歳時記:十二月の項

三日

今週から一週間は、診療所研修。
病棟のせわしない空気とくらべると、診療所ではずっと時間がゆったり流れている気がする。慢性疾患の管理や健康診断などが業務のメインで、じっくり取り組んでいるから、だろうか。
午後は往診。老老介護、なんていうけれど、そんな例ばかりという感じもした。旦那さんのところに往診に行って、奥さんの血圧もついでに測ったらかなり高く、その場で降圧剤の処方が始まったりもした。

とまぁ、平素とすこうし違った生活だったのだけれど、定時に業務が終わった後は病院に戻って受け持ち患者(少数ながらいるのだ)の診察をしたり今度ある発表の準備をしたりと忙しく、結局帰る時間は大分遅くなってしまった。

四日

この日は雨。今週はバイクで通うことにしているのでなかなか辛い。
今日は午前中は訪問看護ステーションに行き、訪問看護婦さんと数件の患者さん宅を訪れることになっている。往診では一件に十分から十五分といったところで、言ってしまえば外来での診察とそう変わるところはない。けれども訪問看護ではより長く、三十分以上はあれやこれやとしているから、その分患者さんがよく見える気がする。
この日一番印象的だったのは最後に回ったお宅。98歳だったか、かなり高齢のおばあちゃんで、さすがにそろそろ足腰も弱っていてせいぜい伝い歩きレベルなのだけれど、頭はとてもしっかりしていて初対面のわたしの名前をきちんと覚えてくれた。陽気な雰囲気で、にこにこしているのだけれど、このおばあちゃんに「サンキュー、シェイシェイ」といわれて面喰らった。聞けば、満州で十年も暮らしていたのだという。十年も暮らせば中国語の少しも身につくだろうけれど、ひょいと口に出てしまうのが驚きだった。
ふと、このおばあちゃんの昔話を聞いてみたいとも思った。

午後は往診。家によって、療養環境は本当にさまざまだと実感した。日当たりのいい広々とした部屋にいる人、狭くて少々暗い部屋にいる人、歩くのがやっとなのに一人暮らしの人などなど。

五日

午前中は訪問ヘルパーの方について患者さん訪問、午後は往診という日程。
伺ったお宅は家人の方が仕事をしていて、日中は寝たきりの患者さんとヘルパーさんだけになってしまうようなお宅。十年前だったらこんな患者さんは病院から出られないか、老人ホームの類に入所していたのだろうけれど、こうして自宅で過ごすことができる時代になったのだろうと思う。
けれども、これは介護保険だけで可能になっているわけではないらしい。介護保険の自己負担分に加えて、自腹でヘルパーさんなどに入ってもらっているらしい。働いている、といってもそれほど無茶な働き方をしているわけではない。けれども、フルタイムで働こうとすると介護保険だけではカヴァーしきれないというのは、介護保険で見られる範囲の狭さを示す事実ではないかなと思う。

午後は往診。その後、病院に戻ってあれやこれや。唐突に患者さんの退院が決まってあわてて準備をしたり。(いや、退院日決定をしないとなぁと思っていた患者さんではあったのだが) 発表の予演会が金曜日ということで、チェックしてもらうためにこの日は遅くまでかかって一応の仕上げを済ませた。

六日

この日の午前は外来で処置室業務。平生看護婦さんに「やっといて☆」と頼んで済ませていること(ex.採血・点滴・注射・心電図など)を自分でやってみる。以前にも病棟で採血はやっていたけれど、それと比べると「血管が太い.....」というのが感想だろうか。(^^; (もともと綺麗な血管があった人でも、何度も入退院を繰り返し、点滴もれなどを繰り返していると次第に立派な血管がなくなってくるものである)

午後は例によって往診。この日は所長先生が本院での外来がある日で、パートの先生の往診に同行した。この先生は水曜日と木曜日に往診なのだけれど、昨日は体調不良で往診をキャンセルしたので、この日は二日分の患者さんをまとめてまわった。前日に「もし明日もパートの先生が来なかったら、代わりに先生に行ってもらおうかなぁ」と所長先生にかなりマジに言われていたりしたので、パートの先生の姿をみてホッと安心したりしていた。もし行くはめになっていたりしたら、ほとんど御用聞き状態になっていたのは間違いないだろう。「はあ、そうですか、帰って所長先生に相談してみますね」てなものである。
パートの先生は休んだ理由が風邪ということで、今日もマスク姿。患者さんにうつさないためと効率を上げるために、血圧測ったり聴診したりはわたしがやっていった。そんなふうに分担したせいか、さくさくと二日分の患者さんのところを回ることができた。

