歳時記(diary):一月の項

一日

実家へ年始の挨拶。子供が六人もそろうと狂乱の様相となりますな。
その後は自宅へ戻ってきて、餅食ったり「年の初めはさだまさし」みたり。

二日

初出勤。透析当番して、病棟の患者さんたちの様子を一渡り眺めて。
ネフローゼで治療開始して、そろそろ薬が効いてくるはず、という患者さんの尿量が著明に増加。日に2kgも体重が落ちるなんてミラクルダイエット(違)を実行中。単に体内に溜まってた水分が抜けてきているだけなんですが。
夜は当直。救急車受け入れしたら急速に進行している意識障害患者。熱もかなりあって、「こいつは化膿性髄膜炎だろう!」と一点がけして腰椎穿刺を。なんとか穿刺は成功したのだが、結構久しぶりに外来で腰椎穿刺やったなぁ。

三日

当直明けて、そのまま日直へ。まあ、結構きつい勤務ですな。
近所の病院が建て替えということで救急車お断りが激増中。この辺ではかなり大きい病院なだけに、かかりつけ患者も多くて、すげなく断られた患者が当院などに流れてくる。断るなとは言わないけれど、突然知らない患者(しかもそこそこ重症)を受け入れて苦労してる周りの病院へ情報提供だけでも積極的にするとかさ、もうちょっとできることはあるんじゃないかと思うわけですな。

四日

仕事始め。年末年始で日当直医が引き継ぎしつつ診てきた患者の担当を割り振って、改めて仕切り直しの日。
早速外来だったのだけれど。年末に退院した患者が一週間経たずに7kgくらい激太り。浮腫、なのだけれど、薬も何も変わってなくて、変わったのは食べ物だけなんですがねぇ。まったく。

夜、珍しく診療情報部長先生が医局でカップラーメンなんぞ食べている。何でも電子カルテやオーダーシステム導入事例の分析で忙しい由。
「大失敗して業者を裁判で訴えてやろうかとか揉めてるところもあるんだよね〜」と。そこにはちょうど医療訴訟のように「専門的なことはわからないが要求の多いクライアント(=病院や医者)」と「専門知識があり依頼された内容にはこたえることができるが説明力やクライアントの状況を理解しそれにふさわしい処理を提示する能力に欠けるスペシャリスト(=電子カルテ業者)」との摩擦、という状況が起きている。
「多機能で便利なカルテシステムが欲しい」と要望されれば、カルテ業者はもちろん「当社のシステムならばそれができます」というだろう。でも、機能が増えるほど値段は上がる。便利な機能が増えれば、要求される処理能力は上がる。その結果、導入費用はかさむことになる。機能で選んで決めた後でコスト的に引きあわないことがわかったりする。
その上、カルテ業者は実は医療現場のことがあまりわかっていない。だから、現場の感覚で欲しい機能と搭載されている機能とはズレがある。おまけに実は医療従事者たちも「自分たちがどのように働かねばならないか」をよく知らない。だから、療養担当規則や医療法その他の規則にそった対応をするようにカルテシステム自体が作られていなかったりする。そういったことを知らずに便利そうといって機能に飛びついた結果使えない機能ばかり搭載していたり、運用法に問題があって使われなくなっていたり。
ま、電子カルテ自体がまだ幼年期の終わりを迎えていない製品なのではないかと思っている。なにせ書き出しですら共通フォーマットがないのでリプレースが非常に困難であったりする。最悪紙に印刷するしかない可能性が高くてね。

五日

透析医学会の学会発表の抄録締め切りがちかい。あちこちと打ち合わせして、書き直しを繰り返して。何とか今日演題登録。最近はみんなオンラインだな。

六日

結構遅くに帰ってきてもまだ起きているガキども。こいつらを寝かしつけるとこっちも眠くなっているという。やっぱり疲れているのかも。

七日

昼ころに一人腎生検。腎臓がやや小さくなっている感じでドキドキものだったのだがなんとか無事に終了。
午後の外来は、幾人か訴えのよくわからない人があり。診断が思い浮かばない状態でもとりあえず対応して方針を決めなければならず。難しいところ。

八日

午前中内シャント手術。これまでにないほどうまくいかず。なんでだろうなあ。いろいろ要因は考えたのだけれど、一つは平常心が足りなかったことなのかなあと思ったり。一人休みが出ていて焦ってたのかも。
夜はピンチヒッターで夜透析の回診して、結構遅くまで。

