歳時記(diary):八月の項

一日

夜から当直。
老人ホームから連れて来られた方、病歴から既往歴から一切不明。内服薬もはっきりせず、連れてきた職員を質問攻めに。「まだ入居されたばかりの方で...」って、それは言い訳にならんと思う。
家族が来るまで待てる病状だったからまだしもと、後半はため息つきながら対応していた。

二日

午前中外来やって、午後病棟見て。
最近がんの末期の患者が多め。今も一人いて、お看取り態勢。不安をとり、丁寧にお話を聞き。なんとなく、告解師かなにかの仕事をしているような気分になることもある。

三日

透析診療所の回診を手伝いに。調子の悪い人が何人かいて、対応に追われてちょっとばたばた。
とある70歳過ぎの患者さんところへ行ったら、読んでた本に「Pythonなんたら」と大書してあり。多分コンピューター書なんだろうなぁ。言語なんて扱えないわたしとしては劣等感。

四日

前夜から今日で計入院四人くらい。それに加えてルーチンワークなのでさすがにオーバーフロー気味。夜透析当番まで終わって帰ったのは日付変更間際だった。

五日

わりと普通の時間に帰れたところで、甥が入院したと話を聞く。なんでも喘息発作との由。
妹夫婦はしばらくアメリカ暮らしをしていて、子どもも乳児期はアメリカ暮らし。そういえばアメリカの母乳育児はどんな傾向なのかと調べてみるとこれに行き当たる。んー、「母乳栄養」は「混合栄養」とほとんど等価、というのがアメリカの現実なのだろうか。WHOのお勧めとしては母乳のみで育てるのが理想なのだけれど。

六日

夕方受け持った患者、受診時より悪化しててICUに転床する羽目に。NIPPVするのも久しぶりだな。
そのまま夜は当直。入院病床なしで重症は対応できない夜だったのだけれど、橈骨神経麻痺やら小児やら慢性咳嗽やらクローン病やら多彩な夜だった。

七日

入院透析室を見ながらICUの患者の対応。結局透析始めることにして、透析用カテーテルを挿入して。
ICUにおいては時に腎代替療法(RRT)が行われる。それは人工呼吸療法よりは頻度が少ないが、それでも割合としてけして低くはない。必ずしもそのすべてを腎臓内科が受け持つわけではないので、他の科と連携をとりながらということになる。

八日

子どもの調子が悪くて一日家に。昼ころ熱がだいぶ高いので心配したのだけれど、水分摂取不足だったようで、あの手この手でなだめすかしながら水分とらせてたらだいぶ元気になってきた。
夜はサマーウォーズ観ながらホクトの書棚組み。以前は組立までお願いしたので手間いらずだったのだが今回は配送のみにしたので少々面倒。

九日

夏休みの穴を埋めるために午前中は外来と透析室をかけもち。まあ何事もなくてよかった、かな。

十日

調子が今一つな子どもをわたしの親に預けて出勤。近場にいるメリットをフル活用している今日この頃....。
んでもって帰りはちょっと早くして実家によって晩飯を。子供らはおばーちゃんところが大好きなんだよな。たぶんたっぷり遊んでくれるからと思われ。今日はしばらくおじいちゃんと孫、のシチェーションになったりもしたようだったが、正直間が持たなかったらしい。

帰ってきてからニコニコ動画ストライクウィッチーズ2が登録されているという話を聞いて視聴してみる。割と面白そう。

十一日

夜は会議こなした後で腎生検カンファレンス。電子顕微鏡使わないと診断できない疾患とわかった症例が一つ。日常診療の上で電子顕微鏡でしか得られない所見が問題になる分野っていまや腎病理くらいだと思う。

十二日

午後の外来に来る予定になっていた患者さんから電話。金銭的な事情で来院できない由。月末でもいいかとのこと。そもそも約二週間前に即入院をお勧めし、それが無理でも連日通って治療しないと十分には治らないと話した人なのだが、金銭事情を言って拒否している。お金は各種減免制度を使ってなんとでもするからと伝えても同じ返事。その人がそれでも電話をかけてきて受診予定を引き延ばす理由が興味深いと思う。
思うに、死んでも構わない、悪くなるならそれもまた人生と言えるほど自分の体調に対して絶望も腹を決めてもいないのだと思う。けれども入院やきちんとした加療の継続には同意できず、半端な治療で止まっている状態であることを、「受診できないなら仕方がないですね」と言ってもらう、というような形で認めて欲しいのではないかなと思ったりする。

十三日

Association between major depressive episodes in patients with chronic kidney disease and initiation of dialysis, hospitalization, or death.とかいう論文(のabstruct)を見つける。これまで糖尿病や腎臓病の患者さんを相手にしていて、結構な確率でうつや人格障害その他の精神疾患を併発している患者さんを見てきた。漠然と思っていたのは、慢性疾患、それも自分の生活にかかわる病気を治療し続けるには本人ががっちりと治療に対して前向きで、やらなければならないことをやり続ける根気というか持続力が必要だということ。精神疾患によってそういう力が損なわれることは多々あると思うし、その結果病気の予後にも影響するのではないかなと思う。
慢性疾患にかかるというのは、わたしが思うに山の上に追いつめられているようなもので、逃げようとして山を駆け降りようとしても結局のところテキのまん前に突っ込んでいくのと同じになってしまう。最善なのはここを死守すると決めてしっかり前を向いて向き合うことしかない。そういう腰が据わらないと、やはり予後は悪いのではないかな。

