歳時記(diary):七月の項

一日

左利きの話題。ウチのお子様がひとり左利きで、使いづらくないようにと左利き用のはさみやら左利き用エジソンのお箸やらそろえてあるのだけれど、そういうのを使ってもやっぱり不器用。まあ好きなようにさせるのがいいんじゃないかと思ったり。とりあえずお絵書きさせたりするとそれなりのものを描くようにはなってきているし。
楽器とかは確かに左右で別の役割を果たすような作りのものがいくつもあり、たとえばバイオリンは左手で音階を制御して右手で弓を操作して音を出す。それぞれが合わさって音を作り上げるので、どちら利きでも練習あるのみであったりする。

二日

朝礼で新入院患者の報告を聞いていたら重症急性膵炎の入院ありと。あーCHDFやれっていわれるかなあとICUに行ってみたら「この重症度だと転送しないと」みたいな話になっていた。まあガイドラインにそう記載されているくらいだからねぇ。

製薬会社ってまあ薬使ってもらってなんぼなので、情報提供ってことで売り込みに来る。わたしはしがない病院勤務医なので「採用薬じゃないと使えないので」とかって逃げているのだが。
今日来た某会社は「今度出た薬は、腎機能によって調整の必要がない薬剤です!」とかいうのだが、正直腎臓内科としては腎機能による調整なんてのは当たり前であり十八番と言ってもいい領域なわけで、その売り込みでは「莫迦でも安全に薬が使えます」みたいな話なんだと思うけど。相手を見て売り込もうよと思ったり。

医局で机が隣の年配の先生から「先生こんなの読む?」って「零式艦上戦闘機」(清水政彦/新潮選書)を貰う。「前『スカイ・クロラ』読んでたから好きかと思って」って。
……わはは。

三日

「イオンの葬儀サービス『お布施』に目安 『宗教介入だ』仏教界困った」を読みながら、お布施の額の相場がそんなに大きな問題だったら、そのうち初詣のお賽銭だって相場ができてくるんじゃないかと思った。
そもそもお布施というのは、お金だけを意味するものではなく、見返りを求めずに施すこと全体を指すとか。相場がどうこうという世界で決まるものではないらしい。お布施で悩むこと自体が大事なプロセスというような。
そんなに相場なんて非宗教的な、貨幣経済のなかでの重大事に気をとられているならば、葬式なんて宗教儀式は頼まなきゃいいのにと思ったりはする。

四日

日中患者さん向けの勉強会。終わって自宅で一息ついたら当直。
夜半に来たのは酒の飲み過ぎでアルコール性肝炎の方。点滴したくらいでは今一つな感じなので入院に。……離脱症状出しそうだなぁ。

五日

わが家の長男はけっこう寝つくのが遅く。かなりへたばっているとき以外は布団の中でごろごろごろごろしないと寝つかない。
「あんまり遅くまで起きてるとお化けが出るよ」とおどかしたら「お化けも夜はねんねしてるの」だと。別に怖くないわけではなくて、むしろ怖いので出てこない理屈をつけているのかもしれない。
……とりあえず、父としては寝てくれれば何でもいいのだが。

