歳時記:弐月の項

一日

当直。
初めは穏やかそうに思えたのだが....重症が一人入院したあたりから雲行きが怪しくなり、消化管出血の患者が出て一気に忙しくなる。内視鏡では止まらず結局緊急手術に。大騒ぎの一夜だった。

二日

直明け。午前中軽く寝た後、相方と連れ立って奥田民生のコンサートへ。行きがけに「さみしさの周波数」(乙一/角川スニーカー文庫)読了。
アーティストのセレクトは相方の趣味で、わたしは予習もしていなかったせいでいまひとつ乗り切れず。バックバンドのパーカッションのリズムなどが気になってみたりする(滅)。エンディングの「わたしを月に連れてって」の使い方がなかなかウケた。
会場はイスがいまひとつよくないのだが、直明けでリラックスできる極上のイスに座ったりなんかしたら意識消失を来したこと間違いなしなのでこれはこれでよしとすべきだろう。

三日

某若い女医さん曰く「なんか、わたしが受け持つ若い男性の患者さんは、弱いのが多くって」。症状が治まってきているのに「帰る自信がないから」と入院継続を希望していたりする人がいて苦労しているらしい。
もう一人、という話で、ナレーター志望という患者さんがいて学校にも通っているそうだ。病室でも筋力トレーニングなどしているので何故と聞いたらナレーターには必要との由。そりゃあまあ発声には腹筋が大事とかそういった意味合いなんだろうなぁと理解したのだけれど、ふと妄想が動き出す。

某ナレーション専門学校。制服は男性は海パンのみ、女性はビキニスタイル。オイル使用可。この学校のカリキュラムは筋トレが重視されている。いつもジムにはトレーニング中の生徒がいる。
「ナレーションに必要なのは、健全な肉体、そして熱い魂なんじゃぁぁぁ」が校訓であったりする。
試験の際に重視されるのは台詞に込められた魂の叫び、そして繰り出されるポージングの美しさ。光り輝く肉体から繰り出されるパワフルなナレーションは聞くものすべてを気絶させるほどの力を誇るという。そのため、完全防音の校舎であるにもかかわらず、周辺住民からは騒音の苦情が絶えないという。

はっ、気がつけば兄貴ネタに毒されている気がする....(滅)

四日

昼休みで「ブラインド・エスケープ」(樹川さとみ/富士見ミステリー文庫)読了。このスピード感は割と好き。

夜帰ってから起動しない端末の修理を試みる。やはり移植が必要か。

五日

午前病理・午後救急の予定となる。
午前中はプレパラートと格闘しつつお勉強。染色法によってそれぞれ違った顔を見せるのが難しい。
午後は救急だったのだけれど――入院が合計四例。診察して指示出ししているだけで終わってしまった。

六日

午後より剖検一例。卵巣癌の方。
腹腔内に転移がいくつもある状態だったが、原発巣とおぼしいところは小さな病変だけ。――改めておそろしいと思った。

剖検後、大ボスの先生は他病院の剖検室のこけら落としに招かれて外出。中ボスの先生とこんな会話。
「こけら落としって何するんですかね」
「さあ、モーニングでも着てやるんじゃないの」
「も、モーニングっすか」
「あ、昔はね、大学の教授とかが亡くなったときには剖検室に白黒幕を張って、モーニング着てやったもんだってよ。」
今では解剖の時には手袋にマスクに術衣と完全武装で臨むが、いまだ素手で解剖が行われていた時代のことだそうだ。
ちなみに、特にこけら落としに何かのお作法があるという話は聞いたことがない。

七日

午前中往診。
この日のハイライトは緊急往診となった在宅酸素の男性。入院は絶対に嫌とのことだったが、少しでも体を動かすとひどい呼吸困難が来るため、法外な量の酸素吸入を自分で始めてしまっていた。
普通在宅酸素の機械は毎分7リットル流すのが精いっぱいだが、その機械に加えて超緊急用という大型酸素ボンベを業者に言って持ってこさせ、それを二本使って最大毎分24リットルの酸素吸入をしてようやく息をつないでいた。
それでいて意識の方はクリアで、世話をしている人にあれこれと指示を出し、説教までする始末。なんというか、度肝を抜かれた。
「看護婦30年やって来て、こんな人初めてみた」とは一緒に行った看護婦さんの弁。これで最期を迎えたとしても、それはそれである意味大往生なのではないのかと思ったりした。

