歳時記(diary):八月の項

一日

午前往診・午後カンファ・夜ケースカンファレンス。いつ患者とゆっくり話すのかという突っ込みはこの際黙殺。
往診では臨時が一件。悪性腫瘍終末期でぼちぼち危ないかな?というステージ。介護する家族より患者の方が話していてよく話がわかっているという状況もけっこう大変。
臨時に往診に行っただけの分際でターミナルケアについての講義をする訳にもいかず。ちょっとストレス。

カンファレンスは....。準備不足が著明でしたね....。これ以上何も言うまい。
今週は午前様一回・当直一回・他は帰宅が十時過ぎという状況でした。

二日

再びRPG風に。

「Genesis は 動脈直接穿刺 と そうぐうした!」
「Genesis は 穿刺に せいこうした!」
「経験値があっぷした!」

わたし個人としてはその前に静脈に透析用の針を刺すほうが緊張。シャントがないと血流が少なくて, いまひとつ血管が細くて頼りない。(これはこれで問題のある感覚だが....)

夜は相方と待ち合わせて「踊る大捜査線The Movie2」を観に行く。
映画自体は娯楽としてとっても楽しく観ることができた。随所にちりばめられた小ネタも小気味よい。でも医者が出てきてしまうと一気に視線が医療ドラマのチェックモードに入ってしまう。「さっさと挿管しなきゃ」「外傷性血気胸か....たぶん大血管は傷ついてないはず」「救急室で開胸して止血するぐらいの設備はないのかなぁ」等々....。

三日

昼間は相方の買い物に付き合う。そろそろ夏物バーゲンも終わりを迎えようかという今日この頃ですが....ついて歩くのはやっぱり疲れる。

夕方から当直。ぼちぼちと呼ばれてあまりおおごとにならずに推移する。善きことかな。

四日

午前外来。やっぱり忙しい。
寒けを主訴にきた人が二人。血液データにも大きな異常はなく、経過観察に。非特異的な所見を手がかりに異常を見つけるのは難しい.....。

午後は骨髄穿刺(マルク)をやったりして過ぎる。
その後、マッチングアルゴリズムの図解(Flash)を見つける。医学教育学会での厚生労働省の方のプレゼンでも使われていた奴だけれど、いかにもコンピューターのアルゴリズムらしいなぁと思ったりしていた。

五日

最近けっこう病棟も埋まってきて、受け持ちも増えずに少しのんびり。けど、詰めなきゃいけないことを詰めてないのは相変わらず。
こういうことをしていると自分が全然進歩してないなぁとか思ってしまう。それでも、最近ではひとりで維持透析の指示出しとかはできているのだけれど。

夜、「がんばれ女性医師・医学生」(プリメド社)読了。医療現場ってそれなりにきつい職場であるだけに、女性も男性並に、という視点から評価する人や、出産や育児をキャリアアップには障害になるもののようにとらえる人は少なくない。看護職などはもともと女性が多いのでともかく、医師はまだまだ女性にとって働きやすい場所ではない。
当院の初期研修医9名のうち6名が女性というのは、悪いことではないだろうなと思う。彼女らが生き生きと仕事を続けていけるなら、男性も生き生きと仕事を続けていける職場になれると思う。

六日

広島原爆忌。──長崎では、どんな歌が歌われているのかと思ってみたりしつつ仕事。

夜は病院を去られる先生と看護師の送別会。わたしは翌日が当直なので控えめに。
ポッキーを口にくわえて輪ゴムを受け渡すなんてゲーム、ひさびさにやったな....。

七日

夜は当直。
なんかこの日は危篤の患者さんが多い。朝までに計三人を看取る。けれどもコールはほとんどその人たち絡みだけだった....。

八日

午前往診・午後カンファ。当直明けの頭には少々辛い...。
往診ではひとり調子の悪い人が。処方追加して様子を見ることにしたけど...心配。

先週末寝まくらなかったせいかなんとはなしにだるさが。この週末は徹底的に寝ようと決意。

九日

長崎原爆忌。東京は大雨だったけれど、長崎では日が射していたよう。──あの日のように、といってもいいのだろうか。

午前中はその雨をついて関連の透析クリニックの方へ行く。外来で維持透析をしている人を診ているクリニックだから落ち着いているかといえばそうともいえない。
不整脈既往の人とか、透析歴30年の人とか、当年とって94歳の古強者とか。けっこう大変だな..。

相方のパソコンに伺かをインストールして時々遊んでいるのだけれど、ヘッドラインを眺めていたら「月は東に日は西に」という言葉に反応してしまう。──あわてて飛んでみた先がこれ
えっと、馨さんはどこにでてくるのでしょうか(ばきぐしゃ

十日

朝寝をする。昼寝をする。おしまい。(嘘)

あとは浴衣を買いに行ったことと、親・妹とバーベキューの会をしたことか。角帯の締め方覚えないとなぁ。

十一日

一気に患者が週末で減る。はふ。
午前中の外来ではカゼとか検診異常とかいつもの高血圧の人とか。まぁいつもどおり、でしょうか。
今週末がケースカンファレンス。死亡患者さんの臨床病理検討会。準備間に合うかなぁ....
とかいいながら、「踊る大捜査線 The Movie」とかヴィデオで観ていたりする....。

