歳時記(diary):七月の項

一日

すこうし寝不足で朝礼を終えて、研修先を後にする。少し心残りをおいて。

古巣に戻ってはきたけれど、そんなにいきなり仕事がある訳もなく。今後はしばらく腎臓科で仕事をしていく予定なので透析室をうろついたりしてから、午後外来。
もともと火曜午後の枠でやっていたが今後は月曜日に移る予定なので今日は臨時。それほど混みもせずゆっくり過ごす。
一人手の震えと失神発作を主訴にきた人。仕事はと聞くとコンピューター関係とのこと。忙しそうだよなぁ。

この日は髪も切りたかったしさっさと帰ったのだが、腎臓科の先生にはあまり会えずに帰ってしまったので一部に心配をかけてしまったらしい。──そーゆー心遣いはうれしいけれども。

二日

入院患者なし。
透析室をうろつきつつ、少しずつ仕事を覚える。シャント(日本語で書けば動静脈短絡路とでもなるだろうか)を脱血用の針(献血のとき持ち出される針くらい太い)で刺すこととか、機械をつなぐこととかが初心者がまず覚えること。それすらもばしばしダメだしされる(by看護婦さん)。一年目に戻ったみたいな気分になる。
午後は──えっとなにしてたかな。とりあえず、iBookにMacOSX 10.2をインストールしてましたね(核爆)。

夜、帰ってからSafariをダウンロードしてインストール。さっそく哀愁日記に行ってiso-2022-jp2を表示できるか確かめると、(韓国語が文字化けしていたものの)表示はOK。返す刀で補助漢字のページロマンを追え!にも行ってみると、補助漢字もきちんと表示できて、ローマ数字は3,999の制限を越えている可能性もあった。(というのは、わたしがそれ以上のローマ数字を把握していないため、正しい表示ができているのかどうか自信がない(爆))。
とりあえず、すごいぞSafari、とだけ言っておく。

三日

二人入院を持つ。やっと仕事が始まったという感じ。

夜、宴会。一年目その他と一緒にくっちゃべる。けっこうハードな経験を積んでいる....>一年目
当院の研修チーム内ではチーム責任者を「お父さん」直接指導担当を「お兄さん・お姉さん」みたいに表現しているらしい。個人的にはなにか違和感。伝統的な家父長制度と民主的議論や対等平等の関係を基本とする医療チームとは違う気がするんだけれどなぁ。

四日

この日は昨日入院した人のことで忙殺された気がする。いや、往診とかカンファとかあったんだけど。
もともとあんまり自覚症状がなくて、血液検査の異常はあったもののそちらも落ち着き傾向。今日は荷物を持ってふらふらと歩き出してしまったり、医療器具をいじり出してしまったり。
身寄りがなくて生活保護の方なのだけれど、外来で精査することにして帰宅とした。

そのまま夜は当直。
敗血症の患者さんで血便が出たとか呼ばれてどきどきするけれども、打てる手がないということで点滴を追加して経過観察。「まず患者さんを悪くしない」てのが各種処置の大前提であったりする。ギャンブル的に処置を行おうとしても、だいたい悪い予感が的中するものだから。

五日

当直明けで帰って休み、昼から車を飛ばして三郷方面へ。一年目研修医のOSCE(客観的臨床能力試験)の評価者役をやりに。
始めのプランでは中央道から環状線〜六号線で三郷、だったのだが、永福辺りから首都高が混んで、堀切まで並んでいる様子、しかも三宅坂を過ぎた時点で集合時間まで三十分、という状況になり、五号線から環状二号線〜小菅〜三郷とたどって何とか遅刻を十五分で食い止めた。
着いてびっくりしたことには神経診察のステーションは評価者わたしひとり....いいのかそれで?(^^;;;; 手を抜かずにやったつもりだが、知識の少なさゆえに間違った評価を下していないかどきどきもの。

