歳時記(diary):拾弐月の項

一日

外来で始まる。
今日から新しい診察室にて。もっとも医者がやることなんてどこでも変わらないのであまり戸惑いはない。むしろそれを支えてくれる事務や看護職の方が大変。
言うは易し、行うは難し、ってところだろうか。

夜は研修委員会。来年春からの義務化に向けて、当院の研修カリキュラムのブラッシュアップの議論を少し。
偉そうなことをいってもできてない、は困るけれど、そもそもそれなりの理想を掲げずにレベルをあげることも不可能なわけで。こういう作業は大事と思う。

二日

受け持ち患者さんが徐々に退院して、新しい患者さんが入らず。ちょっとまったり。
それでも、発熱で入っている人がSLEだろうとめどが立って、ステロイドを開始したり。

午後は救急で、午前から引き継ぎの人を入院に。入院の説明をしていたら患者さんが
「先生、○○町にすんでるでしょ」
よくご存知、とか思いつつ「はぁ」とか答えたら「よく道で見かけるよ」ときたものだ。
ま、近くに住んでるからねぇ.....。

夜当直。それほど呼ばれず。
夜重症者の回診に回っていて、「癌の末期の方ですが...。」なんて申し送りを聞きながらカルテの表紙の住所をみると実家の近く。おやと思いながら家族構成をちらっとみたらわたしと同い年の息子がいる。──きっと同級生の親だ、と思いながら少し身につまされる。
もうそういう年齢なんだよなぁと思ったり。

三日

比較的余裕があるものだからざっと回診したあとはサマリ書いたりスライド作ったり。昼は嚥下障害のリハビリ中の患者さんの食事の様子を見たりした。
食事をいくら食べさせたくても、食事自体が危険になるという意味で、嚥下障害はかなりQOLを損なう。もっとも、はた目に分かりやすい障害ではないから、その危険性が理解できない人もいる。
メシが食えなくなったらそこまで、とは思うけれど、実際にはなかなか割り切れるものではないし、医学の進歩によって口から食事を摂らなくても生きてはいける。そうして生きたいかという問題とは別問題として。

四日

昼、友の会の会合へ。忘年会に呼ばれて少し企画を。
自らの健康を守るための活動も大事だけれど、それをやろうという若者は少ないんだよなぁなんて話がちらっと出た。若いときは健康で当たり前、病気になるのは特別なとき、だけれど、だんだん病んだ状態でそれでも生きていかなければならなくなる。
病んで大変になったときに、社会保障の貧弱さに気づいても、もはや生きるのにかつかつの状態で社会を変える運動に取り組む暇もなく。そうして気づけばセーフティーネットがどんどん食い破られているのが今の現状のようにも思う。

仕事終わって帰って、それから相方のスライド作りを手伝う。就寝三時(死)。

五日

午前中往診。
終わって帰ると、コンピューター入力と各種指示書書きが待っていた。今週から往診のほうでもコンピューター化が始まったので。
その仕事に結局一時間かかる。

総回診のあと、夜は予演会。若手の発表会が近いので、そこで発表する内容をひとつひとつ内容チェック。だいたい未熟な発表なので容赦なくたたかれて、わたしが一年目のときなど結論まで予演会後に変わったりしていた。(笑) むしろ今年はみんなよくできていたと思う。
わたしの発表もつつがなく。さらに整理し直して、装飾を入れようかな。

六日

二日続けて三時就寝ということで、今日は無理をせずゆっくり。──とかいいつつVirtual-On MARZとかやっててもねぇ。

書店で「ブッキングライフ1」(高田裕三/講談社ヤンマガKC)を購入して即日読了。少し軽いタッチで臓器移植の問題を取り上げている。
臓器移植というと心・肝の話題が多い。その理由は多分ほかの治療法の選択肢がないからで、心臓に至っては脳死臓器移植しかない。この本の中では心臓の他、腎臓移植の話が出ている。腎移植の方がハードルは低くて、死亡後の臓器摘出でも移植可能なためこれまでもそれなりの数の移植が行われている。しかし、腎移植をせずとも透析を行うことである程度の代替ができることもあって、それほど話題に上らないのかなと思っている。
内容的にはきちんと調べたのも窺えるし、キリンちゃんは可愛いし。(爆) さっそく二巻を買ってこよう。

