歳時記:睦月の項

一日

正月。自室で目覚め、まずは自転車をこいで実家へ行く。(泊まればよかったようなものだが(^^;)
年始の挨拶を済ませ、お屠蘇で乾杯しておせちとお雑煮をいただく。毎年これだけは変わらない年中行事である。

そのあとは、自室へ戻った後、ついふとんに潜り込んで昼寝。目覚めれば夕方で、再び実家迄行って夕食を喰い、帰ってきてWebPageの原稿書き。
‥‥‥なんだかしまりのない年の初めになってしまったような気がする。

二日

初出勤。日直当番だった。
引き継ぎを受けた後、病棟でお仕事。年末年始に入院した人などは主治医が決まっていなかったりするし、そろそろ指示切れだの薬切れだの、細かなことがあるので処理していく。
夕方近くなって徐脈になってしまった人が入院してきて、ICUで初め見ていたがどうにもならないということで他院に転送。結果論的には初めから入院させずに、他院へ紹介した方がよかったのかも知れないが....ちょっと後味の悪い日だった。

三日

この日は....サマリー書きの日(死)。去年の仕事をまだ引きずっているやつ....。
先輩のDrに「先生はいつ来てもいるねぇ」といわれる。「そういう先生も、いつもいるじゃないですか」と切り返して、すこうし虚しい笑いをとる。.....なんか研修医的な日々かも知れず。

四日

日中は出勤して患者さんに会ったりなんだり。
夜は高校時代のクラス会。元の担任も顔を出してくれた。総勢20人ほど。
わたしは高校卒業後地方の大学にいっていたせいで、すっかりクラス会も御無沙汰。7年ぶりに会うなんて奴がざらざらいるような状況だった。
飲み屋に入って、卓に分かれて座ったのだけれど、気がつくと"お堅い仕事な人々"の席。総理府・税関・製薬会社・SEにわたしという組み合わせ。かと思えば学生だったりフリーのデザイナーだったり無職だったり(爆)と、やはり大分それぞれの進み方が違う。医者なんぞやっているせいであれこれ聞かれたけれど、あんまりお勧めできる仕事じゃないよとだけ答えておいた。収入が多いのはそれだけ厳しい労働をやってるからだと、個人的には思う。責任に対して払われている分が、きっと給料の中には入っていると思う。
久しぶりではあったけれど、とても楽しい時間だった。

五日

仕事始め。
‥‥‥しかしド頭から重症を持つ。年末から肺炎で入院して、徐々に悪化してきている患者。ICUに移す段階で主治医になっている辺りがすでにやばい感じが....。
夜は呼吸器科の医師の新年会。上司の自宅でわいわいとすき焼きなど。

六日

のんびり起きた後、昼過ぎから病院へ。
行って早々、昨日から受け持った患者さんの呼吸状態が悪いことを伝えられる。何とか維持しているのだけれど、大分疲労がたまっている感じ。悪くなってからでは遅いと、本人の同意を得て気管内挿管・人工呼吸器管理とした。
この日はわたしが当直の日。挿管したはいいけれど、どうも血圧が低いまま。昇圧剤を開始して何とか乗り切った。

十日

数日、書く気にもならなかった。
原因は明白で、これ迄未経験なほどの重症患者にかかり切りになっていたせい。特に八日はショック状態になって、一日の仕事のほとんどをICUでしていた。
少しだけ落ち着いてきて、こうして雑文を書く余裕もでてきていたりする。

今日は午前中救急外来の担当。回ってきたカルテを見てふと気になる。どこかで同じ名前を見たような──。
知人であったというオチがつきました。(爆) おまけに入院適応ということで、主治医にもなるし。なんだか、ね。

十四日

週末くらいはのんびり過ごしたくはあるのだけれど、なかなか思うに任せず。
それでも何とか「プラネテス2」(幸村誠/モーニングKC)読了。スペースデブリ回収業者を主人公にしたSFマンガ第二巻。今回はハチマキの木星往還宇宙船乗員選考編とでもいうべきか。
孤独すらも他人にはやれない、と息巻くハチマキと、彼に愛が足りないと怒鳴るタナベと。いいコンビのような、水と油のような。とりあえずとても面白い。

十六日

‥‥‥あれ、仕事が終わってる(炸裂)
ばたばたしているうちに日が暮れてしまうのがいつものことなのだけれど、なんだか今日は少しばかり余裕があった。患者さんが安定しているためだろうか。

十七日

救急外来の日。
心筋梗塞の既往のある人で、胸が痛いといって運ばれてくると救急車からの連絡が入る。──考えることは当然心筋梗塞再発。場合によっては解離性大動脈瘤なども考えなければならない。
着いたところで心電図・採血に胸部X線写真撮影と行っていくのだけれど。どうもそれらしくはなく。一方で低酸素血症は明らかにある。奇妙に思いつつ、当座の生命の危険はなさそうとみて問診を進めていくと、どうも痛がるのは背中で、圧迫してみると痛みが増すという。X線写真を見直すとどうも椎骨骨折が.....。
確定診断はできなかったが、肺炎と胸椎圧迫骨折の疑いとして入院となった。初めどきどき、あとで一安心のケースだった。