帰り際に旧研修先に寄って荷物を回収して帰ってきた。

六日

のんびり昼ごろ起きる。
天気もまぁまぁだし、お茶でも飲もうと相方をバイクの後ろに乗せて、喫茶店へ出かける。初めてのタンデム。初めけっこう怖かったらしいが、少し慣れたらそれなりに面白かったらしい。初めの加速がやはり少し遅いが、それを除けばあんまり変わらない感じだった。

夜は当直。中一日はさすがに土日挟まないとつらい。
幸いにしてそれほど忙しくはなかったけれど、睡眠時間としては三時間くらいか。

七日

午前中外来。これからはこの時間。
これまで比較的のんびりやって来たけれど、午前ということもあってか常時診察待ちのカルテが積まれているような感じでちょっとあせる。もっとも、終わってみれば十二時過ぎにはすべて完了。
患者さんにしてみると、受付終了が十一時なのだから、一時間半くらい待たせていることにはなるのだけれど。

帰ってきてからncftpのインストール。ソースをダウンロードしてきて、"./configure" "make" "sudo make install"ではい完了。この日記もさっそくncftpでアップロードする。わたしのインストールの仕方が悪いのか、そういう作りになったのか知らないけれど、ncftpというコマンドがなくなって、ncftp***というコマンドいくつかという形になっている。ので、ncftpputを使った。定型処理のためにはむしろ使いやすいかも。

八日

午前午後とも病棟単位。
午前中初めに透析の開始をやる。指示を出して、刺しやすい人のシャント穿刺を行って。とりあえずいまのところは無事に済んでいる。
昼過ぎにひとり入院が入っても、のんびりとこなせた。

九日

朝一でちょっと回診。昨日入った人の熱が下がらない。結局外科的処置が必要との判断になって午後には転科になってしまった。
透析の方はまぁぼちぼち。シャント穿刺を少しずつトライしているが今日は失敗もでてしまう。透析患者さんは週に三日は受診という生活を続けているから、医者や看護婦さんはかなり近い関係になる。新人の扱いも慣れたもの、という人もいてありがたいやら恐縮するやら。「今日は調子いいのよ〜」なんて話をしながら針を刺すというのもなんとも言えない関係かな。

The Technology Terminology and Complexity Test をやってみる。結果は10/11..。英語てきとーに読み流して答えてこの結果ですか。それ系のエンジニアな人より上行っちゃってるってどういうことでしょ(超爆)

十日

医療班、ということで出張。
以前とんでもない目にあったので少し緊張していたのだが、天気の悪かったせいもあって体調不良な人はキャンセルしたらしくこともなく。
でも、雨降りの中野外は少し厳しかった。

十一日

午前中往診・午後カンファレンス・夜当直と予定の詰まった日。
午後はカンファレンスを始めようかというところでICUに急変ありとのことで腎臓内科一派(ぉ が駆けつけて手伝う羽目に。糖尿病・アルコール多飲があって今回けいれんで入院の患者さんだったのだけれど、何故か腎臓内科のDrが受け持つ羽目になる....なぜかを追求してはいけないらしい。(^^;; 言い出しっぺの法則って奴なのでしょうか(違います)。

当直は次から次へと入院が入り、結局日付が変わるくらいまで休みなし。診察してるとポケベルが鳴るってのは....。

十二日

日付が変わった後は比較的呼ばれず、多少は休めた。
午前中透析室や患者さんとの面談なんかをしながら過ごし、午後サマリなど書いているところで入院との報。アルコール依存があって今回は急性腎不全。──なんか最近、アルコール依存づいているかも。