七日

診療所研修最終日。
わたしが研修させてもらった診療所は陸の孤島みたいなところで、まわりに薬局などがあまりないらしい。だから、というわけなのか、院内薬局があって、希望する患者さんには薬の処方も行っている。今日はその院内薬局での業務を体験する。
‥‥‥で、何したかっていえば、薬を分包したりしたのが一番記憶に残っている。(爆) もくもくと錠剤をパッケージから出して、一回分ずつにまとめ、機械で包装させる。往診の患者さんなど、何種類もの薬が出ているのは珍しくない。お年寄りにとって、細かい字をみながら「これは朝晩、こっちは朝だけ、こっちは寝る前....」などとやるのは大変だし、それが理由で飲まなくなってしまうこともあるので、あらかじめ「これは朝の薬」などとわけて、一回分ずつ包装しなおしておくのだ。
薬をちゃんと飲んでもらうことを、専門用語で服薬コンプライアンスなどという。服薬の仕方は単純な方がいいし、薬の量は少ない方がコンプライアンスはいい。朝二錠・夜一錠より、朝三錠で済ませた方がいいのだ。治療効果との兼ね合いできちんとお薬を処方するのも医者の腕の一つだと思った。

軽くまとめをして、診療所を後にする。この後は明日予定されている学術交流集会のための発表の予演会。若手医師の発表会ということで、半分くらいは学会発表というものをきちんと経験するのが目的らしい。
予演会までにそれなりの発表を仕上げるのがまず一苦労だった。PowerPointを使って(ホントはMagic PointかApple Worksでやりたかったが(^^;)スライドを仕上げ、口演の文面を考え。内容に詰め切れない部分が残りながら(というかそればかりだった気も)発表はしたけれど、案の定突っ込み所満載だったらしく覚え切れないくらいいろいろの指摘を受けた。
終了後はそれの手直し。結局帰ったのは日付けが変わってしばらく経ってからだった。

八日

本日、発表の日。「青年医師学術交流集会」と銘打って、つまりは比較的身内で集まってのミニ学会。関連の病院の若手医師が集まっているので、比較的リラックスしてやれた。
ばりばりの内科系の演題(内容は緩和ケア絡み)であったにもかかわらず、座長が緩和ケアに造詣が深いという理由で外科・整形外科の分科会に回された。そのせいか、たいした質問もでずに終了してほっと一息。
終了後は交流会‥‥‥の段取りだったが、病棟の患者さんの状態があまりよくないということで、ひとり電車に乗ってとんぼ返りした。

九日

この日は何をしてたんだろ。遅く起きて、ぼやーっと街を歩いたり病院行ったりしていたら終わってしまった気がする。

十日

今日から、病棟を移って五階病棟へ。所属も神経内科から呼吸器内科になり、指導医も変わることになる。
最初の患者は喘息の女性。喘息の発作を起こしたのはごく最近で、薬を飲んだりもしておらず、薬の吸入の仕方やらピークフローの測定の仕方など、「喘息との付き合い方」を教えないといけない。‥‥‥とはいえ、そんなものはわたしもよく知らない。(爆) 泥縄式に勉強しながら患者さんにレクチャーするわけだ。
神経内科の入院患者さんの少なくない人々は体が動かなかったり言葉がしゃべれなかったり痴呆を来していたりと、コミュニケーションや運動機能の障害をきたしていた。重症の人ほどそういう傾向があるから、患者さんとの意思疎通をおろそかにしがちという悪い癖がある。他の領域ではそういうことはないから、初心に戻って診察や問診を大事にしていきたいと思っている。

今夜は当直。けいれんを起こした人が出たり、緊急PTCAがあったりとなかなか落ち着かない夜だった。
この日の印象的な症例は癌の末期の患者さん。頻脈が続くということで呼ばれたのだが、モルヒネを使っているので患者さんはぐっすり寝ているという。痛みの刺激で頻脈になることはもちろんあるのだが、ぐっすり眠っている状態でそれは考えにくい。痛みもなく、ただ頻脈なだけで薬剤投与を行うべきか。迷った挙げ句に何もしないと決めた。症状が出たらまた呼んでくださいと言い置いて。
なぜ薬を使うのか、なぜ処置を行うのか。ついつい目先の症状をおさえるためにやってしまいがちだけれど、症状を抑えることで何が得られるのか、そこまで考えていきたいと思った。