十四日

コミケ二日目。諸般の事情により子連れ参加と相成るが....比較的聞き分けよくしていてくれたのでひどいことにはならず。ぐずぐずになってきたら連れて帰るしかないと思ってはいたのだが。
戦利品は「ヲタMac」のみ。出撃するスタッフさんに頼んだ品。

夜は大森で宿泊。相方と合流してさてホテル近くでメシを、と思ったらあまり店が開いてない。結局西友のお弁当ということになった。
さまよっているときに大森ベルポートを見つける。ああここがNiftyの本社かと思ったり。

十五日

コミケ三日目。天候が最悪(コミケ的に)ということでけっこう倒れてくる。
諸般の事情あって早々に退却することとなったが。

大崎駅で相方と待ち合わせることになって、椅子があるところということでいこいの広場で待っていたのだが....直射日光がガラス越しにがんがんあたってとても暑い。もう少し憩いの環境を整えてくれてもいいのでは>JR

十六日

午前外来は数が少なくてのんびり。

書棚は組んだのだが本を移動するのをいつにしようかと思案中。

十七日

なんとなく、ですぎていく今日この頃。ルーチンワーク以上のものをやらないと、とは思うのだが。

十八日

夜間は雷雨であまり患者さん来院せず。
でも来るというとそれなりに来院動機が強いことが多いので入院必要であったりもする。

十九日

当直明け。
とある患者さんについての看護記録が突っ込みどころが多く。あんまり文学的な記録は要らない、というか、要点のみで十分だから、と思ったり。

小熊さんの日記を見て、考えてみた可能性。

知人に「尹」って字を含む姓の人がいるのだが、これが日本語変換では出たりでなかったり。手書き入力から入力したことも何度か。

二十日

夜早めに帰って子どもの迎えをして飯食わせて風呂入れて寝かして。それだけでしっかり九時回ってしまった。

二十一日

「銀輪の死角」 「歩行者との事故に高額賠償判決」など読む。普段自転車使いなので余計に興味。
賠償を確実にするというお金の問題と、どのようにこのルールを徹底するかという普及の問題とがある。事故率ということでいえば車よりは低いという印象を受けているのだが、車よりはるかに普及している現在、事故件数は交通事故全体の二割を占める。そういう事実の広報と、積極的な警察の取り締まりが大事ではないだろうか。あとは中学校くらいでの交通法規の学習、というところでどうかと。今回の記事の中でも15歳が加害者のケースがあることだし。
自転車用自賠責、ってのも、防犯登録とセットにすれば加入は出来ると思うので、あとは保険料と保険期間が問題、だろうか。10年掛け捨て、とかで運営できればいいかもしれないと思うのだが。

二十二日

日直で出勤。
終わって帰ってくると息子が買い物に行きたいと駄々をこねている由。じゃあバイクに乗っけてみようと後席に掴まらせてそろそろと走らせてみる。買い物終わって帰り道、どうも反応が乏しくなってきたので後ろ見ると寝込んでいる.....。たかだか10分も走らせていないのだが。一回止めて起こして、なんとか家まで帰り着く。心臓に悪いライディングであった。

二十三日

午前外来最後の患者さんはX線写真を撮りに行ったまま帰ってこない.....一時間くらい待ちぼうけしてしまった。

二十四日

看護師試験、病名に英語併記へとかいう記事を見て、過去に書いたことを思い返す。内容については業務に支障を来しそうなほど日本語がぐちゃぐちゃにはならなそうなのでまあ悪くないセンかと。ただこれで救済される看護師ってのは60点が合格ラインのところ55点くらいは実力で取れる人たちじゃないかという気もするので、厚労省他の狙いである合格率の向上にどのくらい資するかはわからない、と思います。

二十五日

帰りがけ、耳の奥でごそごそ音がする。多分耳垢が動いているのだろうと思って耳かきで引っ張り出そうと試みたのだが出てこない。そのうち音も収まってしまったのでしばらく放置することに。

二十六日

夜は研修医が救急当番しているのを指導する。まだまだ対応のバリエーションが広くないので、「こんな対応もあるよ」なんて話をいろいろと。病態把握まではそれなりなのだけれど、救急診療の多くは外来対応になる一方で、研修医が経験する診療は多くが病棟診療なので、薬の使い方とか経過観察の仕方とか、だいぶ違いがあるもので。

二十七日

当直明け。
朝方救急依頼三件続く。普段かかりつけということもあって受けたけど....なんで続くかなぁ?

二十八日

休日。朝からのんびりして、読書して。あとは本の移動とか。
夕方には子どもの保育園の盆踊り行って、帰りがけに自転車にライトを装備。最近のヘッドランプは軽くなってるなぁと思った。

二十九日

録っておいた追跡 AtoZ 「はやぶさ 快挙はなぜ実現したか」を観る。困難に陥ったプロジェクトを瓦解させずに前に進めるために必要なこと、という面でも面白いと思った。そのうち飛不動尊にはお参りに行ってみようか。

一日子どもの接待子守。一度公園につれて行ったら砂まみれになったので撤退してきて体を洗う。手抜きするために昼は外食ってプランもあったんだが、砂まみれなお子様連れて入店は嫌がらせだろうと思ってあきらめる。
合間で「バッカーノ!1932 Drug & The Dominos」を読み終える。

三十日

最近の「消えた高齢者」のニュースを聞きながら、「へぇ二百年も前から戸籍って記録が続いているんだ」と、ずれた感想を抱いてしまったわたし。まあ過去には厚生労働省幽霊も含めて医師を検索するシステムを構築していたこともありましたのでこのくらいでは驚かなくなってますが。

三十一日

二日続けて透析当番。帰ると家は寝静まっている。毎晩こんな感じの医師も少なくないんだろうなと思ったり。


Written by Genesis
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