夜、ブックオフへ遠征。珍しいところでは「荻の原日記」(夢路行/ENIX)をGetした。
その後FreeBSDマシンを少しいじる。ntpを設定したいな〜と思っていたのだが(何せ30分くらい時間が遅れていた....。)、ちょっといじってみたらあっさり動いたよう。ホントにうまく時間があっているか確かめるにはしばらく時間が必要だけれど....。こないだもmnewsがうまく動かないと思っていたら、コンパイル時に設定するsite_dep.h内で外部のMHの位置の指定がされていない(うまく動かなかった部分は内部でMHコマンドを呼んでいたところであったらしい)というミスを発見したばかりだしなぁ。sshも動かないと思っていたらそもそもrc.confでsshd_enable="YES"の指定をしていなかったし。

十三日

ntpは起きてみたらなんかトラブル。時計が遅れすぎていたか。一時的に起動して時計合わせだけしてみたらさくっと合う。

午後は買い物など。Virtual-On Marz(Sega)など買ってみる。帰って早速プレイしてみるけど...ジグラット強すぎ。PS2のスティック操作とアーケードのスティック操作はやっぱり違うのでそういう面でも違和感はあり。まぁ少しやりこんでみることにする。

十四日

午前中外来。やっぱり次々と患者さんは来るけれど、それなりに対応できた。

比較的早く帰れたので夕食の食材を買って帰る。それでもまだ余裕があったのでV-on Marsをやってみるが....「ディスクの読み込みに失敗しました」といわれて先へ進めない。
なぜだろう。とりあえず他のディスクは読めるようなので、クレーム扱いにしてみるつもり。

十五日

少しずつ患者さんも増えてきて、ばたばたばた。
昼には透析用のダブルルーメンカテーテルを挿入。透析の際には大量の血液を出し入れするので、それ相応の太い血管を刺して脱血しないといけない。そのための中が二本に分かれている太いチューブを入れた訳なのだが。慣れないのでけっこう時間がかかった。結果的には入ったのでよしとしよう。

夜は当直。この間とは打って変わって入院も少なく、呼ばれる回数も少ない。でも呼ばれ方がとびとびなので、寝ようと思ってうとうとすると呼ばれる感じ。それはそれでいまひとつ、かな。

十六日

月曜日に入っていた腹痛で透析中の患者さんがいまひとつ改善がないということで、外科に相談してみたところ試験開腹という運びに。
開腹したのが六時過ぎだったけれど、結果は結腸の切迫穿孔ということで、手術に踏み切っておいて良かったと胸をなで下ろした次第。
終わって帰ってきたのが九時近くで、それから血中の毒素抜きをかねて透析を行う。──そのために昨日に続いてダブルルーメンカテーテルを入れる。今回は比較的うまく行った。
やっぱり患者が悪くなるときは当直明け、というパターン。うぐぅ。

十七日

ひとり受け持ちして、現在7人、かな。まぁまぁというところ。
この日は腎生検があったのでその準備とか、よくわからない患者さんについてもともとの担当医のところへ問い合わせとか。
病院同士ではあまり隠し事とかしないし、聞けば教えてくれることが多い。忙しいとつい問い合わせを面倒に思うことはあるけれども。

夜、「幽霊は行方不明」(角川スニーカー文庫/矢崎存美)読了。雰囲気が好き。結末はミステリだけど全体としては不思議な話、だと思う。

十八日

午前往診・午後カンファ。往診の方では気掛かりだった患者さんが入院治療に応じてくれたとのことで、一つ懸案が減ってやれやれ。
病棟の方ではよくわからない熱が出ていた患者さんの熱の原因がつかめてきた気がする。

十九日

未明に電話で叩き起こされる。オペしてICUにいる人の呼吸状態が悪いとのこと。すわ緊急透析か、と思ったのだけれど、上の先生とも相談して、明日の朝で、ということにした。

