歳時記(diary):十月の項

一日

相方としゃべっているときに相方の友人から電話。無事出産したとの報。
電話の間に「親孝行だね〜」といっていたので何のことかと聞いたら、十月から出産一時金が増額されているとの由。なるほど、そりゃあ親孝行だ。(笑)
それを知っていて「なんとか十月に入ってから出産になりませんか」とか言ってくる人がいたのかも。

二日

朝の新聞の訃報欄で米沢代表の訃報を聞く。年齢的にはまだ早い、と思うのだが。トレードマークの一つでもあったタバコかなあ、やっぱり。
もちろんスタッフとして代表に会うこともあったけれど、一番思い出深いのはコミケットスペシャル。一参加者としてコミケットを楽しんでいた姿が一番、だろうか。

三日

診療所の透析外来の日。
ここに九十八歳で透析を続けているおばあちゃんがいる。あまり視力もよくないのだけれど耳はしっかりしていて、わたしが話しかけると笑顔で返事をしてくれる。目指せ白寿、なのだそうだ。
年齢だけで人ははかれないなと思うのはこんなとき。このおばあちゃんよりもっと元気のない七十歳もいるし、矍鑠とした百歳もいる。「もう年だから‥‥」と言っていいのかどうか。

四日

腎移植に絡んで「臓器売買」事件が発生したということで揺れている。
移植を受けた患者さんは糖尿病性腎症だったようだが、「糖尿病性腎症の患者さんに移植ってできるの?」と聞かれた。
医学的にはYesだが、献腎移植の場合は年齢が進んでいることが多いこと、腎臓以外の合併症が多いことなどからほかの患者さんを優先するケースが多いのではないかと思う。インスリンが出なくなってしまう1型糖尿病でなく、2型糖尿病で腎移植を要するとすれば、中高年になっていることが多いし、動脈硬化も進んでいることが多い。ただでさえ足りていない移植のドナー、できるだけ全身状態のいい人に優先的にまわってしまうのはやむを得ないこととは思う。このかたの場合には生体腎移植であったので移植が受けられたのだと思う。

「ドナーを増やす」ってのは「誰かを犠牲にする」ってことと同義といえる。純医学的に言えば、脳死状態と判定されたところから回復することはないと(少なくとも現在の医学においては)されているわけなので、一律に脳死ならば移植にまわすと決めても「助かる可能性がある人を犠牲にする」というわけではない。けれど「まだ心臓は動いているのに」という思いを抱く人はたくさんいて、その気持ちを押しつぶす形でしか、脳死移植はできない。
一つの解決策は、現状では「脳死臓器移植に同意する」と表明している人からしか移植はできないけれど、逆に「脳死臓器移植に不同意である」と表明していない脳死患者はすべて脳死臓器移植のドナーとするようなルールにする手だろうか。脳死臓器移植に反対する人は、ドナー拒否の意思表明をしておけばいい。賛成の人は何もしなくていいし、考えが特にない人は賛成と見なしてドナーの対象になる。

四日

「サラマンダー殲滅」(梶尾真治/ソノラマ文庫)再読。
異形で、迫力があって、哀しい、そんなお話。けして暗くはないが切ないエンディング。よくできた物語だと思う。

五日

当直。
外は台風並の雨風で。こういうときはそれほど数は来ない。でも、喘息とかそこそこ来る。

六日

朝方救急外来が混雑して、午前外来が始まる時間迄に引き継ぎできなかった‥‥。

七日

透析は嫌だとごねる認知症の患者さんに一苦労。二進も三進も行かないとはこんな感じかなぁ。(嘆息)

八日

二日続けて晴れなのでまぁいいだろうと窓枠のペンキ塗り再び。しかし、強風にあおられて危なっかしいので早々に撤退。
‥‥日記書きながら、マスキング外し忘れていることに気づいた‥‥。

NANACA†CRASHにはまってみる。シンプルなところが好き。

九日

祝日。透析当番のため出勤。
透析室も大分落ち着いてきたところで、緊急手術をしているらしいと聞いて手術室へ様子窺いに。血液浄化療法の適応はないだろうとの話を聞いたあとで。
「どこで聞いてきたの?」「いやICUで。──別ににおいで嗅ぎつけたとかいうんじゃないですよ」
とかって会話を交わしてきた。