十二日

朝から刺して刺して透析の指示書いて....。
午後の救外では症状はあるが診断ははっきりしない人をひとり入院に。あとで肺梗塞と判明したと聞いた。──はぁ、大事に至らず何より。

カンファレンスは来週だったことが判明。一気にテンションが下がる。(爆)。「ならゆっくりやれば間に合うなぁ」とか言いながら間に合わないのはお約束。

十三日

朝から関連の透析クリニックへ支援。夏休みが多いので手が足りずに....。
ほとんどは「いつも通りに」指示すればよいので問題ないといえば問題ない。中には一日で引ききれないほど水を飲んでしまったらしく補習追加透析を申し渡した人も出たけれど。

十四日

夏休み支援シリーズ第二弾。外来支援の巻。
一般内科外来担当の先生が4人中2人お休みということで、「一時間でもいいから」なんて約束で外来に入る。薬の処方だけの人が多くて、その他もほとんど問題のない人たち。1時間で10人くらい捌いたかな....。

この日はそれから腎生検をやって、夜からは残り番外来。夕方から夜間の救急をやる。ベッドが空いていないせいかほとんど来ず(救急隊からの問い合わせも「ベッドがないんですが...」というと他を当たりますと返事され)。
ひとり母親が付き添って子供の患者さんが来て。終わって帰りがけに父親が顔を出して「覚えておられるかどうか、以前診ていただいた○○です。」とご挨拶。一秒くらい間が合って、以前診た患者さんの息子さんだと思い出した。
けっこう患者さんは覚えているんですねぇ.....悪いことはできないなと思ったりする。

十五日

敗戦記念日、と言うべきか。「僕たちは戦争に負けた国に生まれたってこと/どういう意味かは人によって少しずつ違うけれど/その事実だけは誰にも違わないってこと」("神の恵み〜The day of Providence"さだまさし

往診は数は少ないものの新人の看護婦さんが入って少しゆっくり回る。新人とはいってもこれまで病棟でばりばりやってきたキャリアのある看護婦さんなので能力的には折り紙付き。でも、往診というとまた勝手が違って戸惑うらしい。

午後は回診。患者が少なくてあまり大した突っ込みもなく。

十六日

有明聖戦。二日目から参戦。
わたし的には創作小説系がこの日ということでメインといえる日。午前中のうちに西ホールを回って「MillionMeans」やら「ジャンク・ヤード」「零細出版独創丸」「ふぁ〜む」などチェックする。あんまりこれまでふらっとみて買うというのをやっていなかったのだけれど、少しずつ開拓していこうかなとか思いながら。
その後持ち場に戻ったら忙しくなって、三時近くになって東の方を回りに出たけれどあらかた売れてしまった後のよう。ライトノベル・フェスティバルだったか、鉄人定食((C) イリヤの夏 UFOの空)の特集本があったようなのがちょっと残念。

終わった後は相方と待ち合わせて食事してホテルへ倒れ込む。つっかれた...。

十七日

聖戦最終日。三日続けて雨とは...。

軽い朝食をとった後、水上バスでビックサイト入り。浜松町日の出桟橋から二十分程でついて割と空いているというあなどれない交通機関。ホテルが浜松町だったので駅まで歩くのと桟橋までとはあまり変わらないくらいだった。

この日回ったところは結局あまり多くはない。「カネハル」「夢幻飛行」「雪待月」等に加えて、人から教えてもらった「ブロック長島耕作」の本など。「ブラックジャックによろしく」のパロディ「ヨネザワヨシヒロによろしく」にバカ受け....。

さ、祭りは終わった。後は読まないと(爆)

十八日

月曜日は忙しい。外来があって週末に入院した人を受け持ちしたりするから。
今日は一人外来担当医師が休んで普段の三割増で忙しい(当社比)外来を終えると、本日入院の透析導入患者の透析開始をして。

夜は飲み会。同期とか先輩とか気のおける相手と。

十九日

朝は院内救急コールで始まる。出勤して机にかばんを置いたところで緊急放送を聞いて病棟へダッシュするはめに。
なんとか落ち着いた後はちょっと普段より忙しめに新入患者さん診て透析室へ行って。

午後の救急は手を休められない程度に患者さんが来て、けっこう疲れる。よくわからない意識障害の患者さんとか来るし。はぁ。

二十日

夜、戦利品(笑)のチェックをする。過去刊と引き比べて買い忘れを見つけてみたりするのもいつものこと。
他には「ビートのディシプリン Side B」も読了する。(読みかけだった奴)。

二十一日

明日がCPC、ということで夜は少し準備に走る。何とかなりそうだけど....心配。

二十二日

午前往診は先週ついたルーキーの看護婦さんと。往診の特殊性は最小メンバーで患者さんのみならず介護者への対応もして、事務処理(会計など)もしないといけないというところ。そういうところに慣れないといけないのが大変とのことだった。

