歳時記(diary):三月の項

一日

日付変更のあと病棟担当の当直医から呼ばれる。呼吸状態が悪いので気管支鏡で喀痰吸引して欲しいそうな。
久しぶりに気管支鏡なんかやりましたさ。かれこれ一年以上ぶりでしたが。
この夜は気胸の患者もきたので胸腔ドレーン挿入もやったし。普通の内科ってこんなもんということで。

二日

核医学検査の検査枠のことで検査室に問い合わせすると「カナダの原子炉がいま動いてないので薬剤の供給が滞ってて.....」と。国内の核医学検査用の試薬は99Moから生産されており、その99Moを作っている原子炉の一つであるカナダのNRUが停止しているため生産が少なくなっているとのこと。(日本核医学会の解説)他の原子炉にしても定期メンテナンスも必要だし増産が簡単にできるものでもないということで綱渡りしているそうな。
国内生産することも検討中らしいのだがいつになるかわからない。もっともいま99Moを生産している原子炉はいずれも経年劣化しているらしいので、早めに新しい生産拠点を作ることは悪くないことだとは思うのだけれど。

奈良県大淀町立大淀病院での妊婦脳出血事案への一審判決。「出血が起きたことを素早く診断し一番近くて設備の整った病院へ送ってその病院が適切な対処をしたとしても患者は救えなかった」という判断。
この事件を報じる毎日新聞の社会面を見たけれど、記事のトーンが「制度を充実し、重症患者を助けられるような体制構築を」といった感じで、そぐわないものを感じた。割箸事件の判決のときも思ったのだけれど、判決が語った内容を報じることよりも遺族の思いを語らせることに熱心な感じだったように思う。

三日

午前中外来透析患者の処方をひたすらやって、午後一番でICUの急性血液浄化のためのカテーテル挿入に難渋し、夜透析の回診して処方して結果返しして、合間で病棟の患者を診察。
ま、ふつーっていえばふつーの日々。帰ってくると十一時過ぎましたが何か。

ICUのCHDFは一応日付変わる前に終了の予定だったのだけれど、工学技師から「バイタルがむしろよくなってきているくらいなんで、もう少しやりますか?」と連絡。相談して朝まで続けようという話にする。
「明日は?」と尋ねたら「僕休みなんで大丈夫です」って返事に、ありがたい思いになる。

四日

午後の外来。終わり際に外来フォローしている患者さんが来る。腎炎で腎生検勧めているのだが、一応決意はしたものの「いくら入院でかかりますか?」と。腎生検入院で三泊四日程度で7−8万円とお返事したのだが。
あとで調べ直すと、なんとかネフローゼ症候群の診断基準にひっかかりそうで、東京都では医療費の助成が受けられそう。でも結構ぎりぎりなので、一番悪いところの数値で申請するようかもしれない。
これは東京都の制度なので、他の道府県では助成が受けられないはずで、でも医療費の問題で検査・治療ができないでいるとかなりの確率で透析まで行ってしまうはず。透析医療の方が莫大な金がかかる上に患者の生活はかなり制限されてしまう。政策的に、治療にかかる患者負担を抑えておいたほうがあとで助かるんじゃないかと思うのだけれど。
ちなみに、慢性疾患患者の外来通院を管理していると算定できる「特定疾患療養管理料」というお金がある。高血圧やがん・糖尿病などの慢性疾患(これを特定疾患と呼ぶ)の患者が外来にかかるたびに療養指導をして、その分の報酬としてもらえることになっている。実は慢性腎炎やネフローゼ症候群は、特定疾患ではない。ので、腎炎しか治療していないような患者だとこの管理料が算定できないし、腎炎から高血圧になっていると判断すれば「高血圧の治療のための指導をしています」ということでこの管理料を算定したりする。なにか間違っている気がする。

五日

夜、レセプトチェック。山のようにある.....。

六日

午前中少々剪定をして、夜は高校の同級会。七年ぶりくらいではなかろうか。でも顔を合わせればすぐに名前も思い出して、いろいろと近況報告を。
「一番変わってない」といわれたのだが....これは褒められたのか?

