歳時記(diary):十二月の項

一日

‥‥え、もう師走ですか? 早いものだ‥‥(嘆)

最近入院患者が多くて把握が追いつかなくなりそう。大丈夫かっ>俺

二日

「RDG レッドデータガール」(荻原規子/角川書店)を読了。ヒロイン泉水子はこれまでの荻原ヒロインと違った気弱さで、彼女がこのままの性格なのかそれとも大化けするのか、今後に注目でしょうか。

三日

翌日に迫った総回診の準備しながら週末の病棟忘年会の出し物準備。内輪受けになりそうではあるがそれでもやるしかないかな。

循環器内科で担当中の透析患者さん。心筋梗塞起こして治療中に致死性不整脈の嵐で、記録表に書ききれないほど繰り返し出ては止まる。カウンターショック要員で医師が張り付いて抗不整脈薬を点滴しているがそれでもとまらない。
‥‥で、透析やれといわれましても。結果的にはマグネゾール静注したら大分止まり、そのあとカテーテルアブレーションを実施して、終わったのが午後九時。透析は明日実施することにしたけれども。
余談。マグネゾール使ったらと提案したのは自分で。循環器Drも気付かなかった選択肢を提案できたのはちょっと自慢。

四日

ふと知りあいの住所をgoogle mapに放り込んでみると、昔仕事した病院のすぐ近くにあることに気付く。
知り合いを診るのはなかなか精神的に疲れることではあるが、診られる方にとっては頼りやすい面と恥ずかしいという面が相半ばするようで。とりあえず、実際に診察する破目にならんでよかったと思ったり。

五日

日中必死で仕事して、夜忘年会。出し物もそれなりに受けて、ほっと胸をなで下ろした。
一年目の看護師さんたちが司会進行・幹事役で。なかに自前というロリータファッションの方が。──趣味を尋ねてみたいようなみたくないような。年末有明で会いたくはないし。

六日

朝寝。相方にThanks.
ひとしきり子どもと遊びながら「秘密-top secret-5」(清水玲子)読了。相方曰く「怖いので買わずにおこうと思った」シリーズだけれど、今回はそれほど、でも、ないかな? でもまあリアルに死体も殺人シーンも出てくるのでそーゆーのがダメな人や痛い話が駄目な人にはお勧めできないお話。絵はとても──凄絶なほど、綺麗ですが。

午後は当直バイトへ。途中の道のりで「蒼穹のファフナー」(冲方丁)読了。アニメもあるそうですがわたしはよく知りません。
羽佐間翔子の病気はポルフィリン症かな?と推測。いやこういう架空世界の"難病"に現実の病気を当てはめるのは無理なことが多いんですが、「疼痛発作を繰り返す」「肝障害」のふたつのキーワードから。

七日

前回の忙しさがあったのでややおびえながら当直入ったのだけれど、幸い前回程のことはなく。それでも自分でCT機械を回す破目にはなったが。

「いつまでもデブと思うなよ」(岡田斗司夫/新潮新書)が当直室にあったので読んでみる。前半での「見た目主義社会」の分析はうなずけるところも多くて、「よい悪いは別にして」現在の世相に「見た目主義」がかなり浸透していることがわかる。
肝心のダイエット法は、と言えば、ある意味では王道であり、ちょっと医学的な装いを施せば「行動療法」「認知療法」のバリエーションとしてとらえられるのではないかと思う。「太っている人は必ず何かしら太った状態を維持するための生活習慣を持っている」というのは、ダイエットに挑もうとする人が必ず持っているべき認識だと思うが、実はこの点をきちんと把握している人は意外に少ない。「わたしは太りそうなことは何一つしていないのに太ってしまう。これはきっと体質だ」「生活の中で変えられそうなことはない、それでも太っているのだから痩せるのは無理だ」そう自分で決めつけている患者さんは実はかなりいる。
一介の内科医としてはこういう認知のゆがみを治していくメソッドにはなじみが薄く。「まず記録してみて、すべてはそれから」というのも、悪くないと思えた。