六日

午前透析は処方日、夕方透析も処方日。
飽きるほど処方せんを書いてぐったりする。

七日

午前透析当番・夜間透析当番。
待機の間に書類とレセプト記載したり。

八日

開国漂流:追跡・外国人ケア人材問題/上(その1) 合格率1.2%の衝撃過去にも書いたことなので繰り返したくはないのだが。
別に、有能な看護師が入ってくるなら何人来たっていいと思うわけですよ。ただ、受け入れることを目的にして、○人受け入れをしなきゃならんから基準を下げるってのはなしでしょうってことで。外国人なら言葉がわからなくても試験に受かる、ってことなら、当然日本人も言葉がわからなくても受からなきゃならない。それでいいの?ってことになる。試験受ける場所については公平性さえ担保されれば海外でもいいとは思いますがね。
記事中に「介護職に就きたいと考える若者が少ない」って書いているけれど、介護職の離職率は20%とも言われて、希望者が少ないんじゃなくて絶望してやめていく人が多いってことは押さえておいていいのではと。「続けるためには食えるだけの給料を」って書けばいいんじゃないのか毎日新聞。そうすると介護保険制度の根幹に触れなきゃいけなくなるので遠慮して書かないのかもしれないが。
看護師も離職率は県によってばらつきはあるものの5-15%あり、手厚い配置の病院ほど低く 新人看護師の離職率なんてこともいわれているらしい。環境としても待遇としても大事にされればやめずに続けていける仕事だってことなんじゃないかと思うのだが。

九日

夜、東京腎生検カンファレンス。途中一部にデジャヴを感じながら聞いていた。

十日

朝から出勤、当直まで。
日本国憲法前文 ハートマン軍曹訳富野訳版とかお国ことば訳 わいわいニャンニャン版とか、拾っておく。
そういえばラグピック語訳版はと探してみたが見当たらなかった。

十一日

当直明け。
投票して、その後子供らつれてちょっとお出かけ。

十二日

雨っぽいと子どもを保育園に連れていくときの装備で悩む。わたしは行きだけなのでまだいいが、帰りまで考えると難しい。トレーラー導入も道路事情考えると難しいしなぁ。

十三日

夏休み前日。それなりにがんばって休み前の仕事類を片づけましたさ。
休み直前に調子崩してる患者さんへも、申し訳ないと思いつつある程度先読みして対応を。

十四日

朝から荷物抱えて電車に乗る。切符の関係で「やまびこ」自由席だったけれど、けっこう空いてて大宮からでもしっかり四人掛けに座れた。道中で「あさひのようにさわやかに」恩田陸を読了。
子供らの忍耐がそろそろ切れかける頃に盛岡着。昼飯に冷麺を食べて、車を借りだしてさてどこに行こうかと考えている準備不足なわたしたち....。結局雨も強いのでさっさとホテルに行ってぐったりしようという結論になりドーミー倶楽部安比高原へ。ゆっくり風呂に入って、よく寝たのでよかったかと。

十五日

朝食摂ってチェックアウトした後、さてどこに行こうかと考える。昨日は雨、今日も薄曇りということで朝からハイキングは足下が危ないと考えて車に乗って、道すがらに不動滝へ。人もほとんどおらず、静謐な雰囲気を感じてきた。
その後は九戸村の叔父宅へ。着いて聞いたことには近所の折爪岳でヒメホタルの観賞会をやっているとの由。当然夜なのだが、場所は山頂付近とのことで、真っ暗になってから知らない山道に突っ込んでいく度胸もなく、夕方まだ明るいうちに出発。
かなり濃い霧が出ている日で、見通しの悪い山道を登っていくのにはかなりの度胸がいる感じ。山頂からちょっと下ったふるさと自然公園センター付近で観賞会をやっているとのことだったが、その付近は暗くなると暗さを保つために車両出入り禁止になるとのことで、山頂近くの駐車場に車を止めてしばし待つ。頃合いをみて自然公園センターの方へ行き、ぐずつく子供らにジュースを与えてなだめてから相当暗くなった遊歩道に入る。
手持ちのライトがかなり明るいLEDで、主催者が貸していた懐中電灯は赤いフィルムで覆ってあるやつだったので迷惑かと思って消してみた。まだかろうじて空に薄明かりが残っていたせいもあって、目がなれるとそれなりに歩けるし、ホタルの光もあちこちで見える。群生地の看板は伊達ではないなぁと思いながら暗い遊歩道をそぞろ歩く。怖がりな息子もだんだん慣れてきたみたいで大騒ぎもせず十五分ほど歩き通した。
暗さと三脚などの装備を持たなかったことから撮影はできず。でもきれいでした。