「もいちど あなたに あいたいな」(新井素子/新潮社)読了。
ネタを割らないと感想が言えそうにないのだが、この強引さが新井素子、と思ってみたり。

七日

雨。子供らは家の中でどたばた大騒ぎ。せっかくの休暇、大野潤子をまとめ読みしたりして過ごす。
夜は実家で晩飯を。生ガキ送られてきたので軽く電子レンジで温めて食べたのだが.....小型球形ウイルス、大丈夫だろうか。

八日

病棟でふと眼にした紹介状。隣の市に住んでいる患者を同じ市内の開業医が当院へ紹介してきたらしい。「通院困難のため、貴院にて管理をお願いしたく....」って、すぐ近くの開業医に通えない患者がなんで遠くの病院に通えるんだ。短い文章の中に突っ込みどころが複数あるというなかなか佳くできた紹介状だった。

九日

紹介入院になってきたがん末期の患者さん。病状をどう理解しているのかと探りを入れてみる。「検査の結果をどう聞いてます?」「いや、特に何も」。……えーと。
告知をしたのは間違いない。となると説明が難しくて理解できなかったのか、記憶力に問題があって説明されたことを忘れてしまったのか。どーなってるんだ?

十日

日中ルーチンワークして夜は当直。
入院ベッドないせいか拍子抜けするほど来院がなく。ゆったりしててよかったというべきか。

十一日

木曜日は腎生検があることがある曜日。ひところ毎週腎生検していたのでなんだかあるのが普通のような気分になってみたり。

十二日

明日は発表、ということだったけれど、夜一つ製薬会社の勉強会に誘われていく。大規模研究とかに疎いわたし、診療の工夫なんかを聞かれて「栄養指導とか....」などと他に同様な発言をしないようなところを強調してみる。

十三日

朝から出勤で、夕方から院内の透析懇話会。
わたしの発表のお題はnPCRと透析指標、ということで、栄養状態とnPCRのお話。透析患者の蛋白必要量ってどのくらいだ?ってのが疑問なのだが、わたしが提出した疑問がボス的にはご不満であったようで。うーん、カロリー摂取量をきっちり確保するのが基本、ってのはそれほどとっぴな発想じゃないと思うんだけれどなぁ。

十四日

日中すこうしお散歩。梅が見たくてお出かけしたのだが、息子的には電車の駅まで歩いて電車に乗りたかったらしい。却下したらえらい勢いで号泣。それでも却下しましたが。

夜は当直。あんまり数が来ない夜だったが、「年明けから疲れやすい」とかって主訴で救急にかかる人がいてどうしてくれようかと。仮面うつっぽい気がしたのでそれなりに優しくしましたが。なぜこのタイミングで来ようと思ったのか、逆に不思議な思いになった。

十五日

日付変わったところで急変コール。一件終わってのんびりしていたらもう一件。なんだかせわしない感じで。

職員食堂で昼飯喰いながら検査技師さんと雑談してたら「先生の奥さん、キャビンアテンダントって聞いたんですけど」って質問にこけた。そんなおいしい話がどこからわいて出たのかっ。噂なんてそんなものとは思いつつ、謎。

十六日

比較的早く仕事が終わったので、ここしばらくの懸案だった自転車のブレーキ修理に。効きが悪くなっていて力いっぱい引いてもまだ緩めな効きにしかなっていなかったのだけれど、ブレーキパッド交換してもらってしっかり効くように。

十七日

少し手が空いたところで卒後臨床研修制度の施行に関する省令改定へのパブリックコメントを書く。
わたしの立場としては「医師不足対策に研修医を当てるのは学徒動員と同じ発想の愚行」と考えているので、研修制度の設計に医師不足を絡めると筋がゆがむという趣旨で書いている。医師不足ということは指導医も不足しているはずで、そこに多く研修医を投入するのは研修の質が下がらないか、と思うのだが、どうだろうか。

十八日

午後外来。
感冒症状で数日前に来院した人が再来。前回は出ていなかった熱が出ている。
ウイルスによる感冒症状は比較的素早く症状が出て、だんだん消えていく傾向があるように思う。逆に、数日の経過でだんだん悪くなるというのはウイルス性上気道炎ではあまり起きない。
採血にレントゲンとやって、肺炎か気管支炎かそのあたりっぽい。胸のレントゲンにはあまり大きな影はなくて、そうすると細かい影までだんだん気になってくる。結核とかあったらやだなぁ、と思ったあとで、「そういえば、これまでかかったことがある病気は?」「えーと、結核を何年か前に。薬きちんと飲んで、もう来なくていいよっていわれてます」
確かにその目で見ると肺尖部に陳旧性肺結核らしい胸膜肥厚がある。レントゲンだけで既往を当てられるとかっこよかったかなぁ。

十九日

結核話をもう少し。
少し前の記事だが、結核見逃し集団感染とかいう記事を見つけてうーんとうなる。この生徒がどのような症状・所見だったかわからないのだけれど、ときに難しいケースになるのは確か。記事ではエックス線検査で診断したように読めるが、実際にはおそらく喀痰検査やツベルクリン反応などやって診断したと思う。そういった検査はそれなりに手間もかかるから、ルーチンでやるのは難しい。おまけに痰の検査をしたとしても、結核菌量が少なければ細菌検査で陽性になるのは半月とか一月たってからになる。
そんなこともあって、ときどき入院した大部屋の患者に見つかって大騒ぎになる病気でもあるのだ。