七日

掲示板に書いてくださった方のリンク集からたどって、医師・医学生に100の質問。答えはこちらに。

この日は半日namazuをiBookで泳がせるための設定に気合いを入れる。
型通りnamazu, kakasi, nkfなどのソースをダウンロードしてコンパイル。kakasiはki.nuの記載に沿ってlibtoolの修正を行う。
その後ネットワークの初期設定でちょっとハマってみたものの、その後はきれいに動いた。もっとも、やってる内容が自分のWebPageの全文検索程度ではねぇ....。

八日

朝一で一般外来。最初は比較的数も少ないやとゆっくり構えていたら、後半で受け付けした人が多かったようで結局それなりの時間に。
午後は回診をしたけれど、なんだか現在珍しい病態や診断未確定な疾患を抱えている人が増えている印象。学問的には面白いところだけれども。

九日

朝起きてさて食事をしようというところで電話が鳴る。患者急変の報で、あわてて出勤することとなる。

昨夜に入院した発熱の患者さんを受け持ち。──病名は謎。
いわゆる不明熱の範疇に入りそうな患者なのだけれど、まだ大した精査をしていないので基準には入らず。こういう場合は型通り感染症・膠原病・腫瘍の三つを疑って検査していくことになるのだけれど....。さて、何が出てくるか。

午後の救急外来は結局三人も入院させてしまう。入院指示出すのって疲れるんだよねぇ。はぁ....。

十日

医局で同期に会ったときに「昨日の患者さん、どうなった?」と聞かれる。何を抱えているんだろうと注目しているらしい。──今日もまだ病名は謎。
最新の「不明熱」の定義によれば、入院して三日間の精査でも原因がはっきりしない発熱患者は不明熱としていいらしい。心エコー・腹部エコー・CT・採血とやってもいまだ原因を示唆する所見は得られず。

十一日

昼に腎生検。準備がまずきちんとできるまでにはどれだけかかることやら。

透析を始める、というのは実はかなり大きな決断になる。人工透析療法はある種の生命維持装置であり、それを始めたら最後簡単にやめることはできない。それはたとえば人工呼吸器を装着された患者の人工呼吸器を外すようなものだからだ。
自分の意志がはっきり表明できる/されている人ならばまだ判断のよりどころもあるが、たとえば痴呆で自身の意志もはっきりしないとなれば、家族などの縁者の判断で動いていいのかという問題も生じてくる。家族が願ったから、で治療を簡単にやめるわけにもいかない。
状況としてはもちろん始める前、始めるかどうかのところでも同じことがいえるのだけれど、比較的「治療をやらない」ことについては問題になりにくい。直接的に死に至らしめることではないから、だろうか。
透析を始めることは多くの場合、生存期間の長さを保障することができる。けれども生存期間の質を保障できるのかはたぶん誰にもわからない。それでも、少しでもいい人生を患者さんが送れるような仕事ができたら、と思う。

十二日

朝から往診。すこうし急ぎ気味に。
その後は電車に乗って千葉方面へ。青年医師の合宿。症例発表を一つやって、旧交を暖める。

十三日

結構夜遅くまで──気がつけば同僚と──飲んであれこれの話。しかし、仕事場離れてまで仕事の上での問題について話す必要もなかろうにと思うのだけれどもどうだろう。

この小旅行の行き帰りで「ブラックジャックによろしく7」と「螺旋階段のアリス」(加納朋子/)、「モト子せんせいのばあい」(さべあのま)読了。
「ブラックジャックに〜」を読みながら感じる違和感は、自分が同じように医学的には充分な力を持たない新米であるための同族嫌悪だけでは、ない気がする。とくにこのがん医療編では患者さんにとっての救いが少なくて、かなりつらいところだと思う。
主人公斉藤英一朗は、患者さんの立場によりそうという立脚点をもてないでいる気がする。患者さんが告知を望み、抗がん剤治療を望むなら、そうやって堂々と主張していけばいいのだろうと思うけれど、患者さんの想いをがっちりと受け止める姿が少なくて、その分迷いが深くなっているようにも思う。