八日

ひところの嵐のような入院続きがおさまり、少しは落ち着いて日々を過ごして。

九日

朝ラジオ「現場にアタック」なんぞ聞いていると「初期研修医の違法バイト」のニュースが聞こえてくる。コメンテーター氏が「初期研修制度の下で研修医の給与が低い」「医師は不足ではなくて偏在」などと語っているのを聞いて、ああものを知らないな、と。
歴史を遡れば、医学部卒業後の研修制度は戦後インターン制度→努力義務の研修(つまり野放し)→必修研修制度と変遷してきている。インターン制度は医学部卒業後インターンとして一年間臨床修練を行った上で国家試験を受けるという制度で、「学生でも医者でもない身分で位置づけが不明確、何をしていいのか、させていいのかわからない」「給与が出ない」などの問題点があり非難轟々であった制度。そこで掲げられていた要求が「身分・経済・教育」というトリアス要求だった。インターン制度を廃止はしたもののそのあとどのような研修をさせるのか決まらないまま国試合格後は医者として働いてよいことになり、「よく勉強しなさい」とだけ決まっていた状態が2003年まで続いた。
2004年に医師国家試験に合格した人から初期研修が必修化され、初期研修を了えていない医師が指導医なしで診療に当たってはいけないことになった。何しろ国が義務と決めたことであるためカリキュラムの整備や身分の保障はかなり進み、それまで月給三万円/社保なしなんて話が平気であった研修医の処遇の改善が進んだのはこの臨床研修制度の前向きな点だと思われる。一方で折からの医療費削減で厳しさを増す医療現場に研修医の教育という新しい仕事が増やされ、しかもこれまで戦力として使っていた研修医が制度の移行期で二年間来なくなったため、現場の疲弊が一気に進んだ。おまけにこれまで関連病院に医者を送っていた大学病院が自院での教育に人を充てるために関連病院から医者を引き上げて、ダブルパンチ・トリプルパンチに耐えられない関連病院では立ち去り型サボタージュと呼ばれるような退職・転職が増え、医療崩壊と呼ばれる状態になっているのだ。
‥‥さて、どこからが制度の責任か。給与は制度が変わってむしろ上向いたくらいだし、それでもなお低いとすればそれは補助金をきちんと出さない政府の責任が大きい。一人前に診療ができないから研修医であるわけで、研修医に生産性やら自分の給料分くらい働けなどと要求するのは筋違いもいいところだろう。現場の人不足はもともとあったのを研修医を戦力に使うという弥縫策でしのいでいたところそれが通用しなくなっただけのことで、政府の医師政策の誤りの結果でしかない。
もっともバイトしてた研修医や雇った病院は非難を受けるべきだけれどね。人手不足の代償を患者さんに回す行為だと思えるので。

初期研修医の待遇についてはレジナビあたりで探れる。最低額を掲載しているところと当直などの歩合給まで含めた最高額を載せているところとがあるようだが、収入の多い研修病院はおおむね地方で、規模もあまり大きくないところが多い。それでも定員に対する充足率はけして高くないようだ。まあ、多少給料が少なめでも勉強できるところに行く奴の方が圧倒的に多いだろうしね。

十日

本日入院の患者さんは適応障害があってお母さんが泊まり込みで付き添う由。検査もなかなか進まなそうでちょっとしんどそう。環境に慣れればある程度検査もできるらしいのだけれど。
慣れるまで待つ、ってなかなか難しくなっている昨今‥‥。

十一日

総回診を無事に終えたあと、夜は来年腎臓内科入局予定の研修医と飲み会。

帰ってみると透析医学会から認定医試験の合格通知が。いっしょにみかじめ料(違)の請求も来ている。‥‥払わないとなぁ。

十二日

夜、東京腎生検カンファレンスへ。有名な先生が多数姿を見せて、珍しい病態に対してマニアックなディスカッションを。ある意味ついていけない世界なのだけれど、面白くはある。次回もまた行こうっと。

行き帰りの電車で「とらドラ!」「人類は衰退しました3」を読了する。

十三日

救急日当直兼ねつつオンコール。臨時で透析も予定されていたのだがそちらはこともなく。
救急はぽち、ぽちと呼ばれ、大したことはなく。もっとも二次救急ばりばりのところからすると来院患者数が少ないので何とも。

十四日

夜半過ぎに来院したかたは熱も高くて基礎疾患も多く緊張したが、それほどでもなさそうなので外来管理へ。
朝方自分の受け持ち患者で呼ばれる。成因不明の急性心不全。とりあえず型通りに対応して、さてなんで起こしたかが問題に。よくわからないがとりあえず翌日精査、ということに。

