歳時記(diary):三月の項

一日

結局、重症肺炎の方は夕方に気管内挿管・人工呼吸器管理が開始になる。
ローテート中の研修医の先生とやったのだけれど....。腎臓内科のローテート中に手術や心臓カテーテルや挿管といろいろ経験して、こんなに盛りだくさんになるとは思わなかったとの由。そりゃあそうだろう。(苦笑)
透析患者は全身合併症が多くて困り者。あっちこっち目を光らせていないと見落としかねないし。

二日

外来やって病棟〜。患者数は多くないんだけど症度が高い。
「知る辺の道」(紺野キタ)読了。ラストのお話が印象深い。ちょっと残酷なイメージもある綺麗なお話。あのシャントは使わずに終わったのだろうかとか気になったり(炸裂)

三日

ようやっとすこうし余裕が出たので、スライド作りを始める。なにせ明後日が発表なもので(走召糸色木亥火暴)
この時期に夜間放射線科にいって検査記録を眺めながら元データを取っているってあたりがすでにダメダメって感じではありますが。
かくしてまたもや午前様記録更新と。

四日

往診が久しぶりに割とのんびり済んで何より。
そんでもって夜はスライド作り〜。結局寝たのが二時。

五日

夢見が悪い。呼吸器科の先生に何故かNIPPV(非侵襲的陽圧換気)レスピレーターをつけられる夢を見ながら目を覚ます。中途覚醒するのも珍しいんだけどね。

出勤日じゃないけど仕事がたまってるんで出勤。朝腎臓グループがそろって顔を合わせるという土曜日にあるまじき事態。(^^;
いくつか患者さん対応して、スライド作ってサマリー書いて。そうこうしているうちに夕方になって、院内の透析の学習会。そこでまぁ発表。動画入れたのが唯一派手なところというあんまり内容のない発表になってしまったけれど、時間の都合ということで。

六日

朝から品川へ。日本透析医会研修セミナーへ。テーマは「透析の量と質」ということで、講演が六本くらい。
体重コントロールはともかく、透析が十分かとか足りてないとかの判断は難しくて、今でもよくわからない。少しは身に付いてくれればいいんだけれど。

行きの電車で「眉山」(さだまさし/幻冬舎)読了。
ラストシーンは「邂逅」を思い出した。さりげない形で謎の答えを暗示するような書き方が余韻を持った感じでいいと思う。後雰囲気が似ているとすれば「秘恋」だろうか。
前半では医師や看護師の姿も出てくる。「神田のお龍」の鋭い啖呵の後に語られる柔らかな懇願するようなことばは、間違いなく前半の山場だと思った。

終わった後は白山眼鏡店に寄って眼鏡の作り直しの依頼。レンズの交換だけだけど。

七日

すこうし余裕が出てきた、かな。
帰ってきてからCarbon Emacsのアップデート。ついでにyatexもインストール....しようとしたらエラーでるし。原因追及せずに一回終了。

八日

夜から当直。しかし、病棟の受持患者がどうも落ち着かなくてそっちが気になる夜。

九日

外来。多血症精査とか血尿精査とか、来る。──いきなり聞かれてもわからんって。
というわけで、診察室には「今日の診断指針」が必需品だったりして。一般内科医の領分では、ある程度スクリーニングしておいて専門医に渡すしかない病気もあるしね。

夜、一人お看取り。全身状態悪くて肺炎が治らないままに。
回復は難しいかなぁと思いながら「できうる処置はすべて」行ったのだけれど、そういうアプローチが「正しい」かどうかはわからないでいる。これがたとえばがんの宣告を受けている患者だったらこうはならなかったかなと思う。がんは治らない病気として知られているから。がん以外にも治らない病気はあるし、回復を望むのが難しい病態への対応方針として「やってだめなら仕方ない」と、苦痛や侵襲を伴うすべての処置を施すのが正しいのかはわからないでいる。
ちなみに、わたしの考える限り一番悲劇的な状況はどん底状態から命だけは助かったものの寝たきりで本人は何もできなくなり、そんな状態の患者を介護できる家族はおらず、施設に依頼したくとも費用が捻出できず、という状態なのだけれど。 ──この状況って、介護破産とか介護自殺とか、引き起こしかねないような状況じゃ、ありません?

