歳時記(diary):三月の項

一日

当直時間帯では入院勧めるのを振り切って帰ってしまった患者さん二人。やがて戻ってこざるを得なくなるのになぁ‥‥。

午前中の救急外来は始まったばかりのオーダーシステムの不具合に悩まされつつの業務。いちおうコンピューター会社のスタッフもサポートに入っていたのだけれど。あちこちで呼ばれていて必ずしも隣にいるわけじゃないから、看護婦さんも研修医もわたしに操作方法を尋ねてくる。──わーたーしーはーたーだーのーひーとーだー。
一介のヒラ医者を捕まえてオーダーの出し方や看護側の指示受けの仕方とかトラブルシュートの方法とか聞かないように>そのへん めっさつかれた‥‥。

二日

新オーダーシステムは今日も元気にトラブってました。(死) なんか設置してある端末をフルに使うとサーバーのCPU負荷が100%に達したとか。‥‥業務量の見積もり損ないですか?

体の奥に鉄の血が流れていると思われるあの人。なんか人のことを鉄呼ばわりしているのだが。
医局で自他共に認める「鉄」人の某先生に「たかが『銀河』に乗ったくらいで人を鉄呼ばわりするんです〜」と訴えたのだけれど、その後の会話で「なは」とか「あかつき」とか(名前だけは)知っていると言ったらやっぱり鉄認定された。‥‥わたしが鉄ならS.B.さんも鉄だ!

三日

外来。こちらも新オーダーシステム上での仕事ということでどきどきしながら臨んだのだけれど、各種対策が間に合ってきたのか、わりと平穏に、システムトラブルもなく。まぁ外来数自体も少ない曜日だったということがあるのだろうけれど。
同じ時間に外来をやっている当院医療情報部長先生がシステムの機械ににらみを効かせたからというまことしやかなうわさも(ありません)

四日

早起きして病院へ。ちょろっと患者さんのところを回った後、上野からフレッシュひたちで水戸へ。
学生時代の悪友がいま透析室で仕事をしていると聞いて、旧交を温めた次第。

そのあとは飛行機で岡山へ飛ぶ。本日の総移動距離、けっこうなものになりそう。

「涼宮ハルヒの動揺」(谷川流/スニーカー文庫)、「家出艦長の里帰り」(笹本祐一/ソノラマ文庫)読了。
そうか....切れ者艦長もついに人生の終焉か‥‥(謎)

五日

よた話を書き散らしてみる。

ひとさまに子どもが産まれて、赤ん坊の写真を見せられることもあるのだけれど、わたしはどうやら赤ん坊は所詮見た目にはサルかカエルかその合の子か、としか思えないタイプの人間であるらしい。だから「可愛いでしょ?」と言いながら写真を見せられたときどう返事をするのが妥当かはいつも悩むテーマである。
ついでに言うとロリでもショタでもないせいか子どもの写真入りの年賀状にも興味が持てなくて、どうせ写真付なら親(つまり自分の直接の知り合い)の写真の方がまだ加齢変化がどのように進むのかを知る上でよほど興味深いという人間である。
自分の子どもというともう少し違った感想を抱くものかと思いながら岡山へ飛んだ。着いた翌朝、病院スタッフが病室に赤ん坊を連れてきて、初めて相見えることとなった。
自分の子どもといっても見た目はやっぱりサルかカエルかそのようなもので、天使のように見えたりはしなかったのだけれど、それでも「この子を授かった」という気持ちがした。
十二国記の世界で「子どもは里木に夫婦が祈りを捧げることで生まれる」となっているけれども、望んで授かったものを見たときには、客観的に見たみてくれの多少の難はほっておいて「かわいい」ものと思うのかもしれない。
この弱々しき儚きものは、ヘタに振り回せば壊れてしまう。あまり小さいと抱きかかえるにも緊張と恐怖を感じるのだけれども、親という肩書きを得てしまうと子どもを抱きかかえるのも責務の一つ、逃げるわけにもいかない。
わたしが抱くのに慣れるのが早いか、赤ん坊の首が座るのが早いか。どっこいどっこいになってしまいそうな気は、する。