十日

暗いところで待ち合わせ」映画化、らしい。
相方に話したら「ホラー仕立てだったら観に行かない」と言われたのだけれど。乙一さんの作品確かにホラー系統いくつもあるけれど、切なさが勝っている作品が多いと思うんだけれどなぁ。
ホラーで切ない、っていうと「しあわせは子猫のかたち」がいっとう最初に思い浮かぶ。これも映像にはしにくい作品と思う。‥‥けっこう「見えない」という状況下で成立しているストーリー、あるのかもしれない。

十一日

来週末症例発表をするのに手を付けないといけなくて、少しずつ書き始めている。どっちかっていうと内輪向けなので、あんまり気合いが入ってなかったりして。あんまりよくないことなんだけど。

十二日

夜会議で都内にでる。道すがらで本でも読もうかと思っていたのだけれど、結局同道の人と喋って時間がつぶれる。まぁいいか。
家でも落ち着いて本が読めるわけじゃないので、最近すっかり読書量がへってしまって。

十三日

夜、症例発表会の予演会。研修医一年目の諸君の発表にいろいろとアラ探し教育的指導を加える。
手堅くまとめている人、傍からでは論旨がわかりにくい人などなど。さて、さらにブラッシュアップしてくれい。

十四日

庭の草木の手入れ。邪魔な枝をざくざく切っていたら、おそらくメスと思われるカマキリが顔を出す。お腹大きいし、きっと産卵前だなあとか思いながら手近な木の枝に放してやった。

なんかご指名があったようで
「軽症で救急車を呼ぶな」ってキャンペーンを張ると、控えめな人だけが重症度を低く見積もって呼ばなくなるって悪循環はある気がするので、難しい問題があると思います。有料化にしても、病人はしばしば貧乏人なのでやはり受療を押さえ込む方向に働きそうです。トリアージにしても、電話でのトリアージや救急隊員が見てのトリアージには不正確なところが多いのが実感なので、「トリアージが不正確だったために治療が遅れた」とかって訴えが発生したときにどうするのか、って考えると、現在の制度は無難、といえる気がします。
「救急車で来る軽症もいれば、歩いてくる重症もいる」ってのは救急室の心得の一つですから、現状すでにそうなのに、そこにさらに不正確なトリアージを加えてもいいことないように思います。
それに、救急車を利用するかどうかは重症度だけでは決まらないと思うんですよ。たとえば喘息とか、呼吸困難が強いなら酸素を吸った方がいい場合があります。結果的に大したことはなくて入院不要であったとしても、酸素を吸って呼吸が楽になることで更なる悪化が防げるってケースもあります。結果からみて「軽症だったから救急車は不要だった」って議論はどうなのでしょうか。健康を守る、ってことを目指すならば、真に救急車を要する人が変な遠慮をしないように、間口は広くあけておく方がいいのではないかと思います。コスト削減をめざすなら間口はできるだけ閉めた方がいいのだけれども。
どっちかっていうと、救急隊が出動してから到着、収容して搬送を終え、次の業務に移れるまでの時間(仮に総出動時間とでも呼びましょうか)の削減をやった方がいいのではないかと。結構、収容したあと搬送先を決めるのに苦労してますから。高齢者とか重症者とか泥酔者とか、受け入れ病院がなかなか決まらない時間はかなりあるはずです。わたしの勤務先は多摩地域ですが、夜中など、時に二十三区内から問い合わせが来ることがあります。来るのに一時間位かかるはずなのに。その間その救急車は別の方のところへは行けないわけで、治療も遅れるしよいことはないわけです。もっとも、それをやろうとすると救急医療体制全般の拡充が必要になるのですが。