トラブっているFreeBSDマシン。IDEのPrimary Master HDDがトラブルのもととみて、それを外して新しいHDDを組み込む。無事に認識され、FreeBSD4.7Releaseがすんなりインストールされた。
もともとPrimary MasterにはWindows関連ファイルが入っており、Primary SlaveにBSDのファイルがインストールされていたのだけれど、/etc/fstabを書き直したらきっちりPrimary Slaveも認識されて、昔の資産が引き継ぎできそう。

八日

午前中救急外来。あまりお客さん(違)が来ず、午前中は比較的時間の余裕が。
そうしていたら院内のケースワーカーから電話。他院でインスリンを処方されている人なのだが、闇金融の取り立てがきつくてかかりつけ医にもかかれない(そこから足がつきかねないそう)ということで、薬を処方してもらえないかとの相談。出来れば入院も....との希望もあるようだったが一介の研修医には判断がつきかねるといって上席医に判断してもらうことにした。
病気しようが何しようが、きっと取り立てるほうはお構いなしなんだろうなぁ。

仕事終了後には歯医者に行き、その後相方と待ち合わせて下北沢へ。言わずと知れた「ほしのこえ」を観賞に。
「彼女と彼女の猫」と、新海さんの次回作のパイロットフィルムも公開されていてなかなかお得....と思ったのだが、劇場はけっこう空いていて、いつでも観られる感じだった。
観賞の前に回転寿司屋で夕食。結構食べた。

九日

午前中はちょっとだらだらして、それからFreeBSDマシンのセットアップ。まずはppp接続を可能にするべく、またついでにipfwの設定をすべく、カーネルの再構築。せこせこコンパイルしている間に床屋に行ってくる。(なにしろ133MHzのCPUなもので...。)
さて次はppp接続、と思ったのだが、なめてかかっていたらどうもうまく行かない。いや、ppp接続自体は出来ているようなのだが、パケットがThe Internetへ出ていかないようで苦労する。フィルタリングかDNSか、そのあたりのトラブルらしいのだが、わからないので投げる。

夜から錦糸町でFCASEのOB会。ホテルのディナーバイキングということでひたすら食いまくる。合間にちょこちょことお話も。

帰ってきてちょっとだけ触るつもりでFreeBSD機を立ち上げたら、なぜかppp接続が可能になっていた。まずはめでたいと、さっさと各種packageのインストールを開始した。

十日

CFの日。
いや、きつかった。──それでもまぁ、必要と思えばオーダーするしかないなぁ。(鬼) この日記書いている今もおなかがごろごろしていたりする。

そのまま夜は当直。──きつかったらどうしようかとは思っていたのだが、まぁ普通でほっとした。

十一日

当直明けの朝方、既に取り出された心臓に心臓マッサージをしているというよくわからない夢を見る。

ちょっとぐったりした後、午後から調布の深大寺温泉ゆかりへ。カラスの行水券(¥1,000)でとりあえずお風呂だけ楽しむ。もすこしゆっくり漬かる機会があってもいいなぁとは思う。

十二日

帰ってきてから、FreeBSDマシンの設定に取り組む。Xserverの設定、isc-DHCPdの設定など。ゲートウェイマシンを作成するメモ等を参考にした。これにnatをかませればもとの環境の出来上がり。何とかうまく動き出した。
残るはメール環境の復旧だが....mnews+imの環境が再構築できるのだろうか?

十三日

病理検査室で午前中に剖検検体の切りだし。
三月にCPC(臨床病理検討会)にて病理側のプレゼンテーションを受け持つこととなり、その症例。肝不全で亡くなられたのだが、その経過を病理学的にどこまで解明できるか?というわけ。大変だ。

夜帰宅してからmnewsのコンパイル。どうもセキュリティホールが発見されているらしくFreeBSDのpackageからも削除されているし、makeをかけるとエラーでコンパイルが止まるしで難渋する。あやしいところがネットニュース絡みであるようなのを幸い、コメントアウトしてむりやりmakeを通してインストール完了。無事にメールは読めるようになった。ついでにimをセットアップまで済ませた。

十四日

ウァレンティーヌスの日とよぶべきか。別にマリみてに影響されたわけではないが。
それらしいイベントは病棟の看護婦さんからプレゼントを貰ったことくらい。──お返ししないとなぁ。

十五日

現在受け持ち患者は二人で、ともに悪性腫瘍の末期。そのうちの一人にモルヒネ使用を開始したのだけれど、使うと楽にはなるのだが意識レベルが下がる。家族とも話した上で、その状態で今後を過ごすこととした。
意識があって話が出来るけれども苦痛もある状態と、意識も下がって何も訴えなくなるのと、どちらを選ぶのか。一言では結論が出せない問題だけれど。