十六日

朝食食べた後牛舎へ。実は昨日も行ったのだがちらっと子牛を見ただけで「大きいねぇ」と感想を残して逃げてしまった息子たち。
今日は成牛がたくさんいるところに連れていって、ご対面。あまり近寄らないのは相変わらずだが、とりあえず何もせずに食事をしているのを見ると徐々に気が大きくなってきたようで近寄って牧草を差しだしてみたりはしていた。今度は乳しぼりができるだろうか。
その後鶏小屋をまわるおじのトラックの荷台に便乗して鶏見物して。

その後は盛岡まで車を飛ばして、やまびこの自由席で東京まで。みちすがら「クジラの彼」は読んだけれども、他は大騒ぎする子供らの世話で忙殺...。

十七日

朝から山中湖へ向けて出発。「さだまさし3776回記念 富士山 山中湖ライブ」へ。
連休初日ということで中央道が都内から上野原までひたすら渋滞。イヤになって相模湖東出口から県道76号線経由で国道413号線へ入る。田舎道とは予想していたのだが予想以上で。距離としてはそれほど長くないと思うのだがなにせアップダウンとカーブがきつい。それでも二時間ほどで昼食を食べに道志村役場付近のレストランHOROHOROに入ったのだが、運悪く先客が多めでかなり待つことに。雑貨も店内においてあったのでそれなりに時間は潰せたのだが、車内時計が一時間遅れていたのに気付いておらずゆっくり飯を食ってのんびり車を飛ばし、「やぁ余裕を持って着いたねぇ」「まだ時間あるのにみんな早いねぇ」と呑気なことを言っていたらオープニングが始まっていたという失態を演じてしまった。
コンサート自体は普通に楽しかったのだが、さすがに子供らが静かに聞いていられず。ちょっと会場を出て周りの公園で暴れさせる羽目に。しょうがない、かな。

十八日

朝からまったり。
朝から子供らつれて公園近くのパン屋さんへ。朝ご飯を買って公園で食べて、そのまま子供らを放流しておく。様子を見ながら「海の底」を再読。

晩飯は実家に帰って親と。親父殿にとビールなぞ買ってみたのだが、そんなときに限って親父殿は外出中であった。

十九日

朝方軽く庭掃除。剪定作業はやっぱり夏にやるもんじゃないと再確認。
そのあと録画してあった「GM−踊れドクター−」を見る。やっぱり医療ドラマはツッコミなしでは見られないなと再確認。ネタがALSということで、「治らない神経難病と診断されたけれど実は治る病気」って展開だろうと思ったので、CIDPもMG(重症筋無力症)も検討に挙がるかなーとは思ったんだけど、「つーかとりあえず筋電図と伝速(神経伝導速度)はやっとけ」と三回くらい叫びました。筋電図ではMGなら反復刺激で漸減がみられ、神経伝導速度ではCIDPなら伝導遅延、ALSなら末梢神経に病変はないので正常の所見になるはず。History & Physicalで鑑別疾患を挙げて、考えやすい疾患から調べていくのはセオリーなんだけど、いまいちトロいというか手際が悪いというか。出来のいいセクションではない設定だからしょうがないのかなぁ。

二十日

久しぶりに出勤。──んで、三人受け持ち増加ってどうよ。
病棟の患者さんの様子を見ながら外来透析の処方を出して。新患患者の入院時記録を書いて。
そいでもって夜は飲み会。(炸裂) 二次会まで行って、帰ってきた。

二十一日

日中処方日、夜も処方。気持ちとしてはなかなかへばる。

二十二日

腎生検が(通常一件実施のところ)二件実施。しかも昨夜亡くなった患者さん家族に剖検をお願いして了承をいただいたので、剖検の手配と盛りだくさん。
無事にすべて終わってほっとした....

