歳時記:神無月の項

一日

遅寝早起き(といっても1時7時くらいだが....)
一つには指導医の先生からの突っ込みが厳しいこと。「調べといてね」について調べているとすぐに遅くなってしまうし、そもそも患者さんの状態もどんどん変わっていく。
新しい患者を持つことイコール新しい疾患の病態と治療を知ることだったりするし、どんどん患者が増えている状況では勉強の方が追いつかない。
‥‥かくして今日も帰宅は遅くなってしまった。

二度目の一般外来。台風の中、しかも午後ということもあってのんびりと診療。
この日の印象的な患者さんは糖尿病を指摘されて初受診の方。各種問診をとり、今後も外来に通ってもらうことにした。
もう一人は不眠・腹痛・吐き気を訴える人。話を聞くからに精神的なもののからみがありそう。ベストは精神科管理と話したが、「精神科というと印象が悪くて....」と躊躇していた。次週の外来へ誘導して、その時までに考えてもらうことにした。
こころの問題は難しいと思うことしきり。

二日

午後カンファレンス。
受持患者についてプレゼンテーションしていくのだが、わかっていないところを狙い澄ましたかのようにぼろぼろと突っ込まれる。とりあえずは胃の解剖と上部消化管造影の勉強だな.....。

受持患者が徐々に安定してくると、余裕も戻ってくる。少しは早く帰れた。

三日

午前救急外来・午後病棟の日程。救急外来はこともなく過ぎ、患者も比較的落ち着いていて穏やかに過ぎる。
午後、一人入院を受け持ち。強い黄疸が生じてきている男性。おそらくは悪性腫瘍。まずは入院して精査ということになったが.....。どういうことになるやら。
消化器科では悪性腫瘍も多くて、インフォームドコンセントや告知の問題が難しい。

四日

当直明け。夜はぼろぼろ呼ばれたり自分の仕事をしていたりして、眠れたのは二時間くらい。
午前午後とも病棟単位で、患者さんに会ったり何だりしていると日が暮れる。結構疲れているので、座ると眠気が襲ってくる。なかなか大変ではあった。

五日

午前救急外来。十一時頃まで暇で、病棟で患者さんに会ったりしていたけれど、その後は救急車が三台くらいきて右往左往。
それに混じって「何だか全身がだるい」という焦点の絞りにくい訴えの患者さんがきて....頭を抱えてしまった。どこに問題があるのかはっきりしにくくて、正直言って気のせいにしたくなる。それではいけないのであれこれの検査のオーダーを出して午後の先生に引き継いでしまったのだけれど...。

夜は半分だけ当直。夜の十一時までだったのだけれど、その間に一人患者さんを看取る。
臨終に立ち会うと、自分ならどうでありたいか、と考えることがある。この日思い出していたのはさだまさしの「最後の夢」。人生の最後に、望みの夢を見るならどんな夢が見たいだろう?

六日

きっちり休日。家族サービス(違)の日。
それでもちょっと病院に顔を出して、本屋さんに寄って医学書をあさる。「ハッピーバースデー」も「鵺姫異聞」も医局の本屋に注文をかけてあるのでそちらは見ないようにしてそそくさと昭和記念公園へ。ちなみに書店では先輩の先生二人の姿を見かけた。ここいらではいちばん医学書が充実している書店だから、なにがしか探しに来たのだろう。
記念公園は本日無料開放の日であったらしく、ただで入れた。みんなの原っぱのコスモス畑まで行って昼食。というかこのために来たというか。天気も程よく、花も綺麗に咲いていて、人出はとても多かった。それでもあまり狭苦しい感じがしないのは、ただひたすらこの公園が広いからなのだろうと思う。
夜は友人某と夕食会。かなり久しぶりに会う友人で、わいわいとやりながら食事をした。

七日

午前救急・午後病棟の日程。午前中はあまり呼ばれず、比較的のんびり。
しかし、その後来た肺炎の人が難物。ある意味では普通の肺炎なので入院させて点滴でもすればよくなりそうなのだが、当院はベッドが満床。となればよその病院を当たることになるのだが、寝たきりの人(そうでなくても高齢者)はなかなか入院させてもらえないことがある。(この話は前にも書いたが)
とりあえず診断がついたあたりで午後の先生に引き継いでしまったのだが.....ごめんなさいと思いつつ。

八日

多忙な一日。
何故か。午前中は往診研修・午後は一般内科・夜は当直研修。つまり、病棟の患者さんに会いに行く時間がない。(死) すき間の時間を使って何とか最低限はやったつもりだけれど....。
往診にもこれから入っていくけれど、これはやっぱり面白そう。患者さんがひとりの人間として、自分の家で生活できるようにするのがこれからの医療のあり方かもしれないとは思う。そのためのサポートとしてはまだいろいろな面で不足が目立つのだけれど。

