歳時記:如月の項

二日

初日から当直。この日は明け。
比較的落ち着いた夜だったけれども、朝方に呼ばれた例は少々難渋。ベースに精神疾患があるために、どう対応すればいいのか困った。
具体的なことは書かないけれども、たとえばうつ病の人を叱り飛ばして尻をたたいても得るところは何もない。さぼりでも怠けでもなく、本人が一番苦しんでいるからだ。表に出ている行動と、その裏に込められた感情や思考とのギャップを読み取るには、まだ経験が足りなすぎる。

三日

ひさぁしぶりに書店に行く。
「若草野球部狂想曲EX」(一色銀河/電撃文庫)・「楽園の魔女たち」(樹川さとみ/コバルト文庫)・「ふたつのスピカ」(柳沼行/MediaFactory)などを購入。他にも小川一水さんの新作が出ていることを確認。

その後病院へ行き、何となく仕事をする。終わった後で妹に電話すると、自室近くのレストランで飯を喰っているとのこと。それじゃあ、とそこに行ってみると、母親や妹の婚約者も一緒に結婚パーティーの相談。
二人の妹がほぼ同時に結婚することになっているのだけれど、そう知り合いに話したら最初に「親御さん大変だね」といわれたことがある。娘の結婚となれば親としては費用を出して豪華にやらせてあげたいものだから、とのこと。しかしそんな常識は我が家には通用しない。「借金の申し込みなら受ける」と言われてしまうのがオチだ。手を借りることはできても金は貰えない、身分相応の宴席になるはず。
しかし、わたしだけおいてきぼりかねぇ.....

五日

ああだこうだと仕事を片付けていくともう十時。いつもより早いかなと思いつつ(爆死)自分の仕事をちょっとやろうかなと思って病棟に戻ると、ふと自分のボックスに眼が行った。そこにはあまりみたくなかったものが。
一月はほとんどこの人の治療に費やされたという感じのするちょー重症の肺炎の患者さん。各種高価な薬剤を使い、各種お金のかかる治療を何度も行い....。そして今、わたしの手許には医療保険への医療費の請求書──レセプトとその注釈用紙が届いたわけ。間違いがないか確認し、検査・処置に対しては対応する病名があるかを確認し。そして、なぜその検査/治療が必要であったかを注釈として記して提出しないといけない。
でも、これだけいろいろやっているとそれをまとめるだけで一苦労。やっと終わった時には十一時になろうとしていた....。

その後で、先日コンサートの際に買ってきた「あの頃について」(レーズン/フリーフライトレコード)を聞きながらこの文章を書いている。
アフガンでの戦争を思いながら「あと1マイル」を聞く。そういえば、このアルバムが作られた時は湾岸戦争が戦われた後だったはず。こういった歌を世相とダブらせてきくのはけして幸せなことではないと思うけれども。

六日

夜(というか深夜、だ)帰ってきて食卓の上を見ると、同居の妹がもらってきたらしいレンタルショップのカタログが転がっていた。「へぇ、ダスキンのレンタルショップねぇ」などと思いつつページを繰っていく。結構いろいろなものを貸してくれるものだなぁと思いつつ見ていたが、あるところまで来て固まった。パーティーグッズとして衣装が紹介されていたのだけれど、セーラー服・ナース服・巫女さん衣装・チャイナドレス等がそろって「男性用フリーサイズ」なのはなぜだろうか.....(^^;;
奥が深い。

七日

午前中が地獄の日。
救急外来にて、救急車の搬送依頼を受ける。どちらも新患。
「うーん二人はきついかなぁ」と思いながら待ち受けていると、すぐに一台到着。どちらだろうと名前を確認すると‥‥‥どちらでもない。(爆死)
救急車で搬送する際にはかならず相手先病院の了解を得る決まり。(当たり前のことだが) 事情を確認すると、この日に入院予定の患者さんで、入院する病棟も決まっているとのこと。ならばさっさと入院してもらおうと連絡をとると──「そっちで診ておいてもらえませんか」とのこと。
一気に忙しくなって、応援に指導医も呼び、もう搬送依頼は受けられないぞと思っているところに再度依頼。長年この病院で診ている患者で、つい先日退院したばかりの患者だという。「‥‥‥受けるしかないですね」
一時半過ぎまで、救急外来に張りつきとなってしまった。

八日

院内感染の問題が言われて久しいが、その中に耐性菌の増加がいわれている。MRSAやVREといったものだけでなく、ありふれた菌にペニシリンが効かない、といった形でもあらわれている。
受け持ち患者の中で、痰から緑膿菌が検出され、起因菌と考えられる人がいる、の、だが。この緑膿菌が凶悪で、病院で採用している抗生剤の全てに感受性がない。
やむなく採用外の抗生剤まで感受性をテストし、ようやく効くものを見つけて開始。
何となく、N2爆雷でも限定的な効果しか持たない敵に対して、汎用人形決戦兵器を実戦投入しているような、そんな気分になった。