九日

朝一でまず散髪。だいぶ伸びてたもんで。そのあと子供と一緒に散歩しながら注連飾りを近所の神社のどんど焼き会場に預けた。

小熊さんとこ経由で読売の社説を読む。こういう社説を書くということは、当然読売新聞社では漢字を読めない外国人が多数仕事をしているに決まっていると思ってしまったのだがどうなのだろうか。採用試験問題をみる限り、そうはとても思えないのだが。
医師もそうだが、看護師の業務の中で少なからぬ部分は「記録」にあてられている。患者さんの点滴したり傷の処置したり採血したり体位交換したりおむつ交換したり──そのすべてとは言わないが、重要なことは記録に残していく必要がある。患者さんの状態や自分が行っている処置の意味が理解できているだけでは不十分で、それを他のスタッフと共有できなければならない。なにせ今はチーム医療の時代なのだから。
「喀痰吸引連日」「仙骨部褥瘡処置隔日」「胃瘻栄養朝300ml・昼200ml」などと書かれた処置戔が理解できなければ現場で仕事ができない。最近は電子カルテやオーダリングばやりで、難しい漢字でも漢字変換でわりと簡単に使えるようになっているし。仕事した後やりっぱなしでも、後で何がなされたのかの確認ができない。特にトラブルなどあった際には、その前後の記録は特に詳細で正確でなければならない。その時にそこにかかれた内容が日本語として不十分であったとしたら、あとで事実関係を確認することすらままならなくなる可能性がある。
医師向けには一般論として診療録は日本語で記載すべきとされているし、医学用語は正確に使用することとされている。看護師がどのような言語で記載するべきかを規定した法はないと思うが、看護師は外国語でもよいとはならないだろう。
わたしの勤務している病院には、以前も書いたが中国人の医師がいる。彼らを頼って、中国人の受診も少なくない。看護師でもそんな風に外国語を通訳できるレベルまで使える人がいれば、常勤の医療通訳を雇っているようなもので患者にとっても医療機関にとっても力になることは間違いない。
やるべきことは日本で働きたいという人向けの日本語講習の量と質を引き上げることであって、うわべだけ取り繕って日本で働く(実際には言語の高く厚い壁の前で苦しむ)外国人労働者を増やすことではないと思うのだが。

十日

日直。
入院ベッドないってのに入院レベルの患者が来る。救急車は事前に連絡来るし、そもそも入院不可であることを情報として送っているので依頼も少ない。でも自分で来る人は受診時にベッドが空いているかどうかなんて確認してこないし、片っ端から断るわけにもいかない。
透析導入すれすれと評価されている患者が調子悪いと受診して。なんとか外来管理に持ち込もうとまずは評価を加えたら、予想以上に悪いので入院ベッドを探し回る。多少悪いくらいならば「薬出すので自宅で様子を見ましょう」にしようと思っていたのだけれど。良心と多忙の間で苦しむのはこんなとき。

十一日

透析当番で出勤して、昼休みに医局においてあった余録を読む。最後のくだりに呆然とする。「スキャンダル追及は検察にまかせて、国会は年金や医療や財政など日本再生の議論にしばらく専念してみたらどうだろうか。」
いや、罪を法で量るのは検察や裁判所の仕事だと思うが、国会は道義や倫理にてらして行いが妥当であるのかを量る必要があるのではないか?
法律的な「罪」は検察に追及を任せてもよいと思う。けれども、「よくないこと」全般の処理を検察に任せてしまうわけにもいかない。検察は法を以って判断するのだから、問題となった行為が明確に法の上で罪とされていなければそこまでだ。如何に不正義と思える行為であっても、法の上で罪でなければ検察は裁きの場に訴追することはできない。けれども国政に携わるものが不正義を行うのを公認するわけにはいかない。国政調査権によって「政治と金」の問題を調査する理由はそういったことではないのだろうか。「どれだけ金に汚く、ブラックな財政状況であったとしても、法にさえ触れなければ政治家として合格」という感覚は一般庶民の感覚からは離れていると思う。
もうひとつ、スキャンダル追及について、報道機関はかかわらなくていいのか?という疑問がある。おそらく毎日新聞は、最近取りざたされている民主党周辺の不明朗なカネの動きを問題にする気がないのだと思う。その立場から、国会にも問題にするなといいたいのだろう。
いつか来た道、のような気がする。