午後の外来は比較的暇で、ゆっくり患者さんの話を聞けた。
そのあとの救急外来では、一人激烈な腹痛を訴えてきたけれど、来たときにはけろっとしていた人を結局入院に。血液検査の異常値が気になったのだけれど、すぐに帰りそうな気もする。

九日

昨日入院させた人は結局わたしが自分で主治医に。
んで、午後のカンファレンスで話し合った結果はすぐに退院でいいだろうとのこと。‥‥予想通りだぜ(^^;) 原因不明というのが気持ち悪いのだけれど。

十日

午前中腹部超音波の練習に入る。目的としては肝胆道系の描出の練習。肝臓は大きな臓器だけに、どこに何があるかぱっとつかめないでいるので、そのあたりのオリエンテーションがつけばな、と思っている。

比較的余裕を持って仕事が出来ているのだけれど....逆に重大なことを見落としているような気がして不安に駆られてしまったりする今日この頃。因果なものとは思うが。

十二日

朝、出勤して机のところにいると、救急呼び出しを受ける。行ってみると一時的な呼吸停止を来したとのことで、あわてて各種処置を手伝っていく。
後で思い出すと、だいぶ体が動くようになってきたなぁと思う。言われて動くのではなく、自分から何をすべきかを考え、言葉にし、行動が出来るようになっている。進歩しているんだなと思うのはこういうとき。

昼ごろ、受け持ち患者さんにがんの告知をする。
世の中のがん・悪性腫瘍の中の多くは胃・大腸・肝臓など、消化器系統のものである。肺がんも多いが、以前に呼吸器科を回ったときにはがんの告知をする機会がなかった。
いかに患者さんに悪いニュースを伝えるかは難しい問題を持っていると思うし、家族の人たちがまず本人に悪いニュースを伝えたがらないことが多い。本人が落ち込むのを見ているのはつらいし、悪いニュースを本人が受け止めきれない可能性もそれなりにある。それでも、自分のことを自分で決めていくという気持ちのある人にはまずきちんと伝えた上で、それでも前向きに生きていけるように支えられたら、と思う。

十三日

昨日から今朝にかけて当直。夜の間はあまり呼ばれなかったけれど、朝方吐血した人がいて緊急内視鏡を行う。消化器科の先生には面倒をかけてしまった。

んで、昼過ぎから妹夫婦といっしょに買い物。結婚祝いに何か買ってあげると約束したまま日が過ぎていたので、家具屋でカーペットなど買う。

夜、「あなたは虚人と星に舞う」(上遠野浩平/デュアル文庫)読了。「ナイトウォッチ」シリーズと名がついたようだが、三部作で終わるのだろうか。どうとでもとれるような終わり方だけれど。

十四日

相方の友人と会う約束になっていて、一緒に行動する。
ランチを摂って、家でお茶を飲んで、喫茶店に移ってお茶を飲む。──飲み食いばっかりやんと突っ込んでみたりする。
ご友人は火浦功さんがお好きなようだったが最近の動向をご存じなかったようで。それではと書店に連れていってスニーカー文庫やデュアル文庫の棚の前にお連れしたら、「ガルディーン」やら「俺に撃たせろ!」やらをまとめてレジへおもちになられた。
販促に協力したということで、作者から感謝状でもこないかしら(莫迦)

十五日

午後は外来。けっこう楽しみではある。初診というのはしんどい(状況把握から始めないといけない)部分もあるけれど、自分で診断し、今後の管理の計画を考えて行くのは悪くない仕事だと思う。自分の実力さえあれば、だが。

十六日

夜、当直。
一年後輩と一緒に当直する。あちらが副直ということだが、実際には練習もかねて、最初は副直を呼んでもらうようにする。
この日は満床に近かったということもあって入院も少なく穏やかな夜。とはいえ、教える立場ということもあってあまりぐうぐう寝ている訳にも行かない。多少楽はさせてもらったけれど。

あさってがカンファレンスでわたしが発表なのだが.....準備が進まない。

十七日

午前中に腹部エコーを少し見る。結構人体解剖からして忘れているところが多くて、画像に出てきた構造物を同定できていなかったりするのだが、実際に自分で当てながら同定していくとかなり覚える気がする。
その後は軽く患者さんを回ってからカンファレンスの準備。経過表を作ったりなんだりと、工夫を凝らしてみたりする。何とか夜十時には終わって帰った。(断っておくがこれでも当直あけなのである)

