歳時記(diary):九月の項

一日

久しぶりに土曜休み。朝寝を決め込みたかったのだが子どもが起きて騒ぐのでそうも行かず。昼寝はしたけど‥‥。
子どもの発疹を診てもらいにかかりつけの小児科の先生のところへ。待合で待っていたら目に留まったのはSICKOのポスター。ううむ、意外なところまで広がっている‥‥。

二日

当直明けて、日直の先生へ引き継ぎ。──一人待てど暮せどやって来ない。「おかしーなー」と思いつつ電話をかけてみると当人が出る。
「今日、日直だよ?」
「え゛?」
ホンキで忘れ去っていたらしい。結局遅刻してやってきたのだが。その間お留守番。

夕方、近所の河川敷の公園で子どもを放し飼い(違)にしてみる。どうも車道に寄っていく癖があるので車通りがあるところだとちっとも目を離せない。
ぱたぱたと探検している子どもを眺めながらベンチでのんびり。安心して子どもを遊ばせられる場所って親にとって重要だなーと思う。

三日

「『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』観に行きます?」とかって素で聞いてくる看護師さんがいる職場ってどうよと思ったりする夕方。ちなみに彼女は人サイズ初号機だったら部屋に飾っといてもいいかもとか言ってたのでかなりシンクロ率高そう。
彼氏からは「やめろよそんなの、趣味悪ぃ」とかいわれてるらしいのだが、そういう彼氏はガンダムヲタらしい。──どっちもどっちじゃん。

四日

人づてに聞いてとあるブログを読む。ホンキで一件たりとも救急車を断らない救急診療をしている病院があるとしたら、むしろわたしはかかりたくないかな、と思う。行ったら「すいません、救急車の診察待ちの患者さんが十人いますので、順番になります」とか言われそう。重症そうな症状ならば先に診てもらえるかもしれないが、逆に軽症だろうと判断されてしまうといつまでたっても順番が回ってこなかったり、待っているうちに調子が悪くなったり。
それでも診てもらえないよりはましなんだろうけれど、殺到する救急患者を高い診療レベルで診つづけることの難しさってあると思う。診療レベルを維持できないくらい患者が殺到したときに、「これ以上は診られません」と言うことは、診ると約束した患者さんへの責任なのではないかと思うのだが。
患者が殺到して「これ以上診られません」と医療機関が音を上げることを認めないのは、医療レベルを落とす→医療事故を増やすことにつながると思うのだが、どうだろう。

五日

朝方患者急変で早め出勤。色々忙殺される。
「予想できないから、急変っていうんですよ」と、呟いてみたり。

六日

休みを控えて、処理案件が積み上がる。休日出勤しないといけなそう‥‥。レセプトも残ってるし。

七日

夜、子どもと一緒にお散歩。街灯でできる影を嬉しそうに追いかけるのは成長してきたからなんだろうな。
あとは車道に飛び出さないでくれれば。──しばらく無理か。

八日

休日。なのに出勤してるのは何でだとかいう声が聞こえるのはきっと気のせいだろう。

Macintoshでのメーラーとしては長くmnewsを使ってきたのだが、起動時の待ち時間が長いのが最近つとに気になっており。他の選択肢を考え始めた。
MH形式で管理できる方が好みなのだが、そうするとEmacsの上でMewとかそういうUNIXライクな選択肢しか残っていない‥‥。とりあえず今日はCarbon Emacsパッケージをダウンロードしてきて入替え。それに伴ってSKKの入替えも必要になったので、最新版をダウンロードしてきてインストールする。Carbon Emacsをコマンドラインから起動するときは"/Applications/Emacs.app/Contents/MacOS/Emacs"とタイプしないといけないらしい。SKKのインストール時にemacsの位置を指示するのにつまづいてしまった。

九日

ご挨拶とかお買い物とか。だらだら〜。
デジカメ購入が懸案だったのだけれど、Canon Kiss Digital Xをレンズ2本付きで購入。

夜少しだけMewの設定。公式ページの設定に沿って.emacs書いて.mew書いて。──でも何故かメールフォルダの設定でつまづく。これまでMH形式で保存してきたから設定ちゃんとできていればすぐに過去のメールが読めると思いきや、どう書いてみてもうまく表示されない。あきらめてデフォルト値の~/Mail/以下に過去メールを移す方針にして、就寝。