十二日

ちょっとがんばって早く帰る。ケーキ買って,誕生祝いを。
つーか、事前に買っておけと(ry

十三日

こんにゃくゼリー「事故頻度はあめと同程度」という記事を読んで、面白い研究だと思った。こういう風に分かりやすく相対化してもらえると危険度の大きさが実感しやすいと思う。
ところで。同じ内容を取り扱っても、読売の見出しはこんにゃくゼリー「餅に次ぐ窒息事故頻度」となり、朝日はこんにゃくゼリー「事故頻度、アメと同等」の見出しを掲げている。実際にはこんにゃくゼリーの事故頻度は0.33人/1億人で、餅7.6人・アメ2.7人・パン0.25人という順番からするとパンとアメの間に入るらしい。また、ゼリー全体の摂食量と事故件数からするともう少し事故率が上がり、5.9人に達するらしい。読売は後者の研究をもとに見出しを書いたのだろうが、ミスリードを含んでいないかと思ったりする。
毎日の記事で他の記事で書いてない重要点は「事故のほとんどが乳幼児と高齢者でおきていること」を報じていることだ。リスクがどこに重積しているかはとても大事なことだと思う。
こうした比べ読みにさらされて、新聞は切磋琢磨の時代だと思うのだが....あまり進んでいないような気がするのはなぜだろう。

十四日

午後は外来。忙しく次々と患者を診ていたら、ご高齢で他院で入退院繰り返しているひとが来院。手術歴があってそれは当院で実施、との情報。どんな手術した?と過去の記載をたどっていくと……「手術はしない方針にした」との記載でカルテが終わっている。家族に確認したら「あ、よその病院でした」と。(ぉぃ) 認知症高度と記載されているのだけれど家族に聞いてみると「そんなにひどくないです。普通に話ができますし」と。
実は、普通に話していて認知症を実感するのはかなり難しい。社会性が保たれていて、記憶力だけが落ちている場合には、適当に話を合わせるからだ。難聴が進んでいるひとでも、適当に相づちを打って会話を成立させることができる人は少なくない。もちろんきちんと聞こえてはいないので、理解度をチェックすると理解していないのがばれるのだが。
この方はいざ尋ねてみると自分の子供の人数も忘れているレベルの認知症があるかたであることが判明。家族にとってはちょっと衝撃が強すぎたかもしれないと思ったりしている。

十五日

twitterなるものが流行っているらしい。でも、自分としては使ってみようという気がしない。
たぶん、文字数制限がきついのだろうな、と思う。発信が手軽であることはわたしにとってはあまり大事なことではなくて、自分が納得いく表現ができることが重要なのではないかと思う。だから、携帯電話からでもアクセスして更新できますという機能を使うことは少なくて、パソコンの前に座っていろいろ情報を漁りながらこんな記事を書いていたりする、のだろう。

十六日

子供ふたりをつれて府中市郷土の森博物館へ。子供は無料の年齢なので、大人一人200円なりで中に入れる。ほんとはプラネタリウムが見たかったのだけれど、確実に子供らが騒ぎ出しそうなのであきらめた。日祝日は「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH- ハヤブサ〜バック・トゥー・ジ・アース」という投影をやってるらしかったのでこれはいつか観ておきたいと思う。

十七日

日直。合間で文章書き。
書き物しているときはあれこれと参考資料を広げるほうがいいようなので、家にディスプレイアダプタを持ち帰ってみる。ブラウン管のディスプレイが使われずに放ってあるので、そいつを使ってデュアルディスプレイと洒落てみる。──そう悪くなさそう。

十八日

家に帰ってみると「るくるく 10」が届いていた。
……一応これは善と悪との最終決戦、なのか?