十一日

当直明け。眠い....。

昨夜の当直帯で入院した患者を受け持つ。60代の男性で、肺炎の方。
以前は60代は立派な老人だと思っていた。なにしろ、自分の祖父母の年令だ。けれども病院、それも大学病院ではなく地域と密接な関係を持つ病院にいると、60代はまだ若く、70代でも充分に体力はあるなと感じるようになった。(大学病院で実習していた時には、60代はもう老人だと思っていた。それだけ患者層が若いということなのだけれど。)
もちろん一線で仕事をしているわけではなく、"老後"の生活なのだけれど、だからといって無駄だとか不要だとかいうわけではないと思う。老後の生活をサポートする医療も大事な医療だろうと思う。

神経内科時代からの引き継ぎの患者さんの容態が悪い。これまでわたしの受け持ち患者のなかで死亡退院は出ていないのだけれど、第一号になってしまいそうな気配。
手を抜くわけではない。諦めるわけでもない。けれども、打つ手がなくなっているのも確か。
力が足りない、と思うのは、きっとこんな時だろう。

十二日

さくさくと患者が増えて、三人目の患者さん。咳・痰が続いており、胸部X線で異常陰影を指摘されて精査のため入院。
ちょっとイヤな予感がしていた。病歴から疑われるのは第一に悪性腫瘍だし、本人に喫煙歴ありとなれば、その可能性はさらに増す。けれども、「小さいころに肺炎で、昔からX線には異常がありました」と言われて、「もともとの異常があるだけ」という結末にならないかなぁと期待した。
けれども、明らかに昔のX線写真と比べて変化しており、何かはあるらしいという判断になる。そうこうしているうちに入院時はまったく元気だった患者さんが血痰を大量に吐き出すわ、発熱は起こしてくるわ。早めに入院しておいてよかったとも言えるが、今後の治療を考えるとちょっと憂鬱になったりもする。

十三日

この日は午前中救急外来の日。曜日が変更になった。

夜、カルテ書きなどしていると、一年目の看護婦さんから質問を受けたりする。看護婦の研修の一環として症例報告というか、ひとり患者さんを取り上げてその病態・治療の概要や、なすべき看護のありかたについてなどのまとめをしていたらしい。「脳梗塞の治療のことで少し...。」ということで、かくして時ならぬミニレクチャーとなった。
医者ではないからテクニカルタームを並べても説明にならないし、かといって不正確な説明をするわけにもいかない。納得してもらえるとちょっと嬉しかったりする。協力しあって仕事をするもの同士、仲良くやらないと、ね。

十九日

夜、「臨床薬理学講座」に参加。院内で薬剤師さんが主催して開催してくれている。今回のお題はステロイド。皮膚科や免疫領域の疾患の治療には欠かせない薬である一方、多彩な副作用を持つので気をつけないといけない薬でもある。
総論が済み、各論に移行して、肺線維症についての話をしていたとき。肺線維症の原因として鉱物の粉塵への曝露、が取り上げられて、その種類について記されていた。
「‥‥‥『原因物質:超合金』って何ですか?」
「あれ、確か参考にした本にそういうのもあるって書いてあった気が....。」
絶対ダマされてると思ったのだけれど、一応原典に当たってみる。あちこちひっくり返していると。
「この、hard metalってのがあやしいですね。どこかに訳語ないかな。」
「‥‥‥これじゃないですか?」
見つけた言葉は「硬金属」であったというオチがついた。
どこで「超合金」という訳になってしまったのかは謎のままだった。

二十一日

今週は忘年会シーズンということで、一週間で3回の忘年会がある。今日は先日まで研修していた神経内科病棟の忘年会。CPC(臨床病理検討会)を抜け出して(わーごめんなさい)宴会に行く。
店は貸し切りということで、周りに気兼ねせずに大騒ぎ。人の集まりがゆっくりだったので初めは静かだったけれど、だんだん賑やかになってきた。後半で自己紹介&一言コメントコーナーがあり、質問受け付けますとしたら、立つ人立つ人に「彼氏はいますかー?」と声が飛ぶ。どうやらこの病棟の看護婦さんはパートナー募集中が多いようであった。(笑) 中には「彼氏にクリスマスプレゼント何をあげますかー?」と聞かれて「わたしを☆」とか答えたつわものも.....(^^;;;;
わたしともう一人の同期が神経内科での研修を終了したということで、プレゼントをもらった。ペアルックのパンツとシャツ。(笑) パンツはトナカイの絵入りということで、クリスマスムードも高まるプレゼントだった。(爆)
二次会はカラオケで、延々翌朝3時の閉店まで歌いまくり。ネタに困って「セガサターン・シロ!」かなんか歌っていたわたしもたいがいではあるが.....(^^;;;;