十日

自宅の外壁塗装工事が始まる。足場組みの音を聞きながらMewの設定。あれやこれやといじりながら、なんとかメールフォルダのメールを読んで返事を送信するところまでこぎ着ける。あとは(実は複数アドレス使用しているので)返事の送信先が変えられるようにmew-config-alistの設定、か。

「数学ガール」読了。とっても昔、数学の話題で女の子と話ができた時代を思い出しました。
今も数学に負けず劣らずとっかかりの掴みにくい問題を日々解いているのだけれど、考えつづけること、筋道を立てて考えること、具体的な事例に戻して考えることなどは、共通して大事なこと、かもしれない。

十一日

窓周りなど、家の中からの作業の日。出かけるわけにもいかず、一日家に。というわけで、Mewの設定の追加をしたりなんだり。fetchmailでメール読み込んでbsfilterでspamの仕分け、Mewで読んで返事を書くところまで一通り設定する。細かくいじりたいところもあるけれど、それは追々、ということで。あとは操作を憶えないと(ぉぃ

十二日

CELLの表紙に荒木飛呂彦氏の絵が採用されたそうな。生物学関係では超一流の雑誌なのだが、面白いことをする。
なんだかんだ言いつつ、日本の研究者ってSFとか漫画からいろんな意味で影響受けてるひとが多いのだろうな。ときどきそこからぶっとんだ発想も出てきてるんだろうと思うけれど。

相方とお出かけ。SICKOを観るつもりで映画館行ったら上映開始に遅れてしまったので、予定変更してHEROを。ドラマは全然観てなかったけれど、筋もわかったし楽しめた。目指せ第二の「踊る大捜査線」なのかな。

十三日

仕事に戻る。相変わらずな日々に。──この方が落ち着くような気がするのは幸福なのか不幸なのか。

十四日

外来は初診の方が多く。初診の人・非特異的な症候の訴えがメインの人の対応は難しいけれども考えることが多くて面白くもある。
時間に追われさえしなければ楽しいものなのだけれど。

十五日

昼過ぎ、ICUで看護婦さんと人工呼吸器をつけた患者さんのことでぶつぶつと。
何年もかけてゆっくりと進行する病気が分かっている方。でもわかったのはつい最近で、対応を迫られているうちに病状が悪化して人工呼吸器管理に。装着したら外せない、そんな状況に追い込まれて、この先どうやって看ていくのかと家族も悩んでいる云々。
正解のない問題で、どれが正しいとはいいきれない問題なのだけれど、最近思うのは「模範解答くらいあってもいいんじゃないか」ってこと。もっといえば、何を頭において考える必要があるかとか、これこれの条件に当てはまる人はこうするのがお勧めとか、示してもいいと思うのだ。
日本においては本人の同意のみで治療を行う(もしくは行わない)ことは社会的に容認されづらい状況がある(過去日記参照)と思う。一方で判断を求められた家族などにしても、判断の重たさに思考停止したり感情に流されて後悔したりすることはいくらでもある。そういったことを減らすために、「人工呼吸器をつけますか?」という答えづらい質問ではなく、「人工呼吸器をつけることには苦痛が伴います。」「装着したら外せず、そのままの状態で介護を続けなければならない可能性があります」「苦痛緩和と人工呼吸器装着は別の問題です」などを話した上で「患者の苦痛があっても、生きて病気と闘って欲しいのか」「命はとりとめても人工呼吸器は外せないかもしれない、それでも"家族で"看病を続けていくつもりがあるか」というようなといかけを、するべきではないかと思うのだが。

十六日

待機当番しながら家事を少々。ま、昼寝もしたけどね。
庭の片隅に積み上がっている枝払いの残がい。片づけするには時間がかかるのでしばらく放置しているのだけれど‥‥その間に分解が進んでくれないかな‥‥。