つまりは嬉しかった、てことなんだろうな、きっと。

六日

「半分の月が上る空5」を読む。
ひとつ、引っかかるシーンが。主人公たちが浜松に住む透析患者さんを訪ねたシーン。バナナを欲しがる患者さんに、奥さんが「半分だけ」と制限する。
果物類はカリウムを多く含み、透析患者さんではカリウムの体外排泄が落ちているため一般に果物類は極力とらないように指導する。それを知っていて、それでも食べたいという我侭なのか、それとも一般的な「食べ過ぎはだめ」というような意味合いでの「半分」という制限なのか。いまも引っかかっている。

七日

週末に一つ発表を控えて、気ぜわしい日々が続く。
こういうときはまず食事が荒れるんだよね‥‥。

八日

夜、透析患者さんへの定期処方日ってことで画面開いてみると‥‥以前のデータが移行されていない罠。
一から打ち直すこと、二十数人分。ばきやろー。それだけでもうへろへろ。

九日

夜、透析関係の勉強会が近くのホテルで開かれているということで聞きに行く。
K/DOQIガイドラインてのが流行で、そこでの統計や分析がいろいろまとまってきているのが現在の状況なのだけれども、概論を聞くだけでも知らないことがあって勉強になる。
終わったあとは懇親会という名のお食事会。ガツガツ喰っているのは‥‥ウチのスタッフだけですか?

十日

ケースカンファを終えて一区切り。そんなにたっぷりの内容だったわけではないのだけれどちょっと疲れ。
まぁ疲れた原因はふと思い立って資料をLaTeXで作り始めたことにあったのは明らかであったり(炸裂)。
資料に数式が入れたい→でもAppleWorksじゃうまく入れられない→TeXShopインストールしてあるんだからTeXでやればいい という経過。ま、資料は無事に綺麗に上がったし、いいか。

十一日

熱っぽい。症状としては頭痛もあるし髄膜炎かな〜、と思いつつひたすら寝る。(ぉぃ
 吐気とかいろいろ、重症っぽい雰囲気が出てきたら病院かかろうかと思ってはいたのだけれど症状とれれば自分としては元気そうだったので寝て治す方針にした。あんまり真似されたくはないが。
その甲斐あってか昼過ぎには大分動けるようになったのでうどん食ったりしてからさらに寝た。

「ONE」のOVA(KSS版)を見終わる。‥‥この謎めき方はやっぱりONEだなぁと感想。
ストーリーは一筋縄でなくてよくわからないんだけれど、「えいえんはあるよ」って名フレーズがそれなりにハマる気がする。もっぺん見直してみよう。

十二日

大分調子も戻ったのだけれど、さらにしっかり寝ておく。ただ単に怠惰な生活を送っているだけという突っ込みはこの際却下としておく。
起き出してからさすがに遠出をするのもはばかられて、気がつけばONEとかAIRとか、久しぶりに。遠野美凪シナリオTRUE ENDを見直しついでに拾えてなかったCGを拾う。美凪の会話は、何とも言えない味のある"間"がいい。
「飛べない翼に、意味はあるのでしょうか」──翼の名残となった肩胛骨にさえ、きっと意味はあるのだと思う、うん。

十三日

まだちょっとカゼが抜け切れていない、かな、と思いつつ仕事。
オーダリング変更に伴って入力が激増。コンピューターのドレイ状態はしばらく続きそうで。

十四日

夜は泊まり。
在宅介護困難ってのは入院の理由になるのかと悩んでみる。「福祉」全般の貧困さ、キャパシティの少なさゆえに、比較的アクセシビリティのいい「医療」が、いわば駆け込み寺的に緊急避難を引き受けざるを得ないような、そんな状況なのかと思う。
その結果としての「社会的入院」なのだろうと思うのだけれど、その解決策は現在のところ、医療へのアクセスを悪くする方策しかとられていない。それって根本解決と違う、と思うのだが。