二十二日

朝から病棟へ行く。(ちゃんと起きたのです)
実は今のところ受け持ちが少なくて少しのんびりとした日々を過ごしている。重症は先日書いた一人だけで、しかも回復傾向。今日は土曜日ということもあって、ざっと受け持ちの患者さんに会っておくくらい。

夜は@niftyのFCASE「学生街の喫茶店」会議室のオフライン。わりとなじみのメンバーが集まったので、しばし内輪話で盛り上がった。個人的にはあまり時間がなくて二次会のカラオケが短かったのが残念かな。(死)

二十三日

かなりのんびり休日を過ごした。ちょこっと病院にいってツベルクリン反応の判定をしてきたくらいで、大して仕事もしなかったし。
書店で「ここほれone−one」(小川一水著/集英社スーパーダッシュ文庫)と「吹け、南の風」(秋山完著/ソノラマ文庫)などを仕入れる。前者は土木ものSF(‥‥‥なのか?)といった趣で楽しく読んだのだけれど....。最後の数ページが凶悪というかなんというか。次作が早いところ出てくれることを祈るしかないな。

二十四日

実はコミケットのカタログをまだ手に入れていなかった。地元で売っているところをよく把握していなかったのだけれど、とりあえず公式ページの中からカタログ販売店を把握して行ってみる。結果、見事に紙バージョンの方は売り切れていたのだけれど、CD-ROM版(カタロムというらしい)を手に入れる。
検索や補足説明など、情報量は充実しているのだけれど.....。やっぱりマンガレポートがないのは哀しいなと思ってしまうわたしはやはり中毒してしまっている人なのでしょうか。

二十六日

当直明け。
仕事が終わって、さて帰ろうかと医局に戻ってきたところでとある看護婦さんにつかまる。学生時代からの知り合いで、この間まで同じ病棟で仕事をしていたいわば腐れ縁の知り合い。
「今日は(自宅に)帰るって言ってあったのに、うちの家族はお寿司食べに行っちゃってるの。だから、食事おごって☆」と要求(^^;されて、いろいろ迷ったあげくに回転寿司屋に。(もちろん、奢ってあげる義理はないのだが、まぁたまにはこーゆーハデなことをしてもいいかと思ったもので)
医者と看護婦がくっつく、なんていうのは王道のようにも聞こえるけれど、それほど数は多くない感じがするのは、やはり仕事上とプライベートは違うということなのだろうか。

二十七日

今日もまた、一人入院を持つ。昨夜入院して現在ICU管理の方。ベースに神経疾患を抱えて寝たきりの状態で誤嚥性肺炎を起こしている。
状態もシビアだけれど、一度治っても今後の見通しはさらにシビア。確実にこの人は同じことを繰り返す。予防策としては、気管切開とか食事の経口摂取を止めるとか、そういうやり方にならざるを得ない。
そうまでして生きるのか、ということを、家族と一緒に考えていかないと、治療ができない。当面は今の状態から離脱して安定した状態に持っていくことが最優先だけれど。

二十八日

朝出勤して、医局へ至る階段を上っていたところで携帯電話が鳴る。「患者さんが急変しました」
神経内科時代から引き継いで持っていた患者さんが亡くなった。享年92歳。わたしの初めての死亡退院。何度も危篤になりながら復活してきた患者さんで、ここ数日の状態はむしろよかっただけに、不意打ちを食らった気分だった。
死因を確かめるために、できれば病理解剖を行って死因を調べたくはあったのだけれど、家族の方の気持ちを考えると、無理にお願いすることもできない。お話はさせてもらったけれども、「あまり傷をつけるのは.....」ということだったので、その話はやめにした。
その場で患者さんの息子さんに「先生の勉強のために、やってもらってもいいんだけどね....。」といわれた。そういってもらえたことがとても嬉しかった。
医者をやって、学問を究める喜びもあるけれど、それ以上に人に期待され、それを果たした時の喜びは大きいものだと思うし、一方で期待に応えきれない時には無力を呪いたくなる。それを原動力にして、もっと広く、もっと深く学んでいこうと思うのだと思う。