十九日

メンドくさそうな紹介患者のことでボスと密談。ため息が増える増える。
夜も更けたところで医局に戻ってみると当直の先生が「入院相談だっていうんで『今はベッドないから明日の朝にしたら』って言ったら『明日は仕事なんで今日行きます』って患者が来る」とぶつぶつ言っていて。病院ってのは病気を取っ掛かりにした不幸全般のよろず引き受け所として機能してるんだろうなぁと思ったり。それが全面的に正しいとは思わないんですが。
ただ、現在病院が引き受けている緩衝役を代わってくれる施設があるとしたら、そこは間違いなく採算が立ち行かないだろうと思う。なにしろ、ことは不幸の引き受け・一時預かりであるわけで。やっぱり税金投入なのかなあ。

二十日

午前中透析患者の回診して昼に家族面談して午後に家族面談して夜透析の回診と処方と検査結果説明作成。終わってまったりした気分になれたのは午後九時。普通の仕事ですが何か。

"褥瘡"が読めない看護婦さんは要るかを中国出身のDrに尋ねてみた。もちろん日本語の会話に不自由しない方なので日本語で。
「それは、こまっちゃうなあ」ということだった。やはり指示が読んでもらえないのでは大変、と。しばらく仕事しているうちに慣れるのかもしれないけれど、とは言っていたが。
ふと思ったのだけれど、試験の緩和を申し入れてきた側も推進している側も、看護師は肉体労働者・技能労働者であって、頭脳労働者ではないと見なしているのではないだろうか。思考は言語で構成されることが多いわけで、言語理解が成り立たない状態で思考内容を伝えあったり協同活動を行えるかというとそれはNoだと思う。単に定型作業をやればいい職種であれば、その作業に熟達していさえすればよいのかもしれないが。

二十一日

外来に99歳の方が受診。「赤飯と餅を食べていたらむせてのどに詰まったかもしれない」聞くと「もともと時々むせることがあった。普段はお粥を食べさせていた」だったら素直にお粥を食べさせるか、餅でむせたら寿命だと覚悟を決めておけと小一時間(ry
ご高齢だから好きなように...という意見は聞くのだが、好きなことをした結果害が生じたとしても、そのことは甘んじて受けるって覚悟まで決めていることはそう多くないように思う。なんだかなあ、と。

二十二日

相方体調不良につき、仕事を半休して受診に付きそう。
たまたま金曜日は比較的余裕がある日だからできたのだが、急な用事でも休暇を取れる環境にいることはありがたいと思う。できる勤務医はどれだけいることやらと思ったり。

二十三日

受け持ち患者も比較的落ち着いていて、ゆったりと仕事をする。
こんなときに論文とかやればいいんだろうけれど、意外と気合いが入らないんだよね。

二十四日

朝ゆっくり起きて、患者会の新年会に顔だけ出して。子供連れて行ったのだが、普段割と愛想がいいのだが今日は眠かったのかだっこだっこで重かった....。

「荒野の蒸気娘」(あさりよしとお)読了。こう来るか。

二十五日

午前中外来。
血液検査の異常だけ経過観察中の方が来る。「何ともないです〜」ってな感じ。おそらくは膠原病があるとにらんでいるのだが、それ以上は何とも言いがたく、血液検査の異常だけ治療するわけにもいかないレベル。さて、どうするかとしばし悩んだ。
血圧や血糖のように自覚症状はどうあれ予後を悪くする病気であればどんどん治療するのだけれど。

二十六日

朝子供を保育園の一時保育へ放り込んでから出勤。延長保育はないので五時ぎりぎりに迎えに行って家に戻って、子供をおいてからまた病院へ戻る。
毎日続けろって言われると結構しんどいなぁ

二十七日

夜は当直。
空床状況として「空床なし」と入力している夜は救急車の依頼が少ない。診療可であっても入院不可である場合には明らかな軽症以外はやはり引き受けにくいし、救急隊としても断られやすいのがわかっているから他を当たるのだろうと思う。
今十数人受け持ち中、急性期治療終了して長期療養施設転院待ちが一人二人。この人たちがそれ相応の施設へ移れればベッドも空くのだけれど。

二十八日

昨日入院した患者を当直日誌で見てふと既視感にとらわれる。年齢も含めて高校の同級生とおんなじ。でもそんなに珍しい名前じゃないからなぁ。
確認しに行くのもなんだし、これはこのままだが。

二十九日

夜、他院の病理の先生に来てもらって腎病理カンファをささやかに。腎病理がご専門の先生なのだが、現在の勤務先では腎の検体があまり出てこないということで嬉々として来ていただいているところ。

三十日

土曜出勤。割りと細かいことであちこちから呼ばれる日。
ええい、ちょっと待てとか何とか。体は一つしかないんだぞと。

三十一日

羽村市動物公園へ。こぢんまりしているので回って歩きやすい。それなりに堪能して二時間くらい、か。


Written by Genesis
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