午前中救急当番。──ていうと、いつ呼ばれるかわからなくてあんまり腰を据えて仕事ができない感じ。
終わりかけの頃が一番忙しかった。
きた人でひとり印象に残っているのが「ふらっとした」といってきたおばあさん。聞けば朝ご飯を食べようとしているときにちょっとふわっとしたという。それだけのことで、たぶん普通なら「立ちくらみ」といって片づけて日常に戻ってしまうのだろうけれど、それが心配になって救急へ来た。
診察して神経系の異常がないことを確認して、安心させてあげてお帰りいただいた。病気に対する不安を抱えている独居の高齢者って多いんだよな、と独白した次第。

夜は青年医師の会、ということで少し遅刻して会議へ。
行き帰りで「夏のロケット」(川端裕人/文春文庫)読了。火星行きのロケット打ち上げを目指す、高校時代のロケット部員たち。説得力のある科学的考察と随所にちりばめられた宇宙開発にかかわるウンチクが面白い。ラストは少し切なくて爽やかで。ちょっと年齢は行っているけれど、ある種ジュブナイル的な雰囲気を持っていて面白かった。

二十日

朝方二件立て続けに「所得税を減らせます」の電話攻撃。要約すれば、何らかの事業(ここでは勿論マンション経営などへの投資のことで、そちらの勧誘が連中の眼目と思われる)をはじめるとそこで必要な経費について税務署へ申告すれば所得税が安くなるとのお誘い。いらないっつーの。本気でやるなら同人誌でも作るわい。(ぉぃ
少しふて寝を追加した後、「ミニパト」をビデオで観る。こーゆーメイキング的なものというか、ウラ話的なサイドストーリーは大好き。

午後からお出かけしてマンガ喫茶により、「Drコトー診療所」を4巻までチェック。1巻だけは読んだことがあったんだが。
天才外科医、つーのはわりと分かりやすくて(天才内科医マンガ、って聞いたことないでしょ?)、「ブラックジャック」を初めとして人気作品もいくつもあるのだけれど、実際にいたらめちゃくちゃ危険な存在というか、その外科医がまともなリスク意識の持ち主だったら自分の幸運を毎日のように世界中の神に感謝せずにはおれないだろうというか、そんなふうに思う。
CTや造影検査などの術前検査が十分に行われていてなお、「あけてびっくり」というケースは後を絶たない訳で、緊急でしかも術前検査なしでやる手術の危険性は普通の外科医なら十分に知っていると思う。まして設備のない中では、最悪の結果に至る可能性を覚悟しなければできないことが多いと思う。──だからこそ、そこで引かずに最善を尽くす姿が人気を博すのだと思うけれど。

二十一日

昨日から今日にかけて当直。その最中に「ブラックジャックによろしく6」、「Gunslinger Girl2」「スケッチブック」読了。「スケッチブック」は立ち寄った書店で絵柄がいい感じだったので買ってみたのだけれど、けっこうのんびりした高校の美術部を舞台にした4コママンガ。

祝日ではあるが月曜日ということで、透析がある日。科長の先生が出勤して透析当番ということで、自分の患者もいるし手伝う。
人工透析の大変なところの一つは、盆暮れだろうがお構いなくやり続けなければいけないというところ。人工臓器と呼ぶべきものだから、ちょっとお休み、という訳にはいかない。医療機関の方も体制を組んで、祝日や年末年始も透析は動かしている。
昼も過ぎてぼちぼち帰ろうかな、と思っているところで急変があったということで、いろいろ手伝うはめになる。ま、これも勉強ということで。

二十二日

夜、透析グループによる歓迎会。
昨日述べたような事情もあって透析にかかわる医師はたくさんいるのが望ましい(そうしないと休みもとれない)。ようこそということで盛大に宴会が繰り広げられた。

二十三日

明日の午後から出張、ということで残務がないようにいろいろと。とりあえず現状維持なら他の先生の手を煩わせずにすむくらいに指示や処方をしておく。カルテ記載もちょっと詳しく。

で、夜は研修委員会主催の納涼会(..うん、早く暑くなって欲しい(爆))。一年目と一年目指導の医師が中心だったけれど、楽しく飲めた。二次会でちょこっとカラオケに行って叫んで憂さを晴らす。(^^;