十八日

午前中往診。先週と同じように回っていく。
患者さん(とその家族)といってもさまざまで、何かと頼りにしてくる人もいれば、できるだけ自分たちのやり方で、それでうまく行かないときだけ手伝ってくれればいいというタイプのひともいる。独立独歩で行こうとする人たちが必ずしも医学的に適切な対応をしているとは限らないのだけれど、それも一つの行き方なのかもしれない。

夜はカンファレンス。臨床病理カンファレンスということで、以前亡くなられた患者さんの経過と病理解剖結果をふまえて、治療や病態についてのディスカッション。解剖の結果からは「なぜこの患者さんはここまで重症になったのか」の手がかりが見つけられた気がする。ディスカッションの中では治療経過の解釈や疑問が出された。
世界でも救命数が二ケタ、というレベルの病気であるらしい。それでも、一人の患者さんから病気への対抗策を見いだすことが出来れば、と思う。

十九日

当院の規定で、土曜日は一応二週に一度は休日ということになっている。この日記を読んでいるととてもそうは思えないが。
患者さんも安定しているということで、この日は病院に行かずに小旅行。日光へと向かった。

もっと早くに家を出ればよかったのだけれど、車で家を出たのが9:30、途中渋滞にはまったりして、東照宮についたのが1:00だった。昼食をとってから東照宮・輪王寺を見て、大猷院を見ていたらすでに4:00だったりして。
日光の寺社見学は小学校六年生以来。かなり久しぶりだったのだけれど、変わらない感じがした。当たり前といえばそうだが。
少々天気が悪くて、小雨もぱらついたりしていたが、なんとか本降りになる前に見終わって、いろは坂を上って華厳の滝へ。いろいろな滝があるけれど、ここはやっぱり豪快です。
見終わると五時だったのだけれど、ご飯が食べたいということでふらついていたら日光オルゴール館に出会う。中にいろいろとぬいぐるみや人形などが展示されているのだけれど、その多くにオルゴールが仕込まれているという面白いお店。オルゴールの本体にいろいろトッピング(違)をかけてオリジナルオルゴールがつくれるというブースもあって興味深かった。
しかし、そのあと夕食、と思って歩いていたらほとんどの店が仕舞っていて。「まだやってるかなぁ?」とか思いつつとある店に入って二階へ上ったら、節約のためにか電気を半分消していたりした。

帰り道でBook Offに寄って、「琉伽がいた夏1・2」を買う。帰ってシャワー浴びたりなんだりしているうちに、相方が速攻で「琉伽」を読んでしまっていた....。

二十日

雨。その中を相方が所用で朝から出かけてしまったので、ひたすら惰眠を貪る。
午後になってから起き出して、食事をとってでかける。夕方から当直だったのだが、かなり穏やかな夜だった。

二十一日

朝方呼ばれたのは両肩痛の男性。診察の結果としてはいわゆる肩凝りか五十肩か、という感じ。だいぶひどいようで昨日は主治医指示で局所麻酔薬を使ったという。それがよかったようで、今日もまたやって欲しいとのこと。どこに打ったか判然としないのだが、圧迫して痛みの部位を探りつつ数ヶ所に使った。
痛みに痛み止め、というのは原因をわからなくしてしまって有害なこともあるのだけれど、あまり痛みを放置するとそれが却って痛みを固定化する方向に働くこともある(これを痛みの悪循環などという)。この人なども麻酔剤を使うことで麻酔剤が効いているはずの時間よりはるかに長く痛みが和らいでいたようだ。
痛みがさらに強い痛みを呼び、ますます治りの悪い痛みにしてしまう──別にどこかの国の政治の話という訳ではない。

二十二日

午前病棟。昨日は実は入院が二人ばかりいたのでその患者さんを把握していたり。
診療科ごとに診療のテンポや特性が異なるのだけれど、消化器に関しては胃潰瘍でも膵炎でも初期の緊急処置が終わればあとは改善をじっくり待つような感じで、初期診療がかなり重要な感じ。肝硬変などの慢性進行性の病気になるとじっくり構えつつ少しずつ手を打っていかなければならないけれど、どちらにせよ常時急変の可能性がある患者はさほど多くないと思っている。そのような訳で、患者を持つ時以外は比較的余裕を持っている今日この頃。

午後は外来。だいぶ慣れてきたと思う。
以前に診た患者さん、その後も内科通院を続けてもらったのだけれど、まずは一度精神科診察をうけて貰うことにする。モチはモチ屋、なのだが、なかなかそう思ってもらえないこともある。
とりあえず、いい加減「精神科通院歴あり」って報道はなんとかして欲しいと思ったり。確率から言えば「精神科受診歴なし」の犯罪者の方が圧倒的に多いんだぞ。