十七日

透析当番で朝から出勤。敬老の日は病院の老人たちに奉仕する日なのです(違)。

十八日

月曜祝日で火曜日出勤すると、月曜日のような錯覚に陥ることってありませんか? わたしはありますが。

昼前からばたばたと色々起きてきた所為で、昼飯を食い損ねた‥‥。

十九日

蒲団に入って熟睡に入っていた0130に電話が鳴る。昨夜入院した患者さんに透析実施が必要とのお話。
──いや、入院した時点で透析した方がいいってのはわかってたんですが、本人断固拒否ということで経過観察になり。夜になって苦しさが増して透析開始に同意した由。翌朝まで待てる病状じゃないのはわかってたのですぐ病院行って緊急透析。
人間なかなか簡単に覚悟できるもんじゃないとは思いますが。でもある意味予想できた展開にちょっと溜息。

二十日

夜当直。比較的落ち着いていた、かな。

二十一日

最近リタリンの不正な処方に対し医療機関への立ち入り検査などの報道が続いている。発売元のノバルティスは「うつ病」の適応削除に向けて動き出したとのこと。
穿った見方をすると、発売元が適応削除に向けて動き出したので医療機関への手入れもしやすくなったのかもしれないと思ってしまう。つか、リタリンの適応にうつ病が入ってるのは日本だけってことで、そもそも適応としてよろしくなかったんじゃないかと思うし、合法ドラッグとして売られていることは知ってたはずだから、もっと早くに適応削除できたんじゃないかと思う。
日本では保険診療の範囲内では薬の処方は病名がなければしてはならないことになっていて、たとえば今後はリタリンは「ナルコレプシー」と診断されている人にしか出せないことになる。しかし、自費診療ではこの制限が有効とは思えない(保険でのチェックはかからない)し、診断がほんとにきちんと行われているかをチェックすることができるほどこの国は保険審査の体制がよくない。
ついでに言うとリタリンの他の適応としてADHDがありアメリカなどではかなり使われているのだが、日本では保険適応がないために使ってはならないことになる。製薬メーカーとしては保険適応を追加するには有効性・安全性を示す資料を作成して許可をもらわなければならず、その労力が得られる利益に見合わないと判断されればメーカーが適応を取らないがために有効な薬が使いづらい、ということも発生する。有名なのがアスピリンの適応症としての狭心症や脳梗塞、だろうか。いろいろ難しいんだよね。

二十二日

夜帰ってきて「ブロードキャスター」を観ていると、特集で医療崩壊を取り上げていた。医師当直勤務の様子など取り上げていて、そこはわりとよくできていたと思う。
しかしコメンテーターは今一つ。VTRで発言していた油井香代子氏(医療ジャーナリスト)は「原因は新臨床研修制度」と、かなり表層的な分析の発言をしていたし、早稲田大教授というスタジオのコメンテーターは「研修医の二割は眼科志望」とか発言していたが、厚生労働省の「臨床研修に関する調査」最終報告では眼科を志望したいと返答したのは4%にとどまる。皮膚科・耳鼻科・放射線科の「当直なしが多い」科を合計しても13%程度で、この人が何を根拠にこの発言をしたのか是非とも教えていただきたいものだ。

二十三日

朝からお子様の相手。お散歩させていると同僚の先生が犬散歩させているのに出会ったり。(職場から遠いところに住んでるとそれだけで負荷が増すので、結構病院近くに住んでる医者は多いです)

買ったばかりのデジカメの慣らし運転もし。主には相方に使い方を憶えさせる。まぁシャッター押せばピントも勝手に合ってそれなりの写真が撮れるんだけれど。

二十四日

昼食を少し張り込んでリストランテ大澤へ。古い日本庭園とイタリアンのお店。雰囲気通りお値段は張ったけれど、それなりに満足。

Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』。んー、買っとくべきかねぇ。ネタとしては好きな部類に属するのだが。
アニメ「AIR」見終って、AIRとかONEとかやり直してみたいような気もするしそんな時間ねぇって現実はあるし。

二十五日

二週連続で月曜日が祝日ってことで、火曜日が忙しい。週末の間に溜まったタスクを処理しているうちに火曜日の固定タスクも押し寄せてくる。
んで、来週は月曜日平常営業だけどその翌週はまた月曜祝日なんだな。毎週月曜日の予約外来とか、どうしてるんだろ。