十五日

午後内シャント手術に。一緒に入った三年目Drは内シャント手術は見るのも初めて、とのことだったが、事前学習熱心にしていて、見様見まねで何とか手術終了。もちろん脇で主治医が逐一指示してるんですが。
外科手術、というと手先の器用な人たちが神業を駆使して行うものというイメージが強いように思うが、術式というかたちで作法が定まっているものであり、定型的な手術はそれこそ手術書を読んだだけでもある程度できる。けれども定型的な術式通りに進めれば全員がうまく行くわけではなく、病変の個人差や手術部の状態から適宜術式を変更したり非定形的な手術を行ったりするところに外科医の腕がある。もちろん、常人には真似のできない手術法をこなす「神の手」外科医もいるのだが、神は遍在しないものでありまずは人の手でできることを覚える、しかなかったりする。

十六日

家に帰って寝ついた午前一時半、携帯電話が鳴る。患者急変とのことで病院にとって返す。
結局四時頃まであれこれ対応して、帰る気もせずに透析室のソファに倒れ込む。‥‥いるはずのないわたしを午前六時に呼ぶのはだあれ?(死) 別の患者さんの調子が悪いということで対応して、家に戻って朝食とって外勤に車で行く。
さすがにしんどかったので昼食とった後ちょっと昼寝した。帰りの車で居眠り運転しそうだったし。

十七日

調子の悪い患者さんはいるのだが、予定外のことは起きなかったのでわりと穏やかに回診準備も進む。
研修医に疲れがたまっている感じだし。

十八日

新生児ベッド(NICU)の増床により妊婦の受け入れ困難を減らすという方針が厚生労働省から出た由。悪くはないと思うが、NICUが何故満床になるのかの考察をもう少しした方がよいように思う。
NICUに入るのは未熟児や重い病気を抱えて生まれてきた子どもたち。単に未熟児だということでそのあとすくすくと育てばよい。人によってはなかなかよくならず、NICUのような充分に人手があり監視が行き届くところでなくては看きれない状態が続く。痰の吸引におむつの交換、食事代わりの栄養剤注入にエトセトラ。病状は安定していても、患者管理上NICUを要する患児のことを考えると、NICUにだけ目を向けるのでは不十分かと思う。小児の重症病棟にはしばしば退院できないという理由で長期入院している方がいて、そういった人が在宅療養できるような施策は必要でないかと思うのだ。

十九日

ルーチンワークで日が暮れる‥‥。
上の先生によれば、腎臓内科でここ何年かは年に数人死亡が出るかどうか、というところであったらしい。わたしが赴任してから数ヶ月ですでに片手で余るほどの死亡退院があり、どういうことなんだろうね、とか。

帰ってきてからパソコンで年賀状の版下を作る。

二十日

朝から車を飛ばしてIKEAに。久しぶりなんだがある意味変わりのない内装やら商品で。
面白そうと思って買ったのはイーゼル。表面にホワイトボード、裏面に黒板が作り付けられていて、子どものお絵描き用、というコンセプト。家でだしてみると早速マーカーでいたずら書きが始まって子どもはご満悦。

夜は忘年会。

二十一日

日中買い物して子どもを遊ばせて。わりとのんびり。

夜ふとTVをつけるとNHKスペシャルで「医師の偏在 どう解決する」というテーマで番組をやっていた。‥‥テーマ設定がとっても恣意的な気がするんですがどうかと。途中ちらっとみただけなのだけれど、奈良で脳外科が足りないって話をしていて、一番医者が多い奈良市周辺を取り上げて7ー8軒の病院にそれぞれ脳外科医がいるからそれを2軒くらいに集約すれば患者が受けられるとか話をしているのだけれど、それ以外の地域でどうなってるのよって話はすっ飛ばされており。まあきちんと疾病統計を作るところから対策を打ち始めたのは好感がもてるけど、穿った見方をすれば医者が少ない県南部なんかは医者を増やすしかないから、医師の配置替えで対応する方針を放棄したので偏在対策といってはTVにだせなかったんではないのかなぁ。
もっとも、疾病統計をきちんと作って何科の医者がどれだけ必要って計画は立てる必要があると思う。内科学会「総合内科専門医」の医師像と適正な医師数を掲げているが、各学会は専門医の必要数を呈示すべきだと思うし、行政も医師政策として地域に必要な医師の配置をもう少し考慮すべきではないかと思う。

二十二日

緊急入院一人入ったけれども他は落ち着いており、よきかな。
しかし、朝の温かさに比べて夜の冷え込むこと。

二十三日

朝ゆっくり起きて、相方を送りだす。お子様二人を面倒見る日。近所の公園に連れだして、遊ばせてメシを食わせて。隙を見つつ「ARIEL05」と「時の"風"に吹かれて」を読み進める。
「声に出して読みたい事件」が短いけど大好き。