二十四日

通常長期休みとかは朝から取ることが多いから、だいたい前日に処方や指示、現時点までにわかっている範囲で検査計画などを立てておくことになる。ところが今日は昼過ぎ、という中途半端な時間から出かけるため、出かけるまでの間に大事が起きてしまうと計画が崩れてくることになる。
願いが通じたかともあれ平凡な日。

午後から羽田に向かって佐賀に飛ぶ。同行者5人。道中では「ハッピー・バースディ」(新井素子/角川書店)読了、「死に急ぐやつらの街」(火浦功)読了。さらに後輩に「月曜日の水玉模様」(加納朋子)を貸してあげる。
ホテルにチェックインしたところで食事代わりに飲みに出かける。三日連続飲みなんていつ以来だろう.....。

二十五日

医学教育学会初日。
朝食をとりにホテルの一階に降りると、やけに混んでいる。バイキング形式の食事をキープすることはともかく、座るのにちょっとうろちょろしてしまった。

会場はそれほど規模は大きくないけれど新しそうな会場。着いて受け付けしている間にもちょこちょこと知り合いの顔を見つけて挨拶する。
発表をする上の先生のポスター張りを手伝ってから、「コミュニケーション教育」「EBMと医学教育」の口演セッションへ。それぞれに面白かったのだけれど、いくつかあげると「患者はどのような患者-医師関係を望んでいるか」「医療面接教育は『患者中心の医療』につながるか」の発表が興味深かった。前者は自己決定を大事にする論調が進む中で、若い人ほど自分で決めようという気風が強くなっているけれど、「お任せ」という人も少ないながらいて、一番多いのは医師に「助言者」の役割を求める人、とのことだった。後者の発表は、十分に時間をかけて面接する技法を学ぶ一方で試験の際にはポイントを効率良く尋ねておくことを求められるという矛盾があるという内容だった。

上の先生の発表の時間が近づいたので会場を移ってポスターセッションへ。実はこの形式は初めてなのだけれど、聞きたくて集まっている人を前に話す、という感じでアットホームさがいいと思った。発表自体はつつがなく終わって、ほっと一息、という感じだった。
その後みた「医局講座制を超えて行う腎臓内科専門医養成プログラム構築の試み」は、自分が腎臓科研修を始めたばかりということもあって興味深かった。

昼食はちょっと離れたところまでタクシーで出る。佐賀牛のお店でサイコロステーキなど。他の人は鉄板焼きやしゃぶしゃぶなど食べていたのだけれど。平日の昼にレストランでランチを食べられるなんていつ以来だろう....

午後は英語の講演が二本入っていて、日本語のシンポジウムが一つ入っていて。──英語のプレゼンテーションにはついていけませんでした(死)。
シンポジウムは「卒後臨床研修必修化を目前にして」。大学病院・臨床研修指定病院・研修医・厚生労働省それぞれの立場からの発言を聞いた。
ついこないだまで研修医としては「研修医のやる気の促進因子・抑制因子」をまとめていた発表が面白かったり。内容は至極妥当なものだと思ったのだけれど、実際にそれをちょうどいい具合に調整するのは難しいかもしれないとは思った。

発表が終わると懇親会。飲み食いしつつ知り合いを捕まえつつ名刺を配ってみたりする。先日までいた病院の研修のボスにもご挨拶。
終わった後は錚々たるお歴々(なにしろこの学会でシンポジストや座長を務める人が半分を占めていた)にくっついてファミレスへ。
「Drコトー診療所」の医師にはモデルがいるという話を聞いた。離島でけっこう大きな手術をこなしていたとのこと。うへぇ、という感じ。
もっとも、海の外へ行くと「僻地外科」なる分野があって、僻地という制約の中で患者さんを助けるために必要な外科学はという考え方があるらしい。‥‥うーむ、世界は広い。

