歳時記(diary):五月の項

一日

眠い目をこすりつつ出勤。黄金週間は遠くなりにけり(誤爆)。
連休を一応とる予定なので、指示だしにおわれる。何とか他の先生の手を煩わせないようにして治療が進むように。

「るくるく 3」(あさりよしとお)読了。しかし、どーゆー方向に話が転がっていくのか読めない。(そんなことを考えながら読む作品でもないかも知れないが)

二日

部屋の片づけ、買い物、本棚の組立。以上終了。(苦笑)
ホントは「イノセンス」観に行きたいとかいう希望もあったのだけれど。

押し入れの奥に眠らせていた箱を開けてみると、「Netscape Navigator 2.01ja」とか「漢字Talk7.1.1」とか、歴史的なブツが(笑)いくつも出てくる。あと十年も眠らせておけばプレミアぐらいついてくれるかもしれないが(ぉぃ)、そこまでの収納スペースの余裕はないので処分処分。ここに引っ越してきたときには漢字talkが走っているマシンがまだあったんだよねぇ...と遠い目をしてみたりする。

三日

今日も今日とてお片づけ〜。
基本的に書籍は処分対象ではないのだが、中にはただの場所ふさぎとしかなっていないものもあるので、全体の数パーセントほどを処分対象とする。それでもまぁ、引っ越し屋が呆れる程度には書籍があるのだろう、きっと。

相方からテレビをおく台が欲しいという要望があって、家具屋を巡る。──結局中古品屋でよさげなものを見つける。安く手に入ったということで、ほくほくしながら帰る。──不要な家具は中古屋に売却しようかな。

四日

連休は病気になってはいけないとか、なっても悪くなってはいけないというきまりがあったらどんなにか仕事が楽か、という軽口は何度も口にしているので以下略。
透析当番にて出勤日。人工透析には休診はないので、外来も含めて診て歩く。申し送りをみたら、しばらく前に退院になった患者さんが戻ってきてしまったようなので指示を書き足していたり。

さて、明日はほんとに荷物が片づくのかな。

五日

朝早くから引っ越し屋さんが来て、荷造りを始める。わたしたちの仕事はゴミ・不要物と必要物を箱詰めできる状態にしておいておくこと。しかしこの処分品を処分品としてより分ける仕事だけで二日ぐらいかけてしまった訳で。
それでも何とか午前中と少しかけて荷物の箱詰めと搬出が終了。がらんとした部屋を掃除して、ごみをまとめて。粗大ごみはどうしようかな。

最後に大家さん(目の前に住んでいる)にご挨拶して、裏のおばちゃんにご挨拶して。
裏のおばちゃんはおかずのおすそ分けをもらったりとかいろいろ世話になった方。んで、実はわたしの勤務先で旦那さんを亡くされたらしい。そんなことも知りつつ訪問して、ご挨拶の品など持って伺ったら。「先生からいただくなんて」って。──知ってたのね。(^^;
わたしも地域住民のひとりだから、近所付き合いもあれば冠婚葬祭もある。おばちゃんからの言葉に気恥ずかしさを覚えながらも、近所付き合いのあるような生活をしていてよかったなと思った一瞬だった。

ちなみに新しいアパートも大家さん直営。(しかも棟続き) 今度はどんなつきあいがあるやら。

六日

連休明け。受け持ち患者さんの様子を見ていると日が暮れて、当直の時間に。結構久しぶりの病棟当直。
‥‥‥つっかれた...。

七日

当直明けで少しぼんやりしたところで往診へ。普段7-8人くらいのところをなんと10人もやる日。必然的に飛ばし気味に。
それでも褥創で処置に時間がかかる人とか話が長い人とか居て。何とか一時前には帰ってきた。帰ってきたら書類書きもあったけどね...。(sigh)

八日

帰ってきて、さて寝ようかと蒲団に入った寝入り端。(ちなみにAM0:30ころ)
携帯が鳴って反射的に掴むと病院から。(受け持ちではないけれど)透析の患者さんが吐血して、緊急輸血をしたいので透析の準備をして欲しい由。
引き受けて車(さすがに普段と同じに自転車で出勤する気にはなれなかった....)を走らせて病院へ。胃カメラで無事止血されているのを確認してICUで透析指示を出す。ここまででAM3:00....。
この辺でさすがに体が当直明けなのを思い出したみたいで、眠くなってくる。医局のソファの上でしばし待機、特に問題なく終了したところでさらに仮眠をとって、家に帰ってAM8:00。

さすがに午前中はへろって家で寝てましたけど。緊急事態ってなると疲労制御系にずぶとい制御棒が入るみたいで動けちゃいますな。

ちなみに午後の予定は仕事帰りの相棒と昼飯を食って、そのまま九段下へ出てThe Boomの十五周年漂流記記念コンサート。二階席の後ろの方という悪条件ながら、ゆっくり鑑賞できたのでご満悦。