夜、残って病棟で仕事をしていると、「あ、いいところに」と同期の奴が声をかけてきた。イヤな予感がした。「当直代わってくれない?」とのこと。特に断る理由もないのでOKしたが....、代わって欲しかった理由については沈黙しておこう。

二十九日

当直はこともなく。一件、末期癌患者さんの看とりがあったくらいで、本当に穏やかな夜だった。

どこぞではオタクたちの聖戦が闘われているのだが、ICUの患者さんが落ち着かない状態ではとてもほうり出していくわけには行かない。血液検査の結果や胸部レントゲン画像のチェック等々進めていると、とても行く時間はなかった。幸い、落ち着きを取り戻してきているのは明るい材料だ。一時は気管内挿管も検討しなければならなかった状態からは脱出しつつある。

夜、妹の友達と飲む。
「ねーねー、今彼氏募集中なんだけど、お医者さんでいいヒトいない?」などと聞かれたもので、その場に同期の奴を召喚(笑)する。彼女らの期待には微妙に添えなかったかも知れないが(^^;、個人的には楽しく飲めた。

三十日

聖戦に参戦。スタッフを兼務しつつではあるが。
事前のカタログチェックでは主にこの日に回りたいサークルがあったので、ちょうどいいというかなんというか。まずは大学時代の知人の○田さん(仮名)のところに。開会してすぐだったせいか、売り子として手伝いに来ていたけすたさんに会えたのみ。○田さんは買い物とのことだった。もう一方おられたのでどちら様ですかと尋ねたら、○田さんの知人とのことだったが、お名前を聞いてわたしの方では「ああ、さだまさしMLの....」と反応してしまった。人間関係恐るべし。
その後、通信用語の基礎知識のCD-ROMを手に入れる。西館は今回この程度。

しばらく仕事をした後、東のサークルを回る。サリーガーデンズとかプラムランドとか。あやしいところでは「uuencodeされた本」なぞを売っていた暗黒通信団とか(正確には白衣姿でふらふら歩いてたら"同じ白衣同士、買っていただけませんか"などと言葉巧みに買わされてしまったのだけれど)。
そうやって東ホールを回りつつ、辿り着いたのは救護室ブース。12時過ぎから売り子としてしばし詰める。今回の新刊は十周年記念誌。すでに一部では名物として定着しているようで、新刊だけ買っていくような人も少なくないが、もちろん初めてらしい人もいる。けれども、既刊のどれよりも先に売り切れたのが第9号「『ロリとわたし』特集号」だったというのはなにか暗示的なものに思える。(^^;
隣にメイドのコスプレをした看護婦さんを侍らせ^H^H^H^Hと一緒に、売り子をしていた。ぁ、そういえば様子を見に来た救護室院長先生がツーショット写真をとっていたなぁ.....。接客は彼女に任せて、もっぱら記録取りとお金の出し入れに精を出していた。
そうやって売り子をしていた時に、ふっと見知った顔を見かけたような気がした。気のせいかな?と思っていたのだけれど、向こうが近付いてきたのでこちらも気付いた。一年半ぶりくらいで会う知人で、お互いに「あーこんなところで会うなんて〜」という感じ。しばし雑談して、別れた。連絡先くらい聞いておけばよかったと思ったのは後の祭り。

売り子が終わった後は西救護室に詰める。この日は天候も穏やかで、それほど調子を崩した人は多くなかった。(よいことである)
この日もっともウけたものは、同人誌ではなくグッズ。企業ブースで売られていたまほろまてぃっくの布袋で、わきでまほろさんが「えっちなのはいけないと思います!」と強調しているのだけれど。その袋を下げて買い物にいったDrの獲物(^^;はそろいもそろってえっちな本....。
面白いのでつい自分も買いにいってしまった。

大晦日

少々お片付けと、のんびりの日。
夜には紅白など聞きながら、メールアドレス変更の手続きなどしていた。このページを置かせてもらっている多摩インターネットが経営難のため、一度解散し、有志によってアクセスポイントを持たない形で再出発する。わたしは普通のメールアドレスの他にuucpを使ってのメールアドレスも使わせてもらっていたから、こちらを変更する必要が生じていた。

今年のことは今年のうちに、と、旅行記をアップ。写真などを今後追加する予定。
さて、来年はどんな年になるのだろうか。 


Written by Genesis
感想等は、soh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

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