二十四日

比較的穏やかに日が過ぎる。予定通りに過ぎるだけでかなり落ち着いた感じ。

二十五日

もうすぐ一歳になる妹のテーブルマナーを注意する兄(二歳十ヶ月)という微笑ましい光景を見つつ出勤。自分の都合の悪いことは認めようとしなかったり、なかなか知恵がついてきて面白い。

二十六日

小熊さんとこ経由で「裁きたくない」という趣旨の主張を読む。
好むと好まざるとにかかわらず人間に対する判断をすることを日々の仕事にしている身としてはなんだか「嫌いなことはしたくない」という以上の主張を感じることはできず。「わたしはやりたくないから誰かほかの人にやってもらって」という以上の意見ではないと思った。
特に元教員という人に対しては、過去にその人がつけた内申点やら成績やらが多くの人の人生を左右したであろうことを考えると、何をいまさらという観がぬぐえない。
職業裁判官が世間の一般的な感覚から遊離した判断を下すことがあったり、法解釈にとらわれてシンプルに事実認定ができなかったりすることがあるのではという反省を踏まえて裁判員制度が出てきたとわたしは解釈している。テレビを見ながら「こんな悪いことをしたやつは死刑にしてしまえ」とか「こんなに重い刑を下すなんて、もう少し温情を持ったほうが」などと口に出していた人は皆裁判員としての資格は十分だと思う。
裁かなくともよい。事実がどこにあるかを感じ取ろうとする姿勢があればいいのだと思うのだが。

二十七日

休日。お弁当持ってお出かけして、博物館で子どもと戯れる。まだちょっと興味を抱くには早い歳だとは思ったけれど、まあいいか。ちなみに一番関心を引いていたのはミュージアムショップのおもちゃ。(滅)

「西の魔女が死んだ」DVDをレンタルしてきて半分ほどまで視聴。割と良い雰囲気なのだが、音量がえらく小さいのはどういう仕様なのだろう。

二十八日

ふと過去記事をたどってジャーナリスト同盟通信を読む。相変わらずすさまじいまでの思いこみの 強さで。
医者が大量に死ななければ医師不足にならないはずとか、誤嚥のリスクがあっても経口摂取させるとか、強ミノには副作用がないとか。(この辺をみると、けして多いわけではないがちゃんと副作用については書いてある)
過去記事を読み込んでいくと、困難な病気の場合には診断について患者に告知しないでほしいとか、インフォームドチョイスを否定するようなことを平気で書いている。‥‥悪い話は聞きたくない、いい話だけ聞きたい、もちろん治療も悪いことなしでよいことだけもらいたいってのはムリだって。
真面目な話、胃瘻とか気管切開とか、見た目の変化がある処置については、必要性はある程度理解しつつも感情的な受け入れができずに造設の了承をいただくのに時間がかかったりする。嚥下障害がある方には誤嚥リスクが減るから胃瘻をお勧めするし、気管内挿管が長引いた方は気管切開にする方が感染を起こしにくくなってよいくらいなのだが、医療者も含めてなかなかそれを提示しにくいという意見はあるのだ。

二十九日

諸般の事情で上の子ども連れて有明を訪れる。人の多さにおびえたのか素直にベビーカーに乗っていてくれたのでまだましだったのだがそれでも充分に歩けない。Studio MaruanのMac漫画だけ拾って救護室に挨拶して帰ってきた。
帰りに新宿駅で乗り換えをしたのだが、山手線ホームはエレベーターもなくベビーカー押してる人間には非常に辛く。ゆっくり階段を降りていたら見知らぬ人が手伝いを申し出てくれた。

三十日

朝から実家で餅つき。兄妹三人の家族が大集合するため子どもも六人で大騒ぎ。比較してみるとまあ行動もそれぞれで遠くから見る分には面白くはある。
どういう風の吹き回しか、母上が知り合いに注連飾り作りの講習を依頼していたらしく、午後には藁束と格闘する破目になる。おかげでまだ買ってなかった注連飾りを用意することはできましたが。

三十一日

「空の中」(有川浩/角川文庫)を読了。巻末の新井素子さんの解説通り、面白い。「図書館戦争」シリーズもよかったけれども、魅力的な謎から引き込まれ、ファーストコンタクトものとも言えるような相互理解の過程や人間社会の中での対立などもよく描かれていると思った。

年の暮れは年越し蕎麦を食べて、「年の始めはさだまさし」を観て。「大晦日」を聞きながら、来年はいい年になりますようにと念じる。


Written by Genesis
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