二十三日

ロシアでは正常でも血中にアルコールが存在するらしい件 それは二日酔いというんじゃないのか、常考。SRLによれば、血中エタノール値の基準値は0.1mg/ml未満らしいぞ。

二十四日

当直明け。しかし、患者さんを運んでくる救急隊も過酷な状態のようで。
夜来た救急隊は昼食も夕食も摂っていないといっていた。2005年から、忙しいときにはコンビニなどで買って外食してもいい規定にはなっているのだが、それでもこの状態。

二十五日

しばらく懸案だった窓枠のペンキ塗を。ホントはもう少し涼しい時期にやりたかったのだけれど機会を逃してしまったので。まだ午前中のうちに出来るだけ塗って、暑くなってきたら撤退。

二十六日

患者が次々と退院していって、ちょっと一息ついている感じ。
調子の悪い人もいるけれど、やることをひたすらやっていくしかないと割り切るしかない病状なので、実は精神的にはそれほどつらくない。何をしたらいいのかわからない人がいると、これはなかなかつらいのだけれど。

二十七日

透析の回診でばたばた。
一通り終わってやれやれというのがいつもの火曜日のパターンになりつつある。

二十八日

夜は当直。
ちょっと暑さが和らいだせいか、それとも入院ベッドがなかったせいか、割に落ち着いた夜だった。

二十九日

外来にアルコール依存+肺炎の人が来る。前別な病院に行ったけれど処方だけされて紹介状持たされて当院へ。日付は一週間前。もっと早めに行けと言うべきだったんじゃないのか?とひとしきりぶつぶつ。
もっとも本人も入院勧めても了承しないあたり、病状の重さをどこまでわかっているのか訝しく。

三十日

参院選で立候補していた小倉あさ子氏、全身性エリテマトーデスに罹患していることを公表しながら選挙に出馬ということで、投票はしないまでも注目していたのだが、生活保護の在り方についてのエントリを読んで非常にいまいち感が。
生活保護費って、いくつもの項目に分かれていて、一番基本になるのが生活扶助になる。最低生活費の計算方法でみると、40歳男性一人暮らしの人の生活扶助費は月八万四千円あまりということになる。家賃や医療費・義務教育費などは別に扶助があるが、ここから食費・水道光熱費・衣服費・交通費などのすべてを出さなければならない。この額が多いか少ないかは、主観にもよると思うので一概に言えないと思うが、以前わたしが一人暮らししていたときには水道電気ガス下水で月一万五千円くらいは使っていたから、さらに電話代を五千円使ったとすれば公共料金を払い終えると六万円あまり。食事に気を使えば健康な生活は出来るかもしれないが、文化的な生活が出来るかは疑問、というラインではないかとわたしは思う。
一方、最低賃金法では、「労働者の生計費を考慮するに当たつては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。」と定めている。生活保護費は最低ラインの生計費、ということで、それが保障できるような最低賃金が実現できるようにという方向性が見える。法の設定として、最低賃金が低すぎて生活保護水準以下の生活になってしまうのであれば、改めるべきは最低賃金、という考え方のはずなのだが、小倉氏の主張では最低賃金の方が正しい、ということになっているらしい。
もう一つ、生活保護では医療費を払わなくていいが、最低賃金レベルの生活では払わなければならないものが年金保険料と医療費だ。生活保護では家賃は上限があるものの保護費で出されるが、これも払わないといけない。
つまりは空論、ってことなんだろうと思う。病気してたってクビにならない仕事をしていて、生活保護レベルの生活や最低賃金レベルの生活の経験もなくて、それでも「わたしも病気したことあるから」ってわかったつもりになっている。そんな気がした。まあ国会議員なんてそんなものなのかもしれないが。

三十一日

仕事休みな土曜日。
少しだけ部屋の片づけをして、掃除をして。
夜は花火大会見物に。子どもが眠くなってきたようで機嫌が悪くなったところで早期撤退にしたが、それなりに楽しめた。


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

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