十日

夜、透析関係の講演会。協賛企業が運営費を出してくれているような講演会で、終了後の懇親会はタダメシというおまけ付き。そんなわけで透析室の技師さんや看護師さんも参加。その後二次会まで開催。
二次会でいまローテーション中の研修医二人と話していたら、日露戦争くらいは知っていたが、旅順も二百三高地も乃木希典も東郷平八郎も日本海海戦も知らないことが判明。ボスとしばし顔を見合わせる。(ちなみにボスは映画「二百三高地」で概要を把握したとのこと)
というわけで、日露戦争の構図と旅順攻略戦・日本海海戦の流れを講義してしまう。いくら理系とは言え、このくらいは高校日本史でやっているはずってのはムリなんでしょうかね。
もっとも、わたし自身は高校日本史の授業が四月頭の時点でまず幕末の話が始まり、太平洋戦争終結くらいまでやってから卑弥呼に話が戻り、江戸前期までぶっ飛ばしてきたところで時間切れ、という教わり方をしたので、実は近現代の方が頭に入っている。いいのかどうかわからんけど。

十一日

受持数が少なくて少し落ち着き加減。ま、いいか。
その割にはやや夢見が悪く。この日の朝も丹沢の山の中を走り回る夢を見ていた。丹沢なんて行ったこともないのだけれど、何故か夢の中では丹沢と決まっていたような気がする。

十二日

出勤の土曜日。
朝行くと透析患者の心不全が入院している由。受持するしかないよなぁ。他にもCHDFするかどうか判断したりと、ずっぽりICUではまっていた。
それでもまぁ、なんとか夜には散髪に行けたけれど。

十三日

文化的な日。
その一は「未来のおもいで」(梶尾真治/光文社文庫)読了。白鳥山という山の雰囲気がとてもいい感じに描かれていて、登ってみたくなる。山なんて普段全然登らないのにね。一応山靴は買ってあるのだけれど。

その二は「スーパーサイズ・ミー」観賞。「一ヶ月間マクドナルドの商品を食べ続けたらどうなるか」というバカバカしくもナイスなトライアルの顛末と、それに絡めながらアメリカの食産業の実態について。
まぁマクドナルド三昧がどうなるかはある意味予想の範囲内。それよりも、アメリカの外食産業が学校給食まで食い込んでいることとか、自分たちの出す食品の品質は棚に上げて「正しい食事を身に付けさせる教育に協力する」とかいうその姿勢とかが何かを教えてくれる気がした。
こういう国の牛肉は、さてほんとに安全かしらねぇ。

十四日

日中普通にどたばたして、夜は当直して。
夜更けに「熱が続いてる」って来たお年寄り。普段はしっかりしている人らしいのだけれど、さすがに38度台がつづくとぼーっとしてきてしまうらしく。家で看るのも難しいということで入院。
ADLが落ちなければいいけれど。

十五日

兄貴分の先生が一人お休みなので、ひとりで透析室の業務に対応。なんかとっても疲れた気分。
ボスからは「早く独り立ちしてもらわないと」ってプレッシャーがかけられているんだけれど、独り立ちできるのはいつかなとか、ちょっと悲観的になったりする。

十六日

外来して、午後で病棟診て。著変なしだとそれでも比較的ゆったりと過ぎる。
まぁそれでもヲタの祭典のカタログチェックはできないでいるのだけれど。

十七日

この日は腎生検。ちょっと久しぶり。
超音波ガイド下ということで、超音波の探触子を押える担当と穿刺の担当とがうまく息を合わせないといけないのだけれど‥‥動いてしまう。うむぅ、難しい。

夜、代打で当直に入る。ちょっと間隔は短かったけれど、それでもまぁそれほどたいへんではなく。

十八日

この日は昨日に続いて(臨時で)腎生検。往診もあるし、慌ただしい一日。
駆け足(のつもり)で往診患者さんのところを回っていったのだけれど....。とあるお家を訪れているときにケアマネージャーさん登場。少しお話した後、「ところで」と別の話に。「別のお家の方から、往診で診て欲しいという話が出ているのですけれどもお願いできませんか?」と。クリニックの方に依頼を出してもらって、それから担当を決めます、とお話したのだけれど、なんだかケアマネさんの口ぶりはわたしに依頼を出したい様子。
──自分の一存では決められませんから、で押し通してしまったのだけれど。