十五日

当直明け。帰ってきたのは十一時。──まぁいつものことだけど。
少しでも「自分」に戻る時間を得るのはそれなりに大変。この夜は「半分の月がのぼる空 6」を半分くらい読む。
舞台が病院から伊勢の町に変わる。高校生にとっては、「普通」の生活。──その普通が、とても愛しい。

十六日

別にネタを考えながら仕事しているわけじゃないけど、仕事中にネタを思いつくことはある。もっともそれはすぐに記憶の果てまで流れていってしまうことが多く。(メモとかとらないしねぇ....)
あとに残るのは何だか楽しい思いつきをしたというそれだけの感覚。ま、嫌いじゃないが。

十七日

朝方電話で叩き起こされる。患者急変との由。
とりあえず行くと一通りの対処は終わっていたけれども、主治医の仕事はそこからがメインだったり。

数の多い(とはいえ自分のペースの遅さがネックになっているのは否定できない)外来を終わって、お昼が食べたいな〜と思うのが二時ってあたりが。

十八日

夕方、某友人の結婚披露パーティー。久しぶりにいいものを食べたような(爆)
かなり久しぶりだったのでそれも含めて楽しく。

十九日

注文製作のカエデのテーブルが届く。
天板はカエデの無垢板を二枚つなぎ合わせたもので、1.8m×2mくらい。足は高さをダイニングテーブルにも座卓にも変えられるようなつくり。
大きなテーブル、という希望通りで満足。

だいたいこれで引越に伴う家具購入が終わったのだけれど‥‥おかげで貯金も底をついた‥‥。

二十日

当直。
ひとり病状の悪かった人をお看取り。縁者の少ない人で、娘さんとは連絡が取れず、やむなく本人の知り合い(つまりは第三者)に力を借りた。
日本ではやはり「個人」という単位だけではすまない文化が根強く。たとえば本人の意志で病状を家族に伝えない、というようなことは、家族からあとでクレームが来ることも多くてあまりやらない。逆に家族に先に病状を伝えた結果、本人が望んでいるにもかかわらず正確な病状説明がされないようなケースもある。
家族とか親類の力は療養生活の力になる一方で、身寄りが全くないような人では治療方針を決めるのに困難を生じたりすることも少なくない。医師が勝手に方針決定してしまうわけにも行かないし、かといって決定に関われる人自体がいなかったりするし。
介護保険制度の元では実は介護自体も家族が行うものを補完する程度の位置づけにしかなっていない。一人暮らしで最後まで暮らしつづけるとか、安定した終の住み処を見つけることは、介護保険だけでは不可能なのが現状で、制度と患者さんの想いの間で溜息をつくしかない。

二十一日

午後五時過ぎの医師二人の会話。
「お、先生日直明け?」
「いえ、当直明けです」
‥‥もっと早く帰る予定だったんだけどなぁ。当直帯で入院した人をひとり受けもちして他にも自分の患者さんみてサマリ書いてえーっとえーっとえーっとせとら。
とにかくそんな風にジョークにしちまった方が傷つかずにすむって(以下略)

二十二日

午後十時前後の医師と看護師の会話。
「あ、先生当直ですか?」
「いや、もうこの時間ならタダの人ですから」
‥‥午前中救急外来にわたしかかりつけ(ぉ の患者さんは来るし午後来た救急の患者さんは腎不全悪化で入院になるし剖検はあるしお見送りはあるし透析外来の回診は全員分の処方付だし。
定時ってたしか五時過ぎだったよなぁ‥‥と役に立たない知識を引っ張り出してみる。

二十三日

晩飯を外食でとりながら「しにがみのバラッド」を読み進める。電撃文庫って短編の佳作がけっこうあるなぁと改めて。「キノ」「ポストガール」「シュプルのおはなし」などなど。