十四日

朝から夜まで日直。
外来日直は今でもかなり緊張するけれど、だいぶ慣れても来た。今日は数も多くはなかったから安心して診られた気がする。
インフルエンザが出だしました、というのが前夜の当直の先生からの申し送り。それらしき人は片っ端から迅速診断キットでインフルエンザチェック。本日は陽性の人はいなかったけれど。

十五日

朝から外来。ある程度数をさばかないといけないのだけれど、それでも不安感がベースにあるような患者さんの話を二十分ばかりも傾聴。根本的には話し好きだから、ついつい聞き込んでしまう。時間がいくらでもあるならそれ相応になるし、足りなくてもやっぱりそこそこ話し込んでしまうのかな。>自分

病態がはっきりしない患者さんが受け持ちに複数。その上、明日は精査目的の人がひとり入院してくる。考えること多すぎ....。

十七日

S.B.さんの漢字談義をふと勤め先のInternetExplorer(on MacOS X)から読む。するってぇと、「勝」の行の文字は「滕」までしか見えずあと五文字が?で置き換えられており。「殻」の行は前三文字だけがしっかり見えてあとの六文字はやはり?で置き換えられている。 SafariとNetscapeではきちんと見えたが、単にフォントのせいなのだろうか?
ちなみにこの文章を書いている最中に某先生が画面をのぞき込みながら「なんだこれ〜? あやしい〜」と感想を述べられて去っていかれました。まる。

十八日

朝から負荷試験。朝もはよから起き出して、眠い目をこすりながら午前六時過ぎに病棟へ来てみると、内分泌科の先輩医師とローテート中の研修医の姿も。同じく負荷試験であったらしい。
ホルモン関係の検査は採血時間が重要であったりする。朝と夜とでは出方が違うホルモンは数多く、中には採血の刺激で値が上下するものすらある。そのため、ホルモン負荷試験はしばしば早朝から検査を行う必要があるので早出となったわけ。深夜勤務の看護婦さんに頼むという手も無くはないが、採血時間や条件を厳密に守ってもらうのは難しいので自ら手を下す必要がある。
ま、おかげで今日の仕事は比較的さくさくと片づいたけれど。早起きは三文の得らしい。

十九日

夜は医局の忘年会と病棟の忘年会がかち合う。とりあえずどっちにもいい顔をしておこうと思うと結局両方に出ることとなる(爆)。
二次会は病棟の方へ。看護婦さんや先輩医師とカラオケへ。二時まで歌っていた。

二十日

二時まで歌ってても翌朝にひびかせないってのはやっぱりプロとしては必要なレベルなのかなぁとか思ってみたり。

午前中救急外来で入院させた人はマヒはないものの運動失調が前景に出ている。不随意運動もあるのだけれどいったいなんで起きているのかが謎。
夕方帰りかける頃に悪化の気配があり。当直の後輩を手伝っていたらすっかり遅くなってしまった。

二十一日

朝はゆっくり。二週続けて日曜日に仕事が入ってたんで久しぶりか。
しかし、プライベートで出歩いていて「先生」と呼ばれるのは何とかならんかと思う。実際に受け持った患者さんとかならともかく、「医者なら先生だろう」は勘弁願えれば。

夜は昭和記念公園の無料開放に行ってみる。クリスマスあわせでライトアップなどされていてとても綺麗。寒い中ではあったけれど人出もかなりのものだった。

二十二日

月曜外来はこみこみ。某患者さんいわく「火曜日休みだからかねぇ」ああそうか、と言われて初めて思った。
年末を控えて、退院できそうな患者さん・外泊できそうな患者さんを検討していく。諸般の事情あってそれが叶わない人もいるけれど、できるだけ希望は叶えてあげたいと思う。

二十三日

日直して当直して。結構きつい日。それに加えて検査機械が一部止まっているし。往診もそうだけれど、気軽に検査できない状況だと所見の解釈などで検査前確率の見積もりをきちんとしないといけない。
当直は一年目の後輩が見習いで入る。見ていると効率が悪いというか、流れが今一つ悪い。初めは仕方ないんだろうなぁと思いつつ。この日は入院もかなり入ったから、ほとんど寝られなかったんじゃないかなぁ。(つまりは一緒に見ているわたしもやっぱり寝られなかったのだけれど)