九日

部屋の片づけとか。開けても開けても残っている本の詰まった段ボールと格闘する。
おかげでだいぶ片づいて、広々としたところで寝られるようにはなってきた。

十日

なぁんか、ちびちび患者さんが増えてくる。外来には以前退院にこぎ着けた患者さんが調子悪くなって戻ってくるし。結局二時近くまで午前外来をやっていた....。

数が多くなってくると患者さんの見方がどうしても大ざっぱになったり、対応が遅れ気味になったりする。そうこうしていると新しい問題点が出てきたり新しい患者がさらに増えたりといいことはないのだが。

十一日

病院全体としては比較的ベッドには余裕がある。──ということで、午後の救急外来には患者が殺到するかな?と構えていたらそうでもなく。気候がいいとも思えないんだが。(寒暖の差が激しいのはいいことではない、あまり)

十二日

「ささら さや」(加納朋子/幻冬舎文庫)購入。以前にマンガ版の方は手に入れていたのだが。
ちょっとだけ読んでみたのだが、内面描写が充実する分文章の方がわたしは好き。ストーリーはマンガの方もかなり忠実な作りなんだけど。

十六日

何だか多忙。日記に抜けがあるのは多分補完できないと思われ。

休日くらいは...とゆっくり寝る。
その後本棚の片づけ。ようやく段ボールのやまがなくなる。やれやれと思う間もなく妹の来襲、そして買い出し。
夜は妹他のファミリーで焼き肉パーティ。うちのファミリーご用達のちょっと高めの焼き肉屋さん。鱈腹食べて帰る。

十八日

午後の救急外来は千客万来。
ひとり難しそうなのは他院からの紹介できた血尿・食欲不振の高齢女性。もともと寝たきりで痴呆ということで、何が起きているのかはっきりしないのだけれど、どうやら尿路感染症であるらしい。それに腎不全も加わっている。
これまでの経過がわからないから、手探りで治療を進めていくしかない。

十九日

昨日入院した患者さんは、あまり尿が出ないということで、結局わたしが受け持つ。
尿が出ないということはそのままでは体が持たないということで。電解質異常から来ると思われる徐脈も出てきており医学的には血液透析の適応。けれども高齢で寝たきりで意志の疎通もできない人に透析を行うことが、医療として正しいのかは倫理的な問題を含んでいる。
侵襲をともなうような処置を、本人の同意も理解もなしに行ってもいいのか。その問題に正答例は、ない。

二十日

そろそろ来月の発表の準備をしないといけないと思いつつ、なかなか進めるヒマがなく。

昨日の患者さんは結局透析を始める。終わる頃にはだいぶ安定。一息つきつつ、これからが問題とも思う。
ひとをより長く生かす技術を手に入れたとしても、永遠に生かし続けられる訳ではなく。最期の時をどのように過ごすかのシナリオにある程度関わらなければいけないのが医師の仕事とも思う。

二十一日

往診して、カンファレンスして。しかも内シャント造設予定の人と尿毒症の人とを二人受け持ち。ばたばたばた。患者さんが落ち着いていたからいいようなものの。

その後は当直。それほどあれこれとは呼ばれず。

二十二日

透析当番。
尿毒症症状でそろそろ苦しくなってきて、透析導入のため予定入院となった方を受け持ち。午前午後と2クール回して、今日もおしまいかな〜と思った頃に、透析導入予定で入院を勧められていた人がついに耐えられなくなったようでこれから向かいますと連絡をしてくる。
──ま、診るのが仕事とはいえ。呆れたスタッフとの会話。
「どうしましょうかねぇ。」「すぐに入院した方がいいってさんざんいったんだけどね。」「週明けまでほっとくわけにはいかないですし」「調子悪くなって週末に緊急透析ってのも‥‥‥」「今夜のうちに一回やっときましょう」「悪運の強い人ですな」
彼にとっての幸運は外来の主治医が当直の夜に決断をしたこと、だろうか。さんざんお説教をされたこととは思うけれど、それでもすばやく透析をしてもらって楽にはなったはず。
早く治療をした方がいいと言われながら、なんのかのと言い続けて引き伸ばし、悪くしてから救急で来るような患者は少なくない。家庭の事情や仕事の事情があることも多いのだけれど、カッコつけや事態を甘くみての判断であることもある。全部ぶっちゃけた事情を話してもらった方が解決も早かったりするのだけれど。

二十三日

のんびり寝て、のんびり起きて、のんびり買い物。
いいかげん古くなってフレームにヒビが入ってきたママチャリを処分し、街乗りに向いた軽快車を購入。ヘッドライトがないタイプの自転車だったので、マジ軽ライトをつけようかなと思ったのだけれど、「つかない」と店の人に却下を食らったため普通のライトをつけて。
走ってみると、ブレーキがよく効く。かけるとつんのめって転びそうになるくらい、きく。──しばらく危ないかも。