十六日

相方とジブリの森美術館へ。予約制でチケットをあらかじめ買ってあったので、のんびりと開館時刻の十時ぴったりに門前に。──かなり並んでるなこれは。
入ってみるとそこそこ混み状態だったけれども、展示を観るのに困るほどの人ではなかった。たぶん普通に来た人をすべて入場させていたらとてもこの程度では収まらなかっただろうから、完全予約制とした判断はとても正しかったのだろうと思う。
特別展示は「ラピュタ」にでてくるような空想科学の世界の特集で、空飛ぶ機械・水に潜る機械などの特集だった。「ラピュタ」や「紅の豚」は何も考えずに冒険活劇として楽しめて、エンターティメントとして優れた作品だと思う。いろんなメッセージがこもっているのも味があっていいけれど、ライブ感がいい作品も大事だと思う。
二階にネコバスのコーナーがあって小学生以下優先とかなっていたりするのだけれど、残念そうにしている大人は少なからず見受けられた。もちろん子供たちも「五分だけ」とか限定されてしまって、「もう終わり」といわれて泣きわめいている子もいたりして。ま、しょうがないよね。
ちなみにネコバスの隣の部屋の図書室にはジブリ関連の各種の書籍の他たくさんの児童書・ファンタジー作品などがおかれていて、じっくり見ていくとかなり質が高い。評価の定まった名作はもちろん、以前触れた「肩胛骨は翼のなごり」や、「西の魔女が死んだ」など比較的新しい作品まで網羅していて参考になる。さっそく数作品を注文したりして。

帰ってきて夕方から当直。呼吸状態悪化の患者さんが多かった気がする。

十七日

泌尿器科べったりの日。午前外来・午後手術。
手術は腎癌の患者さんだったが出血量が多く。腎臓って血管の固まりみたいな臓器であることもあるのだけれど、腫瘍が表面に太い血管がのたくっているようなやつで、はがしていくとじわじわ出血し、血圧が下がったりするようななかなか厄介なもの。何とか無事に終わってほっとした。

十八日

午前泌尿器外来・午後内科外来。
泌尿器科の守備範囲にはもちろん性感染症が含まれている。女性の場合には婦人科に行くことも多いから、患者は男性が多い。
排尿時痛と膿が出ることを主訴に訪れた男性。いくつか症状を尋ねたあと、先生はおもむろに「で、覚えは?」。患者さん「はぁ、まぁ、なくはないと...」一瞬なんのことやら状態だったけれども、性病に感染するようなところで遊んだことはあるかとさりげなく尋ねたわけ。
なんで性病かと思ったのかと後で聞いたら「いや、そんな感じだったから」と先生。経験が見抜くのだろうか。

十九日

午前中病理。今度の発表に向けて、過去の症例の検索など。
午後の救急は終了間際の心筋梗塞のみ。心電図を見てびっくりしてあわてて循環器科にコンサルト。緊急PTCAとなった。

二十日

一日病理の日。昨日と同様の勉強。
直接患者さんを診る訳ではないけれど、診断の確定のための仕事だからおかしなことを言えば治療方針が誤ってしまう。たとえばがんと診断をつけるかどうかで手術の必要性や、投薬の内容が決まってくる。責任がけして軽い訳ではない。
ま、急変したりはしないけれどね。

二十一日

昨夜より当直。一人自分の患者を看取る。悪性腫瘍の末期。息子さんに看取られて、一応それなりに納得のいく形で。
他にはあまり呼ばれなかったのだけれど、朝方一人急変して、蘇生をしてICUへ転床する。一時的には蘇生できたのだが、後ほど聞いたら亡くなられたとのこと。原因がはっきりしないのだが──。

「プラネテス 3」(幸村誠/講談社モーニングKC)読了。
還るところ、ねぇ。時々わからなくなるけど、きっと今いる「ここ」なんだろうなぁ。

二十二日

朝方まだ布団の中にいるところに病棟より電話。もう一人の受け持ち患者も状態が悪いとのこと。すぐに行って、看取る。このかたもやはり悪性腫瘍の末期。約半年ばかり入院続きだったけれど、これでよかったのだろうかとも思う。
これで、病棟受け持ち患者がいなくなった。
この日は泌尿器科の先生方は学会で、外来も休診。ということで午前中は茫洋と文献など読んで過ごす。

帰宅してから教科書ガイドの設定に時間を費やす。CGIメールとMHonArcnamazuとを組み合わせただけの単純なものだが、ちまちまとこだわってみたりするととたんにCGIの知識のなさが邪魔をして袋小路にはまる。
とりあえずもちょっとのところまで作り上げる。