二十三日

えーと、病棟診てカンファレンスがあって研修開始一ヶ月のまとめのミーティングがあって。
夜から当直。二人ばかり入院があったけど、他は穏やか。二晩つづけて穏やかだと、だんだんからだがなまりそうな.....(ぉぃ

二十四日

午前中に腹部超音波の研修に入り、午後は病棟みたりなんだり。
超音波の時には病院の職員が受けにきていて、申し訳ないが実験台に。超音波検査などはあまり痛い検査ではないのでまだいいのだが、各種刺し物系の手技や処置など患者さんにとってつらい処置の時にも「初体験」は存在するので、患者さんには申し訳ないがあまり上手とは言えない状態でやらせてもらうことがある。
世の中には数多く「病院のうまいかかり方」というような文章があるけれど、その中には「研修医が処置をやらせて欲しいと言われたら断ること」と勧めているものもあるらしい。確かにベテランの先生に比べたらまだ不十分な技量しかないことが多いし、失敗されたら嫌だと思うのも無理はないのかもしれない。でも、誰もが研修医に診療されたくないと断ってしまえば、いつまでも名医は育たない。断る人がいてもいいけれど、断る人だけになってしまったら医者は育たないなぁと思ったりする。
失敗しても「このつぎ頑張ろう」で済む仕事なら、練習もしやすいのだけれどねぇ。

二十五日

午前中往診に行った後、午後から出張。所属する病院関連の青年医師交流集会ということで、琵琶湖畔へ。
往路では「オーケストラ楽器別人間学」(茂木大輔/新潮文庫)と「OZ」(樹なつみ)を一気読み。「OZ」は相方から勧められたのだが....。面白いけれど、痛い。「完璧に人間と同じ機能を得たアンドロイドは人間と同じか?」というような問い掛けを含んでいる近未来SF。少し苦いエンディングはそれでも後味がいい。

交流集会は少し遅刻して参加。「プライマリヘルスケア」をテーマにディスカッションしたり。
個人的には全国各地の友人との再会がとても楽しかった。

二十六日

昨日に引き続いて交流集会。午前中はリフレッシュ企画として観光をして、午後は立命館大学国際平和ミュージアム館長の安斎育郎先生の講演。"超能力"や"霊"など非合理主義への批判を行っている人で、講演もなかなかに面白い。占い師をやってみたときの話なども爆笑もの。(占い師の手管を知っているだけに、よく繁盛したらしい)。
よく事実を見つめること、いろいろな視点から物事をとらえること。わかっていてもなかなか難しいことではあるけれど。

二十七日

午前中にシンポジウムを一つ聞いて、その後解散。
わたしは京都へ行って、同じく旅行中の相方と合流。そのまま銀閣を眺めてから帰ってきた。
銀閣は正味一時間も見学していなかったのだが、そこへ行くまでのバスが渋滞にはまって行きも帰りも各一時間ほどかかっていた。──もうすこししっかり動いていてくれればと思ってみたり。

二十八日

気がつけば受け持ちが4人に減っていた。──おかげで帰宅が非常に早い。相方に驚かれてみたり。
結婚挨拶の葉書を作っていたりした。

「ブラックジャックによろしく3」(佐藤秀峰/モーニングKC)読了。話題の医者モノコミックスだけれど、なかなか硬派で楽しめる。3巻はNICU編。研修医の苦悩だけでなく、患者の苦悩にも目を向けている感じがして続きが楽しみ。
"Say hello to Black Jack."という英題が何となく好き。

二十九日

午後の外来では風邪症状を訴えて来る人が多かった感じがした。やはり急に寒くなったからだろうか。

夜、さだまさしのソロ三千回目のコンサートのDVD「燦然会」が届く。早速晩ご飯を食べながらPlaystation2を使って見てみたが....ところどころで音も映像も飛ぶ。処理落ちをしているような雰囲気なのだが....そんなことがあるのだろうか。

三十日

午前病棟・午後カンファレンス。受け持ちの数が減っているのだけれど、そのうち一人が原因不明の高熱。
原因がはっきりせずに困る。

消化器科は各種の処置が多くて、そういう意味では研修医にとってはつらい一面がある。診断のための処置、治療のための処置の多くを上級医に依頼しないといけなくて、もどかしさを感じる部分だ。それだけ難しい処置なので仕方がないのだけれど、自分で出来たらなぁと思うことはある。

三十一日

あ、もう十月が終わる。

指導医の先生からはあまり微に入り細に渡る指導は受けないのだけれど、突っ込まれ始めるととても厳しい。「なんとなく」でやっていたことの根拠を問われて窮することばかり。結論は正解であったとしても、きちんと根拠を持って説明できるようにという指導は今後実になるはず。──そうとでも思わないとやっていられない。(死) 


Written by Genesis
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