十九日

この一週間で受け持ちは三人増加。オーバーロード寸前という気もするが、まだ何とかまわせている。
「たまには、自分の最高の実力を出すべきだ。そうしないと、知らない間に腕は鈍るものさ」("キノの旅"時雨沢恵一/電撃文庫)と、ひとりごちてみたりする。

土曜日は一応半ドンなのだけれど、結局いつもと変わらないくらいの時間に家に帰ってきた。すこうしのんびりしていると病院から電話がかかる。
「先生。──指示簿にぬけがあります。」
重症患者用の指示簿は毎日書き換える。それにぬけがあったということだった。幸い昨日とほぼ同じ指示だったので、昨日と同様で、と口頭指示。
やっぱり疲れてるのかなぁ。はふ。

二十日

日曜日。日中病院に行って、早めに帰って買い物とかしようかな、などと考えていたのだけれど、行く途中でふと気付いた。「あ、今日は当直だった......」
かくしてそんなのんびりした予定はさっさと崩壊。うぐぅ。

そんな出だしの当直は、比較的穏やかではあったのだけれど、散発的に呼ばれたのであまり眠れず。その上、翌日はきっちり10:00まで仕事をしていた.....。

二十二日

ちょっぴり朝寝坊。(いや、朝の学習会に、ってことなんですが)

今日の午後は、病院の患者会の会合に出席。地域の健康づくりのために、ということで、時折会合を開いている。患者さんは健康上の悩みだけではなく、経済的なものや日々の暮らしの中にさまざまな悩みを抱えている。それをできるだけ解決するためには、多くの人の集まりが必要なのだと思う。
カラオケなぞも用意されていて、「先生も一曲」などといわれては断れるわけもなく。高齢の方も多い中、比較的最近のマイナーな曲など歌ってはいけないと、あれこれ選曲に迷ってしまった。(^^;
しかし、さらっと「高校三年生」など歌えてしまうあなた達はいったい...>同行の某若手職員

ちょっとした空き時間にネットサーフィンしつつ、医ゼミのページを発見。OBとしてはちょっと懐かしく読んだ。
こういう年ごとに運営集団が変わる団体のドメイン(しかもバーチャルドメインだし)の管理ってけっこうややこしいことになりそうな気がする。継続してどこかに確保する算段をたてる方がいいような気が。アクセスポイントなしのレンタルサーバー利用ってのが一番現実的かも知れない。
そーいやこないだも院内で某看護婦さんに「先生、医ゼミに行ってました?」って聞かれたばかりだったなぁ。

二十三日

夜、臨床薬理学習会──今夜のお題は気管支喘息だった──に出席後、飲み会に流れる。(お正月以来とても久しぶりに酒を飲んだ気がする)
他職種というのは意外に知らないもので、薬剤師さんと話していると思いがけない発見をしたりして、楽しく飲んだ。
途中からは隣の席の人と本の話を延々と。初めは確か「パラサイト・イブ」の話辺りから始まって、小野不由美やら京極夏彦やら、「ファンタジーノベル大賞」の話やら何やらしていくと「博識ですねぇ」と言われた。‥‥‥ほとんど本で読んだ受売りだけれど。
彼女はSF・ファンタジー系統が苦手らしい。恩田陸でもいまいちだったとのことで。それでもこれだけ話が通じるというのは、それだけジャンルのボーダーレスが進んでいるということなのだろうか。

二十四日

朝、ひとり患者さんが退院。癌があることが分かり、積極的な治療はせず(やろうとしても高齢のためにあまりいろいろできないこともあって)自然経過を追うこととなった患者さん。
わたし自身はいま外来の研修をしていないので、今後の経過観察は指導医の先生の外来などで行うことになる。入院してこない限りは直接関れないというのはすこし寂しく思わないこともない。

毎週木曜日は研修医CC(case conference)。終わった後、飲み会があるということでちょっと参加。
お店自体は悪くなくていいのだけれど....何というか、医者同士で飲んでいると仕事の話ばかりしてしまう感じでイヤな感じもする。シラフでやっている話とはまた違ったところがあるから無意味だとはいわないけれど、あんまり息抜きにならないのでちょっぴり気詰まり。
「酒を飲んでいるからこそ語れる話もある」という人もいて、それはけして否定はしないのだけれど、わたし自身は「酒を飲まなきゃ語れない話はない、シラフでしゃべれる話か、死んでも喋らない話かどちらかだ」という主義であるために、飲んでまで仕事の話というのはあまりのんびりできない。