二十四日

外来はオーダーシステムの運用も大分落ち着いて、穏やかに。何よりまず患者さんが安定してたのが大きいけれど。

二十五日

夕方から院内のミニ研究会。研究発表の座長をやる。
終わってから宴会して。宴会自体も久方ぶりな気がする。

二十六日

朝寝。ゆっくり寝たところで起き出して──ONEのやり直し(炸裂)。里村茜シナリオの終わり近くまで。終盤のテンションは鋭くて高い。

二十七日

朝礼前の雑談の話題は射水市民病院の件。末期状態の患者の人工呼吸器(レスピ)を医師が取り外したという件のこと。
場で一致したのは「取り外した方が幸せになれそうな患者さんにレスピをつけるんじゃない」ということで。患者の中にはがんを患っている患者さんもいたとかで、そういう予後不良な患者さんにレスピをつけて何を目指していたのか、と思う。
そういいつつもわたしも回復の見込みの乏しいレスピ装着患者を受け持ったことは一度ならずあるのだけれど、「レスピは外せない」ということを前提に対応するしかないと思って対応していたし、東海大での"安楽死"事件に対する横浜地裁判決で示された「四条件」──(1)患者が耐えがたい苦痛に苦しんでいる (2)死期が迫っている (3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替手段がない (4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意志表示がある──を満たすと思えた事例はこれまで経験したことがない。

もっとも、毒舌家の某先生が言っていたように、「そのうちレスピをつけずに看取ったらそれをとらえて『消極的安楽死だ』といって警察が踏み込んでくるんじゃないか」ってことにでもなったら、嫌な世の中だとは思う。最近警察は医療事案に対して刑事罰を加えたがっているように思えるからなぁ‥‥この辺の話とか。

二十八日

今年に入ってからお看取りする件数も多くて、重症患者や急変のリスクありの患者さんも複数抱えている。
もし、心停止になりかけるとか呼吸状態が悪いなどあれば通常心肺蘇生を施し人工呼吸器を付けたりするのは「当たり前」になる。けれども、そういった処置を望んでいるのかどうかの意志確認は、事前にしておいた方がよいことだと思う。
デリケートな話になるけれども、そういった話を一件する。願わくば、最後まで患者さん本人が願う形で生き続けられることを。

二十九日

一昨日の話とも関わる話。
割りばしが咽喉から脳に刺さり死亡した幼児を診察した医師が業務上過失致死で起訴された事件の判決が無罪と出た。毎日新聞の社会面記事を読むと、遺族がこの判決に不満であることがよくわかる。けれども、裁判所が認定したのは「過失によってその人が死んだとは決められない」ということであって、けして「過失がなかった」ということではないように読める。
つけられた解説を読むと、判決こそ無罪としているものの被告の過失を認定している。被告が有罪にならなかったのは「治療が正しく行われていたとしても救命困難な病状だった」と裁判所が判断したからに過ぎない。民事事件だったらなんらかの損害賠償なり慰謝料なりが認められるケースなんだろうなと思う。
しかし、「普通の医者なら犯してしまいそうな程度の過失」があるとして、それを刑事で問うていいのか、という議論はしていかないといけないよな、と思う。医療は人間が行うものだから、無謬ではいられないわけで、明らかな誤りを犯している場合に問題になるのは当たり前であるにしても、少しでも過失があったら刑事罰を科してよいのか、については考えていいと思う。
罰を与えるだけが安全向上策じゃないし。あまり厳しく過失を問いすぎれば、過剰診療や診療拒否が多発することにもなりかねない。甘ければよいわけではないし厳しすぎればいいわけでもない、そのさじ加減。

三十日

桜のトンネルをくぐってバイクを走らせる。すっかり見ごろ。でも今年は花見をしている暇ないかも。
夜は久しぶりに同僚の先生方と食事に。研修に来ている同期が今日で終了ということで食べに行ったのだけれど、同期とわたしは定食を頼んで他の先生方はお酒。──まぁいいか。

三十一日

紹介状書き上げて病院出たのが十一時。遅っ。
これだけ遅いと何もできないよなぁ‥‥。


Written by Genesis
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