二十六日

アラームを消してもう一眠りして目を覚ますと八時。慌てて起きて食事を摂った。
朝一から「必修化と認定医・専門医制度」の口演セッションへ。若干看板に偽りありで、初期から中期の研修のシステムについての発表が多数を占めた。外来診療教育についてや専門科のローテート研修の経験などについての発表が中心。「研修医のストレス評価のための質問票の開発」などは、研修医に限らずそれぞれの教育分野においておのおの工夫するべきものではないかな、と思ったりする。

休憩を挟んで、ポスターをいくつか見た後、昼食をとりに出かける。豆腐料理のおいしい店を選んでタクシーを飛ばしたら、満席でしばらく待たされるとの由で、中華点心のお店に変えた。
戻ってくるとワークショップの時間で、「卒前卒後におけるEBM教育の工夫」と題して、横須賀市うわまち病院の名郷直樹先生と佐賀医大の山城清二先生のワークショップに参加。冒頭名郷先生の強調していた「患者さん中心のEBM」ということが、遅まきながら新鮮な指摘で、そうかと膝を叩く感じだった。Evidenceって論文という形で天から降ってくる感じで、しかも必ずしも目の前の患者さんに使えないことも多くて積極的になれなかったのだけれど、考え方を改めようと思った。

終了後は佐賀空港へタクシーを走らせ、東京便に乗る。その後知人の結婚式の二次会に顔を出して、帰ってきた。おいしいものは食べられたけれど、けっこう疲れた。

二十七日

のんびり起きる。食事を摂って、コミケット拡大準備集会へ。天気も良かったのでバイクを飛ばしてみた。
カタログを貰っていくつか話をして帰ってくる。夏は果たして熱くなるのだろうか。

二十八日

休み明け。患者さんを見に行く暇も無く外来へ。一応看護婦に聞いて大きな問題はないことは確かめたのだけれど。
外来ではひとり90歳の喘息初発という患者さんを見つける。ううむ、どーゆー管理をしたらよいだろうか。

午後はひとり入院も入るし患者さんの状態を把握しないといけないしばたばたばた。何だか訳のわからないうちに時間が過ぎていった。
週末の金曜日にケースカンファレンスで発表しないといけないからその準備でかなり遅くなって帰った。

二十九日

昨日に引き続きばたばたばた。一日あったから少しは楽。
二人ばかり退院予定を出して、ひとり受け持ちして。早いとこ退院に持っていきたい人は半分くらいいるし。留守をしていた影響はこんなふうに出る、わけだ。
金曜日にカンファ、ということは、それまでに勉強しないといけないということでもある。一月やって来て、断片的に身に付けた知識を少しまとめ直さないとなぁ。

三十日

RPG風に行くなら。

「Genesis は 内頚ダブルルーメン挿入と そうぐう した!」
「Genesis は ダブルルーメン挿入を はたした!」
「経験値が アップした!」

いや、遭遇したのは末期腎不全で透析導入のタイミングをみている様な人だったのですけど。こーゆー人に限って自分が担当している救急外来に「ここ4,5日だるくてたまらない」なんて主訴でかかってきたりする。
診察して「こりゃあ透析導入だなぁ」なんて思っていたらデータが思った以上に悪くて、慌ててICUへ入れて透析開始。以前二回はすぐに歩けないような人だったので大腿から穿刺したけれど、今回は基本的に元気な人なので内頚から。わりと素直に入って万歳。

三十一日

明日は発表だったような気がするのに、なんでこんなに準備ができてないんだろう。(死)
おまけに夜は当直ときているし。(爆死)

できるだけ当直の間は(いつ寝られるかわからないから)できるだけ寝ておく主義なのだけれど、こうも仕事が詰まっているとそうもいっていられない。多忙とは言えないけれどぼつぼつ呼ばれてあまり寝られなかった。  


Written by Genesis
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