かと思うと、某俳優が結核病棟に隔離されてたのに抜け出してラーメン食べてたとかいう話が。んでそれを自慢気にブログにアップして炎上とか、なんて様式美。

二十日

三連休。カレンダー通りに休めるなんて素晴らしいことですね。病棟もあまり気になる人がおらずに何より。
初日はまずはゆっくりとぐだぐだして(ぉぃ、午後からお出かけ。バスで駅前へ出て、知人と待ち合わせてお茶を飲む。主には相方とおしゃべりが目的なのでおとなしく子どもの世話に専念したが。
帰ってくるともう遅くて、晩飯食ってお休みなさい。

二十一日

一泊二日で伊豆へ小旅行。
普通に小田原厚木道路〜真鶴道路経由で伊東へ回ろうとすると渋滞遭遇必至と思われたので、回避すべく中央道から河口湖〜御殿場〜沼津経由で伊豆へ至る。出発が早かったせいかそれほどの渋滞はなく到着。
あんまり計画性がなかったので、どこ行こうかなと地図をにらみながら三津シーパラダイスへ。相当風が強くて遊覧船は欠航だったけれど、海獣たちの芸はそれなりに楽しめた。水族館というほど魚の展示は多くなくて、海棲哺乳類の割合が高いように思った。歴史的にイルカやシャチなどの飼育の実績があるからかもしれない。

この後は山越えして修禅寺を経由して伊豆スカイラインへ。途中で道の駅 伊豆のへそに寄ったのだが、各種土産物が高いということでジュースだけ購入。そのまま宿近くまで来たのだがちょっと時間が余っているということで、適当に選んだねこの博物館へ。剥製に骨格標本を堪能しました(ぉぃ)。トラの剥製がこれだけそろってるのなんて見たことないです。ウィーンの自然史博物館も剥製が大量にありましたが、ネコ科動物に限定すればこちらの方が上を行く。二階におまけとして(こらこら)生きてる猫もいましたが。

宿はCaptain Hock。子ども連れ限定というコンセプトで、「それなら気兼ねせずに泊まれるだろう」が選択基準だったのだけれど、予想以上に過ごしやすかった。
細かいことなのだけれど、トイレの便座に子供用の小さな便座もついていて、おまるを使わなくてもトイレができるとか、ほどほどの広さの家族風呂がいくつもあるとか。子どもは騒がしいものだから、わたし自身は時間にさえ気を使えばそれほど声の大きさなどには目くじら立てないほうがいいと思っているのだけれど、それでも、宿泊客同士がすべて子ども連れだから、お互い様感があって気楽だった。
夕食を食べて、夜「となりのトトロ」をホールで上映。息子はじっと最後まで観ていた。「ポニョ」のつぎは「トトロ」なのかな。

二十二日

目を覚まして朝食をとると、おもむろに伊東の町へおりて買い物。干物なんかを買い込んでやや早めの昼食をとってから、伊豆スカイラインへはいってサイクルスポーツセンターへ。そんなに期待していなかったのだけれど、なんだか息子のツボにはまったらしく。サイクルコースターにスカイローラー、面白自転車とつぎつぎ乗りたがる。フリーチケットは買わなかったので失敗したかなぁと思いつつ。楽しんだ。自転車に乗るのが楽しいくらいの世代の子どもがいれば、一日楽しめるかも。

そろそろ寒くなってきたところで三時過ぎに出発。伊豆スカイラインからターンパイクを経由して、小田原厚木道路へ。途中でだんだん混んできて、渋滞に突っ込んでいきそうだったので一般道路におりて自宅まで。多少は渋滞に入ったが、比較的スムーズに脱出できたのではないだろうか。

二十三日

仙谷国家戦略大臣が「外国人医師は、日本で改めて試験を受けないと医療行為ができない。そういうこと(規制)を取っ払うよう仕掛けないといけない」と述べたらしい。
現在の制度でも不足ということのようなので、ある程度幅広い国を相手に医師免許の開放を行うということと思うのですが。当面は特区など、との記事ですが、現在実施されている制度(これって特区に近いと思うのですが)の運用状況とかを検討しないと何とも言えないような気が。
正直、何を狙ってこの発言をぶち上げたのかが不明で。医師不足対策だとしたら、一般診療を担える外国人医師を多数導入、という話で、言葉の壁への対応が必須になると思いますので。そこまで国が面倒を見てくれるのであれば、検討の余地はあると思います。(日本人医師に育児支援して職場復帰を促すより高コストになると思いますが)

