腎移植を支持するにしても、このネフローゼ移植については誤りがあったとするべきだと思うし、そうできない個人・団体が言うことをわたしは信用できない。修復腎移植という手法を擁護するために白を黒と言いくるめるような努力を始めるということを示していると思うからだ。(この辺のネフローゼ腎についての記述の破綻はかなり厳しいと思うのだが)
病腎移植を擁護する医師の発言でも、ネフローゼ腎について摘出することがあり得ると書き、「高度のネフローゼのため、肺水腫から、心停止を起こした症例にあたったことはないのでしょうか」と威しにも似た発言をする医師もいる。……そんなにひどくなるまで透析導入しないで診ているのかと思うし、最後の手段として腎摘があるにしても、専門外の医師が最後の手段を何度も使うというのは倫理的にどうなのかと思う。
そう、最後まで引っかかるのは「一人の科学者としてきちんと記録を残す」ということを怠っていた医師を倫理観がある医師と認めていいのか、という思いなのかもしれない。

二十日

下血繰り返している患者が再下血。そっちを対応しながら普段通りに透析頭板業務は行い、午後は外来やって。
中断繰り返している患者が久しぶりに受診。「薬なくなったらむくんできちゃって」そりゃあ当たり前だろうと。なんでそうなるかなぁ。

二十一日

かたわ少女の話題が二ヶ所から振られてくる。プレイしてる時間がない哀しき勤務医....。

勤務が終わると早々に帰途に。子どもふたりを保育園へ迎えに行って、買い物して晩飯を食わせる。終わるともう風呂に入れる時間で、寝かすともう十時。
そういえばあんまり母親と買い物に行った記憶がないなー。いやないわけじゃないんだが、保育園時代の記憶が散逸しているせいか、保育園から家へ直帰していたような思いがある。どこで買い物してたんだろうか。

二十二日

土曜出勤。午後は日直やって。入院もいたしそれなりに忙しく。

二十三日

雨ということもあって家でだらだら。「ストーム・ブリング・ワールド」少し読む。
夜から当直。行ったら早々病棟でショックになっている患者あり。どうやら消化管出血らしく、緊急内視鏡で止血。どこから出血してもおかしくないような巨大潰瘍だった。

二十四日

当直明けて、外来やって病棟診て。夕方には透析診療所の夜当番やりに出向く。患者さんが調子悪くならなければ待っているだけだからその間にスライド作りを進めようと思っていたのだけれど、さすがに眠くなってしまってあんまり進まなかった....。

二十五日

夜、透析室の新人歓迎宴会。入院が二人入ったりしていたので参加が遅くなってしまった。
帰る途中でファミレスに腰を据えてスライド作成。なんか、自宅だと眠くなったりなんだりで進まないことがあるんだよね。気分を変えるためにどこかで座ってやろうとすると、ファミレスやコーヒーショップが適当だったりする。ただし混んでいないところ限定。

二十六日

今日の毎日新聞で「財務相に増税論者を引き合わせ 「第2のケインズ」に布石」とかって記事があったんだけど、権丈善一教授を増税論者と書くのはミスリードに近いような気がする。わたしの理解では、「日本では社会保障の充実が不十分だが、それはそもそも歳入自体が小さすぎるからで、小さい歳入をいじり回して社会保障財源を捻出するには無理があり、歳入を増税で確保しながら、思い切って社会保障支出を増やせば、低所得者が増税の影響をもろにかぶることもなく、社会福祉関係で需要が増えるので景気回復も狙える」という考えを持っておられる方で、財務官僚とはある意味同床異夢状態なのではないかと思ったり。政治家が聞くならいい話ではないかなと思うけれど。

「宇宙ショーへようこそ」。面白げなんだけど、見に行ってる暇あるかなあ。そういっているうちに「サマーウォーズ」は見逃したしなぁ。

二十七日

午後外来は臨床実習の学生さんと一緒に。数が少なかったので解説しながら。

二十八日

病棟みて回診して。発表の準備がなかなか進まないで焦りつつ。

二十九日

午前透析当番・午後外来日直。
それなりに立て込んだけれども少したまっていた患者さんを対応したらその後はまあまあ落ち着いていた。

三十日

昼から実家へ。HDDレコーダーが録画できなくなっているというので調べに。結果的にはB-CASカードをいったん抜いて電源コンセント抜き、その後B-CASカード再挿入して再度電源投入で治った感じ。昼飯喰って帰ってきた。

「RDG3 レッドデータガール 夏休みの過ごし方」(荻原規子)読了。だんだん泉水子が主人公らしくなってきましたねぇ..。

心肺蘇生のことを調べていたらSuperSexyCPRに行き当たる。……どう評せと。

三十一日

夜は当直。引き継いだあたりの時間が異様に立て込んでおり。三人一気に入院を上げてみたりした。


Written by Genesis
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