十五日

昨日録画しておいた「交渉人 真下正義」を視聴。とりあえず気楽に観られるのがよいですね。
それから「攻殻機動隊」のDVDもみて。

だらだらしたあと、当直へ出発。

十六日

本日日中は休暇をとる。チケットは手に入れていたものの観に行けていなかった「ゲド戦記」を観に。
出来としては悪くないかと。チケット代分は楽しみました。けどまぁ、終わって思ったことは「この作品は『ゲド戦記』ではなく、ゲドに触発されたオリジナルとした方がよかったんじゃないか」ってことだったり。なまじっか「ゲド戦記」ってタイトルをつけたがために起きた批判ってあったと思うし。「影との闘い」とか「真の名」とかの設定は、ゲド戦記に特有のものというわけではないから、もっとオリジナル色を強めて作った方がよかったんじゃないか、そんな気がした。

十七日

先日の件に追加。
救急車は「必要だと思った人が呼ぶ」ものなので、出動件数を減らそうとすると「呼ばれたけれど出動しないでいい基準を作る」か「呼ぶ側が呼ぶ気をなくす」ようにする必要がある。ただ、電話のやり取りで得た情報を元に「出動の必要なし」と判断するのが難しいのはすでに述べた通りで、呼ぶ気をなくすような対策といえば医療電話相談みたいなものを新たに開設してそこが相談窓口になるとか、啓発運動とか有料化とかになる。
一方で消防隊員もたしか定員に充足してなかったと記憶している。これは増やしてよいのではないだろうか。わたし自身は緊急時に医療機関へのアクセスが悪くなることは予後の悪化を招くと思うので、救急車呼ぶな運動を勧める気にはあまりなれない。救急車呼ばずに対処できるやり方は患者さんごとに教育しますけど。
不急の医療相談はそれ用の窓口を作っていいと思うのだけれど、「早くかからないといけないと思った」人─つまり救急車で運んで欲しくて119番にかける人を減らすのは、呼ぶ側のことを考えると現実不可能ではないだろうか? 
とすると残るのは費用負担の問題で、こいつは予算として議論してもらうしかないが──何とかなるのと違うか? ミサイル防衛だとか関西空港の二期工事だとか東京オリンピックだとか、そんなものをとめれば簡単に出てくる程度のお金だ。

十八日

週末の発表の準備に取り組む。
ネタはそれほど珍しいってものでもないのだけれど、当院の疾患分布を見ていると、なんか偏りを感じることがあって、その辺りも含めての考察をする予定。
有病率とか疾患分布って難しいところがあって。「じつはきちんと調べられてないだけじゃないの?」ってところがあるから。調査が行き届けばかなりありふれた病気とわかったりすることはある。

十九日

腎生検の予定であったのだが、直前のCTで腫瘍疑いが出てきたため急遽中止に。まずは腫瘍精査を行ってからの方針に切り替え。
待機的な検査で、急ぐ必要はないだけに、後顧の憂いなく実施したいということなのだけれど、患者さんにとってみるとどうなのかな。さいわい今回はすんなり納得して頂けた。

二十日

「日本も核武装を検討」って‥‥。「検討」発言が出る時点で、ウラではそれなりの検討が進んでいるって見るのが妥当なんじゃなかろうか。持つ気が少しでもあるから、検討が始まると見るのが普通だろうな。
どれだけ検討したとしても結論が決まっていると判断するならば、はなから検討している素振りを見せない方が対外的にはいいと思うのだが。

二十一日

昼過ぎから内輪の学術発表会。運営側ということでのんびり楽しめないところはあったのだけれど、とりあえずつつがなく終わったのでほっと。
記念講演で感染症科専門の先生をお招きしたのだけれど、間口が広くて普遍的にみられる疾患で、いい加減にやっても治る軽症例から専門知識を要する重症例まであるというあたり、感染症は甘くみられやすくてその結果被害を被っている患者さんがいる分野なのではないかな、と思った。