二十三日

だらだらと教科書ガイドの設定をいじりつづける。何とか形にはなったが、実際に動かしてみるとMHonArcの挙動やメールヘッダなどに不満が残る。とりあえず公開する方向にして、残りは折りを見てやっていくこととする。
日本語メールのメール本文を丸ごと<PRE>でかこってしまう挙動が問題なのだが、検索してみるとパッチもあるようなので今後の課題とする。

もう一つやっていたことはPlayStationでメタルスラッグX。ゲームセンターではやっていたのだが、PSでやろうとするとパッドが違うせいで特にジャンプ&射撃に難渋する。二面のボスとか、ジャンプ&下向き射撃が出来ないと攻略できないし。うむむ。

二十四日

午前中泌尿器科外来・午後ope。
手術は腎摘出術。先週と同じく腎癌だったが今回は比較的早く終わる。腫瘍が小さかったからかなぁ。

夜、住まいの契約更新の為の更新料の振り込みを東京三菱銀行というとっても大きな銀行のATMからやろうとして「取扱時間外です」といわれる。ATM自体は動いているのに。
おいコラ。つまり自分とこの銀行に口座を持ってない奴は客じゃないってことか。
しょーがないので地元の信用金庫のATMを使って振り込み完了。ま、実際に処理されるのは明日だけど。

二十五日

午前泌尿器科外来・午後内科一般外来。

午後の外来では、指導の先生に「もっと患者の希望をきちんと把握する」ことを強調された。「単に症状がある」から外来を訪れるのではなくて、たとえば「診断をつけて欲しい」「薬が欲しい」「大丈夫だと保証して欲しい」「検査をして欲しい」などなど。
これまで救急外来──すなわち、症状を取って貰うために行く外来──で主に仕事をしていたせいか、それ以外の要望に対してむとんちゃくな嫌いはあると思う。

終わった後で電車を乗り継いで某秘密会議へ。行く途中で「キーリ 死者達は荒野に眠る」(壁井ユカコ/電撃文庫)読了。広く言えば"最終戦争以後"の世界の物語で、そういった作品によくあるどこかすさんだ世界がベースなのだけれど、読み終えて少しは元気が出る気がした。
行く途中でゲーマーズによって本を物色したのだけれど、店頭に「GUNSLINGER GIRL」が平積みになっていた。いやわたしはそこそこ前に入手して読了してますが。

二十六日

某秘密会議終了後泊し、この日は旧大日本帝国の秘密基地として計画された大本営跡の見学。実際はただの洞窟に近いのだが、それが九ヶ月ほどの間に人命を消費して作られたものだと思うと恐ろしいものがある。
実際に上層部が勝てると思っていたのかどうか推測するのは止すけれど、彼我の勢力差、また総力戦を挑んだ会戦の結果を見れば、勝てないと思うのが妥当だったのだろうと思う。「戦果をあげて有利な条件で降伏」というシナリオも描かれていたようだったのだけれど、それが実現可能であったのかどうか。
実現不可能なシナリオを実現するために命が費やされたと考えるのは辛いことではある。

帰り道の供は「象と耳鳴り」(恩田陸/祥伝社文庫)。関根多佳雄氏がとってもいい味を出しているけれど、その子供たちのキャラも捨てがたい。「六番目の小夜子」の登場人物達のその後はちょっと気になったりする。

二十七日

病理の日。この日は腎癌と格闘。比較してみると違いがわかってきたりする。

二十八日

え、もう二月終わりですか(爆死)

この日のお仕事は往診と救急外来。往診の方ではひとりほったらかしの患者さんをめぐって家族とお話(というか一方的にこっちがしゃべっていたというか)。
介護保険があるとはいうものの、それをうまく運用すれば必要な介護が与えられるほど制度は上手くできておらず、かなりの部分を家族の介護に頼らなければならないのが実情であったりする。この患者さんの場合にはさらに本人は独居(しかもあまり自分の意思表示は出来ない)で、息子が離れたところに住んでいるけれど「ヘルパーさんに任せているから」状態で、任せられたはずのヘルパーさんの仕事ぶりがいまひとつ‥‥ということで、こんな状態では患者さんがかわいそうとこちらがいきり立っている形。
ビジネスライクに行くなら往診だけやっていればいいのかもしれないけれど、それで満足できるようなら悩まない。いろいろすれば状態が改善できるのに、と思うと、要らざる悩みも増えてくる。  


Written by Genesis
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