午後はカンファ。大社長(仮名)が夏休みのため軽く。
その後問題のCPC。臨床経過がうまく説明つかないところがあるケースなのだけれど、「説明がよくわからないのでもう少し詳しく教えてください」言われてもねぇ.....。

二十三日

もともと午後は外来日直──つまり救急外来当番。午前中も半分やることになっていたのだけれど、午前の残り半分を担当していた先生が急変対応で来られないため、結局一日救急当番をやることになってしまった。

夜は近所の神社の例祭へ。浴衣を着て縁日を少し冷やかした後、ご飯を食べてお酒を飲んで。いい気分になって帰ってきた。

二十四日

午前は家事をして過ごす。流しを掃除して洗濯して布団を干して。いい天気の時に洗濯とかはしておかないとね。

その後は買い物へ。
初めてまんだらけに行ってお買い物。ねらいの品は「熊野先生」(モーニングKC)。
首尾よく手に入れて早速読了。筋立て的にはやや現実離れしてるところはあるのだけれど、「こういうフライングがあってもおかしくない」ってところはある。
提供してもいい、という気持ちの人がいて、貰えるものなら貰いたい、という気持ちの人がいるとしたら、その相互の気持ちをつないであげるシステムがあってもいい、と思う。ただ、現状の日本の風土の中では「自分の死に方」を議論する空気があまりにも少ないから、まさかの事態の時に「脳死移植を」という意志が表明されることが少なすぎる気がする。
死ぬことは不吉なことでも何でもない。万人に平等に訪れるひとときなのだと思う。それが次の瞬間であるか、永遠にも思える時間の果てなのかは誰にもわからないけれども。

二十五日

患者さんが増えてきて現在8人、かな。新しい人も多いからけっこういっぱいいっぱい。

夏休み期間を使っての実習の学生がたくさん来ている。必修化二年目世代となる五年生がこの時期になると多い。
嬉しくもあり、受け入れは大変でもあり。学生さんの希望を聞こうとすると特に。

二十六日

今週は腎臓内科所属の先生がひとり休みをとっている。もうひとりの先生は火曜日外来。──気がつくとわたしだけしか残ってなかった。(^^;)
そんでもって、透析の指示出しをしていくと日が過ぎた。

夜から当直。日中で空床がほとんどなくなったせいもあってか、入院も少なくてあまり呼ばれなかった。

二十七日

水曜・木曜は一日病棟にいられるせいもあって、ここらへんでたまった仕事を片づけるというパターンになりつつある。
朝はシャント血管の造影、終わってから他の患者さんを診て家族と面談してほかいろいろいろ。現在受け持ち10人もいるしね。

帰ってきてメールを読んでいたら、18日の記述についての突っ込みが。正確には「気の置けない相手」なのでした。何となく「『気を遣う』ようなことをしなくていい相手→気を置き去りにしても大丈夫な相手→気の置ける相手」みたいな連想が働いたもので....(いいわけ〜)

二十八日

一日病棟にいる。退院が三人ばかり週末に予定されているのでそのサマリーとか。あとは面談とか面談とか。
患者や関係者と会って話をする、というのは仕事の中での比重が大きくて、治療に当たるもの同志のコミュニケーションが治療の成否を決めるとも思う。
その中には当然患者さんや家族も含まれるけれども、会って話をしようと思って携帯電話にかけると「わたしは高知在住なのでちょっといけません」とか言われるとぐったりしてしまったりはする。

二十九日

往診では新規の方二人。抑うつで病院にいけないという人と、痛くて歩けないって人と。往診ではいろいろな理由で訪問を開始することになるけれど、人の余裕があるならばもっと広がって欲しい診療形態ではある。
帰ってくると、更に来週からは悪性腫瘍末期の患者さんも往診するらしい。在宅看取りまでは希望していないみたいだけれど、さてどうするか。

帰ってきてちょっとメールでもみようかとを起動してオートパイロットを開始すると、やけに時間がかかる。みると見慣れた添付ファイル付きのメールの画面。オートパイロットをとめて一度ログアウトしてInterway経由で入ってみると、300通くらいの未読メール(ほとんど添付ファイル付きでしかも知らないアドレスから英語のタイトルで送られてきている)。spamもしくはウイルスメールによるものと思われたが、何故そうなったのかはよくわからない。
とりあえずInterway経由でざくざくと不要なメールを消していくという面倒な作業に時間をとられる。

三十日

出勤はしたけれど結局病棟の仕事はほとんどせずじまいの土曜日。ひたすら救急外来にいた。
救急車も三台くらい、転送になる患者さんはいるし少々重めの喘息の人とか来るし。ばたばたばたという感じだった。

帰ってきてご飯を食べに。疲れる一週間.....

三十一日

そんでもってこの日も出勤。日直と残り番。救急外来やって、ちょっと病棟の方を見て。
全然余裕のないままに必死でやっているといつしか夜。引継を終えてぐったりとして帰る。──そんでもって明日も出勤だぁ。  


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