二十五日

朝行くと、ICUの受け持ち患者さんの昇圧剤の量が夜間にほぼ極量に達してしまったという申し送りを受ける。増やすことはもちろん可能なのだけれど、過去の事例からいって増やす意味はないところまで行ってしまったということで、それでも血圧が維持できなければ、手の打ちようがない。幸いすこしは血圧が上がったということで、すこしだけ安心した。
午前中がカンファレンス、それが終わった後で、誤嚥性肺炎の患者さんの家族と話。以前書いたように、ベースに食事をする機能が落ちているということがあるため、全身の状態がよくなったらすぐ退院、ではまた繰り返すことになる。経管栄養など、より危険性が少ない摂食法を始める必要があるのだけれど、本人・家族にしてみれば「もう少しなんとかならないか」「練習すればあるいは」という思いがある。
もちろん医者の側の評価が絶対ではないし、案ずるより産むが易し、ということもある。けれどもうまくいった例ばかり見るのも、うまく行かない話ばかりするのもフェアではないと思う。その中で最善の選択をするのは、とても難しいと思う。
複雑なのは、医療的な処置が必ずしも家族の負担を減らすとは限らないことだ。この患者さんには経管栄養が適応であると考えられるが、経管栄養は医療行為であるということで、介護保険の中では家族か訪問看護婦さんに処置をしてもらう必要がある。この患者さんの場合には家族の方は仕事を抱えながら介護をされているということで、毎日三度の栄養をやるのは不可能に近い。訪問看護を毎日来てもらうのもかなり厳しい。ヘルパーさんにはかなり入ってもらっているのだけれど、ヘルパーは経管栄養を繋ぐことができない。食事の介助はできるということで、これまではかなりやってもらっていたのだけれど、食事のさいにむせても気管内吸引(気管内の痰や誤嚥した食物を吸い出すこと)はできない建て前になっている。
経管栄養は始めました、あとはよく知らないのでがんばってください、ではまともな医療はできない。制度の不備をどう切り抜けるか、頭が痛い。

夜、仕事を終わって机に戻ると、置いてあった携帯電話にメッセージ。「飲みにおいでよ」
かくして三日連続夜は飲み会。
以前仕事をしていた病棟の看護婦さんと、同期の医者と。もっとも看護婦さんの多くは翌日休みで、わたしらは仕事。それでも朝近くまで飲んでいた。うぐぅ。

二十六日

すこし遅刻。
毎朝まずはICUに顔を出すのが日課になっているけれど、今日顔を出してみると、受け持ち患者さんの昇圧剤の量が極小量近くまで下がっていた。(血圧の上下にあわせて変更するよう指示していたため)
‥‥‥なぜ?としばし指導医の先生と二人で首をひねる。理屈をひねり出すことはできるのだけれど、説得力には少し欠ける。
ICUにはたくさんの医師が出入りするから、長い患者さんは自然とどんな病態であるかみんな把握してしまう。改善してきたと知った同僚や先輩から「名医だねぇ」と言われても、ちっとも胸を張れない。
よくなってきたのが悪いわけではない。けれども、その理由が分からないのはどうにも居心地の悪いものなのだ。

午後、元患者さんのところへ。以前書いた、わたしの初めての死亡退院患者さんのお宅に弔問に伺った。
病院というのは医療者のテリトリィで、患者さんはそこにお邪魔しているという感じがする。それに比べて、家はまさに患者さんのテリトリィであり、在宅診療では医療者の方がそこにお邪魔していろいろと処置をさせてもらうことになる。普段病院で、患者さんがどんな家に住んでいるのかと気にすることはほとんどないのだけれど、こうして訪問させてもらうと、いろいろなものが見えてくる。
壁に眼をやると、短歌が記された短冊が飾られていた。故人のしたためたものだという。「以前は筆をとることもあったのですけれど、四・五年前からはそれもしなくなってしまいました」とのお話を聞きながら、ああ、この人のことを自分は何も知らなかったのだなと思った。
その人が昔先生をしていたということ。生まれは九州の方で、結婚して東京に出てきたということなどなど。家族の方と話しながら、これが供養というものだろうかとふと思ったりもした。
合掌。

二十七日

最近ちっとも本を読む暇がなく、鬱屈していたのだけれど、久しぶりに「裏庭」(梨木香歩/新潮文庫)を再読した。
おとなにもむかしこどもだった時代があって、こどもが少しずつ成長していっておとなになっているんだという、口に出してしまうととても当たり前なことを下敷きにしたファンタジーだと思う。
こどもにしか見えない異世界、というネタはわりと児童文学のなかで多いと思うのだけれど、そこに出入りしていたこどもたちが成長しておとなになった時、そのこどもたちが再び異世界に出会うというような、世代の違いを描き出した小説はそんなに多くない気がする。
言ってしまえば、おとなの登場する児童ファンタジーがけして多くないということだろうか。そういえば「千と千尋の神隠し」でも、お父さんとお母さんは異世界からは閉め出されている感じがする。

夜、さだまさしコンサートへ。アコースティックコンサートということで、バックバンドはギターにパーカッションとシンプルな構成。具体的な曲目はここには書かないけれども、全体に古い曲中心になっていた感じがしたのは、やはりアコースティックコンサートという趣向によるものだろうか。
「最前列の双眼鏡」にはじまって、最初の一時間で歌った歌が三曲(爆)というトーク中心のコンサートで、三時間はとても短かった。
「こどもは両手に元気と勇気を持って生まれてくる」という言葉がとても印象的だった。元気を補充して、明日からもがんばろうと思えた。

 
Written by Genesis
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