二十六日

布団に入って熟睡しかけた深更、電話が鳴る。担当患者がいよいよ危なそうとの連絡。病院取って返してお看取り。
そこまでやらんでも、って意見もありうるとは思うのだが、担当した患者さんの最後の幕引きを人に任せるのはどうかと思ってしまうので自分でやる。その方が自分が納得できるから、と言ったほうがいいかもしれない。

でもまぁ、綺麗事言いつつやっぱり疲れるのだが。早朝に帰ってきたわたしを狙うかのようにじゃれついてくるお子様。頼む、寝かせてくれ‥‥。

二十七日

リタリン過剰処方への対応の報道が続いている。リタリン依存症の支援団体が厚生労働省に要望書を出したそうなのだが、その後の記者会見で「日本の精神医療は、薬物に頼り過ぎている。医師の『薬物依存』がリタリン問題の背景にあるのではないか」と発言した由。
──えーと、少なくともうつ病の治療に薬剤が大きな役割を果たしていることは明らかで、どの精神医学の教科書を見ても第一選択は薬剤、ってことになってますが。精神疾患の治療一般に広げても、薬剤は欠かせないものであるのは確かなはず。他の治療法としては認知療法や行動療法などの精神療法があるが、薬物との組合わせで使う方が効果が高い、とされている。
まぁ確かに精神科の外来自体が十分に時間をかけたものになっていない、といわれたらその通りだ。理由は明白で、何しろ医者が足りない。おまけに一人当たりに十分時間をかけることに診療報酬上のメリットが乏しい。精神科の外来に一度受診した場合、一人の患者からは通院精神療法として330点(診療所では360点)が算定できる。週一回までで、月に四回。一回あたりの時間制限はなし(初診時のみ三十分以上診察しないと算定できない)。1点は10円だから、一回の受診で精神科医は3300円の報酬を受け取る仕組み。通院精神療法を算定した場合は、同じ日に標準型精神分析療法や、心身医学療法が算定できる自律訓練法や森田療法等の療法を併せて行った場合でも通院精神療法のみの算定となる。他に集団精神療法(1回10人まで・270点 ただし開始日から6ヶ月以内で週2回迄)・標準化精神分析療法(1回390点・1回45分以上)などが実施できる。(この辺の保険点数の解説はe-らぽ〜る参照)
医者の数がたくさんいれば、一人の患者に何度も面接して各種精神療法を時間をかけて行っていくこともできるだろうけれども、たくさんの患者が精神科外来に押し寄せている現状ではどうだろう。時間の制限のない通院精神療法をたくさんの患者から算定するのが賢いやり方とならないだろうか。一人当たりにゆっくり時間をかけられない中で治療効果をあげるには、薬剤に頼るしかないのではないだろうか。不適切に薬剤を使う医師は断罪されるべきだが、薬物に頼った精神医療を批判するならばまずそう仕向けてきた背景を批判しなければならないのではないだろうか。

いや、一人当たりの患者に時間かけすぎで赤字の外来やってる言い訳で書いてるわけじゃないよ?(自爆)

二十八日

夜、若手医師の発表会に向けての予演会。つーても学会形式での発表が初めての一年目も含めての話なので、お作法やらお約束まで含めての一大突っ込み大会と化す。──疲れた。

二十九日

この日記を書いている裏でFinkでのemacs-w3mインストールが動いている。Carbon Emacsを別に入れてしまっているけれど、ちゃんと動くようになるかなぁ。

三十日

日中往診対応当番。これまで比較的平穏だったのだけれど、今日は三件も相談があり。
在宅介護って、ある意味死を受け入れるまでの殯の期間ではないか、ふとそんなことを思った。体が弱り、病を抱え、他人の介助を受けなければ生きられなくなった姿を見守り、みずから世話し、やがて来る死の時を迎える期間。実際にそうなるかどうかは本人と介護者と医療者の関係による、とは思うのだけれど。

依存がややこしいUNIXアプリケーションをインストールするのに、Finkなどでインストールできる環境だけ作っておいて、本体は普通にconfigure〜make〜make installしてしまうというのは一つの手かもしれないとふと思った。
いや、emacs-w3mをその手でやってみようとしたんですが今のところあまりうまくいってないんですがね。


Written by Genesis
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