二十二日

たまの休み、ということでとりあえずだらだらする。(ぉぃ
あとは「攻殻機動隊」観た。

二十三日

少し患者さんが減る。ここんとこしんどい感じだったのですこうし余裕が。

二十四日

高校で、必修の課目を授業せずに書類上の操作で履修したことにしようとしてたこ とが発覚したところがあるとか。続報を見るとなんだかあちこちに飛び火しそうな気配。
うーん、高校三年生時代「ドイツ語」とか「コンピューターで物理」とか「時事英語」とかって科目を取っていた人間としてはあきれるしかないかなぁと。あ、ちなみに某都立の普通科高校卒です、念のため。
受験戦争を勝ち抜くターミネーターを養成する場所としてはそりゃあ受験で使わない科目なんて無駄無駄無駄ぁぁぁてなもんでしょうけれど、そこに「人格の形成」って理念は感じられませんな。しかも、実際に受けている高校生の側ではなくて、カリキュラム組んでいる側がそれをやっていたという辺りが。
まぁ、受験学力の養成としてはムダが多かったと思うわたしの母校のカリキュラムですが、あとあとまで懐かしく思い出せるってそのひとことだけでも、それなりの意味があったんではないかと思っています。

二十五日

子どもを日中保育園に預けるようになったのだけれど、やっぱり相方の疲労度が違うよ うで。子どもが大きくなったのももちろんあるけれど、手を離して一休みできることが大きいように思う。
仕事を始める前の段階で預け始められたので、現在は仕事探しや家事をゆっくりできる状態。もちろんそれなりの出費はあるのだけれど、出費分のメリットはあると思える。無条件でこどもを預けられるような場所を造らないと、育児疲れが蔓延するんじゃないかなと思ったりする。

二十六日

「高飛びレイク」(火浦功/ソノラマノベルズ)読了。コミケットカタログみたいに分厚い新書だったのはどうにかならなかったかと思ったり。
出たらとりあえず確保しとかないといけない気になる作家なんですが‥‥シリーズものたちは果たして完結するのだろうか?とりあえずガルディーン。

二十七日

ふと耳に入った会話。「最近ひまひま星人でさ〜」
‥‥思わずきゅぴーんとか耳が立ってしまったんですがダメでしょうか。

二十八日

mixi経由で深夜プラスONEを見つけて読む。‥‥ネタが濃ゆい。同じページの中の「四葉でも分かるパレスティナ紛争」とか読んでみると裏事情の多さにめまいがする。歴史の教科書に書きやすい歴史の国ってないもんだろうか。
「深夜プラスワン」って小説もあるのをぐぐって知る。探すとネタがどんどん増えそう。全部わかるのが幸せかどうかわからないけど。

二十九日

当直明けで車運転する。ちょっと遠出したら途中で集中力が切れだしているのが自分で分かる感じ。帰りは事故りそうな気がしたので相方に替わってもらった。
飲酒運転はもちろん道路交通法で禁止されているんだが、その次の条文で過労運転も禁止されている。基準がよく分からないのだけれど。

飲酒運転への風当たりが強まっているけれど、その中には夜お酒を飲んで、朝運転していたらまだ残っていたために酒気帯びとして検挙、という事例が少なからず報道されていて。
一般向けのアルコール濃度検知器ってあるのかな?と思ってぐぐってみると、結構あるようで。自分でも今度買っておこうと思う。わたし自身はあまり飲まないのだけれど、飲んで寝てたら病院から呼びだし、みたいなことも時にあるしね。

三十日

早く帰れそうかな?と思うと緊急透析が入って遅くなる。時間をかけて勝負なのでねぇ‥‥。

三十一日

つくばへ出張。初めてTXに乗る。一番最初の予定ではわたしが大学在学中には完成していたはずだったんだなぁ‥‥とか思うと感慨深く。結局大学卒業しても開業しなかったってブツですが。

道中で「夜のピクニック」(恩田陸/新潮文庫)と「半分の月がのぼる空7」(橋本紡/電撃文庫)読了。どっちも高校生の話、だな。
「夜のピクニック」の中でナルニア国物語の話が出てくるけれど、わたし自身も忍の意見と同じことを思った口で。初めて読んだのは高校生だったかな。子どもというよりは大人に近くなりつつある眼で面白いと思うことしか出来なかったのはちょっと残念な、自分の中ではそんな名作になっている。


Written by Genesis
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