九日

ひとり新患を受け持ち、ひとり退院。
今度の新患は肺に腫瘤影のある人。がんである可能性もあるが、すでに肺のあちこちに見落としようのないような大きな陰影がいくつもあり、毎年健診を受けていたひとなので肺腫瘍とは思いたくない。(もしそうだとしたら、よほど進行が早いか健診の医者の眼が節穴か、だ。)
まだ60代と若く、もともと元気なひとであっただけに、病気の質に対する心配が強い。治る病気なのか、と。それは当然だと思う。
命の危ないような重症患者も大変だけれど、精神的不安を抱えた患者も、同じように大変だと思う。

十日

お台場方面に友人らとおでかけする。
フジテレビなんぞ見物したりして、気分はおのぼりさん。(笑) メインの目的地は科学未来館だったのだけれど。
まだ新しい博物館らしく、展示の内容も最新の技術を扱ったものが多い。見せ方にも工夫がされていて飽きない。医学領域に関する展示のところで、エコーや内視鏡の実物が触れるというのはなかなかよいと思う。
ロボットに関する展示のところでAIBOが歩くところを初めてみたのだけれど、ゆっくりではあるけれど危な気ない足取りで、確実に技術は進んでいるのだなぁと思った。さらに技術が進んで、100m走で人間に勝ってしまうロボットや、ハードル走ができるロボットなどもできてくるのだろうかとふと思った。
そういえば特別展示に「ランの生体内電磁波を検知してそれにそって動くロボット」なるものが展示されていたのだけれど、それを見ながら「地球樹の女神」(平井和正)に出てくる「教授」を思い出したりした。

十四日

バレンタインデーらしいことは、病棟の看護婦さん一同から小さなチョコレートをもらったことと、夕方の研修医ケースカンファレンスで研修委員会副委員長の女医さんからキットカットをもらった(笑)ことくらいだろうか。

夕刻、ICUの重症患者さんの血圧が低下、脈も遅くなって、いよいよダメか、と思われた。家族を呼び、予後が厳しいことを伝え、今夜は泊まってもらった方がいいと話して、自分も泊まる覚悟をしないといけないかと思われたのだけれど。使っている薬のなかに心機能を抑える副作用が報告されている薬剤があることに気付いて、あわてて中止すると徐々に血圧が....。
危険であることに変わりはないのだけれど、ほんの少しだけ持ち直した。薬が毒になる瞬間は、きっといくらでもある。危ないところだった。
それにしても、もう少し早く気付いておきたかったと思う。

十五日

朝病院へ行ってみると、危険だった患者さんはなんとか横ばいで推移していた。
でも、代わりのように、昨日受け持ったばかりの患者さんが人工呼吸器管理になっていた。(--;;; 原因はよく分からず、痰が詰まったか?とのこと。状態が大分良くなってきていたので、夕方には人工呼吸器から離脱した。
朝、受け持ち患者中二人がレスピレーター管理と聞いてめまいがしたのだけれども、長引かずによかったよかった。

先日受け持った患者の診断が確定。がんではないけれど、良性の疾患でもない。治療にはそれなりに強い化学療法が必要であると分かった。
そういう話を家族にもして、治療を始めたい旨伝えたのだけれど.....「ちょっと待って欲しい」と。すぐにも始めた方がいいですよ、と話はしたものの、「わたしだけでは決められないから」と。それではと、持ち帰って相談してもらうことにした。
悩むのは分からないでもないけれど.....。キツイことを要求してしまったような気も、する。

十六日

昨日から今日にかけて当直だったが、ほとんど呼ばれることなく過ぎた。善哉善哉。(こんなことを言っているとそんなことでどうするとお叱りを受けるかも知れないが....)

それで、というわけではないが、仕事を少し早めに終わらせて下北沢へ。お目当ては「ほしのこえ」(inトリウッド
知人のオグマさん日記のなかで強く強く勧めていたので存在を知ったのだけれど、わざわざ出てきてほんとによかった。設定としては三ヶ月ものの連続アニメくらいにはなるような素材だと思うのだけれど、視点を二人のこころの声に絞って、凝縮された作品になっていたと思う。

行きの電車の中で「22XX」(清水玲子/白泉社漫画文庫)読了。「ヒトを食べる」ことを最高の愛情表現とするような設定は、「ひとめあなたに‥‥‥」(新井素子)など、嫌いではなかったりする。(食べられたくはないが。)

十七日

床屋へ行く。その待ち時間で、「ナウシカ解読 ユートピアの臨界」(稲葉振一郎/窓社)を読了。昨日下北沢の古書店で買ったもの。
ナウシカは三巻が出たところで連載が中断し、長く続きを待ち焦がれたことを覚えている。ようやく連載が再開したのは中学生の頃だったろうか。「青き清浄の地」での安息の日が来るだろうと何となくエンディングを予想していたが、それは見事に裏切られた。救済ではなく、厳しい現実を生き抜こうとするエンディングは、いろいろと考えさせてくれた。
冒頭のところで、秀作と呼び得る漫画が出てくるための条件は十分ではないと論じている下りが面白かった。人気投票の結果で打ち切りや継続が決まるという雑誌もある。伏線だけ張って終わってしまう漫画、継続のみを至上命題としてしまい、当初の面白さが消えてしまう漫画はたくさんある。連載が続き、一冊分になったところで単行本になってしまうために、完結したところで描き直していくことが難しい。
悪いことばかりではないにしろ、考えなければいけないことではないだろうか。