二十四日

外来はまぁ普段通り、だろうか。

今週から長期実習の学生さんが来ているので、その担当もやらねばならず。まじめに実習しているからなおさら、真面目に応えてあげないと....。

二十五日

時折何故か、無性に邪馬臺さだまさし全曲歌詞集より)が唄いたくなる。
さだまさしによくある挽歌のひとつ、故宮崎康平氏を偲んで作られたこの歌は、好きな歌と言うより気になる歌、であったりする。
"盲いた詩人"が"幻の人"に恋い焦がれていたこと、そしてそれは全く純粋に情念のものであっただろうことが肌に伝わってくるから、だろうか。

二十六日

一日病棟単位だと、比較的楽に業務が終わる。
一息ついてどっかり座り込むと、昼食後ともなれば眠気がさしてくる。──一眠りするとその後さっぱり仕事ができる感じだから、日本でも午睡が堂々と認められるとよいなぁと思う。
研修医時代とか、さすがに先輩の医師がたくさんいる医局では昼寝できなかったし、ナースステーションは余計にできないし、自分の机に座って不安定な姿勢でうたた寝するのが関の山、であったりした。──つまりはエラそうになったということかもしれず。

二十七日

昼に腎生検。エコーのプローベを押さえる役はだいぶ慣れてきたようで、上司の先生とふたりでだいぶやれるようになってきた感じ。
午後は透析の様子を見たりしていたが....。救急に重症が来てしまって転送に行かなければならないということで、急遽代役を務めたりしていた。

病棟当直が始まったところで重症患者が入院する。高血糖で電解質もバラバラ。頻回に血糖をチェック、採血チェックということで、結構しんどい夜になった。

二十八日

午前中の往診には学生さんも同行する。ある意味ではわたしのコースは「いい患者さん」「幸せな患者さん」が多い。安定して介護者がいて、在宅診療を受けられるというのは考えられる中では比較的「いいほう」の老後だと思う。家族に邪魔にされて施設にしかいる場所がないひと、介護者もいないがお金もないと言うことで、施設にも入れずに家にいる人、そんな例はいくつもある。

夜に家族と面談したのはどちらかというと不幸な状況にある人。自身は人工透析を要する上に運動能力が落ちていて、夫は虚弱であまり介護力としてたより過ぎると夫の方が倒れてしまいそう。息子や娘も生活が厳しくて老夫婦を引き取ることができない。状況が許せば在宅介護の道を探るところだけれど、必要以上に頑張って無理をしてしまいそうな夫の性格を知ってしまうと、むしろ無理をさせない方法を探りたいところ。
精一杯のことをしようという思いがある人に、それを果たす力がかならず与えられたなら。そう願うのは、無理なことなのだろうか。

夜は病棟の歓送会。一年目の研修医の歓迎と、専門研修に来た先生の送別と。
専門研修を了えられて去るS先生は看護師からの絶大な信頼を得ている。夜遅くまで熱心にカルテ書きや資料調べをしていたこと、乞われればいつも笑顔で力を貸してくれたこと、そういったひとつひとつが信頼される理由だったのだろうか、と思う。
余興で女装を披露してくださったS先生は、最後まで強い印象を残して、去られた。

二十九日

透析当番。
今日は患者も少ないし...と思いつつ、のんびりと終わりかけた夕方、胆嚢炎・敗血症の患者さんに対するエンドトキシン吸着・持続透析の依頼。
始める頃からすでに頻呼吸と血圧低下があり、始めてもなかなか血圧が持ち上がらない。結局、日付が変わった頃に亡くなられた。最後は主治医の代わりにわたしが看取ったような形になりはしたが。

三十日

帰りが遅くて、寝たのも遅く。そのくせ九時過ぎには起きたものだからなんだか眠い。

本日家庭さーびすの日。車で買い物とか食事とか。信州そば 田堀で昼食をとってみた。
夜は夜で実家に食事を持ち込んで食べたり。

三十一日

えーと、ばたばたばた。
外来の最後に来た患者さんはふらつきが主訴。若い女性のふらつきとあれば、(生理の出血や不規則な食事からの)鉄欠乏性貧血を考えてみたのだがどうもそうではないよう。
聞いていくと、あまり食事が進まないこととか、そのかわりみたいにしてサプリメント類をあれこれと食べていることとか、話が出てくる。神経性食思不振症というわけではないようだったけれども、ちょっと食習慣に問題ありな感じ。どうもそのあたりに原因があるのではないかとにらんだのだけれど.....はっきりせず。

 


Written by Genesis
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