二十四日

透析室は患者さんが減ってきている。検査入院・透析導入などの人が少なくて、病院で年越し予定の人だけになってきているため。(病院全体にそうだけれど)
クリスマスイブだろうがなんだろうが、お構いなしに起こる病気、時には休んでくれないかなぁと思ったりする。

二十五日

この年末はなにか珍しい疾患の人が多く。腎生検を必要とする患者さんも多かった年末だった。
木曜日昼が一応腎生検の定例日。今日は術者として加わる。超音波ガイド下経皮的腎生検。わたしの役割は超音波のプローベを固定すること。つつがなく終わったけれど...はぁ、肩が凝った。

二十六日

往診では「来年もよろしく」などといいながら回っていく。ほとんどの患者さんがつつがなく一年往診を続けてこれたことは善きことかな、と思う。

午後のカンファでは先日の患者さんがネフローゼを併発しているということでプレゼンに出される。──そーいやデータが妙だなと思って検査を増やしておいたんだっけ。
人の縁とは不思議なもので、というところだろうか。

二十七日

当直明け。今日はこのまま失礼する。
午後、病院でのミニコンサートを聞きに。患者さんにはあんまり判らなかったかもしれないけど、それでもわりと静かに聞いていた感じ。

二十八日

有明聖戦。諸般の事情あり今年は一日だけ。
眠い目をこすりつつJRにて新宿から臨海線へ。救護室業務に。天気も良くそれほど寒くないということで、穏やかに日が過ぎる。
サークルで買いに行ったのはDr.モローのところくらい。「サイボーグスタッフ009」に大ウケする。

行きで読んだのは「学校から出よう!」(谷川流/電撃文庫)。初めコメディっぽく、終わりはシリアスっぽく。佳作、と思う。

夜はパソコンの設定。最近自宅内乱の調子が思わしくなく。ルーターにしていたFreeBSDをバージョンアップしたら、ipfwあたりの設定がうまく行かずにパケットが外に出ていかなくなっていた。
ちょっと取り組んでみてうまく行かないので、放擲してMacOS X(iBook/ OS10.2)をルーターにしてしまうように設定。もっとも、面倒だったのは自宅のTA(NEC AtermIT21)をMacOS X対応にするためのファームウェアのバージョンアップとディップスイッチの切り替え。USBから接続ができたらさくっと接続ができ、パーソナルWeb共有とWindowsファイル共有・インターネット共有を開始すると、WindowsとMacからWebが見えるようになった。あとはFreeBSDマシンから外に出られるようにしないとなぁ。

二十九日

出勤。通常業務。有明は遠くなりにけり...(しくしく)

最後にカルテ整理をしていたら、患者さんの尿にがん細胞ありとのレポート。年の瀬押し迫ってのことでもあり精査は来年へ。謎の多い患者さんでもあったからあるいはこれで謎が解けるか?

三十日

朝から実家でもちつきに駆り出される。──搗いてると腕の力より何よりまず握力にダメージが来る。まずいよなぁ.....。
終わった後はすき焼きを食べて辞去する。

実はこの日まで年賀状を書いておらず。相方といっしょに喫茶店へ行って少し腰を据えて書く。書いてそのまま本局のポストに放り込んだけれど、きっと一日には間に合わないんだろうなあ....。

三十一日

少し出勤。
その後書店回ったりなんだり。結局年の瀬まであまり普段と変わらない行動パターン。

夜は紅白〜特にさだまさしとか(爆)。それと「十二国記」アニメの総集編を見たり。あとは相方が読みかけていた「恋愛的瞬間1〜5」(吉野朔実/マーガレットコミックス)を読んでしまう。
どことなく普通でない(でもかなりの部分は普通)ひとびとの織りなす恋愛模様。始めヘンと思ったハルタすら普通なほうかもとか思ってしまった。 でも、人間なんてどこかしらゆがんでいて、そのゆがみゆえに、面白いのかもしないと思う。  


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