午後の仕事をばたばたこなしていると午後九時。ふとみれば病棟所属の常勤医師が(先輩含め)全員病棟で仕事をしていた。──もしかして、全員ワーカーホリック?(死)

十九日

この日は気がつくとお弁当も食べずに一日仕事。──食べようかな〜と思う時間帯に患者さんが透析始まったりするし、看取りが入ったりするし。
最近糖尿病性の足壊疽の患者さんが入っていて、毎日傷の処置をしている。食塩水で洗浄して、ガーゼを挟み込んで水分を抜いて。感染が強くないのでこのくらいの処置で様子を見ている。
糖尿って眼が見えなくなったり歩けなくなったり透析になったりほかにもいろいろ、生活の困難さを生み出す病気で。それゆえになかなか相手しづらい。

仕事から帰ってさてパソコンを起動しようとすると──起動しない。何故か。
よくわからないので放棄する。修理かなぁ。

二十日

梅見パート2。今回は相棒と同僚と同僚のお友達と。
吉野梅郷の梅はちょうど見頃とのこと。樹によって咲き具合はいろいろだったけれど、紅梅白梅黄梅と取り混ぜてなかなか綺麗。

帰ってきてちょっと休んで、それから有明へ。途中でちょっと病院によってクリニカルパスの準備をしていったら呆れられたけど。

二十一日

コミケットスペシャルの日。
ほぼ日付変更ぐらいのところで会場前についたのだけれど、駐車場に入れない。おっかしいなぁ、0:00からOKのはずだけどなぁと思いつつ、じっと待つ。結局入場したのは0:40ころ。スタッフの体制が整わずに入場開始がずれ込んだらしい。その後も全体としてはタイムテーブルがずれ込む傾向で、4Fの企画開始が4:00になっていた。
救護室は本来的には更衣室の様子。開店準備を済ませるとあとはさしてすることもなく。お客様(違)もそれほど多くなくて、最初の数時間はなんかひたすら寝ていた気がする。もっとも、手足を伸ばして横になれるようなスペースはないということで、更衣スペースの中で丸まって寝てたけれど。ほとんど浮浪者だ...

八時。入場開始。列を眺めてみるとカタログを高く掲げた集団がばらばらと通路を抜けていく。うーむ、新興宗教かマスゲームか(爆)。とりあえず自分も少し会場内を巡って、いくつか本を買う。
救護室に帰ってきてみると時刊新聞が届いている。──連載マンガはKanonネタだし。同人サユリさん。
結局、時刊新聞は全34号+αのうち、25号と28号を除くすべてを確保。二十一時ころの西2ホール最大手は時刊新聞バックナンバー配付の列だったなぁ....。

十三時、第一部終了。この時点でようやく折り返し点ってことで。
十六時の第二部開始直前には、西4階の冥土喫茶(違)から列が並んでいくのを見守ってみる。ぞろぞろとホールを人が埋めていくのを見守るのは一種独特の快感があり。ああ独裁者はだから高いところから演説したのかなぁなんて。
ちなみにこのときお隣では米沢代表がのんびりお茶をしており。今回は代表もコミケを満喫できたご様子だった。

第二部の入場が一息ついたあたりで軽く買い物して、そのあとレイヤーな看護師さんに連れられて三村商会ブースへと。いや女装服を選びに(炸裂)。
なんか河を渡ってしまったっていうか悟りを開いてしまったというか。まぁコミケットスペシャルだし、お祭りだし〜とかいいながら。看護師さんはなんか次はふわふわスカートのメイド服を着る予定とかで下調べ代わりにメイド服をレンタルしたかったらしいのだがそれらしいものがなく、気づけば某ギャルゲーの女の子の服を借り出していた。
わたしは、といえば、時間的にも多分借り出しが多い時間で選択肢も少なかったのだけれど、あんまりに露出の多いものはなんかすべてを失ってしまう気がして(笑)、ブロンズパレットのお服を。
着てみるとLサイズにも関わらずやはり一部きつい。腕とか肩とか。ストッキングまでついており、脛が醜いのを隠すには最適だったり(ぉひ。 救護の人々にお披露目するとさっそく化粧道具が出てくる罠があり。メイクまでされて、証拠写真を撮られて解放されましたとさ。