十八日

とある先生に「某先生に『時間内に帰るのも研修のうちだ』と指導されたことがある」という話を聞いた。その某先生は口やかましいので有名な先生だったから、もちろん前提として「仕事はきちんと終わらせて」ということなのだろうけれども。
その基準で行けばわたしはあまり研修がうまくいっているわけではなさそうだ。何しろ今日も十時を回ってから病院を出る始末だ。
もっと始末が悪いのは、それを是としてしまう感覚なのかも知れないけれど。

二十一日

おしまいの日が来た。

受け持って以来、ICU管理の続いてきた患者さんを看取った。重症肺炎・腎不全で、不整脈も頻発していた。あれこれの治療を試し、少しよくなったところで再び悪化、今日は朝から血圧も十分に上がらず、呼吸状態も限界だった。
親族の方が見守る中で看取ることができたのはまだしもか。日に何度も足を運んでくれる熱心な家族で、それゆえにここまで頑張れたのかも知れないと思った。

最後に、御遺体の病理解剖をさせて欲しい旨を申し出た。快諾をいただけた時、とてもありがたいと思った。この方の病気はけして多くはない例で、解明したいことがたくさんある。その手がかりは御遺体の中にしかない。
御本人の無念さと、家族の方の思いを、むだにしたくないと思う。

二十二日

朝から昨日亡くなられた患者さんの病理解剖。肉眼での所見としてはほぼ予想通り。家族に所見について話して、お見送りをした。
少しほっとしたのでもあるが、患者さんはたくさんいる。そして、解剖の所見が出たところでそれを取りまとめて論文なり学会発表なりにする仕事が待っている。
「ちゃんとペーパーにしないとね」と言われて「そうですね、まずは退院時要約(退院時サマリー)からですね」と返したりしていた。

二十三日

午後から、講演会とワークショップの企画。「現代医学とは何か?──Knowledge-biased & Philosophy-lacked Medicine」と題された、札幌医大の山本先生の講演と、(自称するところでは)医学教育についてのマトモなコースをとった日本で数少ない一人、藤沼康樹先生のレクチャー&ワークショップ。
山本先生は(あとで『大学の中で攻撃されたりしませんか?』と質問が出るほど)明快過激な調子で、現代の医学が科学的であろうとし過ぎるために、科学で量れないものを切り捨ててしまっていること、またいろいろなものが切り捨てられているためにゆがみが生じていることを実際の症例もだしながら、話してくれた。
「総合医」「専門医」という話題が出ていたのだけれど、その辺りのことを考える時にわたしはいつも「宇宙船ビーグル号の冒険」(ヴァン・E・ヴォークト)の"情報総合学者(ネクシャリスト)"を思い出す。ビーグル号の中のように、現在総合医を標榜する人はごくわずかである。けれども、実際の患者さんたちは専門的な理論ではなくて目に見える解決を求めているわけだから、いわば"医学情報総合学者"たちを、本当は求めているのではないかなと思っている。

でも、だからといって「ビーグル号」を先生にお勧めしてしまうわたしもイイ根性している、かなぁ。

藤沼先生のレクチャーは、じつは二回目。進路を考えていた時期に聞いて、とても面白かった覚えがある。
内容の一つ一つが面白く、一言では語り切れないのだけれど、「日本の卒前教育は欧米に比して30年、インド・パキスタンと比べて10年は遅れている」「医学生と医師の間の責任のギャップが大きく、徐々にプロフェッショナルになっていく環境になっていない」というのが印象的なコメントだった。
医学教育のプロはごく少なく、その人たちもけして医学教育の世界で主導権を持っているわけではないというのが現状だと思う。そういう中であっても、少しずつ変革を起こしていこうとしているし、そのために「You should make a club.」と言われた、という話は、なるほどと思った。

二十四日

だらだらした日。
今日した生産的なことというと、この日記を書いたことと、カメラのフラッシュライト(ニコンのSB50)を買ったことくらい、だろうか。

二十五日

この病院での研修は、基本的には科のローテーションということになっている。呼吸器科の次は腎臓科で、3月の上旬から異動する。
今日受け持った二人で受け持ちは基本的に終了とのこと。それでも八人いるが。

二十六日

当直明け。(呼ばれない当直であった....。)
患者さんも平穏で、ゆったりと仕事が進む。ついこの間までちょーヘビー級の重症を持っていた反動かもしれないが、なんだかのんびりし過ぎかも。
やる仕事は山ほどあるのだから、ね。

二十八日

二月終了。早い。
一通り業務終了後、胸部X線の写真を20枚読む。研修が始まったばかりの頃にもこれを読んである。答えは明日教えてもらえる予定。
呼吸器科ローテーション中にどれだけ胸部X線の読影力がついたか、あるいはつかなかったか。(^^;;; 楽しみである。  


Written by Genesis
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