二十四日

午前中外来透析の回診して、午後は病院実習の学生さんの相手をしながら病棟を回る。
診てる患者が全体に体全体に問題を抱えているような人が多いので、説明しにくい感じはするのだが。

一人、心肺停止後に蘇生して、脳にダメージが残っている患者がいる。急性期は乗り越えた感じで、基本的にはこの後あまりよくなるとは思えないけれどもすぐ死ぬわけじゃないので維持治療を、という感じなのだが、家族としてはあまり積極的に治療して欲しいわけじゃなく静かに看取れれば、という希望で。
一番消極的な治療となるとホントに何もせず、ただ寝かせて看取りの日を待つというのも考えられるが、さすがに病院に入院させた状態でそれも倫理的にどうかと思う。その次くらいに消極的なのは点滴一日500ml程度だけ実施して、病状が悪くなっても特に治療はしない、というところ。これだと栄養が不足するのは間違いないので、死に追いやっているだけじゃないかといわれたら否定できない。
じゃあ、当座生きていけるような栄養を投与していくことがよいのか、ということになり、これはこれで脳機能の改善が見込めず、ただ息をして栄養を代謝しているだけの状態を続けるのは無駄な延命ではないのかという意見が出てくる。
こういう人にどういう治療方針を提示すべきかは悩むが、なんだか提示した治療方針に異を唱えなそうな雰囲気で、そうなると逆に責任を感じてしまってあまり消極的な手段は提示しにくく。かくて悩みは深くなる。

二十五日

午前透析当番・午後外来・夜当直。隙間を見て病棟患者に対応し。

当直中の患者はなんだか若いのにいろいろ抱えた人が多く。めまいにアルコール性肝炎/肝性脳症、果ては「足が痛くて動けない」という入院希望患者。あなた今歩いてきましたよね?と突っ込んではいけないんだろう、きっと。

二十六日

朝方、引き継ぎ直前の時間帯で電話が鳴る。文句は言えないけれど、なにも引き継ぎの時間ちょうどに患者さんが来なくてもいいじゃないかと思ってみたり。
吐血した透析患者さんが来てみたりいろいろして、夜は急にケースカンファレンスの司会を頼まれて。疲れた.....。

二十七日

土曜出勤。入院も入っていて。多忙....。

二十八日

朝から、親父殿の退職の日慰労会。まあファミリーで集まって宴会やったわけですが。けっこう飲んで喰って大騒ぎ。

「ネクロポリス」(恩田陸)読了。日本と英国の混じり合ったような架空の舞台V.ファー。この作家に特有の、頭のいい主登場人物たちと何かを知っていながら多くを語らない脇役たちが織りなす、解けきらない謎の物語。
世界をひっくり返すような謎解きはなかなか楽しめたけれど、最後の最後は...一体なんだろうといろいろ悩めそう。

相方が流しに物を落としたとのことで、大型のウォーターポンププライヤ買ってきて下水管を外して取り出す。一緒にトイレのロータンクのフロートゴム玉を買ってきて交換。だんだんいろいろな工具が増えてきている.....。

二十九日

外来透析患者が不安定狭心症状態。入院させたいのだが本人は応諾しない。本人の好きにさせるだけで万事丸く収まるわけではなく。大体において、体調悪くなれば受診してきて治療を希望する。初めは入院拒否であったとしても、その根本にあるのは「入院はできないけど治療はして欲しい」なのだ。
それに、素朴な思いとして治療手段があるのにそれを行使しないで見ているのは忸怩たる思いがある。だから、こういうケースはいろいろと思い悩んで難しい。

医師国家試験合格発表日。
夜、国家試験合格した人から電話。どうもマッチングその他、研修先を決めるような手続きをとっていなかった人のようで、合格してしまったのでそちらで研修させていただけないかということだったらしい。……計画性もてよ。

三十日

当直明け。

夜、病院実習来ている医学生と面談。要は「ぜひうちの病院で働いてくれ」
マッチングシステムで、病院と医学生との直接交渉で研修先が決まるということにはなっていないが、それでも"できる"学生にはぜひ一位指名してほしい(病院がある学生を定員以内に指名し、学生がその病院を一位指名すれば確実に決まる)。
あと半年あるけれど、ハードな指名レースはもう始まっているのだ。

三十一日

夜、腎生検カンファレンス。
終わって飲み会、とのことだったが、透析当番でほとんど行けず。


Written by Genesis
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