全体としてはお祭り気分で楽しめて、企画が多彩でかつコンパクトにまとめられているところといい、良い企画だったのではないかなと思う。
普段のコミケットがこんな会になるかといえばそれはNoだろうと思うけれども。コミケットは「同人誌即売会」であって、何でもありのイベントではないから。それでも、こんな「学園祭」「文化祭」ノリの企画は「たまには」面白いなと思う。

二十二日

日常に戻って。
相も変わらずばたばた〜。全体としては平穏な一日、かしら。
一日終わったところで「フデ子伝説」とか読みふけったり、した。

二十三日

予約画面から確認すると機械が空いているようだったので、簡易PSG(Polysomnography)の機械を借り出してくる(もちろん外来受診してお金を払って)。
相方から夜間呼吸停止しているといわれるので、検査のため。体形としては睡眠時無呼吸を起こしやすそうではないのだけれど、まぁ調べてみるかということで。

二十四日

PSGつけてると寝られないとか言われているらしいのだけれど、まぁまぁ寝られた。もっとも、普段よりは少し眠りが浅かったかもしれず。

今日は腎生検の日〜。今月三例目。少しはうまくなってるのかな。

二十五日

往診へは学生さんと一年目の研修医連れて。
慢性呼吸不全の末期の方が調子悪く。どうしたもんかなぁと悩み中。

わたしも同感。
植物状態になってしまった人本人や、その家族の思いより外野の主義主張の方が大事ってことはないだろうに。本人の意思が明確であればその自己決定権を尊重すべきだし、配偶者がいるならば配偶者の意向を尊重してよいと思う。患者本人を介護するわけでもその費用を負担するわけでもなく、介護し続ける苦しみを実感するわけでもない外野が何を言える? ──そんなことを思う。
ついでに、少し別の話題。
このニュースを少しTVでやっていたのだけれど、それと一緒に広島の病院で人工呼吸器を「家族の強い要望により」外したという事件が報道されていた。呼吸器装着から一週間ほどで「外して欲しい」という希望が出されたことになるようなのだけれど‥‥。人工呼吸器をつける、ということについてもう少し考えないといけないんだろうなと思う。「たとえ患者本人に苦痛を与えたとしても、生きていて欲しいと思うなら人工呼吸器をつけて頑張ってもらうようにする」と、わたしは説明している。そして同時に、つけたら容易に外せないことや、苦痛緩和のために鎮静剤などを併用することも説明して。
人工透析もふくめて、広い意味で機械の力を借りて生命を維持する人は少なくない。そして、いつ自分がそういう状態に陥るかはわからない。さて、生命維持装置をつけてでも、生きたいのか。まず自分にそれを問うてみたい。

二十六日

午前中で自家製パンのお店へ。お茶してのんびりする。
その後は病院へ行って、新一年目研修医のオリエンテーションへ。あとの歓迎会まで行って帰ってきた。

二十七日

親に引っ張られて、玉川上水を歩く。
江戸時代結構あちこちで治水工事や上水道工事が行われているんだけれど、その中には結構な難工事が多数あり。この玉川上水──羽村から四谷大木戸までの全43km──も、途中二度の失敗や費用がなくなるなどの苦難を経て完成したとのこと。プロジェクトXの伝統ってきっと日本に根深くあるものなのではないかと邪推。

帰りがけにまいまいず井戸を見学。妹によればペルーあたりにも同様の井戸掘り技術がある由。ある意味未熟な技術ではあるのだけれども、考えられた技であるのも確かだろうと思った。

二十八日

当直明け。
ばたばたしつつ時は過ぎ。

午後、以前受け持った患者さんが再入院するとのことで、担当することに。夜になってから来たら‥‥重症肺炎との由。
はぁ.....。

二十九日

重症肺炎を受け持った翌日に敗血症を受け持つって‥‥なんか憑かれちゃいましたでしょうか(死)
救急外来の先生は胃腸炎て言ってたじゃないか〜とか言っても始まらず。必死こいていろいろ始める。

三十日

病棟は気になるものの、午前中外来。まぁ普段通りに。
数も症度も高いのでなかなかたいへん....。帰ったのはだいぶ遅く。

三十一日

わけわからんくらい、忙しい。
その上夜は当直で。しかも緊急透析とか挿管とか(炸裂)。むぅ...。  


Written by Genesis
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